※本稿は、三枝匡『決定版 閉塞企業を甦らせる』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■なぜか社外にもフルオープンの新事業計画
12月中旬、年1回行われる次年度事業計画の審議が行われた。その会議は「ビジョンプレゼン」と呼ばれ、数日間ぶっ続けで行われる。連日、朝から夕方まで、執行役員やチームリーダーが次々と登壇し、自分の事業の年間計画や将来ビジョンを発表する。大会議室の後方には100席くらいの傍聴席が用意され、一般社員の誰が聞きに来てもいいという、社内オープン制だ。
驚いたことに、この会議は社外にもオープンだった。会社の最高機密であるはずの新事業計画の案をすべて、社外から聞きに来た人に明かして、彼らの会社に持って帰らせるというのだ。社長はそれを「オープン経営だ」と自賛していた。黒岩は強烈な違和感を覚えた。何のメリットが得られるのだろう。社員は事業計画を社内で認めてもらおうと闘っているのに、外部との競争意識を棄てさせるようなことが行われている。逆ではないのか。
この場の発表内容を審議するのは社長以下の取締役と監査役である。執行役員や事業リーダーの次の1年間の任命も、ここで決まる。だから彼らは事業を認めてもらおうと、準備に手間をかけ、緊張して出てくる。
■潜在市場ばかりが強調されるプレゼン
黒岩は幾つかのプレゼンを聞いて一つのことに気づいた。なぜか、事業の「潜在市場」がいかに大きいかを誇示する説明が続いた。そのような案が承認されやすいという見方が、社内常識になっているのではないかと黒岩は推定した。それは戦略的に有害な考え方になりかねない。
黒岩はしばらくして、質問の手を挙げた。それまで黙っていた社外取締役が発言を求めたので、会場の社員は「この人、誰だっけ」という顔で、視線を向けた。
「あなたは、狙っている市場が3000億円規模だと言いました。ところで、あなたの事業チームの5年後の売上計画はいくらでしたっけ」
■3000億円の市場規模で売上高10億円は「負け犬」
10億円だった。そもそも、上場企業が成長を狙う多角化事業の5年後の市場規模としては、話にならない。
「市場規模が3000億円で、あなたが狙う売上高は10億円。提案として変だと思いませんか」
執行役員は質問の意味が分からず、その場で立ち往生した。黒岩が助け船を出した。
「5年後に、残りの2990億円は、誰がやるのですか」
発表者は意味を理解した。しかし返事ができなかった。答えを持っていなかった。戦略の基本である「競合の認識」が完全に欠落している《感知項8》。
「あなたの5年後の市場シェアは、0.3%ですよね。泡沫的な存在です。戦略論では『負け犬』と呼ばれます。そんな低い伸びじゃ、損益も赤字のままでしょう」
販売量で圧倒的に差をつけられれば、商品のコスト競争で負ける。
「大切なのは、狙いを絞って、その市場での圧倒的トップを狙うことではないでしょうか」
それは戦略論における「勝ち戦の要諦」だ。難しく言えば、「市場セグメンテーション」と「絞りと集中」の戦略論理が必要になる。つまり、新事業を手がける者には最重要な「市場定義」の問題だ。それでベンチャーの成否が決まってしまうくらいだ。
壇上の執行役員は素直に頷いた。会場からも、納得の空気が流れた。
黒岩は、これは深刻な問題だと思った。執行役員という上位者が、市場規模と自分の売上計画の矛盾に気づいていない。競争を考えずに唯我独尊のチマチマ案を出している。
■「米国戦略」と「タコ焼き」が同列に語られる
執行役員はそれぞれ配下に、事業内容で異質の、複数の多角化事業を抱えている。だから執行役員が「個人商店」になっているように見えた《感知項10》。
壇上に一人の執行役員が出てきて、機械工業部品の米国事業についてプレゼンを行った。米国事業はまだ売上高10億円にも届いていない。今後の拡大計画も小さい。黒岩はミスミに国際戦略が存在していないことを見抜いた。それは黒岩の社長受諾条件の一つに関係していたから、その場でガッカリした。
しばらくすると、同じ役員がまた出てきた。何を話すのかと思ったら、彼の配下にある別の事業「居酒屋でチンをすれば料理を出せる、食材配達事業」の話だ。彼は、その事業の来年度の目玉戦略として、居酒屋向けにタコ焼きを売り出す計画を話しはじめた。
黒岩は「えっ」と思った。質疑の時間が来たので、手を挙げた。議長席の社長が、黒岩が今度は何を聞くのかと、少し心配そうな目つきでこちらを見ている。
