※本稿は、宮崎正弘『地獄の中国』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
■習近平は絶対の権力者ではない
習近平の軍権掌握は、7大軍管区を5つの戦区に再編し、4大総務部を15の部局に改編したあたりから本格化したかにみえたが、結局は指揮系統が有耶無耶(うやむや)となって機能しなくなった。
軍の激震はまず国防相の李尚福(りしょうふく)失脚、次になったばかりだった董軍(とうぐん)・国防相が行方不明、そして副主席だった何衛東(かえいとう)の失脚である。これで習近平が抜擢した“何衛東・苗華(びょうか)集団”という福建閥は誰もいなくなった。
四中全会前に習近平は補充人事を提示したらしいが軍事委員会はこれを承諾しなかった。軍上層部は統制がとれておらず、微妙なバランスのもとで、「八一蜂起」の式典には軍幹部が大量に欠席、その前に開かれた軍人の栄誉伝達式でも4人の上将が申し合わせたように欠席した。
中央委員会では37名が集団欠席したが、このうち11名が軍人だった。そして11名が中央委員に補充されたが、そこに軍人は1人もいなかった。
■中国軍トップでも頭が上がらない3長老
軍の規律検査委員会を牛耳るのは張升民(ちょうしょうみん)(67歳)だ。2025年10月23日に閉幕した四中全会で、人民解放軍の中央軍事委員会副主席に張升民・同委委員が昇格した。何衛東の後任にあたる。
張升民は中央紀律検査委員会主任を兼務。
つまりこの人事で浮かび上がったこととは、「張又侠・張升民体制」は、必ずしも習近平を支持するのではなく、人事の均衡をめざしながらも習近平の推薦する軍人を採用しないところにある。軍高層部でも権力闘争が継続されていて、習近平が軍を抑えていないという実態が鮮明になったのである。
ここで「三劉」と呼ばれる劉源、劉亜州、劉暁江3人の長老の存在が重要となってくる。
劉源は劉少奇の息子で同じ太子党ゆえに習近平の側近となった。現在74歳、依然として軍に隠然たる影響力を持つ。
劉亜州は武侠小説も書く理論家で元国家主席李先念の娘婿である。劉亜州は「対日融和政策」を批判し、日本への憧れに対する批判を展開した「反日軍人」の代表格だが、長らく表舞台に出てこないので失脚説がある。73歳。
劉暁江は胡耀邦の女婿であり、当時、総参謀部副総参謀長であった劉華清の秘書をつとめた。彼も76歳。
つまり3人はともにロートルであって軍を指揮するパワーはもはやないが、張又侠は、この三劉には頭が上がらないと言われる。
■世界が驚いた露骨すぎる粛清
こうなると、習近平は2027年党大会まで政治生命を維持できるのか。総書記と軍委員会主任を誰かに譲って国家主席にだけしがみつく寡頭政治に移行するか、あるいは軍の反乱があるのか。いや、その前に民衆の暴動の拡大が起こりそこで軍が動かなかったら、どうなるのか?
