全国の寺院が消滅の危機にある。ジャーナリストの伊藤博敏さんは「葬儀費用の透明化や、葬儀の簡素化が『お寺の経営』を直撃した。
宗教法人の6割が年収300万円以下というデータもあり、僧侶と寺が日本からどんどん減っている」という――。
※本稿は、伊藤博敏『火葬秘史 骨になるまで』(小学館)の一部を再編集したものです。
■生死にケジメをつけるための「葬式仏教」
葬式仏教とは、仏教が葬儀や法事にのみかかわり、日々の暮らしに「仏の教え」が生きず、寺院から門徒への働きかけもないことだ。
仏教による葬儀は故人の魂をあの世(浄土)へ送る儀式である。喪家は親類縁者、近隣住民、親交のあった人々に故人の死を伝えて社会との関係を終わらせ、火葬(土葬)を通じて遺体を処理し、僧侶に葬儀式を執り行ってもらい、無事に魂を浄土に送り届ける。
その過程において難解な仏教の経典・教義に触れることはなく、檀家寺などとの関係で僧侶を呼んではいるものの、仏教徒になったという意識は薄い。僧侶との日常的な交流がなく、経典に触れることもないのだから無理もない。多くの国民が仏式葬儀を利用しても「無宗教」を自覚し、アンケートなどにもそう答えるゆえんだ。
ただ、「浄土」なるものが存在するかどうかは別にして、習俗としての葬式仏教は生死にケジメをつけて死者を送り出す葬法として、歴史を重ね国民が周知しているという意味で便利である。仏教各宗派によって葬儀式は異なるが、禅宗系の曹洞宗を例に葬儀で何が行われるかを確認してみたい。
曹洞宗の葬儀の流れは以下の通りである。
・入堂(僧侶入場)

・剃髪(髪に剃刀をあてる仕草で出家の準備)

・授戒(仏の弟子になるために戒を授けられて戒名をもらう)

・入棺諷経(死者を棺に入れるためにお経を唱える)

・龕前念誦(棺の前で諸仏の名前を唱えて念じる)

・引導法語(悟りの境地を表す引導法語を読み上げ、悟りに導く)

・山頭念誦(死者が悟りを得ることを祈願する)