「さっきあなたは『米国戦略』を語り、今度は『タコ焼き』です。同じ審議時間で、事業として同格の扱いですが、あなたの頭の中では『米国』と『タコ焼き』とは、どっちが優先ですか」
■一緒になって笑っている幼い経営陣たち
会場は大爆笑になった。いくら日本人の戦略意識が弱いと言っても、「米国戦略」と「タコ焼き」を同じ会議で話す会社はないだろう。黒岩なら米国が最優先だ。事業の「戦略優先度」が曖昧にされていることが、このさもないシーンに出ている《感知項11》。
廊下を歩いていてドアが一瞬だけ開き、部屋の中におかしな景色が見えたとき、経営者はどう反応すべきか。今この場では、本来ならトップ経営者は部下の戦略認識が甘いことを指摘し、後ろで傍聴している社員にそれを聞かせる。
会社を戦略志向に染めていくには、その場その場、その一瞬一瞬のトップの指導が勝負だと、黒岩はこれまでの経営者経験で信じてきた。ところがミスミでは、その矛盾を指摘する重要な役割を、社外取締役の黒岩莞太に演じさせている《感知項12》。
黒岩は連日の審議を、すべて聞いた。これは勝ち戦だとワクワクする事業が、ただの一件もない。世間で、この程度のベンチャー提案に投資するプロ投資家は一人も現れないだろう。
■日本ベンチャーが米国、中国に勝てないワケ
チマチマしたベンチャーをたくさん立ち上げる発想は、当事者がリスクを分散したいからだ。ベンチャーを手がける人々が素人であれば、自然に「自分の手に負えそうな」ネタを選ぶ。そういうことをすれば、会社として低リスクの事業を組み合わせることになる。プロのベンチャー経営者とは真逆の、日本のサラリーマン特有の発想だ。日本のベンチャーの多くが米国や中国に完全に負けてしまったのは、民も官も合わせて、このチマチマ発想が原因だ。
ベンチャーとは高リスクに挑み、短期間で一気に勝負をする。それがその言葉の意味だ。ベンチャーキャピタルは、厳選した高リスク投資を組み合わせることでリスク分散を図る。
会社改造の要諦6【リスク投資ポートフォリオ】
ファンドの傘下で、投資先の社長に雇われた人は、そのベンチャーだけで生きるか死ぬかの勝負をする。貧弱な経営をすればすぐにクビだ。一方、キャピタリストは「どれかが当たれば、あとは不調でも大丈夫」という「確率論の勝負」をする。ポートフォリオ(投資先の組合せ)全体で高リターンを出せばいいので、一つや二つの投資先が潰れてもいい。
日本企業が社内ベンチャーを始めると、そう呼びながらも、ベンチャーに不可避な揮発性のリスク勝負を避けたがる。チマチマ事業は、素人に合った低リスクのネタだから、すぐに高成長事業にならない。しかしすぐに破綻にもならない。
そのような中途半端なベンチャー投資がなぜ日本企業で認められるのか。理由がある。人が見ればチマチマ、バラバラでも、業績の落ちている会社の中では、あるいはそのような国の中では、それでもマシに見えるのだ。
けれども、一チームあたりの赤字は小さくても、チーム数を増やしていけば、社内ベンチャーの全体赤字額は膨らんでいく。その総額において、やがて耐えがたくなる。これこそが、バラバラ病、チマチマ病、ダラダラ病のベンチャーを推進する会社が、最後に行き着く壁だ《感知項13》。
■「戦略なきよろず屋」ばかりの日本企業
黒岩はミスミの多角化戦略のことをここまで考えて、ふっと、自分の記憶のなかに、これにそっくりの「いつか見た景色」があることに気づいた。
黒岩は80年代中ごろ、自分がベンチャーキャピタルの社長をしていた時期に、日本の重厚長大企業が、空しい多角化ベンチャー騒ぎを演じたことを思い出した。その頃、新聞に報じられた彼らの多角化といえば、遊園地、スポーツクラブ、リゾート、人材派遣、コピーサービス、きのこ栽培、巨大迷路、ゴルフ練習場、あわびの養殖、ログハウスなどだった。そういう事業が鉄鋼、造船、石油精製などの停滞を打開する事業に育つことなど、あり得ない。
黒岩はそうした事業を進める重厚長大企業を「戦略なきよろず屋」と呼んだ。当時のその多角化騒ぎは、3年ほどで終息した。チマチマベンチャー群はすべて撤退になった。当時、世界から素晴らしいと絶賛されていた「日本の経営」の時代だった。その日本の大企業がこの騒ぎを演じていたのである。黒岩は恥ずかしいと思った。企業家精神に欠けていた。それはバブル破綻に向かって行く日本の前奏曲だった。
