■理論だけでは勝負に勝てない
野球世界一を決める大会「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」。日本が14年ぶりの優勝を決めた2023年大会を、いまだに昨日のことのように覚えている読者は多いのではないだろうか。
野球日本代表・侍ジャパンの投手コーチとして同大会に参加していた吉井理人さんは、決勝の地アメリカから帰国するや否や千葉ロッテマリーンズ新監督としてチームに合流し、慌ただしくプロ野球開幕戦を迎えた。それから3年間にわたってマリーンズの指揮を取った吉井さんは、2025年のシーズン最終戦をもって監督を退任した。通算成績は2位、3位、6位。怒涛の3年間だったことを物語る結果だ。
吉井さんの球歴はユニークだ。現役時代は名投手で知られ、近鉄バファローズ、ヤクルトスワローズでリーグ優勝を経験。投手コーチ時代も日本ハムファイターズ、ソフトバンクホークスで優勝している。そこにMLB選手時代やWBC投手コーチ、さらには筑波大学大学院でコーチングを学んだ経験が加わることで、球界きっての理論派となった。
稀代の理論派は、優れた球歴に似つかわしくない最下位という現実をどう分析するのか。
■栗山監督の背中から学んだこと
――3年間の監督生活を振り返って、今の率直な心境を聞かせてください。
【吉井】それぞれの年に色があって、楽しい3年間でした。苦しかったとは思っていません。負ける時もありますが、その中で、よいところもたくさんありました。
――それぞれの色が知りたいので、順に3年間を振り返っていきましょう。まず、初年度の2023年。あの時はWBCもあって慌ただしかったですね。
【吉井】2022年10月に監督の就任要請を受けたのですが、これが突然のことで驚きました。本来、監督になるような人たちはもっと早くから準備をしているものです。もちろん、プロ野球人ですから決断に迷いはありませんでしたが、マネジメントの基礎を何も知らずに、監督が始まってしまったという感覚でしたね。
2021年12月から侍ジャパンの投手コーチも務めていたので、WBCが閉幕するまでの6カ月間は2つの役職を兼務することになりました。
――栗山監督を観察して、どんなことが得られたのですか?
【吉井】一番はやっぱり、どうやって選手を輝かすかです。栗山さんはそこをしっかり考える監督だったので、こういうことをやっていく必要があるんだな、と思いました。
試合の戦術や戦略を選手たちに納得させるには、その根拠として、筋を一本通しておく必要があります。その上で選手たちとしっかりコミュニケーションを取る重要性が理解できました。
■絶好調の選手を使わなかったワケ
――マリーンズは2023年シーズンを2位で終え、2年ぶりにCS(クライマックスシリーズ)進出を果たしましたね。
【吉井】みんな頑張ってくれました。データも上手くハマったと思います。メンバーを固定せず対戦相手に応じて野手の打順をコロコロ変えました。投手もそうです。先発とリリーフをやり繰りしながら、なんとか1年間を乗り切ることができました。
――データ重視の野球だったのですね。
【吉井】そうです。1年目はもう8割データに頼っていたかもしれません。ただ、データ重視で打順を組む場合、前試合4安打を放った選手でも翌日のスタメンを外れることがあります。だから、選手たちとのコミュニケーションはしっかり取る必要がありました。
意図を説明しないと選手はモヤモヤして、モチベーションも上がりません。それに打順は、アナリスト、技術コーチなど、皆で話し合って決めるという形を取っていました。だから、選手だけでなく、スタッフとのコミュニケーションも重要でしたね。皆が納得できる形を探りながら、最終的には監督である私が決定しました。
■想像以上に大きかった佐々木朗希の存在
――2年目の2024年シーズンは3位でした。これも1年目と同じアプローチを継続されたのですか?
