かつて「月の土地」が売買されていたことを覚えている方がいるかもしれない。いずれ月に住むことはできるのか。
ライターの林公代氏は「竹中工務店が、一般の人が月に住むための家を設計している。その本気度は、宇宙飛行士候補者選抜試験を受けて“宇宙建築家”を目指すメンバーもいるほどだ」という――。
※本稿は、林公代『宇宙にヒトは住めるのか』(ちくまプリマー新書)の一部を再編集したものです。
■「月に住む」へのチャレンジ
地球の周りを回るISS(国際宇宙ステーション)には、宇宙飛行士たちが長年にわたって交替で住み(中には1年以上続けて住んだ人も!)、無重力状態で人が住むための知識や経験がかなり蓄えられている。でも月については、アポロ計画の12人の宇宙飛行士が数日間を月着陸船の中で過ごしたものの、「住む」レベルには達していない。
そこで、「月に住む」としたらどんな家になるのか、しかも宇宙飛行士だけでなく、一般の私たちが快適に、楽しく住むにはどうしたらいいか、を考えてみたい。
取材に協力してくださったのは、竹中工務店の宇宙建築タスクフォース(TSX:Takenaka Space eXploration)の皆さん。竹中工務店は、東京タワーや東京ドームなど大きな建築物の設計や建設も手掛け、時代を切り拓く「作品(=建築)」にチャレンジする風土のある会社だ。
TSXは2023年にできた組織で、建築設計を担当する佐藤達保(さとうたつほ)さんと田中匠(たなかしょう)さん(2人とも2022年のJAXA宇宙飛行士候補者選抜試験を受験。本気で宇宙建築家を目指している)が声をあげ特殊構造や設備設計、施工技術などを専門とする数十人が集結。JAXAとの共同研究や政府プロジェクトなど様々な機関と連携し研究開発を展開中だ。
■月面生活の「QOL」をどう高めるか
TSXの特徴は、宇宙での「QOL(Quality of life)=生活の質」を高めた、快適で安全で機能的な空間を目標に掲げていること。
国際協力による2030年代の「宇宙建築」の実現を目指す。
ISSをはじめとしたこれまでの宇宙の構造物は「生きていく」ための場所だった。空気が満たされ、温度と湿度と気圧を一定に保ち、睡眠と食事がとれる場所。主目的は、仕事をすることであり、訓練を受けた宇宙飛行士が高い目的意識をもって生活する空間だ。安全性や機能性が最重要視され、快適さとか楽しさは二の次だったと言える。
しかし、宇宙飛行士だけでなく民間の人々が様々な目的で宇宙や月に住む時代には、それほど高度に訓練を受けた人でなくても、生活できる家が必要になる。月に旅行に行く人が増えれば、なおさらだ。宇宙空間や月という極限環境であっても、肉体的にも精神的にも満足感が得られる、居心地のいい住み家がほしい。
ところが現在、月の建築については建設するための地盤はどうか、建設用の材料をどう現地で調達するか、無人でどうやって建てるか、など土木や施工の話題が中心で、なかなか「住む」というイメージが掴(つか)みにくい。一方、世界で発表されるかっこいい月面建築のイメージ図は、細部にリアリティが感じられない。ではQOLを重視した実現可能な月の家とはどんなものなのか、深掘りしていこう。
■天井が高すぎるのは困りもの
月の家についてTSXの皆さんと話し合っている時、こんな意見が飛び出した。

「環境を作る側の人間から言うと、天井はあまり高くしてほしくない」
技術研究所で室内環境やニオイ、ホコリなどの空気の質を研究する谷英明(たにひであき)さんは、その理由を話し始めた。
「天井を高くするということは、空間が大きくなって、空気がたくさん必要になるということです。『照明をどこにつけますか?』という問題もあります。照明で光が届く範囲は限りがある。めちゃくちゃ高い天井に照明をつけると、手元に光が届きにくくなる。天井の高さは地上の1.5倍ぐらいならいいですが、3倍とか6倍になると厳しいですね」
天井は高ければいいというわけではなかった! と谷さんの言葉で気づかされる。日本の建築基準法では、居室の天井の高さは2.1m以上と定められている。6倍すると約12m! 天井が高くなればなるほど空間は大きくなり、たくさんの空気が必要になる。地上では空気があるのは当たり前だから疑問に思わなかったけれど、月では空気は作るか地上から運ばないといけない、貴重な資源なのだ。
そして空気の量が多くなれば、温度・湿度を一定に保つため、具体的には冷暖房のためのエネルギーもよりたくさん必要になる。大空間を作るための建築材料も調達しなければならないし、照明もあちこちにつけないといけなくなる。そもそも、天井だけ高くした場合、その空間は住人にとって気持ちいいのだろうか。

