「パパ活」と一口に言っても、「パパ」の財力には大きな幅がある。富裕層マーケティングを長く手掛ける西田理一郎さんは「高級ディナー、ブランドバッグ、タワーマンションの一室……『パパ』からの贈り物の王道だ。
富裕層の世界になると、数十億単位になることもある。しかし、金額もさることながら、注目すべきは“考え方”の圧倒的な違いだ」という――。
■「地元の子がいない強豪校」への違和感
夏の甲子園。アルプススタンドで声を枯らすおっちゃんがいる。
地元商店街で電気屋を営んで40年。「○○高校、初の甲子園出場!」の報を聞いたとき、彼は即座に仲間に声をかけた。「おい、バス借りて応援行くぞ!」
魚屋の大将、和菓子屋の女将、薬局の若旦那――みんな二つ返事だった。
エースの健太は、魚屋の大将が「今日もランニングか、えらいな」と声をかけ続けた子だ。四番の翔太は、和菓子屋でどら焼きを買うたびに「甲子園連れてってや」とからかわれてきた子だ。
ところが、である。アルプススタンドで応援していると、隣の常連客がぼそっと言った。「なあ、あのショート。
あの子、地元の子とちがうなぁ?」
調べてみると、ベンチ入りメンバーの半分以上が県外からの「野球留学生」だった。おっちゃんは、急に応援の声が小さくなった自分に気づいた。彼らが悪いわけではない。夢を追いかけて遠くから来た子たちだ。でも、「俺たちの子」という感覚が薄い。
この違和感こそが、「応援」という行為の本質を射抜いている。
■応援の本質は「物語への参加」である
なぜ人は誰かを応援したくなるのか。
そして、なぜ経済的に余裕のある人ほど、社会貢献や「タニマチ」的な支援に惹かれるのか。
結論から言えば、それは「物語」を求めているからだ。
商店街のおっちゃんが甲子園で声を枯らすのは、野球が好きだからだけではない。「あの健太が」「あの翔太が」という物語の続きを見届けたいからだ。自分が関わってきた人間が大舞台で輝く瞬間に立ち会いたい。
そして、その物語の一部に自分もなりたい。
人は、自分の人生に「意味」を求める生き物だ。毎日同じことの繰り返し。店を開けて、客と喋って、帳簿をつけて、店を閉める。ふと思う。「俺の人生、これでええんか」と。
そんなとき、「応援できる誰か」がいることの意味は大きい。自分の人生を、誰かの成功物語に「接続」できる。健太がプロになれば、「俺はあの子にキャッチボールを教えたんや」と語れる。自分の人生が、大きな物語の一部になる。これこそが、応援の本質なのだ。
■1300万円の寄付を即決した、IT経営者の一言
この「物語への参加欲求」が爆発的に可視化されたのが、2023年の国立科学博物館のクラウドファンディングだ。
資金難に陥った「かはく」が1億円を募ったところ、わずか9時間で達成し、最終的に5万人以上から9億2000万円が集まった。
このうち、1300万円を即決で寄付したIT経営者は「思い出の場所を守りたかった」と語っている。これは単なる寄付ではない。自分の人生の一部である「物語」を守る行為なのだ。
■「タニマチ」という日本独自の美学
「タニマチ」という言葉は、大阪の谷町に由来する。
明治時代、この界隈に住む医者たちが相撲取りを無料で診察したり、小遣いを渡したりしたことから、力士のパトロンを「タニマチ」と呼ぶようになった。
タニマチには独特の美学がある。
まず、「見返りを求めない」。贔屓の力士が出世しようが幕下に落ちようが、支援し続ける。
次に、「粋」を重んじる。「俺がスポンサーだ」と吹聴するのは野暮。人知れず支え、本人も周囲も気づかないうちに面倒を見る。