・散堂(僧侶退場)
■高額のお布施、戒名料も「必要経費」と受け止められてきた
宗派によって地域によって儀式はさまざまに異なるが、葬儀によって故人が仏の弟子となって仏の道に向かうことに変わりはない。
ただ、厳粛で意味のある葬儀式の作法が列席者には伝わっていない。伝えないのが僧侶の慣習であり、お経の難しさが理解を阻む。その改善を求める声もある。
ともあれ伝統に従って行う仏式葬儀は、戒名料やお布施が発生してその分、高額となる。コロナ禍前の通夜、葬儀・告別式、火葬の葬儀一式の費用は平均で約150万円だった。
ただ、こうした葬儀費用を国民は、自ら喪主となった際の必要経費と受け止めてきた。また、参列者にとっても仏式葬儀は便利である。宗派性や地域性を意識することなく、香典を置き焼香をして、短時間で「義理を果たした」という心の“安らぎ”を得て斎場を後にすることができる。葬式仏教は習俗としては優れていたのである。
■葬儀の簡素化と墓離れが「寺の経営」を直撃
ただ、21世紀以降、急速に広まった「継承されない墓」と、それに連動する葬儀の簡素化、ネット仲介業者による葬儀価格の見直しは、「お寺の経営」を直撃した。
僧侶でジャーナリストの鵜飼秀徳が2015年に著した『寺院消滅』(日経BP)は、葬式仏教として長らえてきた仏教が、各地で苦闘する姿が描かれている。
鵜飼は執筆の動機を友人僧侶からの「ここ松本では山間部で過疎化が進んでおり、寺を維持できなくなっています。
東京などの大都市への人口の流出と地方の疲弊の流れの中に、寺院の存続問題があります」という連絡がきっかけだったと書く。
折しも、日本創成会議(座長・増田寛也元総務相)が、2040年には全国の自治体の49.8%が消滅する可能性があると発表して話題となっていた頃だ。友人僧侶は、「地方都市の消滅はこれからだが、仏教界では既に寺院の消滅期に入っている」と言い、鵜飼は早速取材に入る。
『寺院消滅』は全国各地の実態を調査した労作であり、消滅の予感を漂わせながらも再興へ向けての動きも描く。僧侶である鵜飼は、《自分につながる亡き人と再会できるのが寺院だ。そこで「過去」に思いを馳せることで、自分の存在意義を確かめる。きっと再び、明日に向って歩き出せるはずだ》と、厳しい状況は認識しつつも希望を描く。
■僧侶は「食えない職業」
葬式仏教は宗教的習俗で仏教徒の自覚は生まれないかも知れないが、戒名をもらって仏弟子となった親兄弟姉妹や親族を、墓や位牌といった“現物”を通じて意識することができる。
浄土をイメージすることはできなくとも、霊魂がどこかにあってお盆に帰ってくるという仏事は、故人に会いたいという気持ちに重なって受け入れられる。葬儀や法事は、宗教的儀式にとどまらず、死者と対話し自らも平穏な気持ちを得ることのできる場である。
葬式仏教にはそうした役割があるものの、その前に「寺院消滅」の現実を踏まえねばなるまい。まず各寺院の収入が減る中、僧侶のなり手がいない。
「食えない職業」が淘汰されるのは自然の理だ。単一宗教宗派としては日本最大の約1万4600カ寺を持つ曹洞宗は、2023年末に発表した「若手僧侶に関する動向調査」で、「僧侶数の縮小スピードが速まっており、20年後に僧侶数は40%減少する」と推定した。
■ほとんどが年収300万円以下の厳しい経営
2024年1月、梶龍輔・駒澤大学非常勤講師は、2022年までの40年間の曹洞宗、浄土真宗本願寺派(約8900カ寺)、日蓮宗(約5000カ寺)における合併・解散で廃寺となった寺院を調査分析し、3宗派合わせて703カ寺が廃寺となり、増加のスピードが上がっていると発表した。宗教法人の約63%が年収300万円以下。全国に約1万の寺を持つ浄土真宗本願寺派もその4割が、年収300万円以下だという調査もある。
背景にあるのは一日葬や直葬、家族葬の普及に伴う葬儀の簡素化と、それに連動した戒名料などお布施の減少、法事の縮小だ。樹木葬、合葬墓、散骨など「継承しない葬法」の普及は大きな影響を与えている。墓は継承されなくとも葬儀は行われる。だが、「継承されない墓」は前提として檀家にはならないことが多く、従って法事もない。
■地域コミュニティセンターとしての役割は失われつつある
江戸時代の檀家制度は、檀家(信徒)がキリスト教徒ではないことを寺が証明する「宗門人別帳」によって、檀家と寺が互恵関係で結ばれていた。それが寺の安定につながって堕落した側面はあるが、一方で、寺は江戸時代に地域コミュニティセンターとして重要な役割を果たしてきた。
18世紀末の産業革命を経てイギリスには多くの工業都市が生まれ、鎖国日本の先を行く近代国家だったが、就学率は2割程度で労働者の識字率はそれ以下だったという。
フランス、ロシアといったヨーロッパの他の大国も同じようなものだった。ところが日本では、武家のような支配階級だけでなく庶民も寺子屋に通い、幕末の就学率は7割を超えた。
武家階級は文武両道を求められて藩校に通い、素養として儒学を中心に学び、中でも朱子学が重んじられた。「君は君たり、臣は臣たり」という言葉で知られる朱子学は、立場に応じて立派に生きるようにという心構えを説き、封建制度の中の規範として長けており、論語を含む四書五経などで藩士の子弟らは学んだ。
庶民が通った寺子屋は、その名の通り、寺院が一角を貸し出し、僧侶や神官、医師などが町民や農民の子弟を教えた。読み(読書)、書き(習字)、そろばん(算数)が中心で、生きていくための最低限の素養が備わった。初級教科書として使われた『庭訓往来』は、普遍的な社会常識を伝え、親孝行や長幼の序が教え込まれた。
■檀家制度は機能不全、死を待つ「ゆで蛙」状態
宗門人別帳で幕府の役割を補完し、子供の遊び場にして大人の寄り合い所、寺子屋という教育機関にして葬儀と法事を取り仕切る寺は、地域コミュニティの中核だった。同時に江戸時代の先祖と親を敬う儒教教育は縦社会の秩序を築き、明治時代の天皇による万世一系支配と明治民法下の家制度によってさらに強化され、その象徴が「○△」家の家墓だった。
戦後は寺の持っていた優先的な立ち位置がすべて揺らぐ。檀家制度と家制度はしだいに機能しなくなり、血縁、地縁は薄れて墓は継承されなくなった。写経教室、座禅会、子供食堂といった活動を通じて地域コミュニティに欠かせない寺があり、宗教者として貧困や落ちこぼれといった社会問題に取り組む僧侶はいるものの、大半は葬式仏教に安住して存在感は高まらず、「寺院消滅」に歯止めをかけるには至らない。

「お寺を支えるシステム」が崩壊していく中、13宗ある日本の仏教宗派の枠組みに大きな変化はない。主要宗派が属する全日本仏教会が何らかの指針を打ち出すこともなければ、各宗派の門主、管長といったトップの声が信徒に伝わることもない。
むろん痩せ細る現状に危機感はあるのだろうが、「本山」と呼ばれる大きな寺が、小さな寺を「末寺」として支配下に置く「本山・末寺」の関係の中、末寺からの上納金で運営される本山宗務総長ら運営幹部は、改革を嫌う保守思想のまま、熱湯死を待つ“ゆで蛙”状態にある。

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伊藤 博敏(いとう・ひろとし)

ジャーナリスト

1955年福岡県生まれ。東洋大学文学部哲学科卒業後、編集プロダクションを経て、1984年よりフリーのジャーナリストに。経済事件をはじめとしたノンフィクション分野における圧倒的な取材力に定評がある。著書に『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(小学館)、『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』(講談社)、『「カネ儲け」至上主義が陥った「罠」』(講談社)など。

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(ジャーナリスト 伊藤 博敏)
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