腕時計を着けるのは右手か左手か。クリエイティブディレクター/アートディレクターの秋山具義さんは「左手が正しいというのが“世界の常識”だったが、現在は右手に着ける人も増えている。
常識を変えたのはApple Watchだ」という――。
※本稿は、秋山具義『こうやって、センスは生まれる』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
■「センス」はどうやって生まれているのか
――「センス」という言葉は、私たちの身近な生活の中に、思っている以上に深く入り込んでいます。
たとえば、ファッションセンス。朝の通勤電車の中でふと見かけた人の服装に、目を奪われる瞬間があります。奇抜な格好ではないのに、全体の色味や素材感が絶妙で、「なんかあの人、おしゃれだな」と感じる。あるいは、季節の変化をうまく取り入れた着こなしに、センスのよさを感じることもあるでしょう。
美的センスも同様です。インテリアや写真、文章などに触れたとき、その美しさや構成のバランスの良さに思わず「いいな」と感じる瞬間があります。何気ないカフェの照明や観葉植物の配置に、「この空間、落ち着くな」と思うことはありませんか? あるいは、SNSで見かけたたった一文の詩や写真に、なぜだか心を掴まれてしまうこともあります。そこには、言葉では説明しづらい「センス」が確かに存在しています。
仕事のセンスもまた、私たちの日常にひっそりと息づいています。
商談の場で、相手の心をふっと掴む提案をしたり、絶妙な一言で話の流れを変えたりする人がいます。資料や話し方が派手なわけではないのに、「この人の話はなぜか伝わる」と感じさせてくれる人がいる。そうした人たちは、相手の反応や空気を敏感に感じ取り、タイミングよく“半歩先”の提案を差し込むセンスを持っています。
では、「センスってどうやって生まれているの?」と問われると、意外と明確に説明できない人が多いのではないでしょうか。
■発想の転換が文化を作った「ひつまぶし」
私が"名古屋めし"の中でも一番好きなのが「ひつまぶし」です。
1杯目は鰻うなぎとご飯でそのまま食べ、2杯目は薬味を添えて、3杯目はお茶漬けにして食べる――。
この3段階で味の変化を楽しめる"システム"に、初めて食べたときは本当に感動しました。
同じ料理なのに、食べ方を変えるだけでまったく違う世界が広がる。これは、まさに「発想の転換」がもたらすセンスの象徴だと思います。
また、通常、鰻料理では"大きく立派な鰻"が喜ばれ、鰻重や鰻丼では、見た目の豪華さや焼き目の美しさが重要です。
それが、小さかったり型崩れしたりしている鰻や切れ端でも、細かく切ってご飯の上に並べ、「ひつまぶし」として高価格帯で提供できるというのは"逆転の発想"です。
私が思うに、「ひつまぶし」は単なる料理ではなく、"発想の転換で文化を作った象徴"です。

足りない材料をどう使うか、どう見せるか、どう楽しませるか――。この発想は、どんな時代のビジネスにも通じます。
たとえば、SNSで「完璧な投稿」に対して、あえて“余白”や“崩し”を見せる表現が共感を呼ぶのも同じ原理です。
つまり、「整いすぎていないこと」や「欠けていること」にも美しさを見出せるかどうか。
そこに“センスの成熟”があるのです。
センスとは、何かを“足す”ことではなく、視点を“変える”ことから生まれます。「小さな鰻をどうにか活かせないか」という発想が、名古屋を代表する料理を生み出したように、日常の中の小さな不便や違和感の中にも、新しい価値の芽が潜んでいるのです。
■「黒ひげ危機一発」のルールは“逆”だった
「ひつまぶし」の話は、まさに“発想の転換”によって生まれたセンスの象徴でした。足りない素材を活かし、常識をひっくり返すことで、まったく新しい価値を創造した。つまり、発想の転換とは「ものを反対側から覗く力」なのです。
そしてその延長線上にあるのが、「逆転のセンス」です。発想を少し変えるだけで価値が生まれるように、常識を“逆さにしてみる”ことで、世界の見え方そのものが変わることがあります。
センスとは、時に“逆を見る勇気”なのです。
私が「逆転のセンス」という言葉を聞いて最初に思い出すのが、あの誰もが知るパーティーゲーム――「黒ひげ危機一発」(タカラトミー)です。このゲームは、順番に剣を刺していき、樽の中にいる黒ひげの親分が勢いよく飛び出したら負け、というシンプルなルールで長年親しまれてきました。しかし、その“負けルール”こそ、実は後から生まれた逆転の発想だったのです。
もともとのルールはまったく逆でした。1975年(昭和50年)の発売当初、黒ひげは「海賊の親分が縄で縛られ、樽に閉じ込められている」という設定で、プレイヤーが剣を刺して縄を切り、「親分を助け出す=飛び出させた人が勝ち」という“救出の物語”だったのです。
つまり、初代ルールは“勝ち”のゲームだったわけです。
■発売20周年目に「飛び出したら負け」に
ところが、その後の大ヒットに伴い、ルールは時代の流れとともに変化していきます。発売翌年の1976年(昭和51年)から放送されたフジテレビ系の人気番組『クイズ・ドレミファドン!』では、黒ひげが飛び出した人が負け、または驚いたら負けといったルールが使われ、そのスリルとリアクションの面白さで、逆に“負けのイメージ”として浸透しました。
この流れを受けて、タカラトミー(当時トミー)は1979年(昭和54年)に「飛び出したら勝ちまたは負け(遊ぶ前にどちらにするか決めてから遊んでください)」という折衷ルールを採用。
そして、1995年(平成7年)の発売20周年の節目に、ついに正式なルールとして「飛び出したら負け」を定義しました。つまり、誕生からわずか20年の間に、“勝ち”から“負け”へとルールが完全に反転したのです。

