■日中関係の悪化で訪日中国人観光客は激減
日本はインバウンド産業が経済成長のドライバーの一つになる「観光大国」となった。日本政府観光局(JNTO)の推計では、2025年に日本を訪れた外国人観光客は4200万人を突破し、過去最多となった模様だ。

観光庁の「インバウンド消費動向調査」によれば、2025年の日本のインバウンド消費(訪日外国人旅行消費額)は約9.5兆円に上るなど、日本経済を支える一大産業になりつつある。
しかし、2025年末以降の日中関係悪化が、日本の観光業に深刻な打撃を与えるとの懸念が広がっている。
高市首相の台湾有事を巡る2025年11月7日の国会答弁に中国政府は強く反発。中国はこれまでに、首相の発言撤回を要求するとともに、日本産水産物の事実上の輸入停止や日本向けの軍民両用製品の輸出規制強化といった財貿易を通じた圧力のほか、日本への渡航自粛の注意喚起や留学自粛の検討要請といった人的交流を抑制する対抗措置を実施した。
こうした措置を受け、日本を訪れる中国人観光客の数は急減している。2025年12月の訪日中国人は前年同月比▲45.3%とほぼ半数に減少した。訪日中国人観光客の消費額が日本のインバウンド消費全体に占める割合は2割以上と、国別では最大の規模を誇るため、一定の影響は避けられない。
■宿泊施設や百貨店で影響も
実際、外国人観光客に占める中国人の割合が特に高い東海地方や近畿地方の宿泊施設や、インバウンド消費への依存度が高い百貨店といった業態などを中心に、局所的には悪影響がみられる。
2025年12月の全国百貨店売上高は、前年同月比▲1.1%と5カ月ぶりにマイナスに転じた。国内売上は+0.6%と増勢を維持した一方、1割弱のシェアを占めるインバウンド(免税)売上が▲17.1%と大きく落ち込んだことが要因だ。
こうした状況は当面続きそうだ。例年2月前後の春節(旧正月)には多くの中国人観光客が日本を訪れるが、中国外務省は1月26日に改めて日本への渡航自粛の注意喚起を行っており、今年は前年比で大幅な減少が見込まれる。

■「中国人観光客が減る=観光危機」は杞憂
もっとも、日本経済や観光産業全体で見れば、影響はそれほど深刻ではない。中国からの観光客の減少分の一部は、他の地域からの流入増加で相殺可能だからだ。
実際、2025年12月には韓国やタイなど中国以外のアジア諸国からの観光客数が大きく増加したことなどから、訪日外国人観光客全体では前年同月比+3.7%とプラス圏を維持した。JTBによる訪日旅行市場トレンド予測でも、2026年の訪日外国人旅行者数は前年比▲2.8%と、過去最高を記録した2025年の4260万人からは僅かに減少するものの、2年連続で4000万人の大台に届くと見込まれている。
観光地の過度な混雑が緩和することで、日本人の国内旅行が増加することも考えられる。株式会社マーケティングセンターによる日本人の国内旅行に関するアンケート調査では、外国人観光客の増加によって「宿泊数・旅行回数を減らす」と回答した人が8%存在した。
割合としては大きくないものの、日本人の国内旅行消費規模がインバウンド消費規模を大きく上回ることを考えれば、観光業への影響は小さくないだろう。観光庁の「旅行・観光消費動向調査」によれば、2024年の日本人国内旅行消費額は25兆1536億円に上り、インバウンドの消費額を大きく上回っている。
こうしたことを踏まえれば、日中関係の悪化によって中国人観光客が減少したからといって、日本の観光産業が危機に陥るような懸念は小さいと言えよう。しかし、先行きの観光業のリスクは日中関係の悪化とは別に存在する。それは、これまでの円安トレンドが反転し、円高に振れることだ。
■真のリスクは「円安頼み」
日本のインバウンド消費は2010年台前半以降、コロナ禍を除き右肩上がりで増加してきた(図表1)。
訪日外国人観光客数が増加したことによる影響が大きいものの、一人当たりの平均消費額も、2015年の17万6000円から2025年には22万9000円へと10年間で3割以上増加している。
しかし、実は訪日外国人観光客一人当たりの消費額の伸びは「円安」と「インフレ」でほぼ説明が可能であり、実質的な一人当たりの消費は伸びていない。一人当たり消費額から国内の物価上昇の影響を取り除き、ドル円相場と並べると、両者が概ね連動していることが分かる(図表2)。
■円安で「伸びているように見える」だけ
つまり、一見順調に伸びているようにみえた一人当たり消費額は、インフレと円安で押し上げられていただけということだ。これは、観光客の自国通貨で考えたとき、一人一人の財布から出ている(実質的な)金額がほぼ増えていないことを意味する。
実際、ドル円相場が概ね1ドル150円前後での推移が定着した2023年以降、一人当たりの実質消費額はほぼ横ばいで推移している。
為替相場を予測することは容易ではないが、日米の金融政策の方向感の違いを踏まえれば、中期的にはドル円相場は緩やかな円高方向で推移することが見込まれる。金融市場は本稿執筆時点(2026年2月9日)で、2026年内に日銀による2回の利上げを織り込んでいる一方、米連邦準備理事会(FRB)については2回の利下げを織り込んでいる。両国の金利差の縮小が、今後の円高圧力となるだろう。
この場合、これまでの傾向が続けば、一人当たりのインバウンド消費額も減少傾向を辿ることになるだろう。当然、2025年末以降急速に円安が進んだように、円安トレンドが続く可能性も否定はできない。しかしそれは、裏を返せば、急激に円高方向へ振れる可能性もあるということだ。