■月での生活で必要不可欠な「トレーニング」
すると、田中匠さんから「重い服を着るとか、重い靴を履くっていうのはありかもしれないね」というアイデアが。「もし月に住んでいる人が数か月後に地球に戻るとしたら、(月の低重力で)骨や筋力が衰えないように、毎日一生懸命トレーニングしないといけないですよね。トレーニングの代わりに、重い服や重い靴で生活したらどうだろう」
なるほど、重い靴を履けば、飛び跳ねる高さが抑えられるから天井がそんなに高くなくてもいいし、トレーニングにもなって一石二鳥だ。上の階に行きたい時だけ靴を脱いで、ひとっ飛びすればいい。
その一方で、月に旅行する人たちは、6分の1の重力で飛び跳ねるのを楽しみにしているのではないだろうか。すると他のメンバーから「旅行者向けの月面ホテルとか、月に長期滞在する人のレジャー用に、天井が高い「弾ける部屋」を作ればいい。そこでは思う存分飛び跳ねて、月の重力を楽しんだらいいと思います」と解決案が出る。
それはいい案かもしれない。この議論でわかったのは、重力という1つの条件だけで天井の高さを決めるのでなく、空調や照明、住む人の感情や健康状態など、様々な観点を考慮して、天井の高さや空間の使い方を考えなければならないということだ。
■地球の約200倍の放射線に耐えられる家
では、月で家を作るには、どんな課題があるのだろうか。
まず、大きな課題は放射線。地球上では大気に守られて地表に届かない放射線が、月面には降り注ぐ。
その量は地表の約200倍にもなる(ISSよりも多い)。放射線は人体だけでなく、建築物の材料にも悪影響を及ぼす。
放射線を防護するには、月面上の家なら厚さ約3~4mの盛り土で覆うか、地下で暮らす方法がある。月には巨大な地下空間(溶岩チューブ)がある。溶岩チューブの天井が崩落した孔(あな)は縦孔と呼ばれ、直径数十mの孔が月の「静かの海」やマリウス丘など数か所に見つかった。
解析の結果、マリウス丘地域の溶岩チューブは月の地下約50~数百mに約50kmにわたって広がる巨大な空間だとわかり、世界の注目を集めた。溶岩チューブ内なら、受ける放射線の量は格段に減る。
月面に降り注ぐのは放射線だけではない。隕石(いんせき)などの小天体も宇宙からやってくる。地上では大気があるため、小さな隕石は大気層を通過する間に流れ星になる。でも月面ではそのまま地表までたどり着く。
怖いのは2次被害。
放射線は月面の砂と反応して2次放射線となるし、月面にぶつかった隕石などの小天体は細かく砕けて、かなりの距離を高速で移動する。
■約270度の温度差を考慮した「建築立地」
次の課題は「激しい温度差」だ。
月では、約14日間続く昼の温度は100度を超える。一方、約14日間の夜にはマイナス170度ぐらいまで温度が低くなる。約270度以上もの温度差は、地球上で使っている断熱材ではとても防げない。
特に問題になるのは昼間の温度。太陽の熱は空気を伝わるのでなく、電磁波として熱が直接伝わる。真夏の直射日光に照らされた車のボディをイメージすればわかりやすいかもしれない。車体をさわるとやけどしそうに熱くなった時の車内は、蒸し風呂状態で入れないほど。そのボディが100度以上の高温になったら、とても耐えられそうにない。
一方、月の地下数mや縦孔内は十数度~20度で安定しているというデータがある。
これらのことから月の家は、日陰や地下に作った方がいいと考えられる。
太陽光の当たる場所に太陽光発電パネルを置いてエネルギーを作り、そのエネルギーで冷暖房する。「作ったエネルギーや熱を逃がさないようにする工夫が必要になるでしょう」。構造を専門とする大畑勝人(おおはたまさと)さんが説明する。
■気になる「アースビュー」
地下に住んだら地球は見えるの? という点が気になる。それは場所による。マリウス丘や「静かの海」近辺で発見された縦孔は月の赤道近くにあり、縦孔の底から見上げれば、地球が見える可能性がある。一方、極近くだと地球は見えにくくなる。
月の家の人気度は地球が見える位置にあるかどうか、つまり「アースビュー」かどうかによるかもしれない。地球を見られない場所に住む場合は、月面に置いたライブカメラがとらえたリアルタイムの地球や星空の映像が、リビングルームに投影されることになるだろう。