にもかかわらず、その人気は衰えるどころか、世界47の国と地域で累計2000万個が出荷されるまでに拡大。ルールが逆転しても、ゲーム自体の魅力は少しも損なわれませんでした。
むしろ、「いつ飛び出すかわからないドキドキ」が、世代や言語を超えて共有できる普遍的な楽しさになったのです。そして、2025年。発売からちょうど50周年を迎え、タカラトミーは、原点に立ち返る大きな決断をしました。
■「飛び出したら勝ち」にルールを戻した
同年7月5日に発売される7代目「黒ひげ危機一発」から、ルールを再び「飛び出したら勝ち」に戻すと発表したのです。昭和50年の初代ルール「黒ひげの親分救出スタイル」への原点回帰です。
タカラトミーはその発表でこうコメントしています。
「“負け”ではなく、“勝つ”という普遍的な楽しさをもう一度届けたい。黒ひげはこれからも飛び続けます!」
この言葉には、単なる懐古ではなく、“原点を今の時代に合わせて再構築する”という意志が感じられます。それは、「勝ち負け」という単純な二元論ではなく、「楽しむこと」そのものをもう一度価値の中心に置く試み。
“負け”を“勝ち”に戻したのではなく、“楽しさ”を再定義した――。

つまり、「勝つ=楽しむ」「勝つ=笑う」という普遍的な人間の感覚に立ち返ったのです。50年という時を経て、黒ひげは再び“センス”をまとって飛び出しました。
「黒ひげ危機一発」のルールの変遷は、まさに「逆転の美学」を体現しています。“助ける”から“驚かせる”へ、そして再び“助ける”へ。その都度、社会の感覚や時代の空気に合わせて変化しながら、本質的な「ハラハラドキドキ」という楽しさだけはずっと変わらない。
センスとは、時代に合わせて形を変えながらも、“人が心地よく感じる原点”を見失わないこと。「黒ひげ危機一発」の歴史は、それを見事に証明しているのです。
■Apple Watchと「右手の常識」
センスは日常の中にも潜んでいます。たとえば、腕時計を右手に着ける人が増えているのを知っていますか? 子どもの頃、私は「右利きの人は左手に時計を着けるものだ」と祖父に教わりました。
右手はよく動かすので壊れやすい――そのため時計は左手。これは長年、世界中で共有されてきた“腕時計の常識”です。しかし、Apple Watchの登場で、その常識が見事に逆転しました。

今や右利きの人が右手にApple Watchを着けることが増えているのです。理由は意外にもシンプル。Apple Watchを使って電車に乗るときに、モバイルSuicaなどでタッチ決済をしようとすると、改札の読み取り機は右側にある。右手に着けていたほうがスムーズに通過できるからです。
便利さのために「腕時計の常識」を変えた。それは、デザインでもファッションでもなく、機能と動線の変化が生んだセンスの逆転でした。
Apple Watchは“新しいテクノロジー”であると同時に、“人間の行動のアップデート”でもあります。かつての「左手は正しい」が、今や「右手のほうが便利」へ。その柔軟な適応こそが、現代的センスの本質です。
■「貼らないカイロ」の誕生
もう一つの面白い逆転は、「携帯カイロ」です。1975年(昭和50年)に旭化成が開発し、1978年(昭和53年)にロッテ電子工業(現・ロッテ)が全国販売した「ホカロン」、そして1989年(平成元年)には「ホカロン貼るタイプ」が登場しました。
この通称「貼るカイロ」の登場によって、それまでの普通のカイロは“新しい呼ばれ方”をされるようになります。それが――「貼らないカイロ」です。
もともと“貼る機能”などなかったのに、新商品が出たことで、既存のカイロが「貼らない」と呼ばれるようになった。さらに調べてみると「貼れないカイロ」(アイリスオーヤマ)という商品まである。ここまでくると、もはやネーミング自体がユーモアの領域です。
これは、「便利さ」が進化した結果、元祖が“逆方向の名前”を背負うことになったという、切ない逆転です。でも考えてみると、ここにもセンスがあります。
“新しい価値が生まれた瞬間、古い価値が別の言葉で再定義される”――これこそ、言葉が時代とともに生きている証拠です。便利になった裏で、名前がねじれ、文脈が変わる。この「ねじれ」こそが文化の味わいであり、センスのある人はそのねじれを“楽しめる人”なのです。

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秋山 具義(あきやま・ぐぎ)

デイリーフレッシュ代表取締役、クリエイティブディレクター/アートディレクター

日本大学芸術学部デザイン学科客員教授。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。1966年秋葉原生まれ。1990年日本大学芸術学部卒業。同年、株式会社I&S(現I&S BBDO)入社。1999年デイリーフレッシュ設立。広告キャンペーン、パッケージ、ロゴ、キャラクターデザインなど幅広い分野でアートディレクションを行う。主な仕事に、東洋水産「マルちゃん正麺」広告・パッケージデザイン、日本フェンシング協会「新国章」デザイン、松竹「十八代目 中村勘三郎 襲名披露」ポスター、立命館大学コミュニケーションマークデザイン、AKB48「ヘビーローテーション」CDジャケットデザインなど。「日本パッケージデザイン大賞2017」にて「マルちゃん正麺カップ」が金賞受賞。著書に『世界はデザインでできている』『ファストアイデア25』がある。2016年より「食べログ」グルメ著名人としても活動。2025年『カイカイキキHidari Zingaro』にて自作の陶芸作品の個展「秋山具義の陶芸展」を開催。

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(デイリーフレッシュ代表取締役、クリエイティブディレクター/アートディレクター 秋山 具義)
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