※本稿は、角幡唯介『43歳頂点論』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■人間の総合力が最大に高まるのが43歳
人間の総合力を経験の力と肉体の力をかけあわせた数値として考えた場合、その力は20代から30代にかけて膨張してゆく。そして40代前半で定位に入り、40代中盤をすぎると徐々に衰えてゆき、やがて老境にむかう。
潮汐でいえば30代までは一気に潮が満ちてぐんぐん潮位が上昇してゆくが、40を境に満ち潮のうごきは落ち着き、43歳で満潮に達し、それからはじわじわ引いてゆくこととなる。
人間力が最大に高まるのが43歳である、というのが本書の(乱暴な)主張だ。
さて、その43歳という頂点に駆けあがるまでの、人の実存の膨張状況をあらためて鑑(かんが)みると、20代から30代の潮が満ちてゆく時期は、マグマのような生命エネルギーが肉体の内側から迸(ほとばし)り出て、その勢いで目の前に立ちふさがる諸問題を乗り越えてゆくというある種のトランス状態にある。いわゆる〈若さ〉というやつである。
つぎつぎになりゆくいきほひ、ということを言った昔の偉い学者がいるが、20代から30代の若者は、まさにこのつぎつぎになりゆく膨張的な勢いでもってことにあたり、しばしば実力以上の結果をのこし周囲をおどろかせたりする。
そしてその結果を養分としてまた実力をたくわえ、そしてまたことにあたり、ふたたび実力以上の120パーセントの結果をのこし……と幾何級数的な成長サイクルにのり、まさかあそこまでやるとは……と関係者を嘆息せしめる発展を見せることすらある。
そしてその成長サイクルにはいっているとき、まさにその当人は、自分の人生はいま頂点に向かって駆けあがっているのだ、と深層心理で感じとったりもしている。
■現実の20歳は経験が浅すぎる
きわめて漠然とではあるが、私には40にさしかかる前ぐらいから、人は30代にもっとも価値ある作品をのこすことができる、という奇妙な確信があった。
20歳、30歳、40歳というのは人生の区切りになる年齢である。
20歳は成人式という公的行事があることからもわかるとおり(最近は18歳に引き下げられたが)、子供から大人になる年齢として社会的に長らくみとめられてきた年齢である。同様に30歳、40歳もまた、20歳に負けず劣らず、というかそれ以上の区切りになると私個人は思っている。
ではそれぞれどういう区切りかというと、30歳はいよいよこれから人生を発展、爆発させてゆくまさにそのスタート地点としての区切りだ。
なるほど20歳は子供から大人になる区切りかもしれないが、それはあくまで社会制度がもとめた区切りであり、現実の20歳は、肉体や知能は成長してもまだ経験が浅すぎて中身は子供とさほどかわらない。
それが社会に出て何らかの職や仕事に従事して成功や失敗を経験し、あるいは職種があわずに転職したり、逆に本当にやりたいことが見つかったりなどしてゆくうちに、自分に固有の道というものが見えてくる。
■勝負は30代
要するに20代というのはまだまだ模索の時期、自分探しの時期である。日本の学校教育システムでは多くの人が高校や大学卒業時に就職時期をむかえるので、このときに人生の決定的選択を迫られるという感覚になりがちだが、実際にはそうではない。
20代のあいだはいくらでもやり直しがきく。本当に自分が求めている生き方がそこになければ会社や職種を変えればいいわけだし、それこそいきなり退職して一年間の世界放浪に出たところで全然まにあうのだ。
まにあうというのは、放浪したことで日本の会社社会に居場所がなくなっても、その経験をいかしてライターをめざしたり、インド料理人になったり、バーを開いたりと、別の道を模索する余裕が時間的にあるということである。
と考えると、20代というのは色々な経験をして選択肢を増やすことで、長い人生を面白おかしく、より有意義に生きるための土台を築く時期である。
そして20代のときに築いた土台を踏み台にして、よし、オレの人生はこれで行くぞ、と腹を決めてその道に専念し、具体的に人生を作り上げてゆくのが30代である。
だから勝負は30代だ。20代に築いた土台をもとに若さというつぎつぎになりゆく勢いの力で人生を切り開き、頂点にむけて駆けあがってゆく黄金期、それが30代である。
■「自称探検家・実質無職」に行き詰まり感
またしても自分の例で恐縮なのだが、私の場合、大学時代にだらだらと無為な時間を過ごしすぎたせいで大学卒業時の年齢は25歳、それからニューギニア探検隊に参加し、その後は土木会社でアルバイトをしながらツアンポー峡谷を単独探検するなどしてまた2年ほど根無し草生活をつづけ、27歳のときに突然一念発起して就職、新聞記者になったという経緯がある。
大学時代は絶対に就職だけはしないと類型的な人生をつっぱねていたのに、急に転向したのは、自称探検家・実質無職という現状に行き詰まり感があったからである。
とはいえ探検家の道をあきらめたわけでもなかった。なので就職したときは30歳という区切りを猛烈に意識していた。とりあえず30歳まで3年間記者をやってみて面白かったらそのままつづけて、やはり探検家のほうがいい、となれば退職してもとの生き方にもどればいい。記者か探検家か、30歳で決断する、というのがそのときの心境であった。
