NHK「ばけばけ」では、ヘブン(トミー・バストウ)とトキ(髙石あかり)たちが熊本へ引っ越した。モデルとなった小泉八雲は、実際どうだったのか。
ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実をひも解く――。
(※本稿は一部にネタバレを含む場合があります)
■熊本に移って“愕然とした”八雲
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。ついにヘブン(トミー・バストウ)が、トキ(髙石あかり)の家族も連れて松江から熊本へと舞台を移すことに。
当初は松江を離れることに応じなかったトキだが、家族も一緒に連れていくというヘブンの真心を知り翻意することに……まさに家族愛‼
実際、ヘブンのモデルである小泉八雲は、妻であるセツの家族も一緒の熊本への移住にどんな感情を抱いていたのか?
松江を離れがたく感じながらも、八雲は熊本に大きな憧れを抱いていた。というのも、九州は神話発祥の地であると聞き及んでいた。なにしろ、八雲に熊本での仕事を紹介したバジル・ホール・チェンバレンは初めて『古事記』を英語に翻訳した人である。だから「九州というのは、日本発祥の地で多くの神々が……」などと聞いて、期待に胸膨らませていたことが想像できる。
しかし、熊本に移って間もなく、八雲は愕然とすることになる。熊本に、そんなものはまったくなかったからである。
言葉を選ばずに説明するなら、八雲が移住した1891年当時の熊本は最悪な街である。いわば、土地の機嫌そのものが悪かった。
前述のように、八雲は、九州は古くから文明が栄えた土地であり、多くの神話がある土地を想像し期待に胸を膨らませていた。
しかし、期待してやってきた熊本はテレビゲームでいえばリセットボタンを押した上にセーブデータがすべて吹き飛んだような街だったのだ。
なぜか?
八雲が考えているような熊本は、14年前の西南戦争(1877年)で、ほぼすべてが焼き尽くされて潰滅していたからだ。
■産業が育たなかった街
実に、西南戦争での熊本の潰滅ぶりは尋常ではない。帝国データバンクの「『老舗企業』の実態調査」(2019年)によれば、熊本市の社歴100年を越える企業は全体のわずか1.1%、福岡市の2.5%の半分以下。明治以降に開発された札幌市でも3.5%なのだから、いかに酷い数字かがわかる。
もともと九州の中心都市だった熊本は明治維新以降、不平士族のたまり場ともなった。その結果、1876年には神風連の乱が勃発、その余韻も冷めやらぬうちにはじまった西南戦争で、熊本県は陸軍が立て籠もった熊本城を始め各地が戦場に。城は残ったが、城下町は焼き尽くされて、加藤清正以来の熊本はここでほぼ消滅したのである。
しかも、焼け跡からの復興はすべて「しくじり」であった。というのも、なにも産業が育たなかったのだ。
その後の熊本の歴史をみてみると、県内ではセメント産業で発展した八代のような地域もあったが、県庁所在地である熊本には代表産業はナシ。県庁、それに1886年に開校した第五高等中学校(後、第五高等学校)。
そして、第6師団といった教育や行政機関が集まったに過ぎなかった。つまり、単に人が集まって経済が回っているだけ。産業も文化もなにも生み出さない消費経済都市となったのだ。
■かつての栄光を失った「元・中心都市」
近代以降の熊本がいかに酷かったかを示すのは、鉄道駅の位置である。熊本駅が開業したのは1871年7月のこと。
よく知られていることだが、このJR熊本駅は市街地からは遠く離れた郊外に立地している。そうなった理由は、当時の熊本県が土地買収予算を捻出できず、市街地まで線路を近づけることができなかったからだ。こうして、新たに産業と商業の中心となった福岡に九州の中心都市としての地位を奪われ、政令指定都市となった現在でも若者は福岡に流出していく体たらくになっている(昼間たかし『これでいいのか熊本県』マイクロマガジン社、2021年)。
つまり、八雲が訪れた当時の熊本は、かつての栄光を失った「元・中心都市」だった。それも、ただ衰退しただけではない。西南戦争に街も経済も破壊され、産業も育たない。僅かな希望は、威張りくさった官僚機構と教育機関だけという、極めていびつな街になり、ルサンチマンを貯め込んでいる時期である。
八雲が期待していた「神話の残る古き良き九州」が、どこにも存在しないどころではない……もっとも暗黒な時期である。
離れたくて離れたわけではない松江には未練もある八雲。でも、九州にも多くの神話があるはずだ。そう考えて、自分を律してセツや家族たちとたどり着いた熊本。その惨状に、たちまち腰が砕けたのではなかろうか。
もはや「ジゴクジゴク」といつもの悲鳴をあげることすらできなかったかもしれない。
■熊本では“超マイナーな”小泉八雲
そもそも熊本に滞在した3年あまり、八雲の機嫌はずっと悪い。その結果なのか、いま、街をあげて「ばけばけ」の放送を楽しんでいる松江市民に対して、熊本市民は冷め切っている。
どれくらい冷めているかといえば、2025年以降の「ばけばけ」に関する記事が「山陰中央新報」は204件なのに対して「熊本日日新聞」はわずかに70件。松江の3分の1である。
八雲が松江に滞在したのは、1年と数カ月。でも、八雲は松江の人ならば親しみ誇るべきもの。
対して、熊本は3年も滞在し旧居も現存してるというのに超マイナーな扱いだ。もちろん「ばけばけ」の放送にあたって無策ではなく、観光ガイドの作成や博物館での特別展も実施されているが、地元紙での扱いの少なさは、市民の温度の低さを如実に現している。
