アップル共同創業者のスティーブ・ジョブズは焼き物が好きで、日本を訪れた際に茶碗やお皿を購入していた。彼がオーダーした作品からは、製品づくりへの強いこだわりが垣間見えたという。
元NHK記者の佐伯健太郎さんの著書『スティーブ・ジョブズ1.0の真実』(晶文社)より、一部を紹介する――。
■陶芸家の個展を訪れたジョブズ夫妻
出会いは1996年4月6日の土曜日だった。当時のジョブズは、前年の11月にアメリカで公開されたピクサーによる世界で初めての全編CGの映画『トイ・ストーリー』を大ヒットさせた勢いに乗って、10年余り前に追放された古巣アップルへの復帰に向けて動いていた。日本では、『トイ・ストーリー』が前月の3月下旬から公開されていた。
京都市を南北に結ぶ烏丸通沿いのギャラリーでは、富山県立山町に住む越中瀬戸焼の陶芸家、釋永(しゃくなが)由紀夫さんが京都で初めて開く個展の初日が始まろうとしていた。
オープンの時間は午前10時だったが、その30分ほど前から外国人のカップルがギャラリーをのぞき込んでいた。釋永さんは、「観光客だったらそのうち帰るだろう」と思いながらしばらく様子を見ていたが、ふたりはずっと見ていた。オープン前だが入ってもらおうということになり、ふたりをギャラリーに入れた。それが、ジョブズと妻ローリーンとの出会いだった。
■茶道の本場、京都での挑戦
個展が開かれたのは、当時の「美術凌霄(りょうしょう)」だった。現在は同じテナントに、「京のあられ処 橘屋(たちばなや)」が入っている。俵屋旅館から歩いて約20分の距離だ。
俵屋旅館から御池通(おいけどおり)に出て西へ8ブロック歩き、烏丸通(からすまどおり)との交差点から北へ2ブロック歩いたところだ。
ジョブズは朝のジョギングをして朝食をとったあと、初めて京都に連れてきた妻とそぞろ歩きをしていたのだろう。釋永さんは、ギャラリーの入り口のドア近くにあった大きな黒い壺が、焼き物好きのジョブズの目に入ったのではないかと思っている。
展示した作品は約70点。全体の8割は、茶碗、水差し、花入れだった。釋永さんは、茶道の家元が多い京都は、茶道人口では特別なところだと思っていたため、茶道に特化したものを展示していた。展示会は東京では何回か経験していたが、ほとんどは地元の北陸だった。当時41歳の釋永さんとしては、「侘び寂び」の世界観も求め、一大決心をして茶道の本場の京都で臨んだ個展だった。
■優しい手つきで茶碗を手に持った
釋永さんは外国人のカップルをギャラリーに入れたあとも、「すぐに飽きて帰るだろう」と思っていた。
しかし、それは大間違いだった。ふたりは一つひとつの作品をじっくりと見ながら、ギャラリーを一回り、二回りしていた。よく見ていたのは、茶碗と花入れだった。

三回り目に「手にとって見てもいいか」と聞かれたので、釋永さんは「どうぞ、さわってご覧ください」と応じた。茶道具を中心にした個展だったので、茶碗が多かった。釋永さんは、陶器をさわって肌触りを確かめることはとても大事なことだと思っていたので、ジョブズの手つきや表情を見て特別なものを感じた。
「見ているだけじゃ納得できなくてさわるんです。土のあたたかさとかやわらかさ。そういう触覚でしか味わえないようなところを大事にしているようでした。両手で包み込むようにして茶碗を持っていました。ものを慈しんでいる感じ」
それは、子犬とか子猫とかひよこを扱うような手つきだったという。ジョブズはそうしながら、1時間、1時間半と、立ち止まっては気に入ったものを一つずつ確かめるように見ていた。妻のローリーンは、ジョブズが手にとったものを、自分も同じように手にとって見ていた。
そのときの様子について釋永さんは、「こうやって立っているかと思ったら、こんどはこんなですよ」と言って、しゃがみこんで作品を見ている格好をした。
■最初の質問「この土はどこで買えるのか」
個展の初日というのは忙しい。
釋永さんはふたりのことを気に留めながらも、ほかの来訪者にお茶をたてる準備や、届けられた花、知り合いへの対応に忙しかった。一方、ジョブズは釋永さんが作者だと察したのか、何か聞きたいことがあるようで、そわそわしていた。釋永さんは努めて隙を見せないようにしていたが、ついにジョブズにつかまった。
ジョブズの興味の対象は土だった。最初の質問は、「この土はどこで買えるのか」だった。釋永さんは、「立山町で昔から白土(しらつち)と呼ばれる特殊な白い粘土を自分で掘ってくる。作品はその白い土で作った」と答えた。白い土を「ホワイト・クレイ」と直訳した。
ジョブズが続けて「すべてそうなのか」と聞くので、「土は工房近くの里山でとれる特別な白い粘土で、自分で掘っている。作品に合わせて土を作り分け、目的に合わせて窯で焼く。作品ごとに表情は違うが、ベースは白い土だ」と答えた。すると、ジョブズは、「これもか?」「これもか?」と畳みかけて聞いてきた。