いずれにせよ、これまで円安頼みで成長してきたインバウンド消費にとって、為替相場の変動が大きなリスク要因となることは間違いない。
■旅行者数を追い求めるのは限界
特定の国との関係悪化や為替相場の変動を乗り越え、日本のインバウンド産業が今後も持続的に成長していくためには、訪日観光客一人当たりの実質的な消費を増やす必要がある。そのためには、日本としての観光戦略を再考する必要があるのではないだろうか。
日本政府は観光立国推進基本法に基づき、2030年に訪日外国人旅行者数を6000万人、インバウンド消費額を15兆円まで拡大するという目標を掲げている。2025年の実績は旅行者数4200万人、消費額9.5兆円であるため、5年で旅行者数は40%以上、消費額は50%以上伸ばす必要がある。
しかし、6000万人という旅行者数の目標達成は容易ではない。今般の日中関係の悪化を踏まえると当面は訪日外国人の大幅な増加は期待しがたいというだけでなく、そもそも日本の観光地が持つ観光客の受け入れ能力の上限が近いとみられるためだ。
観光客の増加が観光地のキャパシティを上回ると、交通渋滞の発生やゴミ・騒音などのマナー違反などによって、地域住民の生活や自然環境に負の影響を及ぼす。オーバーツーリズムと呼ばれるこうした問題は、フランスやイタリア、スペインといった欧州の観光大国で大きな問題となっている。一部地域では、不満を抱えた住民によって、観光客に対する大規模な反対デモが行われているほどだ。
■「量」ではなく「質」を目指すべき
日本でも、京都市や富士山といった主要観光地を中心に、混雑や環境破壊の問題が深刻化しつつある。それもそのはず、実は日本における外国人の総宿泊日数は欧州で最大のスペインを上回っており、比較のために人口比で見てもフランスを上回る高水準となっている(図表3)。
一段の観光客数の増加によって、そうしたマイナス面が際立つ懸念がある。
そこで重要になるのが、一人当たりの消費額である。日本政府の2030年の目標では、外国人旅行者一人当たりの消費額は25万円と、2025年の22.9万円から1割以下の伸びにとどまっている。仮に一人当たりの消費額が30万円まで増加すれば、訪日観光客数が5000万人でもインバウンド消費額15兆円を達成可能だ。いわば、「量」から「質」への発想の転換が必要なのだ。
加えて、既に指摘したように、円安に頼らずに一人当たり消費額を伸ばすことが重要となる。そのためには、インバウンド産業の高付加価値化と富裕層の誘致拡大が欠かせない。
観光客の一人当たり消費額を伸ばすには単価の引き上げが必要だが、単に価格を引き上げただけでは需要の減少につながりかねない。景観や文化、おもてなしといった「日本でしか得られない体験」を提供することで、値上げや円高に負けない需要を生み出すこと(=高付加価値化)が求められるだろう。
■本当の「観光立国」になるために
訪日観光客に占める富裕層の割合の上昇も、一人当たり消費額を引き上げることにつながる。
JNTOの調査によると、100万円以上消費する高付加価値旅行者による2023年の消費額は、インバウンド消費全体の19.1%と2割弱を占める一方、訪日外国人観光客に占める高付加価値旅行者数の割合は2.4%に止まる。富裕層向けの施設やサービスの拡充、そしてPR活動による誘致拡大が必要だ。

日本政府としても、観光立国としての目標を「量」から「質」へと転換するべきではないだろうか。民間と一体となり、インバウンド産業の高付加価値化や富裕層の誘致拡大に取り組んでいくことを期待したい。

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高野 蒼太(たかの・そうた)

伊藤忠総研副主任研究員

2019年4月日本総合研究所入社、欧米マクロ経済調査・分析に従事。20年4月経済社会システム総合研究所にて客員研究員(兼任)。23年9月三菱UFJモルガン・スタンレー証券入社、日中欧マクロ経済調査・分析に従事。24年11月より現職。London School of Economics and Political Science(LSE)経済学修士課程修了。

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(伊藤忠総研副主任研究員 高野 蒼太)
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