なぜ日本ではウォシュレットが普及したのか。クリエイティブディレクター/アートディレクターの秋山具義さんは「ウォシュレットがこれほどまでに日本に根づいた背景には、文化的な必然があった」という――。

※本稿は、秋山具義『こうやって、センスは生まれる』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
■ドイツで出会った「トイレのサイン」
「センスがいい人」とよく言いますが、「センスとは何か?」と言われると答えられない人が多いのではないでしょうか。「センス」を定義すると、「人“ハッとさせる”アウトプット」になります。
こうした“ハッとさせる”瞬間は、派手な演出や特別な才能から生まれるわけではありません。むしろ、相手の立場や背景をよく観察し、「どのように提示すれば一瞬で伝わるか」を考える姿勢から生まれます。センスとは、相手の理解の射程と興味の範囲を踏まえた上で、ほんの少しだけ先を提示する力なのです。
2012年、仕事でドイツのフォルクスブルクに行ったとき、現地のトイレのサインがあまりにかわいくて、思わず写真を撮りました。
男性と女性が並んだシルエットのピクトグラムなのですが、トイレに行きたい人を表現した男女のピクトグラムは、足をもじもじしていて、口をへの字に曲げている。そんなコミカルな仕草が描かれているんです。見た瞬間、思わず笑ってしまいました。
■人の想像力を通して行動を変えるデザイン
でも、そのデザインをよく見ると、ただの遊び心ではないことに気づきます。トイレを使っている人がそのサインを思い出したら、「外で誰かが待っているかもしれない」と感じて、少しだけ早く出ようと思うかもしれません。

つまり、このピクトグラムは、人の想像力を通して行動を変えるデザインなのです。日本でも、こういう“やさしさのあるデザイン”がもっと増えてもいいと思います。「行動を強制する」ではなく、「気づかせる」デザイン。無機質な標識より、ちょっとしたユーモアや人間味が、人の心を動かすきっかけになる。センスとは、そういう目に見えないコミュニケーションの力のことだと感じます。
■日本人の「清潔の常識」を変えた一言
気づかせるデザインの代表的な例が、1982年(昭和57年)のTOTOの広告コピーです。コピーライターの仲畑貴志さんによる名作――「おしりだって、洗ってほしい。」は、当時、温水洗浄便座という言葉すら知られていなかった時代に、この一行が日本人の“清潔の常識”を変えました。
仲畑さんは、最初この製品の良さがわからず困っていたそうです。そこで、TOTOの若い技術者が青い絵の具を手に塗って、「紙で拭いてみてください」と言いました。何度拭いても、絵の具は完全には落ちません。「お尻も同じです。水で洗えば清潔になります。
これは常識への挑戦なんです」と説明されて、仲畑さんは「なるほど!」と膝を打ったそうです。そして生まれたのが、このコピー。わずか十数文字の言葉が、人の行動を根本から変えたのです。
しかし、ウォシュレットがこれほどまでに日本に根づいた背景には、単なる広告の力を超えた、文化的な必然がありました。
■水の性質、住宅構造、便の性質…
まず、水。日本の水は「軟水」です。一方、ヨーロッパやアメリカなどは「硬水」が多く、石灰分が豊富。この石灰がウォシュレットのノズルや内部に蓄積し、詰まりや故障の原因になります。つまり、水の性質が違うだけで、同じ製品が「使える国」と「使いにくい国」に分かれてしまうのです。
さらに住宅の構造も異なります。日本ではトイレと浴室が別の空間ですが、欧米では「ユニットバス」が主流。特にイギリスでは安全基準により、浴室内への電気配線そのものが禁止されています。
したがって、「トイレに電源をつける」という発想自体が存在しない。ウォシュレットのような製品が文化的にも構造的にも根づきにくい環境なのです。
そしてもう一つ、大きな理由があります。腸内細菌研究の第一人者であった、光岡知足・東京大学名誉教授によると、日本人と欧米人では“便の性質”が異なるそうです。日本人は米や野菜を中心に食物繊維を多く摂るため、便がやわらかく粘り気がある。一方、肉食中心の欧米人の便は固く、コロコロしている。だから、紙で拭くだけで済んでしまう。つまり、「水で洗う」ことの必要性を感じにくいのです。
■世界のトップアーティストにも評価された
この生理的な違いこそ、ウォシュレットが日本で成功した決定的な要因の一つだと思います。技術も、デザインも、そして体の構造までもが“文化的に一致”していた。センスとは、技術が文化と自然に交わる瞬間に生まれるものなのです。
日本には古来、“水で清める”という文化があります。
神社で手を洗い、口をすすぎ、「穢れを落として心を整える」――。水は単なる物質ではなく、心を整える象徴でした。
だからこそ、「おしりだって、洗ってほしい。」というメッセージは、日本人の感性にすっと馴染んだのかもしれません。
こうして誕生したウォシュレットは、単なる便利な機械ではなく、文化のセンスを具現化したデザインでした。その証拠に、2005年に来日したマドンナは、「ウォシュレットに会いに来たのよ」とコメントしています。世界のトップアーティストが、日本のトイレ文化を“体験すべき価値”として語ったのです。
欧米では「お風呂とトイレは別」ではなく「同じ」。電源がない、硬水でノズルが詰まる――そうした条件を超えてもなお、マドンナのような人が魅力を感じるほどに、日本のウォシュレットは“文化を動かすセンス”をまとっていたのです。
■センスとは「動かす力」である
センスとは、派手なデザインのことではありません。それは人の行動を変える小さなきっかけを作る力です。ドイツのトイレにあったピクトグラムが人の想像を動かすように、TOTOのコピーが常識を変えるように、ウォシュレットは清潔の概念を変え、マドンナの発言が世界の意識を変えました。
つまり、センスとは“動かす力”です。
人の心を、行動を、そして文化を少しだけ動かす。その半歩の変化を生み出せる人こそが、本当の意味でセンスのある人なのだと思います。
センスとは、単に美的な感覚や言葉の巧みさだけではない。人の行動や判断の“わずかな選択”にこそ、最も深いセンスが宿ることがある。それは、相手の心理を読み、状況を設計する力――つまり、「見せ方」「見せない方」のデザインである。

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秋山 具義(あきやま・ぐぎ)

デイリーフレッシュ代表取締役、クリエイティブディレクター/アートディレクター

日本大学芸術学部デザイン学科客員教授。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。1966年秋葉原生まれ。1990年日本大学芸術学部卒業。同年、株式会社I&S(現I&S BBDO)入社。1999年デイリーフレッシュ設立。広告キャンペーン、パッケージ、ロゴ、キャラクターデザインなど幅広い分野でアートディレクションを行う。
主な仕事に、東洋水産「マルちゃん正麺」広告・パッケージデザイン、日本フェンシング協会「新国章」デザイン、松竹「十八代目 中村勘三郎 襲名披露」ポスター、立命館大学コミュニケーションマークデザイン、AKB48「ヘビーローテーション」CDジャケットデザインなど。「日本パッケージデザイン大賞2017」にて「マルちゃん正麺カップ」が金賞受賞。著書に『世界はデザインでできている』『ファストアイデア25』がある。2016年より「食べログ」グルメ著名人としても活動。2025年『カイカイキキHidari Zingaro』にて自作の陶芸作品の個展「秋山具義の陶芸展」を開催。

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(デイリーフレッシュ代表取締役、クリエイティブディレクター/アートディレクター 秋山 具義)
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