相手から真実を引き出すにはどうすればいいか。ジャーナリストの大野和基さんは「話をする相手に何らかの色を事前につけてはいけない。
たとえ相手が、どれほど自分とウマが合わない人物であっても、話をする際にはそれをグッと飲み込む必要がある」という――。
※本稿は、大野和基『世界基準の「質問力」』(祥伝社)の一部を再編集したものです。
■なぜ質問が自己主張になってしまうのか
ワンランク上の世界基準の「質問力」とは何なのか。そもそも人の話を聞き、人に問うとはどういうことなのか。いわば質問力の本質について見ていこう。
質問の内容が自己主張となる“イソコ化”は誰にでも起こり得ることだ。では、なぜ質問、問いかけをする際に、人はしばしば“イソコ化”してしまうのだろうか。
私は40年にわたるジャーナリスト生活で、それこそノーベル賞受賞者からテロリスト、そして一般の市民に至るまで、広すぎるくらいの振れ幅の人たちに話を聞き続けてきた。
そのなかでも、忘れられない事件のひとつが、1992年、米ルイジアナ州バトンルージュで日本人留学生が射殺された事件だ。
事件が起きたのは10月17日のこと。当の日本人留学生は、ハロウィンパーティーに参加するため仮装して家を出た。ところが、パーティー会場の家がわからなくなり、まったく関係のない民家に入ってしまう。

そこで、侵入者だと思ったその家の人物が、銃を構えて「フリーズ(freeze)!」と叫んだ。freezeは凍らせるという意味だが、命令形で「止まれ!」という際によく使われる。
ところが、日本人留学生は「プリーズ(please)」と聞き間違えたらしく、そのまま進んでしまい銃で撃たれて、死亡してしまったのだ。この事件は、日本人が亡くなったということもあり、当時連日のように報道されたので、覚えている人もいることだろう。
■銃を撃っても無罪になった理由
事件後、銃を撃ったロドニー・ピアーズは、民事裁判で約7000万円の賠償を命じられた。だが、おそらくほとんど日本人は覚えていないだろうが、実は刑事裁判では無罪だったのだ。そのピアーズを世界で初めて取材したのが、ほかでもない私だった。
ではなぜ、私だけが取材を許されたのか。それは当時、とくに日本のメディアが「被害者がかわいそう」「銃を撃ったピアーズに厳罰を!」と声を上げるなか、私は判決前から無罪になると広言していたからだ。
私は事件当時から、こう考えていた。自分がピアーズの立場であったら、やはり銃を撃っていたかもしれないな、と。アメリカという社会で、夜、知らない人物が家に近づいてきて、ドアをノックする。

「フリーズ!」と叫んでも、よくわからないことを言って帰ろうとしない。これは、住人にとってあまりに危険すぎる。もし油断して家のなかに入られたら、自分たちが殺されてしまったかもしれない。
実際、ピアーズに話を聞くと、日本のマスコミが現地取材等で過熱し、アメリカでも「ピアーズ許すまじ」という声が大きくなっていったという。そうした日本のマスコミのなかには、日本人が殺されたということに対するナショナリスティックなムードもあった。
だが、ジャーナリストである私にとって、そうした“感情”や“価値”はほとんど意味がない。もちろん、アメリカに長く住んでいたから、ほかの人よりも銃事情もわかっていたこともある。
一方で、自分も親として、子どもが殺された親の張り裂けそうな胸の痛みもよくわかる。ただ、フラットな立場で取材をし、人に話を聞き続けたところ、日本のメディアが騒いだから裁判を開くことにしたということも耳にした。
■凶悪なテロリスト取材でもFBIに連絡しない
ピアーズ、犠牲者、そして周囲の社会それぞれの思惑あったのは事実だ。ただ少なくとも、アメリカ中が犠牲者を悼んでいたわけでもないし、銃規制に乗り気になったわけでもない。そうした真実には、冷静かつ客観的な視点に立たないと、なかなかたどり着けない。

ここまで大きなヤマでなくても、会社でもそうだろう。
「イヤな上司に呼び出された。何も悪いことをしてへんのに。ということは、どうせいつものように粗探しをされて、イヤミをぐちぐち言われるんやろうな……」
こんな気持ちで上司と向き合ったら、相手のイヤな部分が余計クローズアップされるだけだ。そして、上司のフラットな発言ですら叱責に聞こえてしまうだろう。
本当は聞きたいことがあったのに、答えに傷つきそうだから黙ってしまい、結局相手の気持ちを知り、自分の気持ちを知ってもらうチャンスを逸してしまう……。
これは、もったいないのではないだろうか。私はジャーナリストという仕事柄もあり、なるべく全方位、分け隔てなく人と接するようにしている。凶悪なテロリストにもインタビューしたことがあるが、もちろん警察に電話1本入れれば、即逮捕だっただろう。
だが、そんなことをする気は、みじんもなかった。なぜなら、テロリストの逮捕は、私の目標でも何でもないからだ。仲介者がいて、取材の条件はFBIに連絡しないことであった。

もし連絡していたら、私は殺されていたと思う。殺人犯だろうがテロリストだろうが、色眼鏡で見ることなく、冷静に客観的に接し、聞きたいことを何とかしてしゃべらせる。それを常に“一丁目一番地”にしているので、自分が望む答えにたどり着くことができるのだ。
■「価値判断」こそが、人の目を歪ませる
やや遠回りをしてしまったが、“イソコ化”の問題は、もちろん質問が長く、ポイントを外していることである。だが、そうなってしまうのは、そもそも、質問を投げかける前から、“結論”があったからではないか。
最初から人やモノの見方にバイアスがかかっている限り、なかなか真実にはたどり着けない。それは、まさに「色眼鏡」という言葉があるように、対象に何らかの色を事前につけてしまうからだ。
そういう傾向があるということを自覚し、自律的に修正できない限り“イソコ化”を繰り返してしまう恐れがある。
実際に、そう考えると、極端な意見の持ち主であればあるほど話が長いのは、気のせいではないのではないか。質疑応答という難しいキャッチボールをするにあたり、自分のことだけしか考えずに言葉を発すれば、ボールが返ってこないのも当然のことだ。
だからこそ、たとえ相手が、どれほど自分とウマが合わない人物であっても、話をする際には、それをグッと飲み込まなければならない。はっきり言えば、価値判断など不要だということだ。

知りたいことがある、疑問に思っていることがある、だから答えを聞きたい。そこだけに2時間ばかりフォーカスすべきなのである。
やさしいとか、思いやりがあるという話ではない。相手に立場に立つ、相手の気持ちに寄り添うというのは、つまりは自分のバイアスを捨てるということなのである。
CONCLUSION

キャッチボールは

ひとりではできない

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大野 和基(おおの・かずもと)

国際ジャーナリスト

1955年、兵庫県生まれ。大阪府立北野高校、東京外国語大学英米学科卒業。1979~97年在米。コーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学で基礎医学を学ぶ。その後、現地でジャーナリストとしての活動を開始、国際情勢の裏側、医療問題から経済まで幅広い分野の取材・執筆を行なう。1997年に帰国後も取材のため、頻繁に渡航。アメリカの最新事情に精通している。

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(国際ジャーナリスト 大野 和基)
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