※本稿は、粂和彦『脳がないのにクラゲも眠る生物に宿された「睡眠」の謎に迫る』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。
■盛んに行われた動物の断眠実験
睡眠の必要性を実験で確かめようとすると、誰でも思いつくのは「眠らせないとどうなるか」を調べることです。動物が死んでしまうレベルまで眠らせない実験は、今は欧米や日本では、倫理的に許容されません。中国では、動物実験の倫理規程が緩いようで、後述するように、つい最近もマウスが死ぬまで断眠した研究が発表されて、睡眠の研究者からは批判されています。
しかし、欧米でも、1980年代までは動物の断眠実験が盛んに行われていました。初期のころは、動物が眠ると電気刺激を与えて起こす実験が行われました。当然、寝ているどころではありません。それでも長期間眠らせないようにすると、眠いためにちょっとやそっとの刺激ではなかなか起きなくなり、どんどん起こすために電気刺激が強くなってしまいます。その結果、完全断眠の末に死んでしまったとしても、それが眠れなかったせいなのか、強い刺激によるストレスのほうが原因なのか判断が難しいという問題がありました。
そこでシカゴ大学のアラン・レヒトシャッフェン博士のグループが編み出したのが、2匹の動物を用いた実験です。彼は1968年にアンソニー・ケイルズ博士とともに、ヒトの睡眠脳波の研究から、段階にわけたノンレム睡眠、レム睡眠、覚醒に分類する基準を発表し、その基準が世界中で現在まで使われていることで有名で、動物の脳波を観察できる装置も持っていました。
■実験ラットは食べてもやせてしまう
この実験では、2匹のラットを用います。壁で仕切られた丸い台を用意し、台の両側のラットの脳波をモニターします。片側のラットが眠ったことが確認されると台が自動的にゆっくり回転します。ラットは真ん中の壁にぶつかるのですが、痛くはないのでそのまま寝ていると、壁に沿って台の外側に少しずつ押されて、ついには台の下に落ちてしまいます。そこには、意地悪なことに、薄く水が張られているので、濡れてしまいます。水に濡れるのはイヤなので、実験ラットは次第に敏感に反応するようになり、あまり眠らなくなります。ちょっとうとうとすると台が動いて、壁に接するとすぐ目が覚めてしまう。この結果、実験ラットの睡眠の95%が剥奪(はくだつ)されました。
一方、台の反対側にいる比較対照用のラットはどうかというと、台が回転すると同じように対照ラットも水に落ちるのですが、眠っても台は回転しません。反対側の実験ラットが起きている間は眠ることができるため、断眠の割合は50%にとどまりました。
その結果、どうなったでしょうか。実験ラットは食欲が亢進(こうしん)して食べる量が増えていくにもかかわらず、途中からはどんどんやせていき、からだの毛が抜け、10~20日間程度で感染症にかかって死んでしまったのです。
■免疫系に異常をきたす原因に
一方、対照ラットは2週間経っても健康でした。断眠すると免疫系がダメージを受けるようなのです。彼らは、この実験装置を使ったラットの断眠実験の結果を、1989年にSleepという睡眠研究専門の雑誌に、何と10報の連続論文として発表しています。
では、いったい断眠によってからだの中で何が起こったのでしょうか。レヒトシャッフェン博士らの研究で、ラットは代謝機能の変化から、内分泌系の異常、さらに引き続いて起きる免疫系の異常が最終的には死因につながったと考えられます。
また、2023年に中国のグループは、別の装置を工夫して、マウスの断眠実験を行いました。彼らの実験では、動く台ではなく、水を薄く張った飼育容器の中に、マウスがようやく立てる広さの小さな台を置きました。マウスはこの台の上で寝てしまうと落ちてしまいますし、水の中で寝てしまうと、鼻が水につくので、長く眠れません。このようにして、96%以上の時間覚醒するようにして、強く断眠すると、サイトカインストームという状態が起きて、4日目までに80%が死亡するという驚きの結果を報告しています。これは断眠が強いストレスとなって、免疫系に異常をきたすことを示します。
■ハエも寝不足でDNAが損傷した
また、ハーバード大学メディカルスクールのヴァカロ博士らがハエとマウスを用いて断眠の影響を探った2020年の研究によると、眠らせないとハエもマウスも腸内に活性酸素が蓄積することで腸内細菌叢(そう)に変化が起こりDNAの損傷や細胞死といった酸化ストレスが引き起こされて死んでしまったそうです。活性酸素を消去するような抗酸化化合物を投与することによって活性酸素の蓄積を防ぐと、断眠をしても長期間生存できると報告しました。
