なぜ中国の習近平国家主席は台湾統一に向けた強硬姿勢を崩さないのか。日本経済新聞編集委員兼論説委員の田中孝幸さんは「実際に台湾侵攻に踏み切った場合、中国の経済的軍事的損失は甚大になると見込まれている。
それでも強硬な発言を続ける背景には事情がある」という――。
※本稿は、田中孝幸『世界を解き明かす地政学』(日本経済新聞出版)の一部を抜粋、加筆・再編集したものです。
■強硬姿勢を崩せない、大陸国家特有の事情
中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は最近、台湾統一に向けた強硬姿勢をみせることが増えています。新年の演説では台湾統一は「歴史の大勢であり、阻止できない」と強調しました。昨年12月末には中国軍は台湾周辺で実弾演習を実施し、統一のために武力行使を辞さない姿勢を印象づけました。11月の高市早苗首相の台湾有事を巡る発言にも強く反発し、日本への圧力を強めています。
実際に台湾侵攻に踏み切った場合、成功するかは不透明なうえ、中国の経済・軍事的な損害は甚大になると見込まれています。それでも強硬な言動を続ける背景には、ランドパワーと呼ばれる大陸国家特有の地政学的事情があります。
■「理にかなっていない」ロシアのウクライナ侵攻
地政学とは、主に地理に重点を置いて国際関係を考えることを指します。
地理は簡単に変わりません。たとえば日本も約1千万年前にユーラシア大陸から切り離されて以降、列島であり続けています。大陸国家としての中国の位置もそのころから変わっていません。

島国としての地理や気候は、そこに住む人々の行動パターンや文化を規定してきました。こうした、変わらないものをしっかり把握するのが、地政学的な思考の柱です。
一方で、地政学という言葉には「政」という文字も入っています。
これは地理とは対照的に、うつろいやすい政治的な問題を意味しています。それはリーダーたちの個人的事情に依存し、経済合理性や外部者にとっての理にかなったことを超えた動きをする世界とも言い換えられます。
たとえば、ロシアのウクライナ侵略は、近年に起こった最大の地政学的リスクとして挙げられています。大半の専門家は事前に予測できませんでした。
それは、ロシアにとって欧米の経済制裁や軍事費の拡大を招くのは明白で、経済的にはまったく理にかなっていなかったためです。
このように、地政学は、経済的な問題よりも優先される国の防衛の問題や、国内政治の問題もカバーします。変わる政治、経済の問題と変わらない地理を総合的にとらえて、外交やビジネスなどの国際舞台で使えるようにした実学と位置づけられます。
■独裁者はいつも保身におびえている
では、そうした手法でまず習近平氏の「政」の事情を分析したいと思います。彼は政治的にどんな立場で、どんな心理状態にあるのでしょうか。

まず、踏まえないといけないのは習氏は最近の前任者と異なり、平和裏の引退が難しい指導者であることです。
改革開放政策で現在の中国の豊かさをもたらした鄧小平は国家主席の任期を「2期10年まで」とし、68歳定年の慣例も定めました。そこには建国の父、毛沢東への権力の集中が文化大革命など多くの誤った政策をもたらした反省がありました。
実際、前任の胡錦濤(フー・ジンタオ)氏、その前の江沢民(ジアン・ズォーミン)氏もそれぞれ10年で後任に権力を譲り渡しています。トップであっても、共産党の最高指導部の政治局常務委員会の一員として集団指導に当たる体制が保たれていました。
ただ、習氏は12年に最高指導者の座に就くと、「反腐敗」を旗印とした政敵の徹底的な排除を始めました。18年には国家主席の任期制限を撤廃し、自身への権力の集中を加速。23年に3期目に入りました。
これは、死ぬまで最高権力を手放さない典型的な独裁者の道に踏み出したといえます。独裁者はそれになる過程で多くの敵をつくっています。権力を奪われることは死を意味し、いつも保身におびえているのが常です。普通選挙でトップを選ばず、権力の正統性を国民に納得させるのが難しい非民主的な中国のような政体ではなおさらです。