八雲を研究した田部隆次も著書の中では、熊本をこう記している。
熊本は松江とちがって風流の土地ではない、松江のように骨董店や古本屋はない。十年の乱でなくなったとも、初めからないのだとも云われて居る。松江のように茶の湯や生花などの盛んな土地ではない。風景は雄大で男性的で大陸的であるとも、殺風景とも云える。松江の別天地からただ大なる軍事上の都と云う感じを興えるばかりの熊本へ来たヘルンに取っては初めから少し勝手が違ったようである。
■ぐっと堪えて辛抱した3年間
要するに、八雲が求めていたものが何ひとつない街だったのだ。
なにも文化がなく、ただ官僚やら軍人やらが闊歩して、それのおこぼれにあずかるだけで経済が回っている土地である。今でも熊本市というのは、天草や八代とは段違いに役人が威張っている土地だが(筆者の体験)、明治の世ならなおいっそう酷かっただろう。
いくら給料が倍になるとはいえ、ここは八雲にとっては悪夢のような土地である。
決して長居などできない。
かつての八雲なら「やってられるか!」と3日も持たずに辞表を提出しただろう。なにせ、日本に訪れた時に滞在費のあてにしていた『ハーパーズマンスリーマガジン』との契約を、同道の挿絵画家のほうが原稿料が高いと激怒して、破棄したくらいに気が短い。
ところが、八雲はそうしなかった。ぐっと堪えて3年間も辛抱したのである。
それはなぜか、日本に来る時は独身。失う物などなにもなく、やぶれかぶれでアウトローな作家であった。しかし、いまは自分には生涯縁がないと思われた愛すべき妻と家族がいるからだ。
■「大黒柱」としての確固たる責任感
熊本滞在中に、この職を紹介してくれたバジル・ホール・チェンバレンに宛てた手紙の中に八雲はこう記している。
外(ほか)の人々は私がすんだあとで食事をする。隠居は二人あるが、私は稼ぐ人だから、一家を支えて行く人の事は第一に考えねばならないと云う主義によるのです。
八雲には自分が大黒柱であり、家族を養わなければならないという確固たる責任感があった。
しかも、セツとその家族達も自分を単に「稼ぎのよい婿」みたいには扱わない。食事は、まず八雲が最初で、八雲が食べ終わるまではずっと待っているのである。現代からすると、いささか過剰だが、そこまでの信頼と期待がセツの家族にもあったわけだ。
だから、八雲も様々なことで癇癪を起こしそうになりながらも「俺には家族があるんだ」とじっと我慢し続けていたのだろう。
しかも、熊本に移ったあとの1893年には長男の一雄も生まれている。これが、八雲の覚悟を決定づけたはずだ。
この時、八雲は43歳。明治の世では、もはや初老と言っていい年齢である。凡庸な人ならば、この年齢になっていれば「今さら子供なんて」と思うところだろう。しかし、八雲はまったく違う。一雄の誕生で、完全に人生観が変わったのだ。
■「カトリックの言葉」を友人につづった
友人エルウッド・ヘンドリックに宛てた息子の誕生を知らせる手紙には、こう書かれている。
この新しい経験で「出産」と云う事は、神聖な物又恐ろしい物で、宗教の力を借りて保護してもまだ十分と云へない事を非常に深くさとりました。
それから自分の子供を生んでくれる女を虐待する男も世の中にはあると思い出したら、天地しばらく暗くなるような気が致しました。それから私はこんな幸福を授けてくれた「不可思議の力」に対して恭しく感謝した事を白状します。それから御体の祈りを捧げました。そうするのが愚かな事だとは思いませんでした。

「御体の祈り」とはカトリックで用いられる「アニマ・クリスティ(キリストの魂)」という祈祷文のこと。「願わくはキリストの御魂、我を聖ならしめ、キリストの御体、我を救い、キリストの御血、我を酔わしめ、キリストの御脇腹より滴りし水、我を清め、キリストの御受難、我を強めん事を……」と続く。
八雲にとって、カトリックは母を捨てた父の教派であり、ろくな思い出がない寄宿学校で嫌々唱えていた、いわば自分の敵に値するもの。それが、いざ、セツが出産の時になって、思わず唱えている。
■「息子の誕生」で覚悟を決めたか
友人のヘンドリックも、八雲の口からカトリックへの憎悪は常々聞かされていたはずである。
その八雲が、セツの出産という究極の瞬間に、憎むべきカトリックの祈祷文を唱えている。家族を守るためなら、父親はなりふり構わず、過去の憎悪すら捨てて、今まで信じてなかった神にまで祈り始める……ヘンドリックはそこに、八雲の覚悟を見たのではなかろうか。
もっとも、続く文章の中では筆が滑ったのは「君がいつか父となられる事があれば、一生のうちで最も不思議な強い感じは、初めて自分の子供の細い叫び声を聞く時であろうと思います」と、ちょっと上から語っている。感動したヘンドリックも「コイツ、相変わらずだな」と思ったのではなかろうか。
ともあれ、この一雄の誕生によって八雲は、子供を、家族を自分のような目には遭わせまいと覚悟を決めたはずだ。母を捨て、自分を捨てた憎き父のように家族を足蹴にしない。惜しみなく愛情を注ぎ、食うに困ることはさせない。
その覚悟が、最悪の街に八雲を留まらせた理由だった。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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