眠らないと死んでしまうというのは極端な例ですが、私たちも徹夜をしたり、睡眠時間が短い日が続いたりすると、まず注意力や記憶力が低下します。仕事の効率が下がり、事故も増えます。また寝不足が続くとキレやすくなる、と言われますよね。眠気があると通常よりイライラしがちというのは、だれもが経験したことがあるのではないでしょうか。これをより科学的に調べた興味深い研究があるのでご紹介しましょう。
■イヤな刺激に対する反応が強くなる
断眠すると情動面でどんな変化があるのかを調べるために、断眠したときと普通の状態の脳の反応を比較したのが、ハーバード大学メディカルスクールのヨー博士らのグループです。彼らは、被験者に100枚ぐらいの写真を順番に見てもらいました。風景やクルマなどの普通の写真の中に、動物の死体やゴミの写真など、誰が見ても少しイヤな気持ちになる写真を混ぜておき、その瞬間の脳の反応を計測しました。このように、嫌な刺激が入ると、私たちの脳の扁桃体が、無意識的に反応します。この実験を、ちゃんと寝ている人で行うと、扁桃体は軽く反応するだけでした。しかし、前の晩に睡眠を4時間以下にしてもらって睡眠不足になっている人の場合は、扁桃体が非常に強く反応することがわかりました。イヤな写真を目にして反応するといっても、意識にのぼる反応ではなくて、200ミリ秒ぐらいの短い時間に扁桃体が活性化するという無意識の反応です。
無意識レベルで扁桃体が反応した後で、500ミリ秒くらいすると、私たちにはイヤな気持ちが生じるのです。ですから、この反応を意識的に止める、つまり、嫌に思わないで我慢することはできません。
ではなぜ断眠すると扁桃体が強く反応するのでしょうか。同じ研究で、睡眠不足の人では大脳皮質の中でも前頭葉の働きが弱まっていることも示されました。
■寝不足の人がキレやすい理由
前頭葉は「脳の社長さん」と呼ぶ研究者もいるように、脳の中でも中心的な働きをしています。しかし、すべてを取り仕切っているタイプの社長さんではなく、基本的には常にブレーキをかける、つまり、常に「結論を出すのは、ちょっと待ってよ」というタイプの社長さんです。
どういうことかというと、私たちの脳は前頭葉がなくてもほとんどすべてのことができます。耳から何かを聞いてそれに対して答える際に、前頭葉がなくても頭頂葉や側頭葉だけで回答することができます。例えば「あなたはカレーが好きですか」と質問されたとして、「はい」と答えられます。でも通常は、いきなり答えたりしません。「野菜カレーは好きだけど、マトンカレーはちょっと苦手だな」とか「好きでも毎日ってほどじゃないな」などとあれこれ考える。その間、「答えずにもうちょっと待って」とブレーキをかけているのが社長さんである前頭葉なのです。
ところが睡眠不足になると、この社長さんが疲れて寝てしまうのですね。すると、入ってきた情報を吟味もせずに、即反応してしまうのです。誰かにちょっとイヤなことを言われたとして、睡眠が足りていたら、前頭葉がブレーキをかけてくれている間に少し考えて、「それは自分のことを思って言ってくれたんだ」とポジティブにとらえたかもしれないのに、寝不足だと、ほぼ反射的に、「なんでそんなこと言うんだ!」とネガティブにとらえて、すぐ反応してしまうかもしれません。これが睡眠不足でキレやすくなるメカニズムの一端です。
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粂 和彦(くめ・かずひこ)
分子生物学者・医師(日本睡眠学会睡眠医療指導医)
1962年愛知県生まれ。名古屋市立大学大学院薬学研究科教授。東海高校・東京大学医学部卒業、大阪大学大学院博士課程修了。立川相互病院研修医、東京大学助手、ハーバード大学研究員、タフツ大学研究員、熊本大学発生医学研究所准教授を経て現職。概日リズムと睡眠の制御機構を研究。Cell、Nature、Science誌などに論文を多数発表。睡眠障害診療も行う。著書に『時間の分子生物学』(講談社)、『眠りの悩み相談室』(筑摩書房)などがある。
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(分子生物学者・医師(日本睡眠学会睡眠医療指導医) 粂 和彦)

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