そして、「関係性」を大切にする。金銭を超えた絆――酒を酌み交わし、悩みを聞き、時には叱咤激励する。疑似的な「親父」のような存在だ。
この心理は、商店街のおっちゃんが甲子園で声を枯らす姿と本質的に同じである。
タニマチ精神の現代的な体現者として、CoCo壱番屋創業者の宗次徳二氏を挙げたい。
宗次氏は貧しい幼少期にクラシック音楽、特にヴァイオリンに魅了された。カレーチェーンで成功を収めた後、私財を投じて名古屋に「宗次ホール」を建設。そして、ストラディバリウスをはじめとする名器約30挺を保有する「宗次コレクション」を通じて、若手演奏家への楽器貸与を続けている。
ストラディバリウスは、年代と状態にもよるが10億円から30億円は下らない。どれほど才能があっても、このような名器を手にする機会は極めて限られる。楽器がなければコンクールで勝てない。コンクールで勝てなければキャリアが開けない。
そんな悪循環の中で、「この楽器ではコンクールの本選に残れない。助けてください」という若い演奏家のSOSが宗次氏のもとに届く。
宗次氏は言う。彼が求めているのは見返りではない。自分が支援した演奏家が世界の舞台で輝く――その物語の一部になることだ。
この流れを組織的に推進する企業もある。
ヴァイオリン販売会社のatsumari(アツマリ)は、ストラディバリウスやニコロ・アマティなどの名器を販売するだけでなく、購入した個人・企業と実力ある若手ヴァイオリニストをマッチングし、ヴァイオリン文化を普及させる活動と共に楽器の貸与を仲介している。
「鳥のように美しく音色を奏で、自由に成長し羽ばたいてゆく」――そんな理念のもと、富裕層の「タニマチになりたい」という欲求と、若手演奏家の「名器で演奏したい」という欲求を結びつけているのだ。
これは単なるビジネスではない。「物語」をプロデュースしているのである。
■「富裕層版パパ活」なのか
「持てる者が持たざる者に与える」
その構造だけを見ると、ちまたで話題の「パパ活」に近しいようにも見える。
しかしその表層の類似性の下には、決定的な断層が横たわっている。