次の質問は、「何度ぐらいで焼くんだ」。釋永さんは、「1300度という、陶器としては高い温度で焼いている」と答えた。
■こだわりの土に関する質問が続く
ジョブズが、あまりに作品をじっくりと見て、土という専門的なことに興味があるようにみえたので、釋永さんは、「もしかしたら、この人たちは同業者なのか? アメリカで、自分で作品をつくっているのか?」と疑った。
そう思いながらも、ジョブズの土に関する質問は、釋永さんの芸術家魂に触れていた。
「よくぞ、土のことを聞いてくれた!」という気持ちだった。白い土には、もっとも思い入れがあったからだ。というのは、釋永さんは30代の頃、韓国の土に魅力を感じ、現地で窯を借りて茶碗を焼いていた時期があった。手本は李朝時代に作られた高麗茶碗など、日本で名器とされているものだった。
しかし、30代が終わる頃、自分の出生と関係がない土地の焼き物の形を借りて創作を続けることに、陶芸家として自己矛盾を感じた。生まれた立山町には貴重な白い粘土があり、自分はそれをよく理解している。生まれた土地の、いちばん思いを込めることができる土で、自分なりの表現を探さなければいけないのではないか。その延長線上で開いた京都の個展だった。

そんな釋永さんの答えがジョブズに火をつけたのかもしれない。彼の質問は白い土のことに収斂していった。
彼は、「どうやって土を見つけるんだ」と質問した。釋永さんは、「土を舌でなめるんだ」と答え、「そうして土の良し悪しを見極め、粒子の細かさ、そして、土が溶けるスピードで耐火度を感じ取るんだ」と話した。
■嘘やごまかしは許されない本気の問答
釋永さんによると、ジョブズは土が窯の炎で変化して焼き物になることに、尋常でない関心をもっていたという。この間、釋永さんは決して流暢とは言えない英語で答えながら、ずーっとひとりで対応していた。英語の質問が聞き取れないと、そばにいたローリーンがやさしい英語に言い換えて、助け舟を出してくれた。
ただ、ジョブズの質問は、しだいに言葉だけでは答えられないことにまで及んだ。「土は山のどの辺にあるんだ」と聞かれたときには、紙に山の絵を描いて、土がある層を図解して説明した。
こうしたやり取りは1時間以上も続き、時計は午前11時をまわっていた。その間、ジョブズは釋永さんの目を真正面からじっと見続けていた。
「目の前に彼の顔があり、“よそ見なんてさせないぞ”みたいな感じで、食い入るように見つめてきました。
うそを言えないような、何かごまかしてやろうと思っても、あの人の見方というのは本当のことを言ってしまいますね。個展の初日に、知らない人にかき回されるのも癪にさわりますよね。ですから、僕だって本気でじっと見てしゃべっていたんですが、向こうは全然たじろぎもしないでじっと見てくる」
■質問責めにしても満足せず、次の日も来店
僕はこの話を聞いて、ジョブズが大学時代にマスターしたという「視線と沈黙で他人を従える術」を思い出した。ジョブズの自伝で友人は、「彼の得意技に、話し相手を見つめるというのがあった。相手の目をじっと見ながら話し、目をそらさせない。そうやって、自分が欲しい反応を手に入れるんだ」と話している。釋永さんを質問責めにしていたジョブズの目は、まさにこれだったのではないか。
ジョブズは、「何歳からこの仕事をやっている」とも聞いた。釋永さんが答えると、「同じ歳だな」と言った。釋永さんは1954年7月生まれ、ジョブズは1955年2月生まれだ。
翌日も、ジョブズは妻と開店前にギャラリーを訪れた。
彼は、「きょうは1日オフで小旅行がしたい。どこかへ行きたい。焼き物を見たい」と言った。興味の対象は焼き物だった。
ジョブズは、釋永さんの白い土になお興味があったようで、「あなたが土を掘っているところや窯も見たい。京都からどれぐらいで行けるのか」と聞いてきた。いまにも富山まで飛んでいってしまいそうな勢いだった。
■夫婦はハイヤーで「焼き物ツアー」へ
釋永さんはやや困惑しながら、「片道5時間かかるので、日帰りは無理です」と答えた。朝から個展の準備に追われて忙しく、ジョブズを相手にするのを少し面倒にも感じていた。
