2025年、中国の出生数は前年より162万人減の約792万人で、過去最低となった。中国事情に詳しいジャーナリストの中島恵さんは「急激な人口減少を受けて、政府は躍起になって出産支援策に乗り出している。
しかし、1979年から36年間実施された『一人っ子政策』で人生を狂わされた国民は多く、冷ややかな声ばかりが伝わってくる」という――。
■日本より深刻な「中国の人口減少」
1月19日、中国国家統計局は2025年末の総人口が前年比339万人減の14億489万人となり、4年連続で人口が減少したことを発表した。また、25年の出生数は前年より162万人減の約792万人で、10年前(2015年)の約1655万人の半数以下となり、1949年の建国以来、過去最低となったことがわかった。
中国は人口爆発による食糧難を懸念して、1979年から36年間、人口抑制策「一人っ子政策」を実施してきた。しかし、急激に人口が減少したことにより2015年末に同政策を廃止して2人目の子どもを容認。その後、21年には3人目も容認するなど、事実上、産児制限を撤廃した。
だが、政府が方針転換しても人口減少は深刻化の一途を辿っており、少子化はとどまるところを知らない。「一人っ子政策」の廃止決定があまりにも遅すぎたのではないか、婚姻数が増えないのに出生数が増えるわけがない、などさまざまな意見があるなか、政府は現在、躍起になって出産支援策に乗り出している。
■手厚い支援策でも、国民から冷ややかな声
たとえば、3歳未満の乳幼児がいる世帯には、1人につき年間3600元(約7万9200円)の給付金を支給すること、3歳児未満を対象に、個人所得税の特別控除政策を実施し、控除額を子ども1人当たり月額1000元(約2万2000円)から2000元(約4万4000円)に引き上げること、今年1月は、これまで免税対象だった避妊具や避妊薬に13%の増値税(中国版の消費税)を課すことなどを矢継ぎ早に導入した。公的機関や一部の民間企業では、上司から部下に「いつ子どもを産むのか」といった声掛けまで行われている。
だが、国民からは歓迎するどころか、冷ややかな声ばかりが伝わってくる。「生活するのに精一杯で、結婚したり子どもを産んだりする余裕はない」「子どもを育てる費用があまりにもかかりすぎる」「もうこれ以上、政府に指図されたくない」などといったものだ。
私も報道を通じて、政府の方針転換に反感を抱く中国人の姿を見てきたが、なぜこれほどまでに支持されないのか、背景には彼らのどんな思いがあるのかと考えてきた。そんな折、私は東京都内で、中国の農村出身の女性と会う機会があった。
その女性とは昨年夏、共通の友人を通じて知り合い、壮絶な彼女の半生や、同じような境遇にある農村の人々についてまとめた文章を送ってもらったことがあったが、今回、改めて、彼女自身の体験や「一人っ子政策」の最中に2番目の子どもである彼女を産んだ母親や家庭環境などについて話を聞かせてもらった。
■農村出身女性が語る「壮絶な過去」
彼女が語る幼い頃の記憶は、「一人っ子政策」がいかに人権を無視した非道なものだったのかを物語っている。当時、農村部では似たような経験をした中国人は大勢いたはずで、そのときの辛い経験が、世代は異なるものの、今の政府の方針に対する若者の「冷ややかな目線」にもつながっているのではないかと感じている。以下、私が聞かせてもらった、実際に中国の農村部で起きた悲惨な出来事を紹介したい。
周さんは1989年、内陸部にある湖南省の農村部で生まれた。貧しい村で、両親は1966年と1964年生まれ。周さんが幼い頃、集落の人々は井戸水を使い、電気も通っていなかった。家はコメや野菜、鶏や豚を育てる農家をしていて、父親は遠方にある建設現場に出稼ぎに行っていた。
周さんは3人きょうだいの2番目。上は姉で86年生まれ、弟は91年生まれだ。
周さんのお姉さんが生まれたのは、一人っ子政策が実施されて7年目。都市、農村にかかわらず、当時の中国では、全国津々浦々に一人っ子政策を礼賛するスローガンが掲げられており、例外を除いて、2人以上の子どもを産んではいけないと政府から強い通達があった。例外とは農村部で1人目が女児だった場合、少数民族の場合、一人っ子同士の結婚の場合などだが、とくに農村部の場合は地方によって実施時期や規制の強弱が異なり、全国一律ではない。
■罰金だけでなく、家を叩き壊された
農村ではどこも働き手となる子ども、とくに跡継ぎである男児を望む伝統があり、周さんの家も同様だった。周さんの両親も2人目を望み、周さんが生まれたが、母親は発覚を恐れ、周さんを親戚の家に預けて、夫と2人で一時遠方に身を隠していた。だが、結局見つかってしまい、罰金を支払った。金額は不明だが、農民にとっては莫大な金額であり、借金をして払うしかなかった。
だが、周辺の家と同様、周さんの両親は男児を諦めきれず、3人目である周さんの弟を出産した。そのときは罰金だけでなく、地方政府の役人が家に来て、家を叩き壊すという暴挙に出た。周さんは言う。
「突然やってきて、数人で家を壊していったそうです。すべて壊したら住むところがなくなってしまうので、実際は半壊くらいだったらしいですが、あまりにもひどすぎます。
近所の家でも、家を壊されたそうです。罰金が払えない家では、女の子を里子に出すこともよくあり、実は私自身も同じ経験をしました」
■麻袋に入れられ、捨てられかけた夜
周さんの記憶では、弟が生まれたあと、2~3歳だった真冬の寒い夜、父親が周さんを麻袋に入れて、悲しそうな目で周さんをじっと見つめていた。幼かった周さんには意味がわからなかったが、本能的に危機を感じたのか、父親に向かって精一杯の笑顔を見せた。だが、両親はこれ以上育てられないと考え、周さんを村役場の入り口に置きに行った。誰かに拾ってもらって大切に育ててもらおうと思ったのだ。
両親は物陰に隠れてしばらく様子をうかがっていたが、何時間経っても誰も現れなかった。両親は娘を放置することが忍びなく、家に連れて帰ったという。その日は春節の最後の晩。中国の伝統で、一家団欒で過ごす大切な日だったので、誰も外を歩いているはずはないのだが、切羽詰まった両親はその日であることに気がつかなかった。
その後、周さんは中学を卒業し、中学1年のときに出稼ぎに行った姉が学費を出してくれてパソコンの専門学校に通い、深圳で就職。日本語学校に通いながら夜間は日本料理店で働いた。苦労の末、自考(日本の大検に相当)を受験して中国の大学に進学。
それから来日し、日本の大学院まで修了して、現在は日本で働いている。周さんの並々ならぬ努力の結果だが、周さんによると、周囲の人々の中には、「一人っ子政策」に翻弄され、人生を台なしにされた人が大勢いた。周さんの親戚の子どもは里子に出され、養父母に大切に育てられたが、もともとの家族はバラバラになってしまった。
■無戸籍児、誘拐、強制中絶が横行
私の知人の別の中国人女性も、農村出身で2番目の子として生まれ、両親は罰金を支払うことができなかったため、戸籍がないまま育てられた。中国でかつて大きな社会問題となった、いわゆる「黒孩子」(ヘイハイズ=無戸籍児)だ。黒孩子は「いないもの」として扱われるため、医療や教育を受けられないが、その女性の場合、地元の中学までは進学できた。しかし、戸籍がなかったので高校には進学できなかった。
また、不妊で子どもが生まれなかった夫婦や金目当ての人など、子どもを欲しがる人が多いため、誘拐ビジネスも横行した。現在も誘拐はなくなっておらず、中国では子どもを連れ去られた経験のある人が大勢いる。たった1人のわが子が事故や事件に巻き込まれて亡くなった「失独家庭」も多い。子どもを望んでも産めないばかりか、2人目を妊娠させないように、地方政府の役人により、口に猿ぐつわをされ、身動きできないように手足を縛られて、中絶手術をさせられた女性も多かった。生まれた子が女児だった場合、その子を山奥に捨てに行ったという話も、農村では枚挙にいとまがない。