パパ活における「応援」とは、精巧に設計された等価交換システムだ。
高級ディナー、ブランドバッグ、タワーマンションの一室――これらはすべて「時間」「容姿」「若さ」という商品に対する対価だ。
与える側は、与えた分だけ「何か」を受け取る。
受け取る側も、受け取った分だけ「何か」を差し出す。
そこには暗黙の価格表が存在し、両者はその相場を熟知している。
一方、真の支援者は見返りを求めない。
宗次徳二氏がストラディバリウスを貸与した若手ヴァイオリニストと毎週会食するだろうか。答えは明白に「NO」である。
パパ活が定期的な会食、旅行、物理的接触が前提となるのに対して、タニマチは、年に数回のコンサート鑑賞、あるいは数年に一度の表敬訪問程度で十分とする。支援の継続に、肉体的な接近を必要としないのである。
実際、宗次氏は名古屋にいながら、世界中で演奏する若手を支援している。男性ヴァイオリニストと女性ヴァイオリニストとを区別することもない。
本質的には、商店街のおっちゃんと同じだ。彼らが見ているのは「才能」であり「可能性」であり「物語」である。そこに性別という変数は存在しない。
■消費か、投資か
もう一つ、見過ごせない違いがある。時間軸の問題だ。
パパ活は「今この瞬間の満足」を追求する。今夜のディナー、今月のバッグ、今年のマンション。享受できるのは常に「現在」であり、その関係が終われば何も残らない。消費されて、消えていく。
対して真のタニマチ支援は、10年、50年、100年先の価値創造を見据える。
宗次氏がストラディバリウスを貸与するとき、彼が見ているのは30年後の音楽界だ。その若手演奏家がウィーン・フィルと共演する未来。カーネギーホールの舞台で名器を鳴らす姿。そしてその演奏家がやがて次の世代を育てていく、悠久の連鎖。
これは消費ではない。投資なのだ。
しかも、リターンを自分の手元に回収しようとしない投資。利益は未来へ、社会へ、次の世代へと流れていく。支援者が受け取るのは、「自分がその物語の起点になった」という一点の誇りだけである。
■なぜ人生の後半で慈善に目覚めるのか
消費ではなく、投資――。
その意味でタニマチ精神は、現代の「推し活」とも全く別のものだ。
AKB48の握手券付きCDは、「会える幻想」を売る天才的なビジネスモデルだった。しかし、これは本質的にエンターテインメントであり、娯楽消費である。「CDを買う→握手する→体験が消える」という循環。投げ銭も同様だ。画面の向こうのリアクションを「買い」、その瞬間の快楽を「消費し」、そして次の快楽を求めて再び課金する。
真のタニマチは違う。「支援する→才能が成長する→永続的な価値が創造される」。
繰り返すが、これは消費ではなく、投資のサイクルだ。
商店街のおっちゃんが甲子園のアルプススタンドで声を枯らすとき、選手との握手を期待しているわけではない。サインをねだりに行くわけでもない。ただ、「あの子が打った」「あの子が勝った」という事実だけで十分なのだ。見返りを求めない。ただ物語の続きを、見届けたいだけなのである。
この構造を理解すれば、なぜ富裕層が人生の後半で慈善に目覚めるのかが見えてくる。
彼らは「取引」に飽きたのだ。
金を出せば何かが返ってくる――そんな等価交換の世界で、彼らは何十年も戦い続けてきた。そしてある日気づく。もう十分に持っている。これ以上取引を重ねても、魂は満たされない、と。
彼らが求め始めるのは、取引ではなく贈与だ。見返りのない、純粋な「与える行為」。そしてその先に生まれる、誰かの人生が変わっていく物語。
パパ活の「貢ぎモノ」は、受け取った瞬間に価値が確定する。しかしタニマチの支援は、10年後、30年後、時には支援者がこの世を去った後に、ようやくその真価が明らかになる。
それこそが、マンションやブランドバッグでは決して得られない価値なのである。
■「節税対策でしょ」という批判もあるが…
ウォーレン・バフェット、日本であれば柳井正孫正義。彼らは使い切れないほどの富を築いた後、そのかなりの部分を寄付や社会貢献に回し始める。
世間はこれを「節税対策」「イメージアップ」と解釈する。しかし、節税が目的ならもっと効率的な方法がいくらでもある。
イメージアップなら広告を打てばいい。そもそも彼らのレベルになれば、世間の評判など気にする必要もない。
ウォーレン・バフェットは投資で天文学的なリターンを出し続けた。しかし93歳になった今、「もっと金を増やす」ことにかつてほどの興奮は感じないだろう。
彼らが求めているのは、新しいゲーム、新しい物語だ。「俺が寄付した奨学金で、貧しい村の子どもが医者になった」「俺が出資した研究で、マラリアで死ぬ子どもが減った」――これは金を稼ぐゲームとは全く異なる興奮をもたらす。
自分の富が誰かの人生を変える。自分の決断が世界にインパクトを与える。その物語の「主人公」ではなく「脚本家」として、舞台裏から全てを見届ける。これこそが、富裕層が慈善活動に惹かれる本当の理由なのだ。
人間は、自分の物語を誰かの成功に接続したい生き物である。
毎日同じことの繰り返し。一人で完結する人生は、どこか味気ない。
誰かを応援する。誰かの成功を祈る。誰かの夢に投資する。そうすることで、自分の人生が「誰かの物語」と交差する。
自分一人では描けない大きな絵の一部に、自分がなれる。
商店街のおっちゃんにとって、それは地元の甲子園球児だった。商店街のおっちゃんが野球留学生を素直に応援できないのは、狭量だからではない。どら焼きを買いに来た記憶がないからだ。
相撲好きの旦那衆にとって、それは贔屓の力士だった。
宗次徳二氏にとって、それは若きヴァイオリニストたちだった。
ルネサンスの富豪メディチ家にとって、それはミケランジェロだった。
対象は違えど、心理は同じだ。「俺は、この子の物語の一部になれた」――その感覚が、人を動かすのだ。
さて、あなたはどうだろうか。「この子の物語を、俺は見届けたい」。この物語への参加権を手にする誰かを見つけたとき、「あなたの支援であなたの物語は変わるのだ。

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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)

価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役

富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト

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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)
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