仕事の視野を広げるには読書が一番だ。書籍のハイライトを3000字で紹介するサービス「SERENDIP」から、プレジデントオンライン向けの特選記事を紹介しよう。
今回取り上げるのは難波優輝『なぜ人は締め切りを守れないのか』(堀之内出版)――。
■イントロダクション
仕事ではもちろん、日常生活においても、「締め切り」に縛られた経験がないという人はほぼいないのではないだろうか。そして人はしばしば、突発的な事情やタスクオーバーなどの理由で締め切りを守れない。
だが、締め切りを守れない真の理由は、私たちが普段あまり意識しない「時間の本質」にあるようだ。
本書では、「締め切りを守れない」という現象を足がかりに、人が「時間」をどう捉えているのか、「いい時間」とはどんな時間で、それをいかにつくっていくかなどを、哲学、社会学、歴史学、人類学などの理論を援用しながら深く論じている。
私たちが〈生きている時間〉は、スムーズに一定の間隔で刻まれるわけではない。個々の生き方のペースやさまざまな事情によって自然な時間の流れの感じ方は異なる。一方、締め切りは時計が刻む一定の流れ通りに定められる。両者のずれが、締め切りを守られ難くさせているのだという。
著者は1994年生まれの美学者。専門は、分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。著書に『物語化批判の哲学』(講談社現代新書)などがある。

序章 なぜ人は締め切りを守れないのか

第1章 いい時間とわるい時間――私たちはどんな「今」を生きたいのか?

第2章 プロジェクト――私たちから時間を奪うもの

第3章 生きている時間――私たちはいつも何かに間に合わない

第4章 いろいろな遊びの時間を旅する――時間の遊び論

第5章 いい時間をつくる――時間正義のためのデザイン

第6章 デッドライン――死から締め切りの本性を考える
■「締め切りの時間」と「生きている時間」のずれ
締め切りを守る。日常生活を送るうえでとても重要なことだ。宿題の提出、仕事の納期、書類の期日、原稿の期限、電気・ガス・水道、家賃の振込。あらゆる場面に締め切りはついて回る。
なぜ締め切りが大事なのか。破ると大変なことになるからである。では、大事だとわかっているはずの締め切りを、なぜ、人は守れないのか。私の答えはこうだ。「〈締め切りの時間〉と私たちが〈生きている時間〉がずれるから、締め切りが守れなくなる」
あなたや私が〈生きている時間〉がある。私たち一人ひとりにはそれぞれ異なった生き方のペースがあり、それぞれの事情がある。たとえばあなたには、小さな子どもがいるかもしれない。保育園へ送らなければならないけれど、子どもが、どうしてもこの服じゃ嫌だと主張するため、なかなか出かけることができないでいる。
あるいは、あなたには持病があるかもしれない。一日にたくさんは働けず、疲れをとるだけでもたくさんの休みが必要だ。
■Googleカレンダーが刻む時間
こんなふうに想像してみるとわかるのは、私たちは、スムーズで滞りのない一定の流れの中に存在するわけではないことだ。〈私たちが生きている時間〉は、子どもの泣く声や、誰かからの呼びかけ、自身の疲労などによって刻まれる、寸断された時間である。
一方で、締め切りによって作り出される、〈締め切りの時間〉もある。期日までに間に合わせなければならない時間。それは外から押し付けられた時間でもある。締め切りは私たちを特定の時間の流れにギュっと押し込む。〈締め切りの時間〉は、私たちの〈生きている時間〉とは異なる時間の流れであり、多かれ少なかれ無理をしなければ合わせられないような時間だ。
たとえば私たちは、Googleカレンダーを用いて打ち合わせを管理する。一定の時間になると、打ち合わせや作業が始まることが告げられる。Googleカレンダーが時間を刻んでいるのだ。
Googleカレンダーのような装置は、他にもたくさんある。腕時計も、キッチンタイマーも。過去に目をやれば、鐘やチャイムなども。こうした、時間を作り出す制度・装置・行為を〈時計〉と呼ぶとすれば、締め切りとは間違いなく〈時計〉の一種である。
■「卵が2回茹で上がるまで」で時間を表していた
社会学者や歴史学者の議論によれば、近代化の進展とともに「時計時間」とも呼べるような線形的・均質的な時間意識が支配的になったとされる。前近代的社会では農耕などの理由から循環的な時間意識(四季の再生や祝祭のサイクルなど)が強かったが、一定の因果系列や始点―中間―終点的な構造を特徴とする「時計時間」が優勢になっていく。
アメリカの人類学者、デヴィッド・グレーバーは、現代と比べて過去の人々の時間が、権力者によって細かく監視・管理されていなかったことを伝えている。
なぜそんなことが可能だったのか。一定の時間を表すため、たとえば中世ヨーロッパでは、「主の祈りの3回分」、「卵が2回茹で上がるまで」等の言い回しをしていた。「時計のない場所では、時間は行為によって測られるのであって、時間によって行為が測られるのではない」(グレーバー)のである。彼らの用いていた〈時計〉は、彼らの生きている時間と、それほどは乖離していなかったのだ。これに対して、現代では、私たちの身体とは異質な〈時計〉が私たちを刻み始める。