そういう状況下であったが、1月24日、国防部は突然「張又侠と劉振立(りゅうしんりつ)(統合参謀長)を『取り調べ中』だ」と発表し、世界に衝撃を与えた。
軍の制服組トップを失脚した張又侠は習近平と同じく太子党、紅二代だが、若き日にベトナム戦争従軍の実戦経験があった。
かくして独裁政権を支える軍事委員会に習近平を支持する軍人は不在となった。軍の指揮系統は形式的に習近平に一本化するが、制服組軍人は心から信服しているわけではない。
統合参謀長の劉も不在となって、誰が部隊に動員命をくだすのか。軍事委員会トップふたりの失脚は“第2の林彪事件”と騒がれているが、中国軍はしばし機能不全の状態となるだろう。
■反体制派に相次ぐ不審死
こうした泥沼の権力闘争は、過去数年にわたって水面下で続いていた。
周洪許は北部戦区陸軍副参謀長(少将)になる前、2008年の四川省地震のときは救援活動を指揮した。その前は雲南省のジャングル地域の駐屯兵だった。この周洪許が、2021年に北京防衛、とりわけ中南海を警護する「警備局長」に大抜擢され話題を呼んだ。
そして2025年12月、周は中央軍事委員弁公室主任となった。張又侠の首席補佐官のようなポストだが、華字紙消息筋は「周は習近平を裏切り、張に寝返った」と騒いだ。
王小洪が公安部長に抜擢されたのも習近平の手引きである。王小洪の就任直後から地方幹部たちの奇妙な自殺が続いた。そして反習近平派が立て続けに表舞台から消えた。
河北省の副省長(副知事に相当)と公安庁長(警察本部長に相当)を兼ねた劉文璽、甘粛省党委員会の周偉秘書長、遼寧省大連市副市長の曽兵が突然死んだ。天津市では廖国勲市長(閣僚級)が急死。その他、上記の劉氏の上司にあたる河北省党政法委の趙革書記死亡説も流れた。
対米交渉では王小洪がフェンタニル問題を交渉の切り札として登場し、場違いの経済貿易交渉の場に参加したことは注目を集めた。習近平の外交戦略の一端を担って、最も信頼されていたのだ。
■すぐにバレたチンピラ官僚の芝居
馬興瑞(ばこうずい)は政治局員である。哈爾浜(ハルビン)工業大学教授を経て宇宙天文分野で辣腕を発揮し、軍と関係が深い国有企業「中国航天科技集団」の幹部をつとめた宇宙分野の専門家だった。
それが突然、新疆ウイグル自治区党委書記を追われ、陳小江と交替した。12月10日から開催された「中央経済工作会議」に党政治局員であるにもかかわらず馬興瑞は欠席した。後任の陳小江は規律検査委員会畑の人間で国家民族事務局書記をつとめていた
習近平の焦りを見て忠誠度の売り込みのタイミングとばかりにチンピラ官僚が動いた。
2025年11月18日、中国外務省の劉勁松(りゅうけいしょう)・アジア局長は日本政府高官と会談したおりに、ポケットに手を入れた傲慢な写真撮影をさせて成績を上げようとした。ところがその直後から劉は大連の日本企業を訪問し、「日本企業が中国で安心してビジネスを行えるよう願う」とメッセージを伝えている。そこであれが演技だったことはすっかりばれた。
■計算され尽くした「日本下げ」
劉勁松の無礼な態度は日本人の多くから強い批判を集めただけでなく、日本のメディアも彼の「演出された」行動を非難した。「ポケット男」の演出はリハーサルさえ行われた形跡がある。
まず通訳が小声で呟くと中国語ができない金井局長は思わず前屈みになった。これが謝罪の格好に映るが、ルールを破って現場にいた中国メディアのカメラがそこをとらえ(通常、あの場所にはカメラは入らない)、日本側の了解もなく放送したのだ。さすがに日本の官房長官は記者会見で抗議した。
中国の政治工作は99%が宣伝だから、これにはもう少し深い意味がある。劉局長が着込んだ「五四青年服」だ。
劉局長はわざと「五四青年服」を着てポケットに手を入れ、この場面をメディアに撮影させ、「中国人は非常に怒っている」というメッセージを映像で流し、中国は台湾問題で妥協しないことをほのめかした。
「五四青年服」は「五四青年装」と呼ばれたもので、今の中国でそう簡単に手に入る服ではない。レトロである。
これが何を象徴しているかといえば、1919年5月4日、北京で組織された反日デモで学生が着用していた服だからだ。歴史教科書的にいえば日本の「対華21カ条」を意図的に利用して、中国人を組織化する「陰謀」があった。
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宮崎 正弘(みやざき・まさひろ)
評論家
1946年生まれ。石川県出身。早稲田大学中退。「日本学生新聞」編集長、雑誌『浪曼』企画室長を経て、貿易会社を経営。1982年、『もうひとつの資源戦争』(講談社)で論壇へ。
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(評論家 宮崎 正弘)

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