釋永さんが外を見ると、少し離れたところにジョブズを乗せてきたハイヤーが駐車していたので、運転手を呼んだ。大島浩さんだった。「焼き物を見たい」というジョブズの希望を踏まえ、釋永さんは日帰りで行けるところにいる信楽焼と丹波焼の知り合いを紹介した。道順などを教えると大島さんはよくわかっていたようで、「じゃー、行ってみます」と言うと、ジョブズを乗せてギャラリーをあとにした。
僕は、釋永さんの登り窯を見せてもらったことがある。立派な登り窯だった。釋永さん自ら掘った白い土が焼かれ、越中瀬戸焼独特の「景色」ができる場所だ。窯の内側をのぞくと、そこには炎でガラスのように変化した灰がはりついていて、エメラルドグリーンの世界が広がっていた。初めて目にする焼き物の美だった。この光景は、ジョブズもさぞ見たかったに違いない。
彼がオーダーした作品がつくり続けられた現場を、僕は自分の目で見ることができて感激した。そして、日本人の一人として、先人が磨き上げてきた日本の芸術というものをもっと学ぶ必要性も感じた。
■「侘び寂び」を理解していたアメリカ人
最後となった3日目、ジョブズは妻とふたりでやはり開店前に訪れた。
「展示されているものの中で、気に入ったものがあるから欲しいんだ」と言うと、指でさして作品を選んだ。茶碗、花入れ、コーヒーカップなど、いずれもオーソドックスな形の7、8点だった。釋永さんが「これを選ぶだろうなあ」と思っていたものばかりだった。
初日からの動きを見ていて、お気に入りのものは大体わかっていた。ふたりを見ていて、「自分の好きな方角を好きなんだな」と思った。そして、窯で焼かれた焼き物の景色といわれる侘びた風情とか土味の表情は、日本人でなければわからないのではないかと思っていた先入観を改めた。
僕は、釋永さんのこの受けとめは、この3年後に東京でジョブズに焼き物を案内したロバート・イエリンさんと共通するものを感じた。イエリンさんは、ジョブズには「侘び寂び」といった言葉を説明する必要がなかったと話していた。それと同じではないか。
■「平凡な黒い茶碗」を欲しがった
ジョブズが購入した作品で釋永さんの印象に残ったのは、伝統的なスタイルの黒い茶碗だった。この茶碗について、釋永さんはこう表現した。
「まったくもって説明がつかないくらい平凡。ろくろで土に曲芸をさせないという当たり前の姿をした茶碗。どう回しても、どこにも景色がない、ただの茶碗。だけど、とてもバランス良くできていて、気に入っていた茶碗だったんです。視覚だけでは絶対に好きにならないという茶碗でした」
ところで、支払いのときになって、“事件”が起きた。ジョブズが出した黒いカードが、「使えません」と断られたのだ。このギャラリーではクレジットカードを取り扱っていなかった。
彼はひどく落胆しているようだった。とても欲しがっている表情をしていたので、釋永さんが「個展が終わったら送りましょうか?」と言うと、ニコッとして首を縦に振った(反応がかわいい。新版画や焼き物に接しているときのジョブズは本当に素直だ)。それは、釋永さんにとっても“事件”だった。ジョブズは、自分の作品を購入した初めての外国人となった。
ただ、ジョブズの真骨頂はここからだった。「オーダーで自分のために作品をつくってほしい」と釋永さんに頼んだ。
■「もっと大胆に丸くしてほしい」
ここから、完璧な製品を仕上げる半端ない情熱をもったジョブズの片鱗を垣間見ることができる。焼き物に対する彼の好みもわかるのだ。
ジョブズは展示されていた四角い皿の前に行って、「もう少し小さいものを作ってほしい」と言った。一辺が24センチの皿を「こうしてほしい」と指で示したので、釋永さんが物差しで指と指の間を測ると22センチだった。
ジョブズは皿のデザインにこだわりがあった。
「角を丸くしてくれないか」
釋永さんが「これぐらいですか」と言って、紙に四角い皿を描いて角にカーブを描くと、ジョブズはそのボールペンを自分に持ち替えて、さらに丸みのあるカーブを描き込んだ。
「もっと大胆に丸くしてほしい」と。
釋永さんはジョブズの角を丸くするデザインへのこだわりを評価している。