【吉井】基本的には継続しましたが、少し変化をつけました。1年目は結果を求めてデータを活用しましたが、2年目はそこに育成の要素も入れています。
――昨年ブレイクした寺地隆成選手と山本大斗選手は、2024年シーズンの後半から1軍の試合に出場していました。若手選手活躍の背景には、吉井さんの積極的な起用方針があったのですね。一方、2025年は佐々木朗希投手がドジャースに移籍したこともあり、投手陣の整備に苦労されたことかと思います。
【吉井】朗希の穴はなんとかなると思ったんですが、結局ならなかったですね。数字上は朗希の勝利数(10勝)がそのままチームの勝ち星減になってしまいました。
投手陣は種市(篤暉)の成長と外国人選手の補強で穴が埋まると思ったのですが、中堅ベテラン勢の調子が上がらず、そこに入ってくるべき若手も育てられなかった。すべてが悪循環で計算通りに行きませんでしたね。これがリーグ最下位になった最大の要因です。
やはり、投手陣の整備は重要で、試合の半分以上のイニングを投げてくれる先発が安定しないと、なかなか1シーズンを勝ち抜いていくことは難しいです。
■NPBとMLBの決定的な違い
――投手陣の整備については、どの球団も編成の問題に行き着きます。これには何か構造的な問題があるのでしょうか?
もちろん成績については監督として責任を感じています。
監督が長期的な視点で編成を考えるにはどうしても限界があります。その点MLBではフロント主導で編成を行っているので、監督が代わっても、そのチームがやろうとしていることはブレません。ゲームの戦術や戦略は監督によって変わりますが、チームの育成方針は、一貫して継承されていきます。
■ドラフト会議に出なかったソフトバンク監督
――企業でも部署の責任者が代わると同じようなことが起きます。本来は会社が一貫性を持って、誰がそこの管理職になろうとブレないものが必要です。日本のプロ野球は、監督が代わると、すべてリセットされるようなイメージがあります。
【吉井】きっとファンの皆さんからもそう見えているんじゃないですか。監督をやってみて分かりましたが、ひとりでチームのすべてを見るのは不可能です。そのための組織であり、役割分担と権限委譲です。
たとえば今年、ソフトバンクホークスの監督はドラフト会議に参加していません。
――球団フロントと監督の相互理解が必要になりますね。
【吉井】MLBでは監督を決める際に、球団が候補者を複数人選んで面接します。その人が「どんな野球をやりたいのか?」「球団が目指している野球に対してどう思うか?」を対話しながら確認していくのです。強いチームを作るためには、日本でもそうやって監督を決めたほうがよいと思います。
■「あのメンバーでよくやっているね」の声
――3年間で高揚感を味わえる瞬間はありましたか?
【吉井】やはり、藤岡(裕大)が2023年CSファーストステージの福岡ソフトバンクホークス戦で延長10回裏に放った、起死回生の3ランホームランですね。大逆転勝利につながる1発でした。
あのホームランをきっかけに藤岡自身の野球に向き合う姿勢も変わり、チームを引っ張ってくれるようになりました。
――あの時の盛り上がりはよく覚えています。結果的には、2023、2024年は、優勝にもう一歩、届きませんでした。その要因については、どう分析されていますか?
【吉井】2位、3位まで行けたとしても、もう頭ひとつ突き抜けるためには、何かが足りません。たしかに気持ちの部分もありますが、そこはもう単純に戦力だったと思います。言いづらいのですが「あのメンバーでよくやっているね」と言われていたことが現実です。
優勝するためには、侍ジャパンに入るような「Sクラス」の選手が1~2人必要です。そういう選手を育てなくてはならないと思いました。
――そうなってくると、やはり編成が重要な課題になってきますね。
【吉井】課題は多いですが、手ごたえも感じています。とくに侍ジャパンに選出された種市は、この3年間で目覚ましい成長を見せてくれました。種市には期待している分、これまで厳しいコメントを多く残してきましたが、本人も負けじと頑張ってくれて昨シーズン後半は無双の活躍でした。
マリーンズにはほかにも若くて優秀な選手が多いので、種市に続くSクラス入りを目指してほしいですね。
――投手編成の重要性はWBCでも実感しましたね。
【吉井】2023年のWBCでは、投手メンバーを決めた時点で「これは優勝できる」と思いました。アメリカなどは錚々たる打線でしたが、投手陣を比べると断然日本の方が強いと思ったんです。接戦にはなりましたが、準決勝で対戦したメキシコが最後にリードを守り切れなかったのは、リリーフの差です。
■野村監督「ちゃんと根拠を持て」
――野球において、投手陣の整備がいかに重要であるかを考えさせられますね。吉井さんは95年から97年にかけて、先発投手としてヤクルト黄金時代の一翼を担っていたことで知られています。当時の監督であった野村克也さんから受けた指導で、何か印象に残っていることはありますか?
