リーダーに必要な資質はなにか。プロ野球、東京ヤクルトスワローズを日本一に導いた髙津臣吾前監督は「見える部分だけを見ていてはダメだ。
物事を判断する際には、都合の悪い情報が必要になる。だから私は監督室のドアを常に開けていた」という――。(第2回)(インタビュー・構成=ライター・村尾信一)
■30年たった今でも有効な「野村の教え」
――1990年代のヤクルト黄金時代、髙津さんは不動のクローザーとして活躍されました。当時、野村克也監督が提唱したデータ重視の野球は「野村ID野球」と称され、選手たちを指導する連日のミーティングも話題になりました。今も野村さんの教えはスワローズに残っているのでしょうか?
【髙津】今のスワローズは「野村ID野球」をすべて継承していると思っています。前任の小川淳司監督も、真中満監督も、もっと前の若松勉監督も、ずっと1990年代のスワローズの野球を受け継いでいます。
今は全試合の全投球がどんな変化をして、打者がどういう反応をしたかというところまですべて分かるので、そこは絶対活用しないといけないでしょうね。野村監督の頃はまだ、現在のような詳細のデータはありませんでしたが、データを深掘りして活用するという点では、かなり進んでいたと思います。
それらのデータを、しっかり自分の引き出しとして、戦っていくスタイルは、今もずっとスワローズでは続けてやっています。
■絶対失敗するから「絶対大丈夫」と言った
――髙津さんが野村さんからもっとも影響を受けたのは、どんなところですか?
【髙津】野村監督は、選手をグラウンドでは伸び伸びプレーさせてくれましたね。僕にとっては、よいパフォーマンスを発揮することに繋がりました。あれだけ、データを持って、毎日ミーティングする監督でしたし、難しいこともたくさん言われましたが、結局は選手たちのことを信頼してくれました。
僕が監督として、野村監督から、もっとも影響を受けたのはその点です。
――選手に掛ける言葉選びは重要ですね。
【髙津】選手によって伝え方はまったく違います。スワローズの在籍選手は18歳の新人から、球界最年長の石川(雅規、46歳)のようなベテランまで幅広い。「叱る」「褒める」といった同じことを言うにしても、違う言葉を選びます。時間、場所など、相手に伝わりやすい納得できるシチュエーションを考えていました。
結局は言葉なんですけど、言葉を選んであげるのは上司であり、野球だったら監督・コーチです。どういった言葉を掛けるか考えるのはリーダーの大事な仕事ですね。
僕の場合、選手に対しては「絶対大丈夫」という言葉を意識して使いました。現実は、絶対失敗します。ただ、「絶対大丈夫」だと思ってグラウンドに立つことが、すごく大事だと思っていました。
■監督室のドアは常に開けていた
――2軍降格など、配置転換を言い渡す時は神経を使われたのではないでしょうか?
【髙津】18歳の選手に「ちゃんと調整してこい」と言っても響きません。
ベテランに「もう1回しっかり調整しておいで」と言うのとは意味合いが違います。「もう1回、2軍で頑張ってこい」と言うのですが、打たれてすぐ監督室に呼んで伝えることもあります。カッカしている時の言葉選びは難しいものです。
ですから、最後に必ず「何かあるか?」と聞くようにしています。大体の選手は「ありません。頑張ってきます」と答えてくれますが、稀に「ちょっと1ついいですか?」と言う選手がいます。きっと思い詰めて、ずっと聞きたいと思っていたことがここで出たんでしょう。
そんな時はもちろん丁寧に話をしますが、だからこそ普段から、僕に話し掛けて欲しいと思っています。監督室のドアは常に開けていました。とはいえ、選手が入りにくいことも承知しています。
だから2月1日のキャンプインで必ず言うのは、たとえば「お腹が痛いです」と言いづらかったらまず先輩やコーチに言いなさいと。選手の体調不良を知った先輩やコーチは必ず僕に言ってきます。
だから、自分の中だけに溜めるのだけやめてくれと。
■人生を変えた野村監督からのひと言
――選手が不満を溜め込まず、円滑な意思疎通ができるチームを意識されていたことが分かりました。当時の野村さんはどうでしたか? 野村さんとのかかわりで印象に残っていることがあれば教えてください。
【髙津】それが、あまりなくて……。実は野球の話はほとんどしませんでした。
僕は2回ぐらいしか食事をご一緒したことがありません。野村監督自身、選手と食事に行くことはほぼなかったのではないでしょうか。
日常会話で、僕が「いい時計してますね」と言うと、「そうだろっ」と外して見せてくれたり、「いいネクタイですね」と言うと、「ベルサーチや」と答える。そんな人でした。
僕は野球以外のことを普通に話せるタイプだったので、野村監督とはそんな会話が多かったですね。野球で怒られたことも褒められたこともない僕でしたが、たった一度だけ野村監督から「要求」をされたことがあります。
あれは僕が2年目のシーズンを日本シリーズ敗退で終え、秋季キャンプに臨んでいたときのことです。
潮崎哲也(西武ライオンズ)のシンカーを打てなくて負けたことが、野村監督は余程悔しかったのでしょう。たまたま同じような投げ方をしていた僕を捕まえて、「おまえもシンカーを覚えろ!」と言われました。
それから、もう付きっきりでいろいろ、「もっとこうだ、ああだ」というふうにガーッと教わりました。
結果的に、秋季キャンプで習得した緩急自在のシンカーは「投手・髙津臣吾」の代名詞になりました。野村監督の猛特訓がなかったら抑え投手にもなっていませんし、おそらくその後のキャリアもなかったでしょう。きっとここにも座っていません。あの時の「シンカーを覚えろ!」という言葉がすべてでした。
■バットよりペンを持つ方が大事な時もある
――ありがとうございます。「監督哲学」については野村さんからなにか教わっていたのですか。
【髙津】実は監督論は教わっていません。僕が監督になって教えてもらいたいと思った時には、もう野村監督は亡くなっていましたから……。「こういう場合、どうすればよいですか?」「僕の采配はどうですか?」みたいなことをぜひ聞いてみたかったですね。