ちょうど中国の出生数減少の報道があったばかりだったので、周さんに、周さんのお母さんは現状(少子化問題)をどう見ているのか、と聞いてみると、「ざまあみろ、と言っています」とのこと。政府の方針により、二度とない人生を狂わされ、悲しい目に遭った人々が中国にはごまんといる。現在のとどまるところを知らない人口減少は国民による政府への仕返しなのか。「一人っ子政策」が開始された1979年からまもなく半世紀になる。中国社会はあまりにも大きく変貌し、人々の意識は変わった。だが、政府への不信感がぬぐえないという点は変わっていない。

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中島 恵(なかじま・けい)

フリージャーナリスト

山梨県生まれ。主に中国、東アジアの社会事情、経済事情などを雑誌・ネット等に執筆。著書は『なぜ中国人は財布を持たないのか』(日経プレミアシリーズ)、『爆買い後、彼らはどこに向かうのか』(プレジデント社)、『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか』(中央公論新社)、『中国人は見ている。』『日本の「中国人」社会』(ともに、日経プレミアシリーズ)など多数。新著に『中国人のお金の使い道 彼らはどれほどお金持ちになったのか』(PHP新書)、『いま中国人は中国をこう見る』『中国人が日本を買う理由』『日本のなかの中国』(日経プレミアシリーズ)などがある。

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(フリージャーナリスト 中島 恵)
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