【吉井】現役時代、野村監督の話をあまり聞いていませんでした。だからそこまで印象に残っている言葉はありません。ですが、「選手を信頼してるぞ!」という気持ちは感じ取っていました。
具体的に言えば、失敗した同じような場面でもう一回使ってくれるんです。それは選手にしてみたら、「頑張ろう!」という気持ちになります。それが一番印象に残っていますね。だから、自分が監督になって「選手がたとえ失敗しても早くチャンスをあげよう」と考えるようになりました。
――東京ヤクルトスワローズ前監督の髙津臣吾さんも「野村監督の言葉はあまり覚えていない」と言っていました。一方で、「野村ノート」は今でもよく読み返すそうです。
【吉井】私も「野村ノート」は読み返しますね。書かれているのは基本的なことばかりです。「野蛮な勇気で試合を進めるな!」とか、「ちゃんと根拠を持て。そうすればその作戦に対して勇気が持てる」とか……、そういう言葉は頭に残っています。
スコアラーの人が「それには理由があるのか! 根拠があるのか!」と怒られている姿をたびたび見掛けました。
■30年前に書いた「野村ノート」の中身
――当時の吉井さんが、野村さんの話を真面目にノートに書き写している姿はなかなか想像できません。
【吉井】書いていましたよ(笑)。野村監督はミーティングで、ホワイトボードを使いながら、いろいろなことを教えてくれました。まるで学校の先生みたいでしたね。選手はそれを一生懸命ノートに書き写すのですが、当時の私は面倒くさくて、ふざけて全部カタカナで書いたりしていました。後で読み返すと、読みづらくて困りました。真面目に書いておけばよかったと後悔しています。
結構よいことが書いてあって、助けられたものがいくつもあります。「ピッチャーの心構えはこうあるべき」とか、「コントロールのないピッチャーはピッチャーとは言わない」とか、そんなことが書いてありましたが、たしかにそうだなと思います。当時は聞き流していたものが、あらためて読み返すと、その価値の大きさに気づかされました。
■強い組織に「必ずあるもの」
――3年間、監督を務めてみて、チームを強くするために、もっとも大事なことは何だったと思われますか?
【吉井】「監督が代わってもチームがブレない」。それがもっとも大事なことではないでしょうか。
かつてはカリスマ性のある指揮官が、強烈なリーダーシップでチームを引っ張るのがよいとされていました。ですが、現代野球では監督のやるべきことが多岐にわたり、ひとりで遂行するには限界があります。そこで、システムを整備して組織づくりを進めていくことが必要になってきます。
編成も現場も、役割分担を明確にしてシステム化するのです。そのためには、たとえ監督が代わってもブレない軸が必要となります。「チームとして、筋を一本通しておく」というのは、そういう意味です。
――組織づくりの要諦に気づくことができたのは、今後のキャリアを考えるうえで大きかったですね。
【吉井】そうですね。本当は監督をやる前に、気づいて勉強できればよかったですが。そうすればもっと違った形で組織づくりの提案もできたはず。マネジメントの「マ」の字も知らずに監督になってしまいました。
ですが、課題も明確になったので、60歳にして「もっと学びたい」という意欲が湧いてきました。
現役時代に出会った多くの指導者の方々、日米での経験、指導者として選手と向き合ってきた日々。これらを自らの財産として、今後マネジメントが求められる場面で活かしていきたいと思います。
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吉井 理人(よしい・まさと)
千葉ロッテマリーンズ前監督
1965年、和歌山県生まれ。県立箕島高校卒業後、ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。ヤクルトを経てメジャーリーグへ挑戦し、日米通算121勝・62セーブを記録した。引退後は日本ハム等の投手コーチとしてダルビッシュ有や大谷翔平らを育成。2023年WBCで投手コーチとして世界一に貢献し、同年より千葉ロッテマリーンズの監督を務める。25年に監督を退任。筑波大学大学院修士(体育学)。
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(千葉ロッテマリーンズ前監督 吉井 理人 インタビュー・構成=ライター・村尾信一)

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