「チャーミングだと思いますね。角が少しなで肩になっていたり、カーブがゆるやかにあったりすると、手のひらで覆いやすくなります。手に持った感触は、角があるのとないのとではだいぶ違うと思います」
■iPhoneのアプリアイコンにそっくりな皿
しかし、ジョブズのこだわりは、それだけにとどまらなかった。
「皿の半分は黒くしてほしい。もう半分は土のまま焼いてほしい。そして、黒と土の間には変化も欲しい」と注文した。
釋永さんの理解によれば、ジョブズは人工的に作る黒と土味を出すその中間に、もう一つ別の世界を求めていた。自分の意思で作る黒、窯の中で土が火と出会って自然に焼かれて出る土味、そして、二つの間の緩衝地帯を合わせた焼き物の自然な風合いをとても大事にしているようだった。
彼は、窯の中の炎によって土や釉薬(ゆうやく)が変化した焼き物の景色と呼ばれる表情について、一つの皿に「何か所か入れることはできないか」と質問した。「同じものをたくさん作れるか」とも聞いた。それは、まるで同一の工業製品を造るかのようなリクエストだった。
これにはさすがの釋永さんも、「無理だ」と断った。釉薬をかける工業生産的な発想とともに、自然な要素というものも求める注文だった。
当時を思い返して釋永さんが言った。
「ジョブズさんが亡くなったあと、iPhone4Sを手に入れて、『メモ』というアイコンを見たとき、僕に注文したのがこんなようなものだったと思いました」
■ジョブズが晩年、心を奪われた画家
僕は釋永さんのこの話を聞いて、ある画家の名前を思い浮かべずにはいられなかった。20世紀のアメリカを代表する抽象画家マーク・ロスコ(1903-1970)だ。
2011年10月のジョブズの追悼式で、実の妹で作家のモナ・シンプソンが、「最後の1年、彼はマーク・ロスコというそれまで知らなかった画家の画集を研究して、アップル・キャンパスの壁に何を描けば人々をインスパイアできるかを考えていました」とスピーチしている。
ロスコの作品は、縦長の画面に長方形のゆるやかな色面を2つ、3つと並べた独特なスタイルが有名だ。千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館にはアジア唯一の「ロスコ・ルーム」があり、7点が展示されていた(美術館は2025年3月末で休館し、報道によると、「ロスコ・ルーム」の7点は、東京・六本木の国際文化会館で2030年に開館する新館で展示される見通しだ)。
僕には、釋永さんがジョブズのオーダーを受けて作った皿の色彩感覚とロスコの作品が、とても似ているように見える。ジョブズには釋永さんと出会った頃から、ロスコのような色彩感覚がすでにあったのではないだろうか。僕がそんなことを話していると、釋永さんが本を持ってきた。それはロスコの画集だった。釋永さんも同じ考えだったのだ。

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佐伯 健太郎(さえき・けんたろう)

元NHK記者

1963年生まれ、東京都出身。1987年に上智大学法学部法律学科を卒業し、NHKに入局。主に記者として、秋田→東京→マニラ→東京→福岡→八戸→青森→松山→水戸→東京で勤務。2023年9月の退職までの8年間、ジョブズが日本文化から受けた影響の取材が「ライフワーク」になる。その集大成として、ジョブズがいかに日本の美術や企業から多くを吸収してモノづくりに活かしたのかを解き明かしたNHK BS番組「日本に憧れ 日本に学ぶ~スティーブ・ジョブズ ものづくりの原点~」と、取材の過程や葛藤を綴ったウェブ記事「NHK取材ノート:スティーブ・ジョブズ1.0の真実(前・中・後編)」が大きな反響を呼んだ。Xアカウントは@SaekiSJ20。

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(元NHK記者 佐伯 健太郎)
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