――野村監督のミーティングでは、ケーススタディを通じて、さまざまなことを随分考えさせられたそうですね。
【髙津】ゲームの局面ひとつ一つに対して「なぜこうなるのか?」「なぜその時そんなふうに考えたのか?」を繰り返し考えさせられました。体で覚えるのがスポーツですが、時に座って勉強することも、大事だと教えられたのです。
ボールを少しでも速く投げられるようになることや変化球を投げられるようになるといった技術は、理論を学んだ方が習得は早くなります。今はさまざまな練習器具やパーソナルトレーナーがいて、練習メニューも進化しています。
ノートにペンで書く暇があったら、少しでもバットを振った方がよいと考える人がまだまだ多いのも現実です。ですが「考える」という意味において、座学のほうが有効な場面はたくさんあると思います。
■「努力の方向性」を間違えてはダメ
――髙津さんも、監督として座学のミーティングはやっていたのですか?
【髙津】「このピッチャーに対してどう攻略するか?」「このバッターに対してはどう攻めるか?」を選手たちに考えてもらうミーティングはよくやりました。
野村監督はミーティングで「人生とは?」「組織とは?」をシーズン中もずっとやっていましたが、僕の場合、さすがにそこまではできません。
僕がやったことで言うと、「どうやったらストライクが入るか」を紙に書いて配布しました。ミーティングではそれを読み合わせしましたね。
そんなことをテーマを変えながら5~6回やりました。
最終的に伝えたかったのは、「ピッチャーにとってコントロールはどれほど大事か」ということです。
150キロ投げるよりも、100キロでコースいっぱいに投げたほうが打ちづらい。そのことを理解してもらいました。そんなこと言っても、選手にはなかなか分かってもらえないのですが、「努力の方向を間違えてはだめですよ」ということを伝えたくて。
――野村監督のミーティングが、髙津さんにも受け継がれていたのですね。
【髙津】そうです。当時、書き溜めた「野村ノート」を何度も読み返しながら、活用しました。「あの時、野村監督はこう言ったな」と……。すごく役立っていますね。
■池山さんには申し訳ない
――今季からスワローズで指揮を執るのは、ヤクルト黄金時代の同志である池山隆寛さんですね。髙津さんが1軍監督を務めていた時の2軍監督でもあります。
【髙津】現役時代、池山さんにはずっとショートを守ってもらった印象がすごく強いですね。宮本慎也がショートに入ってきてからは三塁手に転向しましたが、僕は池山さんがショートにいた印象のほうが強いですね。
今回池山さんにしんどいバトンを渡してしまったのは申し訳ないと思っています。まあ、監督が代わる時は、だいたいそういうものですね。
池山さんが思い描く、新しいスワローズをつくり上げてほしいです。なかなか簡単ではないかもしれませんが、池山さんもあの野村監督の難しい野球をずっとやられてきた精神的な強さがあります。同じスワローズOBとして、期待しています。
■リーダーは「悪い情報」を集めろ
――髙津さんの監督生活は、良い時、悪い時を含めて、浮き沈みの激しい6年間だったとお見受けします。それを踏まえて、あらためてお聞きします。変化の激しい時代、リーダーに必要な条件とは何でしょうか?
【髙津】リーダーは見える部分だけを見ていては駄目だと思います。やっぱり背後も気にしないといけません。たとえば、部下が10人いたとしても、気を配るべき人数はそれだけではありません。部下が契約の話をしてきたら取引先のことを理解しないといけませんし、家庭状況などの身上も把握しておくべきでしょう。
どれだけの人が自分たちのために動いてくれているのか。どれだけの組織や外部企業が協力してくれているのか。ビジネスの詳しいことは分かりませんが、自分の持ち場以外に想いをめぐらせることは大事だと思います。
自分の背後で何が起こっているのかはよくわかりませんから、リーダーはただ報告を待つのではなく、振り返って「今、どうなってんの?」と目を向けることが重要です。
目を向けると嫌な情報ばかり入って来ますけどね(笑)。よい情報は放っておいても、どんどん入ってきます。ですが悪い情報は目を向けないと入って来ない。そういう悪い情報も取り入れながら、総合的に判断することがリーダーには必要だと思います。

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髙津 臣吾(たかつ・しんご)

東京ヤクルトスワローズ前監督

1968年、広島県生まれ。亜細亜大学卒業後、ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。シンカーを武器に絶対的守護神として活躍し、NPB通算286セーブ(歴代2位)を挙げる。メジャーリーグ、韓国、台湾球界でもプレーした。現役引退後は、独立リーグ・新潟アルビレックスBCの監督を経て、ヤクルトの投手コーチ、2軍監督を歴任。2020年より1軍監督に就任し、21年にはチームを20年ぶりの日本一に導く。25年に監督を退任。

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(東京ヤクルトスワローズ前監督 髙津 臣吾 インタビュー・構成=ライター・村尾信一)
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