■組織のサラリーマン化と日本人の経営力の枯渇
会社改造の要諦7【経営パワーの危機】
黒岩莞太がバブル崩壊以前の80年代の日本企業に見たものは、組織の「サラリーマン化」の進行と、それに伴う「日本人の経営力の枯渇」であった。黒岩はバブル破綻後の1994年に出版した『経営パワーの危機』でその実態への警鐘を鳴らした。話の中味は、バブル破綻前の80年代初めに、すでに日本で広がっていた戦略判断能力の低下の症状を描いたものだった。
ミスミは、今になって、あの80年代と同じ「戦略なきよろず屋」をやっているのではないか《感知項14》。そう気づいて、黒岩は背中に寒いものを感じた。そのため、ミスミ社内は「バラバラ、チマチマ、ダラダラ、いつまでも赤字、他事業の利益で生きている」という稚拙なベンチャー騒ぎになってしまい、ミスミの新事業は戦略破滅最終ステージに近づいているのではないか。
黒岩莞太はその見物人ではない。自分がミスミの社長になれば、この問題への責任すべてが、即座に、自分に回ってくる。深刻な問題を感知したことになる。
■累積赤字額を誰も知らない
少し先回りして、後で知った事実をここに書く。黒岩は新社長に就任すると、ミスミの多角化事業チームの赤字が、10年間を遡って合計いくらになるかを調べさせた。
その結果は約50億円だった。それ以外に、有名なコンサルタント会社を本社費用で次々に雇って10億円以上使ったと聞いたし、本社が負担した経費や間接部門の経費を加えると、ミスミがこの多角化新事業の騒ぎで使った赤字の総額は約10年間で70億円に達していることが見えた。多角化新事業を始めた1994年のミスミの年度利益はわずか20億円台だった。10年近く機械工業部品事業の利益性に甘え続け、赤字でも事業の継続を許され続け、事業チームの数が増えるに従って新事業全体の赤字額を膨らませてきた。
黒岩が驚いたのは、創業社長も執行役員も、誰ひとりとしてこの累積赤字額を知らなかったことだ《感知項15》。黒岩が社内に入り、集計作業をさせて初めて判明したことだった。
黒岩の頭の中に、そっくりの「いつか見た景色」があった。コマツのアスター事業で7年連続赤字事業の再生を始めた時、累積赤字額220億円の数字を、アスター事業の役員は誰も知らなかった。一部上場企業ミスミの社長も役員も、危機感が足りないことでは同じだった。このサラリーマン意識のままで、ミスミの企業体質と実行戦略を変えていくことができるのか。黒岩には暗澹となる事実だった。
■多角化事業を支える本業を「ダサイ」とする風潮の危うさ
ここまで来て、黒岩にはもっと重大な問題が見えはじめていた。過去の赤字ではなく、今も深刻な逸失利益が出ている可能性があることに気づいた《感知項16》。ある社員が言った。
「社内で多角化事業がブームになると、新規事業が社内で陽の当たる場所で、本業の機械工業部品事業はダサイと見られるようになってきました」
多角化新事業は、機械工業部品事業の生み出す利益に、おんぶに抱っこで生き延びているのに、その主力事業で働く人々に感謝するどころか、彼らを古臭いと軽く見る雰囲気が出てきたらしい。
血の気の多い社員は、社内で脚光を浴びている多角化新事業に移り、機械工業部品事業の人員は減っていった。
機械工業部品事業の低下気味の利益率を維持するため、減った人員の補充は抑制された。機械工業部品事業は分野毎に1200頁にも及ぶ部品カタログを発刊し、それが戦いの武器だ。ところが、分野によってその発刊を一回飛ばすことも行われた。カタログ発刊は発送費用を含めれば数億円にのぼる。その経費を節減して事業の利益率を維持することが目的だったらしい。社長も幹部もミスミの機械工業部品事業は強いから、崩れることはないと思い込んでいたのだろう。
ミスミの誇るべき攻撃的カルチャーだった事業組織が、やがて元気を失い、いまや受け身の、守りの組織に変わってしまったらしい。
多角化新事業の騒ぎが10年近く続き、本業の組織に否定的影響を及ぼしていた。多角化新事業のこれまでの赤字だけが問題ではなく、本業に伝染している影響は現在進行形なのだ。
■ベンチャー経営の鬼門は「お金」よりも「戦略」
黒岩の経験では、ベンチャー事業が資金を手にすると、素人の社員は強気になってしまう。彼らは戦略の間違いがあっても深く考えず、資金の余裕を知ると、ものすごく燃えて、ものすごく働く。普通のサラリーマンの比ではない。周囲からは輝いて見える。
