2025年、中国海警船による尖閣諸島周辺の領海侵入は年間92隻に上った。だが日本政府が「厳重に抗議」したのはわずか2回にすぎない。
軍事ジャーナリストの宮田敦司氏は「中国は『誠に遺憾』という言葉がなんの効力も持たないことを見抜いている。日本政府は自ら主権を放棄しているに等しい」という――。
■尖閣周辺での航行は過去最多の357日
中国海警局の船舶(海警船)の尖閣諸島周辺における活動が活発化している。2025年、尖閣諸島・魚釣島沖の接続水域で海警船の航行が確認された日数は過去最多の357日となった。2023年は352日、2024年は355日と年を追うごとに増え続けている。
357日のうち領海侵入は30日(のべ92隻)に上った。日本の主権が侵害されているにもかかわらず、政府が抗議したのはこのうちわずか2回に過ぎない。
一度目は、3月21~24日にかけて2012年の国有化以降最長となる92時間8分の連続滞在が発生した際のこと。これについて3月22日の日中外相会談時、岩屋毅外相(当時)が王毅外相に抗議した。
二度目は5月3日、海警船から発艦したヘリコプターが領空を侵犯したときだ。外務省・アジア大洋州局長が在京中国大使館次席公使代理に対し、「極めて厳重に抗議するとともに、再発防止を強く求め」た。
中国海警局の船舶(海警船)の尖閣諸島周辺における活動は、もはや「日常」になりつつある。
領海侵入が繰り返されても日本政府はろくに抗議をせず、したとしても定型句を繰り返すのみだ。
現在の中国が企図しているのは、戦わずに主導権を奪い、相手に“慣れ”と“諦め”を植え付ける「グレーゾーン戦争」だ。この戦いにおいて、言葉を軽視することはそのまま敗北につながる。その意味において、日本の対応は悪手と言わざるを得ない。
■「遺憾」と「極めて深刻」の使い分け
日本政府(官房長官や外務省)の会見では事案の深刻度に応じて、主に以下のように表現が使い分けられている。
「誠に遺憾」「厳重に抗議」:尖閣周辺で領海侵入が発生した際に用いられる、最も一般的な強い反発の表現。

「断じて容認できない」:日本の主権侵害に対する明確な拒絶の意思を示す場合に使われる。

「極めて深刻」:接続水域での航行が常態化し、行動が質的にエスカレートしているとの認識を示す際に用いられる。
特に耳馴染みがあるのは「誠に遺憾」だろう。尖閣周辺に限らずよく使われるフレーズで、外交上の不快感や意に染まない事態であることを示す。意図の解釈に幅があり、誤解や事故の可能性が残る事案に対して用いられる。度重なる領海侵入は「遺憾」で済ませられることだろうか。

そして何よりも問題なのは、この定型句が単体ではもはやなんの効力も持っていないことだ。
中国にとって尖閣周辺での航行や接近は、単なる示威行動ではなく、日本がどこで行動に踏み切るかを測る実験でもある。その結果として毎度同じ言葉が返ってくるだけでは、中国側にとってはすでに織り込み済の反応として無視される上に、「この水準までなら日本は強硬措置に出ない」というラインが事実上可視化されたことになる。
■もはや新聞は接続水域侵入を報じない
こうした日本の態度は、中国だけでなく国際社会の認識にも影響を及ぼす。「日本は領海侵入を大きな問題だと思っていない」「尖閣諸島の実効支配はすでに争点化していない」という誤った認識が広がるからだ。これは有事における米国の関与を弱める要因にもなり得る。
さらに深刻なのは日本国内への影響だ。メディアの中には、領海侵入が起きても取り上げない媒体が出てきている。「尖閣周辺での領海侵入・接近はもはや日常茶飯事なので、ニュースバリューがない」という判断なのだろう。大手紙の中で尖閣問題に最も注視している産経新聞ですら、接続水域侵入が連日記録更新(1月31日現在78日)していても、数日間隔でしか報道していない。
こうしたメディアの姿勢の背後には、日本政府の発する言葉と、それが示す危機意識の低さがあることは言うまでもない。領海への侵入や接近が繰り返されても、政府の対応が変わらなければ、社会は次第にそれを「日常」として受け入れてしまう。

