■敗北には必ず「理由」がある
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」。江戸後期の平戸藩主・松浦靜山の遺訓だが、むしろ名将・野村克也氏が座右の銘としたことで広く知られている。勝敗の本質を突いたその鋭い視座は、今なお多くのビジネスパーソンにとって重要な指針となっている。
勝利には運のもたらす偶然がある。だが、敗北には必ず理由があって、その結果は総じて必然だ。私たちはつい勝者の成功体験に耳を傾けたくなるが、敗者が味わった失敗体験にこそ、再現性の高い学びが多い。
東京ヤクルトスワローズ前監督の髙津臣吾さんは2025年のプロ野球セントラル・リーグを最下位で終え、静かにユニホームを脱いだ。髙津さんといえば、野村監督の下、1990年代のヤクルト黄金時代を牽引した不動のクローザーであり、恩師から「考える野球」の薫陶を誰よりも濃く受けた人物だ。そんな「野村イズム」の継承者が指揮を執りながら、なぜスワローズは最下位に沈んだのか。
名将の教えを胸に、酸いも甘いも噛み分けた髙津さんが、自らの「負け」をどう解剖するのか。恩師の言葉を補助線に、スワローズでの激闘と、その敗因に潜む教訓を語り尽くしてもらった。
■スワローズの監督として最初にやったこと
――2019年を最下位で終えたチームの再建を託されましたが、監督就任1年目の2020年は最下位でした。そこから急激にチームが立ち直り、2021-22年と連覇を果たしました。この時、髙津さんが考えていたことを振り返っていただけますか。
【髙津】監督就任直後、最初にやらなければならないと思ったのは選手たちのマインドセットを変えることでした。彼らの目や表情を見ていると、「本当に楽しんでやっているのか?」と疑問でした。
技術をどうするか、勝つためにどうするか。そういった議論の以前に、野球を楽しみながらプレーしているようには見えませんでした。まずはそこを絶対に変えたいと思いました。
幸い、監督就任2年目でセ・リーグ優勝、日本一になることができました。ですが、何か特別なことをやったわけではありません。どちらかというと、最初に抱いた「選手の意識を変える」という思いが時間をかけてチームにだんだん浸透していったという感覚です。
「負けても明るく」というわけではないですが、「負けても次また頑張ろう」という前向きな雰囲気とも言えます。
結局、就任時に僕が徹底して実行したと言えるのは、選手の意識を変革することくらいだったように思います。
■日本一になれた「ラッキー」な事情
――当時、スワローズが日本一になった要因をどのように分析しましたか。また、栄光から時間を経た今だからこそ、気づいたことはありますか?
【髙津】ピッチャーが頑張ったとか、サンタナ、オスナっていう外国人野手が入ってきて打線が元気になったとか、日本一になった要因はいくつか挙げられます。ですがそれよりも、セ・リーグ全体の実力が拮抗していて、団子状態だったことが大きかったですね。
その中で最後にパッと抜け出せたのは、2025年シーズンの阪神のような「突出して強いチーム」がいなかったからです。これがラッキーでした。つまり、リーグ優勝もあれば、4位5位になる可能性もあったということです。
――優勝を分けたのは紙一重の差だったということですね。
【髙津】監督をやっている間はもうずっと紙一重でしたね。勝ったり負けたりの連続で、どのチームが優勝しても、Bクラスになってもおかしくありませんでした。
――当時のミーティング風景をYouTubeで拝見しましたが、髙津監督が選手たちをやる気にさせようとしている姿が印象的でした。
【髙津】どうですかね。勝った時はいろんな要因があって、意外とはっきり見えません。負けた時は、「まさにこれで負けたよね!」というのがはっきり見えます。やはり勝った時というのは、メンタルや攻撃力だけでなく、守備力、走力すべてがレベルアップして、総合力が発揮された時だと思います。勝因は一つ二つではないですね。
■髙津監督に「不思議の負け」はあったのか
――負けた時の要因ははっきり見えるということですが、敗因が明確であれば、対策も講じやすいということでしょうか?