ミスミの事業チームの社員たちも、皆、熱い人たちに見えた。いくら働いても疲れを知らないと思える若さがあった。黒岩はこの16年間、沈滞した日本企業の事業再生ばかりを手がけてきたから、彼らの元気さは新鮮だった。
だがベンチャー経営の鬼門は、お金ではなく「戦略」だ。正直、ミスミの中でベンチャーのリスクに対して十分な戦略判断能力を身につけている人は多いように見えなかった。はっきり言えば、いわばフツーの人々が集まり、社内のいわば放し飼いのカルチャーの中で、熱く自由にやっているという感じだった。
会社改造の要諦8【事業への個人のコミット】
事業が成功するときの重要な条件の一つは、そこで働く人々の事業への「心からの思い入れ」「頑張り」だ。英語でコミットメントというのがそれだ。失敗のリスクを感じても、精神的・肉体的な疲労を感じても、その事業への思いと、成功への執着によって、頑張り続けられるかどうかがカギだ。
■トップのハンズオフ組織制度の問題点
ミスミでは、会社の任命責任において、事業へのコミットメントを求められているのは執行役員と事業リーダーだ。彼らがチームの雇い主になり、メンバーの採用、クビにすること、給与を決めること、後に述べる利益配分額の決定も彼らの権限とされている。そんな権限委譲はどこの日本企業も考えたことがないだろう。
チームリーダーの立場は、毎年「競合プレゼン」が実施され、社員が自由に立候補してその職位の取り合いを演じる。チームの社員は毎年、他の事業に移ることが可能だ。他のチームから高い給料で誘いがあると、それに惹かれて動くことも可能だ。自発的にチームを離れたものの、社内で行き場所が見つからず、会社を辞めるしかないというケースも起きている。
創業社長はこれらを「社内労働市場の自由化」と呼んでいた。社長自身は上から眺めているだけで、執行役員とチームディレクターがそのチームの事業・組織・人事を自由に動かすのだ。いろいろなことが、トップ経営者のハンズオフのまま、動くように作られていた。
黒岩はこの組織制度に問題を感じた。
・毎年の社員の入れ替えでチーム内がガタガタして、さらに自分がクビになるリスク、上司が変わるリスクなど、社員が挑戦的な仕事に立ち向かうには落ち着かない時期が、毎年3カ月近くもある。
・ということは、彼らが仕事に専念できるのは9カ月だけだ。リスク事業に専念させ、成功確率を少しでも上げなければならないのに、こんな制度を毎年繰り返していいのだろうか。
・1年経てば他チームに行くかもしれない社員に、チームリーダーは長期的視野でじっくり教育を行う気になれるのか。短期の使い捨てが起きている可能性があるのではないか。
こうして社内を歩き始めて早々に、深刻かつ複雑な状況が見えてきた。がっかりする発見が相次いだ。外部から見て、ミスミの業績は悪くない。しかしそれは機械工業部品事業の貢献によるものだ。社長が戦略の表看板に掲げた多角化新事業のすべてが、バラバラ、チマチマ、ダラダラで、赤字のままだ。社長は発想を変えておらず、多角化事業をさらに増やすと発表したばかりだ。
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三枝 匡(さえぐさ・ただし)
ミスミグループ本社名誉会長
1944年生まれ。一橋大学卒業、スタンフォード大学MBA。20代で三井系企業を経て、ボストン・コンサルティング・グループの国内採用第1号コンサルタントになる。30代で財閥系外資合弁企業の再建、倒産ベンチャーの再生、ベンチャーファンド創設を、それぞれ社長として経験。41歳の時、日本で初めて事業再生専門家を名乗り、それから16年間不振事業の再生に当たる。2002年、ミスミCEOに就任し、同社を340人からグローバル1万人超の企業に成長させた。一橋大学ビジネススクール客員教授など教壇にも立ち、著書に『決定版 戦略プロフェッショナル』『決定版 V字回復の経営』(いずれもKADOKAWA)、『経営パワーの危機』『ザ・会社改造』(いずれも日本経済新聞出版)などがある。「『戦略と志』講座」(公開)を塾長として主宰している。
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(ミスミグループ本社名誉会長 三枝 匡)

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