形骸化した定型句は中国に対して抑止として機能しないばかりか、国内社会にも慣れを蓄積させ、主権侵害への感度そのものを鈍化させる。言葉の力を侮るべきではない。
■過去には定型句で終わらせなかったことも
日本政府も、過去には定型句の抗議だけで終わらせなかったこともある。
2013年1月30日に起きた中国海軍艦艇による海自艦艇への火器管制レーダー照射事件では、小野寺五典防衛相(当時)が2月5日に臨時会見を開き、事案の発生と詳細を公表。会見を通じて、現状の緊張状態が続けば深刻な事態に発展しうることを共有し、中国には自制を強く求めた。
2月7日にはワシントン市内で日米両政府が外務・防衛担当の審議官級協議を開き、意見交換を実施。中国側の行動について「アジア太平洋地域の緊張を高めかねない」との懸念を共有し、緊密に連携していくことを確認した。
その5年後、2018年12月20日には、今度は韓国海軍艦艇による海自哨戒機への火器管制レーダー照射事件が発生。この際には「極めて危険な行為」と批判し、証拠として当時の映像や音声を公開するなど、異例とも言える対応をとる。
翌年には、事態の検証に関して韓国側に対し「相互主義に基づく客観的かつ中立的な事実認定に応じる姿勢が見られない」「本件事案に関する協議を韓国側と続けていくことはもはや困難」と非難の色が濃い最終見解を発表。この一件以降、両国間の安全保障協力は中断され、復活には2024年の日韓防衛相会談まで時を要した。
■米英豪に事態を共有して連携をアピール
まだ記憶に新しいところとしては、2025年12月6日に発生した中国海軍戦闘機による空自戦闘機への火器管制レーダー照射事件がある。

この際、小泉進次郎防衛相は事件翌日の午前2時過ぎに防衛省で臨時の記者会見を実施。事実を迅速に公表し、「今回のレーダー照射は、航空機の安全な飛行に必要な範囲を超える危険な行為だ」と非難した。そして「極めて遺憾であり、中国側には強く抗議し、再発防止を厳重に申し入れ」たと述べている。
さらに小泉防衛相は事件直後にオーストラリアのマールズ国防相と会談し、12日にはアメリカのヘグセス国防長官と電話協議、17日にはイギリスのヒーリー国防相ともオンライン協議を行った。
このとき日本は明確に「中国側は一線を越えた」と判断した。だからこそ抗議し、再発防止を求めるだけに留まらず、同盟国との連携もアピールしたのである。火器管制レーダーの照射は攻撃準備行為そのものだったからだ。
ここでいつも通り「遺憾」のみで抗議していたら、「日本はこれが攻撃準備行為かどうか判断しかねている」という誤ったメッセージを国際社会に発することになっただろう。
中国は日本側の発表について「事実と異なり、すぐに中傷をやめるよう求める」と強く反発した。だがアメリカは「中国の行動は地域の平和と安定に寄与しない」と批判した上で、「日米同盟はこれまで以上に強固で結束している」と強調。日本の反応を支持する立場を明確にした。
■日本が「線引き」を明確に示す方法
では、「遺憾」を使わずに尖閣周辺での中国海警船の行動に抗議するには、具体的にどうするべきなのか。
筆者は以下のように考えている。
(1)事実ベースで明確に伝える

・侵入日時、船名、航跡、接続水域・領海への滞在時間などの具体的なデータを添えて公表する。

・国際法上の違反行為として明示する。

例:「○月○日、海警○○号は尖閣領海に○時間侵入。国際法上認められない行為であり、即時撤退を求める」

(2)段階的対応を明示する

・侵入の頻度や連続日数に応じて、外交的警告・監視・物理的警告(進路妨害)などの対応段階を明示する。

・「ここを超えれば必ず対応する」というラインを示すことで、慣れや軽視を防ぐ。

(3)国際社会への発信

・米国、ASEAN、国連関係機関などに状況を報告し、国際ルール違反として認識させる。

・日本国内向けのパフォーマンスではなく、国際的正当性と透明性を重視。

(4)認知戦を意識した抗議

・中国が常態化・日常化戦術で心理的圧力をかける中、冷静かつ論理的に抗議内容を伝える。

・過剰な強硬表現や感情的表現は避け、事実の積み重ねで信頼性を高める。
重要なのは強い言葉ではない。日本が握る行動基準を誰にでもわかる形で示すことだ。

■主権国家としての意思決定が試されている
レーダー照射に関しては毅然とした対応をとったにもかかわらず、尖閣諸島周辺の領海侵入については定型句で済ませているのは、結局のところ日本政府内でも“慣れ”が生じているからにほかならない。
中国は、軍事衝突という高コストな手段を避け、海警船、法律、言葉を使いながら、少しずつ既成事実を積み上げてきた。一方、日本は定型句を繰り返し続け、結果的に中国の行動を阻止できなくなった。これは外交の敗北である。
国際政治において、主権は宣言されているだけでは守れない。行使され、意思として可視化され、相手に「ここから先は損をする」と理解させて初めて維持される。何が主権侵害であり、どこからが許容不能なのか、言葉と行動を一致させなければならない。
尖閣は、日本の安全保障の「最前線」であると同時に、この国が主権国家として意思決定できるかどうかを試す試金石でもある。

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宮田 敦司(みやた・あつし)

元航空自衛官、ジャーナリスト

1969年、愛知県生まれ。1987年航空自衛隊入隊。陸上自衛隊調査学校(現・情報学校)修了。中国・北朝鮮を担当。2008年、日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了。博士(総合社会文化)。著書に『北朝鮮恐るべき特殊機関 金正恩が最も信頼するテロ組織』(潮書房光人新社)、『中国の海洋戦略』(批評社)などがある。

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(元航空自衛官、ジャーナリスト 宮田 敦司)
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