【髙津】そうですね。やるべきことは明確になります。ですが、対策を講じても、すぐに結果が出ないのが野球の難しさです。野球は年単位のスポーツなので、優勝、最下位にかかわらず、新しいシーズンが始まればまた0勝0敗に戻る。その繰り返しです。
企業の仕事であれば、毎年の実績が積み上がっていくのかもしれません。ですが、野球の場合は1年が終わると、完全にリセットされます。
だからこそ、「1年目はこんなイメージで」「2年目こうなったらいいな」「上手く行けば3年目このぐらいにはなっているだろうか」と、イメージしながら、1年1年を戦っていました。
――髙津さんといえば、現役時代に野村克也さんの薫陶を受けたことで有名です。ご自身が監督を経験された今、野村さんの「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに負過ぎの負けなし」という言葉をどう受け止めていますか?
【髙津】これはもう、そのままですね! すごく分かりやすい言葉です。
勝てば嬉しいですが、たまたま相手のミスで勝つことがあります。だからあまり振り返ることはありません。
だけど、こちらがミスをすれば間違いなく負けますし、悔しくて頭にも残ります。だからこそ、負けた時にしっかりと振り返って敗因を分析しておくことは、次の勝ちにつなげるためにも重要です。
■スワローズ低迷の原因とは
――2023~25年は厳しい結果(5位、5位、最下位)に終わりました。敗因をどう分析されていますか?
【髙津】敗因はチーム編成が上手くいかなかったことに尽きます。誰が投げて、誰が打って、誰が走って、どうやって点を取って、どうやって勝つか。そういうチームのスタイルを上手く作ることができなかった。
もうそれがすべてだったと思います。チーム編成における意思疎通は、球団フロントだけでなく、1軍、2軍の監督、コーチ間でも重要です。たとえば、1軍の選手が怪我をして、2軍からどんどん選手が吸い上げられていくと、2軍も逼迫します。
場当たり的な補充ばかりしていると、若い選手の育成プランも立てられず悪循環に陥ります。そうなると選手にも申し訳ないですね。すべてとは言いませんが、怪我人を多く出してしまったことが敗因の大半を占めていたと思います。
■阪神が圧倒的に強かったワケ
――たしかに想定外の怪我人が出ると、チーム編成に支障をきたすことは理解できます。ご苦労をお察しします。
【髙津】トレーナーからの携帯電話の着信を見るたびにドキッとしました。「あー、また何か嫌な報告だな」と思いました。特にコロナの時は酷かったですね。「今日は誰々が発熱しました」という報告です。
――悪循環に陥ると、抜け出すのは容易ではありません。そういう意味で、敗因は明確だったような気がしますね。
【髙津】プロなので、チーム力に大きな差はありません。だから、わずかに生じる差の部分をどうやって埋めるかです。そこを補えないとチーム力は下がっていきます。
戦力がずっと固定されたまま1年間戦えたら、どのチームもきっとよい戦いをすると思います。ですが、大抵の場合は怪我をした選手が2軍に下がり、誰かがその代わりに上がってきて、不調の選手が2軍に下がって……。常にそのような登録・抹消の繰り返しです。
2025年の阪神がなぜ強かったかといわれれば、主力選手の離脱が少なかったからです。打線は1番から5番まで、基本的に同じ選手が1年間試合に出続けた。それは強いですよ。
一方のスワローズは、1年を通して選手を良い状態で起用してあげることができませんでした。選手に怪我や不調が多かった原因は、私のマネジメントの失敗に尽きます。
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髙津 臣吾(たかつ・しんご)
東京ヤクルトスワローズ前監督
1968年、広島県生まれ。亜細亜大学卒業後、ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。シンカーを武器に絶対的守護神として活躍し、NPB通算286セーブ(歴代2位)を挙げる。メジャーリーグ、韓国、台湾球界でもプレーした。現役引退後は、独立リーグ・新潟アルビレックスBCの監督を経て、ヤクルトの投手コーチ、2軍監督を歴任。2020年より1軍監督に就任し、21年にはチームを20年ぶりの日本一に導く。25年に監督を退任。
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(東京ヤクルトスワローズ前監督 髙津 臣吾 インタビュー・構成=ライター・村尾信一)

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