「空気との戦い」も忘れてはならない。1気圧の空気で満たした家の外は真空、つまり0気圧の月面が広がる。気圧の差によって、壁には台風がまともに直撃するほどの力がかかるらしい。具体的には、家の中から外に向かって1cm角の場所に約1kgという巨大な力が働く。
野球の試合観戦などで、東京ドームに行ったことがあるだろうか? 東京ドームはしぼまないように、内部の気圧を外の気圧よりわずかに(0.3%)上げている。少し加圧しているだけで、回転ドアで中から外に出る時に押し出されるような力を感じるそうだ。0.3%の気圧差でもそうなのだから、1気圧の差は相当だろう。
対策は、壁を二重の構造にすること。例えばドーム状の建物で人が住む内側は1気圧にする。その外側に0.5気圧の空間を作って植物を植える。植物は1気圧でなくても育つ。0.5気圧ずつ分散させれば、受ける力はだいぶ小さくなるはずだ。
■メリットは「月の大地に建てられる」こと
ここまで読むと、月に住むのは大変そうと思うかもしれない。だが、月ならではのメリットがある。それは月面という「大地」があること。そして「重力があること」だ。
無重力状態だと、人も建物もぷかぷか浮かんでしまう。でも月では、地盤の上に物を建てられる。
「僕らが自信をもって地球で建てている技術が必ず応用できる。地盤の性質が違うだけ。月の重力は小さいから、地球上より大きな物を作りやすいというメリットもある。宇宙船を作れと言われてもなかなかできないけど、月という条件で建築物を作れと言われたら、できる自信はあります」。TSXリーダーの佐藤達保さんは力を込める。
月面にはNASAのアポロ宇宙船や日本の月着陸機CLIMなどが着陸しているが、月の地下数mの地質や地盤についてはあまりわかっていないようだ。土木学会誌(2025年5月号)によると、月の表面を覆う砂レゴリスは粒形が非常に細かく、小麦粉とほぼ同じ大きさで、乾燥している。月表面はふかふかだが、少し深く入るとカチカチになるらしい。
ただ崩れやすさはどうか、土を盛った時にさらさらと崩れてしまうのか、それとも盛ったままの状態を保つのか、などわかっていないことが多い。そこで内閣府が中心となり、月の地盤調査を予定している。
■内閣府を中心に進める「月の地盤調査」
「レゴリスで覆われた表面から少し内部に入ったところは、非常に硬いと言われています。地球では地盤が弱いと建築物が沈んでいくことはありますが、月は重力も小さく、建築物が沈むことはないでしょう。むしろ、月面が平坦(へいたん)ではないので、建物を置いた時に水平になるようにどう整地するか、というのが課題だと思います」
地上では地盤の弱い土地には杭(くい)を打って建物が地盤沈下するのを防いだりするが、大畑さんの見解によると、月面ではその必要はないらしい。そもそも月は真空だから、風は吹かないし雨もふらない、台風も来ない。だから月面に建てた家に外から働く力は、ほとんどない。
唯一、月には「月震」と呼ばれる地震がある。最も頻度が高いのは、月と地球の引力の関係で起こる月震。ただしマグニチュード1~2と規模は小さく、建物に影響はないだろう。

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林 公代(はやし・きみよ)

ライター

神戸大学文学部英米文学科卒業。日本宇宙少年団情報誌編集長を経て2000年からフリーライターに。日本宇宙少年団では子供たちに毎月出す情報誌を担当、子供たちとともに宇宙の魅力の虜になり、以来、20年以上にわたって宇宙関連の話題――宇宙飛行士、宇宙関係者へのインタビュー、NASA、ロシア、日本のロケット打ち上げ、 皆既日食、すばる望遠鏡(ハワイ)、アルマ望遠鏡(南米チリ)――などを中心に、幅広く取材を続けている。著書に『宇宙就職案内』(ちくまプリマー新書)、『未来が楽しみになる 宇宙のおしごと図鑑』(KADOKAWA)、共著に『さばの缶づめ、宇宙へいく』(イースト・プレス)、『宇宙に行くことは地球を知ること 「宇宙新時代」を生きる』(光文社)など。

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(ライター 林 公代)
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