茨城県土浦市(旧新治村)にある「新治ショッピングセンターさん・あぴお」は、地元商店街の協同組合が中心となって1993年に開業した大型商業施設だ。村の買い物客をつなぎとめる“切り札”として期待を集めたが、現在は大半が閉鎖され、営業はわずか数店舗にとどまる。
なぜ地元主導の商業施設は衰退したのか。その背景にある構造的な要因を、ライターの坪川うたさんが探る――。(後編/全2回)
■大部分が立ち入り禁止、空き区画は放置
「ショッピングセンター」というと、スーパーの大きな直営売り場があり、チェーンの専門店が並んでいる。そんな光景を想像する方が多いのではないだろうか。
だがかつて、チェーン店ではなく地元の商店が軒を連ねるショッピングセンターが数多く建てられた。地元主導型ショッピングセンター(以下、地元主導型SC)と呼ばれるものだ。
茨城県土浦市に存在し、廃墟化している新治ショッピングセンターさん・あぴお(以下、さん・あぴお)もその一つである。本連載における「廃墟化」あるいは「廃墟モール」の定義は下記のものだ。
開くことのないシャッター。むき出しのまま、ガランとした空き区画。撤退したテナントに散乱する備品。買い物や食事を楽しむ人が少なく、ショッピングモールとしての賑わいが感じられない。

さん・あぴおは専門店街が閉鎖され、館内の大部分が立ち入り禁止となっている。施設の外側からも、空き区画や放置されたままの備品が確認できる。営業を続けているスーパーや100円ショップも買い物客はまばらだ。
そうした状況にあるさん・あぴおが完成したのは1993年。まだ土浦市と合併しておらず、新治村という村だった地域に建てられた。
当時の新治村の人口は約9500人。村には筑波鉄道筑波線が通っていたが、利用者が少ないため1987年に廃止された。1997年に東筑新治工業団地が分譲を開始して徐々に工場が増えていったが、それまでは田畑が広がる農村地帯であった。
■ジャスコが入った大型施設の客を取られる
新治村の周囲には、土浦市(合併前)、水戸市、そして都市開発が進んでいたつくば市がある。1985年には筑波学園都市で「国際科学技術博覧会」が行われたこともあり、開催に合わせて茨城県の主要都市で大型施設の開発が進んだ。
1986年6月24日付の日本経済新聞によれば、「土浦市と筑波研究学園都市に挟まれた新治村は講買力の流出割合が70%前後とされていたが、昨年半ばの最新調査では80%以上とさらに高まっている」という危機的な状況にあったのだ。
当時、新治村も含めた土浦周辺の消費者を虜にしていたのが、1985年に営業開始したつくば市にあるショッピングセンター「クレオ」だった。

1988年1月13日付の日経新聞には「西武百貨店、スーパーのジャスコと30の専門店が入居、都会的センスで人気を集め、年間売り上げは約250億円規模になっている。『車での買い物は、つくば市の方が便利』と土浦市内の住民も、つくば市側へ流出するほど」と大型商標施設による消費流出の影響が報じられている。
そんな小さな村の消費流出を食い止めようとした地元商店主たちの協同組合が開発したのが、さん・あぴおである。土浦北インターチェンジの近くに建設され、核店舗のスーパー長崎屋と約40店舗の地元専門店が出店した。
■全国の商店主が奮闘していた
さん・あぴおと同じような地元主導型SCは、1970年頃からつくられ始めた。その多くは、地元への大型チェーン店の進出や、他地域への買い物客の流出を危惧したことから計画されたものだった。
大手スーパーや不動産デベロッパーなどによる計画的なショッピングセンターが出現し、自然発生的な商店街に脅威を与えていたのだ。ショッピングセンターの建設に強く反対する商店主もいたが、消費者はより効率的に買い物ができる大型店を求めていたのも事実であった。
地元主導型SCは地元商店だけで構成するケースもあったものの、多くは核店舗として大手スーパーが誘致された。大手スーパーにとっても、地元商店主とタッグを組む地元主導型SCは好都合であった。当時は大規模小売店法の抑制により、単独での出店が厳しくなっていたからだ。
地元主導型SCは、消費者のニーズ、地元商店の期待、大手スーパーの都合が重なり、さらに高度化資金という国の融資も利用できる仕組みだった。
1970年頃~1990年代にかけて盛んに建設され、全国各地で数百施設に及んだ。
だが、地元商店主らは単独の店舗経営の経験は豊富でも、ショッピングセンターの統一的な運営やテナント構成のノウハウはない。そのため、苦戦する地元主導型SCが散見された。
1977年2月の時点で、日本ショッピングセンター協会の発行する雑誌では「一部のケースを除いては、地元側がSCに対して基本的な考え方もマスタープランも持っていない」「形だけはSCのかっこうをしているんだけれども、機能的にSCとしての機能を全然果たしていない」と指摘されている。(『ショッピングセンター』1977年2月 P.32~33)
■日本で初めて“村”にできた地元主導型SCは成功
現在、地元主導型SCはすでに閉店しているか、営業中でも老朽化や衰退が否めない施設が多くなっている。その一例が、1978年に建てられた東金ショッピングセンター サンピアだ。
「東金ショッピングセンター サンピア」は千葉県東金市にあり、周辺に強力な競合がないことから地域一番店として存続している。買い物客の姿は見られるが、外壁が老朽化しており、館内にはぽつぽつと空き区画がある状態になっている。
一方、リニューアルを重ねて繁盛している地元主導型SCも存在する。代表例が、岩手県北上市にある江釣子ショッピングセンター パル(以下、パル)だ。
パルはさん・あぴおと同じく、江釣子村(1991年北上市に合併)という農村地帯に、地元商店主らの協同組合によってつくられた地元主導型SCである。1981年12月にオープンし、核店舗のジャスコと約50店舗の専門店が出店した。
車社会の到来による購買力の流出を危惧した若い商店主によって計画され、インターチェンジの近くに建設された。
江釣子村は当時の岩手県で最小の村で、人口は8000人ほど。パルの計画当初から、そんな小さな村で大型ショッピングセンターが成り立つのかと言われていた。
しかし、オープン後の売り上げは好調に推移。周辺都市にはジャスコやニチイ、イトーヨーカドーを核とするショッピングセンターが続々と開業したが、大々的なセールやイベントを開催して顧客を引き留めてきた。
特に隣接する北上市の中心市街地とは双方の大型店の進出にあたって訴訟を起こすなど、かつては熾烈な争いを繰り広げてきたが、現在はパルのほうが賑わいを見せている。
■2つの地元主導型SCはなにが違ったのか
パルとさん・あぴおは、いずれも村外へ流出した買い物客を呼び戻し、反対に近隣都市からも買い物客を呼び込もうと意気込んだ商店主らによって開発された。協同組合方式の地元主導型SCであること、村に立地していたこと、インターチェンジ近くに建設されたことなども共通している。
パルは新たな商圏を生む「立地創造」を実現し、競合に負けることなく、近隣の市町村から買い物客を集め続けている。一方、さん・あぴおを待ち受けていたのは、競合の進出と核店舗の閉店、それに伴うテナントの撤退という茨の道だった。
2022年11月に、専門店を運営していた新治商業協同組合が破産。現在はわずか4店舗のみで営業を続け、施設の大部分は閉鎖されている。