ところで、私たちは日常会話のなかで、「ああ、今日はいい時間を過ごせたね」、「何だか時間をムダにしちゃったなあ」などと言う。全然おかしな物言いではない。普段から私たちは「いい時間」と「わるい時間」を区別している。時間はいつも価値含みなのだ。ただ客観的・中立的に流れるだけでなく、そこに価値や意味を内包している。
■「ケイパビリティアプローチ」という枠組み
アマルティア・センとマーサ・ヌスバウムという二人の思想家を中心に発展してきた「ケイパビリティアプローチ」は、人間のウェルビーイングを「何ができるか=ケイパビリティ」と「何を実際にできているか=ファンクショニング」という観点で捉えようとする枠組みだ。
ケイパビリティアプローチでは、まず、以下の二点が基本的な規範的主張として打ち立てられる。
・ウェルビーイングを達成する自由こそが重要である

・そのウェルビーイングとは、人々が「できること」、「できていること」によって捉えられるべきである
ここでいう「できること/できていること」とは、たとえば「十分な栄養をとれる」「教育を受けられる」「移動の自由をもつ」「家族をケアできる」といった、人間にとって重要な活動や状態のことを指す。ケイパビリティとは、そうした活動や状態を選択できる、潜在的な選択可能性を指す。
ケイパビリティアプローチの特徴は、貨幣やモノといったリソースを人々が持っているかどうかではなく、それらの手段をどれだけウェルビーイングに転換できるかを問うところにある。
たとえば、車イスが必要な人と、そうでない人に同額の貨幣を渡そう。これは公平だろうか。
正しいだろうか。そうではない。なぜなら、車イスを買うためには相当なお金が必要であり、他に回せるお金が少なくなってしまう。同額という観点から言えば平等にみえるが、使えるお金に制限がある。このように、ケイパビリティに違いがあるなら、平等とはいえない。
■量だけでは「いい時間」を得られているか評価できない
締め切りの〈時計〉が人々に押しつけられることで、多様な〈いい時間〉を奪ってしまう。ここで、「一日何時間の自由時間がある」という量的な時間の把握だけでは、人がどれだけ〈いい時間〉を得られるか、得られていないかが評価できない。たとえ数字の上では時間があっても、ケアに追われたり、体調が悪い時間が長かったり、心身の障害があるがゆえに移動に時間がかかったりするならば、それは人々が「使える時間」になっていない。つまり、このとき、時間資源はウェルビーイングに転換できていない。
では、実際にどのような指標を設計すれば、締め切りによる時間搾取を発見できるのだろうか。試案として、以下の要素を挙げたい。
第一に、時間自主性がある。
これは、自分が望むときに、どの程度、時間の使い方を決められるか、という時間の裁量権に関する要素だ。
第二に、時間満足度がある。これは、時間の過ごし方から当人がどれだけのウェルビーイングを得られているかを測る要素だ。たとえば、ある人は一日の大半を仕事に費やしているとしても、そこでの業務がその人の好みの〈時計〉に従っていて、たとえば、ゲーム的な楽しさを伴うならば、時間満足度は意外に高いかもしれない。
■「時間アセスメント」と「時間指標」
第三に、ケア時間がある。これは、家族やコミュニティ、あるいは自己ケアに十分な時間を割けているかに関わる要素だ。ケアは往々にして生産物を生み出さないものであり、価値のない時間だとみなされがちだが、ケア時間こそが人間の暮らしの土台である。これを奪われるとウェルビーイングへの大きな打撃となる。
実際にこうした時間のケイパビリティアプローチを測る指標を用いて、〈いい時間〉を作るために、どんな具体的な指標が考えられるだろうか。
第一に、「時間アセスメント」(時間評価)をプロジェクトや締め切り策定の際に使用することが考えられる。たとえば、このプロジェクトでは週何時間までなら他の時間を圧迫しないか、参加メンバーで確認したり、どの程度のケア時間を確保しうるかを事前に交渉・設定しておくのだ。
第二に、企業や団体に、時間ケイパビリティ指標を用いた企業評価を適用できるだろう。「経済指標」だけでなく「時間指標」を加えるのである。これは、労働時間だけではなく、その時間のなかでどれくらい自由度があるか、企業が保育や介護への支援をすることでどれほどケア時間をサポートしてくれるのかを評価するものだ。
■コメントby SERENDIP
行動経済学では、個人の利益を最大限に引き出せるよう合理的な行動をする「ホモ・エコノミクス(経済人)」というモデルを前提とする従来の経済学に対し、人間はその場の感情や心理に左右され必ずしも合理的には行動しないことを想定する。また『数理モデルはなぜ現実世界(リアルワールド)を語れないのか』(エリカ・トンプソン著、白揚社)では、関連の薄い側面などを削ぎ落とす数理モデルが現実と乖離してしまうことを論じている。
さらに言えば、アフリカ大陸などで人工的に引かれた国境線がさまざまな歪みを生じさせている現象がある。「時計時間」はこれらと同様に、人間や世界の真実とは異なるものなのだろう。複雑さや曖昧さをそのまま受け入れた上で人間や社会の姿を考えることが、現代においてはきわめて重要といえるのかもしれない。

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