富裕層の世界にも、宅飲みはある。富裕層マーケティングを長く手掛ける西田理一郎さんは「さぞ高級なものを食べているのだろうと思われがちだが、テーブルに並ぶ食べものは意外に質素だ。
スーパーで100円台で買えるおつまみもあるが、その背景には富裕層特有の考え方がある」という――。
■500万円のワインのお供
ある週末の夜、私は東京・港区の某タワーマンション最上階にいた。
エレベーターが開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、床から天井まで続くセラーに整然と並んだワインボトルの壁だった。その数、優に2000本。琥珀色の間接照明に照らされたボトルたちは、まるで眠りについた宝石のようだった。
「今日はね、この子を起こしてあげようと思って」
ホストである資産家の男性が、白い手袋をはめながら、一本のボトルをそっと引き抜いた。
ラベルには「Romanée-Conti 1999」の文字。市場価格で500万円は下らない、ブルゴーニュの至宝だ。
さて、問題である。
この500万円のワインの隣に並んでいた料理は、一体何だったか。
キャビアとフォアグラの競演か。ミシュラン三つ星シェフの出張ディナーか。

答えは、拍子抜けするほどシンプルだった。
銀のボウルに盛られたポテトチップス、木の板に無造作に置かれたチーズの塊、そして小皿に入った無塩のナッツ。それだけだ。
なぜ、資産数十億、数百億円を持つ彼らが、あえてそのような選択をするのか。そこには、一般家庭の飲み会とは決定的に異なる「起点の違い」と、富裕層特有の合理的な思考が存在するのだ。
■「何を食べるか」ではなく「何を飲むか」
一般の家庭で友人を招くとき、私たちは何から考え始めるだろう。
「たこ焼き器があるからタコパにしよう」「寒くなってきたから鍋パがいいね」「奮発していい肉を買ってBBQだ」
そう、一般の人の発想は常に「食べ物起点」である。イベントの名前は食べ物で決まり、予算の大半は食材に消え、お酒はあくまでその脇役だ。
ところが、富裕層のホームパーティーは、この方程式が完全に逆転する。
「セラーで眠らせていたあのヴィンテージが、ようやく飲み頃になった」「オークションで落としたブルゴーニュを、仲間と開けたい」
集まる理由は、常にワインにある。食事ではない。
この「起点の違い」が、すべてを変える。

欧米の超富裕層がゲスト5人をもてなす際、総予算が500万円だとしよう。その内訳は、ワイン代に450万円以上、食事代は数十万円以下。金額の比率にして9対1、あるいはそれ以上の偏りだ。
彼らにとってワインとは、単なるアルコール飲料ではない。それは土地の記憶であり、時間の結晶であり、生産者の哲学が液体となったものだ。一本のボトルを開けることは、その年の気候、収穫の苦労、熟成の年月を「体験」することに他ならない。
だからこそ、同じ銘柄のワインを1990年代、2000年代、2010年代と並べて飲み比べる「垂直試飲(バーティカル・テイスティング)」が行われる。30年という時の流れを、舌の上で旅する。これほど知的で、これほど官能的なエンターテインメントが他にあるだろうか。
■主役を殺さないための「引き算」
さて、ここで問題が生じる。
主役がこれほど強烈な個性を持っているとき、食事に求められる役割は何か。
答えは明快だ。
「引き算」である。
繊細かつ複雑な熟成ワインの香りは、濃厚なソースのかかったフレンチや、脂の乗った大トロの寿司と出会った瞬間、かき消されてしまう。何十年もかけて育まれた香りの繊細なレイヤーが、たった一口の料理で台無しになる。それは、名画の前に派手な看板を立てるようなものだ。
だから彼らは、食事を徹底的にシンプルにする。
ハードタイプのチーズなど旨味が凝縮された一片やドライフルーツ、そして無塩のナッツなど、ワインの余韻を優しく受け止める。――これらは、成城石井で揃う、調理不要の面々だ。どれも、安いものであれば300円程度で買えるだろう。
■「高いツマミ」にこだわるのは中間層
「ベル・エポック」や「クリュッグ」といった高級シャンパンの横に、銀のボウルに盛られた塩味のポテトチップス。
トリュフ味などという気取ったものではない。スーパーで150円で売っている、あのポテチだ。
一見、冗談のような組み合わせ。
しかし、これには確かな理由がある。
シャンパンの鋭い酸味と力強い泡は、ポテトチップスの塩気と油分を瞬時に洗い流し、口の中をリフレッシュさせる。キャビアも「塩気と油分」という要素は同じだが、ポテチはより軽快で、会話の邪魔をしない。立食で談笑しながらつまむには、これ以上の相棒はない。
彼らはこれを「ハイ&ロー」と呼ぶ。最高級のワイン(High)に、最も大衆的なスナック(Low)を合わせる遊びだ。
同じ論理で、ボルドー五大シャトーにはハンバーガー。樽熟成のムルソーにはポップコーン。
「高い酒には高いツマミを」――その固定観念に縛られているのは、実は中間層だ。他人の目を気にした「見栄」こそが、本当の贅沢から最も遠い場所にあるといえる。
■「編集能力」という新しい贅沢
ここには、私たちが学ぶべきヒントがある。
すべてを高級品で埋め尽くす「足し算」の美学は、バブル時代の遺物だ。
現代のラグジュアリーとは、最も価値ある一点を際立たせるために、あえて他を削ぎ落とす「編集能力」にある。
500万円のワインと、10万円の食事。5万円のシャンパンと、150円のポテトチップス。
この極端なコントラストの中に、富裕層が追い求める「本質」が隠されている。
もしあなたが次のホームパーティーで、ほんの少しだけこの流儀を取り入れたいなら、こうしてみてはどうだろう。
料理に手間をかけるのを、やめる。その分、いつもより少しだけ良いワインを選ぶ。それに合うチーズを2、3種類と、あえてのポテトチップスをスーパーで買ってくる。
その意外性とストーリーが、手のかかった料理以上の「ごちそう」になる。
思えば、本当に豊かな時間とは、テーブルの上の豪華さで決まるものではなかった。気の置けない仲間と、美味い酒を酌み交わし、とりとめのない話に興じる。その時間そのものが、かけがえのない贅沢なのだ。

500万円のワインも、150円のポテトチップスも、その真理の前では等しく「脇役」に過ぎない。主役は常に、あなたと、あなたの大切な人との間に流れる、あの満ち足りた沈黙と笑い声なのだから。
■少ないほど、豊かになる
「Less is more」――建築家ミース・ファン・デル・ローエの至言は、今や富裕層のテーブルにまで浸透した。彼らは「引き算」によって、最も伝えたいものだけを残すすべを知っている。
実はこれ、マーケティングの本質とまったく同じだ。
情報を詰め込むほど、本当に届けたいメッセージは埋もれていく。あれもこれもと足し続けるほど、受け手の心には何も残らない。
500万のワインや高級シャンパンが、「チーズやドライフルーツ、ポテチ」という「余白」によって輝きを増すように、彼らの心を動かすのは、「どれだけ盛ったか」ではなく、「何を削る勇気があったか」だ。
Less is more――少ないほど、豊かになる。
究極の提案書は、「1ページ」「1行」いや、「One word」。この感覚に近い。
家のセラーには、8度に冷えたシャンパーニュがあったな。さて、今夜はコンビニでポテチでも買って帰ろうか。

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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)

価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役

富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト

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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)
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