2つの地元主導型SCの成否を分けたのは、「核店舗の存在」が大きい。さん・あぴおは、オープンから10年足らずで核店舗の長崎屋を失った。これはさん・あぴおが直接的な原因ではなく、長崎屋の企業自体の経営が傾き、破綻したためだ。さん・あぴおにとっては、予期せぬ不運な出来事であった。
パルの核店舗ジャスコは、イオンに名前を変え、44年以上にわたり営業を続けている。強い集客力を持つ核店舗が長年にわたって鎮座していることも、パルの成功要因の一つだろう。
■「定期的なリニューアル」と「高い運営能力」で成功
加えて、「リニューアル」と「運営能力」の面でもパルとさん・あぴおの運命を分けた。
さん・あぴおは、これまで大規模な増床は行っておらず、駐車場、建物の外壁、トイレなどが著しく老朽化した状態となっている。
パルはオープンから数年おきに改装・増床を実施し、照明やトイレといった設備を更新。消費者ニーズの多様化や競合の進出に応じてテナント構成を見直し、常に施設の新鮮さを保ってきた。専門店数も約60店舗、70店舗、75店舗と増えていき、現在はイオンと約80店舗の専門店で構成されている。
さらにパルは高い「運営能力」を持っている。
もともとショッピングセンター運営ノウハウのない商店主たちの集まりでありながら、地域の人々が参加する多数のイベントを開催するなど、販促活動と地域貢献に力を入れてきた。
その取り組みが評価され、2004年には日本ショッピングセンター協会の「日本SC大賞マーケティング部門」を受賞している。2008年には同協会の「倉橋良雄賞(地域貢献特別賞)」も受賞し、パルの運営は専門家から高い評価を得ている。
■そもそも生き残るのが困難な業態だった
もちろん、さん・あぴおも手をこまねいていたわけではない。
大手チェーンの競合に対抗して水海道や結城といった近隣地域の地元主導型SCと共同で販促を実施したり、長崎屋撤退後に新たな核店舗を迎え入れたりしてきた。2010年には空き区画を活用して、複数のメーカーの商品が格安でそろう「tonyaモール」を導入した。
公式Xの投稿からは、今は閉鎖され立ち入り禁止となっている吹き抜けの広場で、「ガラポン大抽選会」や「手作りまるしぇ」「カラオケショー」「新春餅つき大会」などさまざまなイベントを開催していたことが見て取れる。イベントに多くの人々が集まっていたとわかる写真も残っている。
さん・あぴおを盛り上げようと奔走した商店主たちと、そこで楽しむ地域の人々が確かに存在したのである。
それでも、さん・あぴおは淘汰されてしまった。数々のチェーン店がそろい、強い集客力を持つ競合施設が周りにできていくなかで、地元主導型SCが勝ち続けるのは容易ではなかったのだ。
さん・あぴおの道のりは、時代の変化のなかで、そして苦しい状況のなかで、生き残りをかけて奮闘した全国の商店主たちの歴史を示している。

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坪川 うた(つぼかわ・うた)

ライター、ショッピングセンター偏愛家

熊本県出身。熊本大学卒。新卒で大型SCデベロッパーに就職。小型SCデベロッパーへの転職を経て、フリーランスに。国内外で500以上の商業施設を視察済み。宅建・FP2級。

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(ライター、ショッピングセンター偏愛家 坪川 うた)
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