■台湾統一は「保身」のためにも魅力的
歴史をひもとくと民主的な手段によらずとも、国民の圧倒的な支持を得て終身独裁を可能にするすべはあります。それは主に①毛沢東のように建国にあたったオーナー世代の強いカリスマ②国を経済的に豊かにした実績③宗教的な権威④ナポレオンのような領土拡張など軍事的な功績、の4つです。
ただ、習氏の場合は①や③は得られないのは明白です。②の経済も足元で停滞し、過去のような高成長は望むべくもありません。江沢民氏や胡錦濤氏には建国世代で②をもたらした鄧小平に直接選ばれたという強みがありましたが、習氏にはそれもありません。
実は権力の正統性という面では、習氏は過去のトップより弱い立場にあるといえます。それだけに、④の軍事的な功績をあげる手段は自身の保身のためにも魅力的な選択肢に映るのです。
台湾統一は毛沢東ですら果たせなかった中国共産党の悲願です。実現させれば国内での権威は名実ともに圧倒的となり、保身の問題も解決します。習氏の最近の台湾問題での不合理なほどの強硬姿勢は、こうした独裁者特有の事情がわからないと理解できません。
■超大国・アメリカと対等になるための海洋進出
地理的にも、台湾の重要性は極めて大きいものがあります。地政学上、ランドパワーと呼ばれる国家が世界の覇権国になるのが難しいのは古代から変わっていません。

陸地は山や川、砂漠、海といった自然の障害で隔てられています。一方、航海技術や良い港に恵まれた島国などの「シーパワー」と呼ばれる国々にとって、海上での移動は陸上よりはるかに簡単で、世界中のどこにも戦力を展開できます。
歴史的に見ても、覇権国やそれに匹敵する地位を持とうとする国は、強力な海軍を持っていました。超大国・アメリカと対等の立場になって、欧米の内政干渉を阻むことを目指す中国が近年、海軍を強化して海洋進出を続けているのはこの一環です。
中国にとって、太平洋に海軍を進出させるにあたり、最も邪魔になるのが日本と台湾の存在です。ただ、米軍が駐留する日本を占領して道を開くのは軍事力の観点から現実的ではありません。このため、台湾の制圧を最優先するのは自然といえます。
■中国が台湾を得たら日本に起きること
中国が台湾を得れば、中国が南シナ海や東シナ海を包み込む形で引いた防衛ライン「第1列島線」内の支配力が格段に高まります。そうなれば、ここにアメリカ軍の艦船が入るのも難しくなります。
南シナ海は、水深が深いので、核兵器を搭載する原子力潜水艦が活動しやすい環境です。この一帯での支配力が高まれば、中国とアメリカの核戦力が均衡に向けて大きく近づくことになります。
韓国や日本では、駐留アメリカ軍の活動が難しくなります。
内向きの志向を強めるアメリカが、太平洋の勢力圏を二分する取引を中国と交わす可能性も否定できなくなります。その場合、グアムなどを結ぶさらに東の第2列島線に防衛ラインを後退させるかもしれません。
これは日本や韓国が中国の勢力圏に入れられる懸念が大きくなるか、独力で中国と対抗しなければならなくなることを意味します。前者なら、国の重要な政策で中国の了承が必要になるといった属国のような状態に近づきます。後者なら人口で10倍以上の核大国に対抗するために、軍事費や軍の陣容を急拡大させなければならなくなります。
■台湾有事は日本の有事といえる
沖縄県の与那国島から110キロメートルしか離れていない台湾が侵攻されれば、地理的な近さからいっても日本にとって深刻な事態になるのは明白です。それだけにとどまらず中長期的な国防の観点からも、台湾有事は日本の有事であるといえます。
戦後の日本の歴代の首相や外務省幹部も、台湾有事は日本の有事につながるという認識を持ってきました。1972年の日中国交正常化時から、台湾問題では日本は中国と異なる立場を示してきました。
ただ、中国の脅威が現在よりも大きくなかったことや日中戦争での負い目もあり、台湾問題で中国を刺激する発信を避けてきた経緯があります。11月の高市首相の台湾問題での国会答弁は不用意だったとの批判も出ました。
実際、外務省の事務当局にとっても唐突な答弁だったようです。
一方で、中国との立場の違いや安全保障上の脅威を直視しない過去のスタンスが適切でなくなっているのは間違いありません。

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田中 孝幸(たなか・たかゆき)

日本経済新聞 編集委員兼論説委員

1998年日本経済新聞社入社。政治部、経済部、国際部を経てモスクワ支局員、ウィーン支局長など歴任。世界40カ国以上で現場取材し、政財界の要人や軍人、文化人などと広い人脈を築いた。大学時代にボスニア内戦を現地で研究。ロシアが侵略中のウクライナでは現地から戦争の実態を報道し、2025年11月にロシア政府から同国への入国禁止の制裁対象に指定された。大のネコ好き。40代で泳げるようになった。著書『13歳からの地政学 カイゾクとの地球儀航海』(東洋経済新報社)は26万部を突破し、読者が選ぶビジネス書グランプリ2023・リベラルアーツ部門賞など受賞。

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(日本経済新聞 編集委員兼論説委員 田中 孝幸)
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