そして結果的に32歳のときに新聞社を退職して探検家の道を選択することになった。
■人生という作品の完成度
新聞記者というのは社内自営業者のようなもので、持ち場の範囲内なら好きなことを取材できて面白かったし、会社員の仕事としてはかなり満足度の高い職業だとは思った。
それでも退職したのは、やはり探検して生きていったほうが愉快な人生になると考えたからだし、書くことが面白くなって新聞記事の執筆だけでは飽き足らなくなったこともある。
人生はそれ自体ひとつの作品である。もしこのまま記者職をつづけても、完全をめざさず中途半端に妥協することになるわけだから、私という人生の作品はそれほど完成度の高いものにはならないだろう。
私が本当に望んでいたのは記者をつづけることではなく、探検家としてツアンポー峡谷にもう一度挑み、それを新聞記事の定型文ではなく、自分の文章でひとつの物語としてまとめることだった。
と、このようにふりかえると、私の場合は、20代のときに築いた私なりのキャリア、すなわち探検家としてのキャリアと記者としてのキャリアを経験したことで、30歳のときに探検してそれを書くという私固有の新たな道が開けたわけである。
もちろん勝算などない。新聞記事を書いていたとはいえ、フリーの物書きとしてやってゆけるほどの文章力があるのか自信はなかった。ただリスクはあれど、人生の完成度という問題を考えると、腹をくくってその道をゆくのが正しい選択なのはまちがいない。
■3年やってダメならそのときはホームレス
戦ったうえでの敗北は戦わずに敗北するより価値がある、と北方三国志で曹操も言っていたわけだし、いま決断しなければのちのち絶対後悔するのは火を見るより明らかであり、3年やってダメならそのときはホームレスだ、という覚悟であった。
実際の退職が30歳ではなく32歳になったのは、単に貯金が少なすぎてフリーでやってゆく元手がなかったからである。
人との出会いや幸運にめぐまれ、30代で私は探検家兼作家として自立することができた。プロの書き手としてやっていくための最大の条件は、書きたいこと、やりたいことが自分の内側から次々と湧いて出てくるかどうかだ。
ライティングのテクニックなど二の次、書きたいこと、やりたいことがあれば文章はおのずと脳内から溢れ出てくるものである。
やりたいことをやりつづけただけだから、煩悩(ぼんのう)の処理に追われただけだともいえる。そんなことをしているうちに、次にやってくる40歳という区切りを意識するようになった。
■人は30代で人生最高の作品をしあげることができる
では40歳をどのようにとらえていたかというと、人生最高の作品をものするリミットとしての区切りである。つまり人生最高の作品は30代の終わりにしあげることができる、いやしあげなければならないという奇妙な信念にとり憑かれていたのである。
こちらは43歳が頂点であるという持論以上にエビデンスに乏しく、はなはだ心苦しいのであるが、私のなかでは、たとえば若い頃に面白い本を書いていた作家が中年以降になると急に文章のキレがなくなるとか、おなじく20代、30代でヒット曲をがんがんうみだしていたロックバンドが突然鳴りを潜めて名前を聞かなくなる、というようなことが根拠になっていた。
無論、本や音楽の質と売れ行きは必ずしもイコールではない。年をとることで文章の切れ味をうしない本のリーダビリティーが落ちても、内容的にはむしろ深まりや味の出る書き手は少なくない、というかそれが普通だと思うし、中年となり鳴りを潜めていたロックバンドがじつは私の知らないところで活動をつづけ、年齢相応の渋い楽曲を作っていることをラジオで知った、なんてこともあった。
だから売れることと質の深さ、あるいは作品の良し悪しはイコールではないのだが、それでもやはり売れるということには年齢論的な意味があるように思う。暴論を承知のうえでいえば中年になると概して表現はつまらなくなる。
■若い頃に書いた本のほうがインパクトが大きい
私も例外ではない。読者からみて私の代表作はいつまでたってもデビュー作の『空白の五マイル』や40過ぎに出した『極夜行』だろう。
しかし、探検活動のスケールや深さ、質、あるいは文章の巧みさ、思考の深度など、そういうものがトータルでパッケージされたひとつの作品として考えると、私はいま手がけている『裸の大地』という作品のほうが上だと思っている。
そうであってほしいと願っている。そもそも昔よりよくなっていると思えなければ本なんか書けるものではない。
でも中身の深みや質と、読者にあたえるインパクトはたぶん別物で、一般的に若い頃に書いた本のほうがインパクトが大きい。そしてそれはなぜなのかと考えると答えは簡単で、作者に生き物としての勢いがあったからだ。
表現物というものは、内側からこみ上げてきて、自分で抑えようと思っても抑えきれない、そういう制御不能な得体のしれない衝動が肉体にみなぎり、溢れ出て、噴出し、それが原動力となってうみだされるものである。
ひと言でいえば内的エネルギーの湧出そのもの、つまり人の胸にとどくかどうかは内容よりパワー、というところがある。20代、30代にはこの勢いと鋭敏な感受性があるので、それがときに過剰なまでの熱さとなって、多くの人の感情をゆさぶる表現物を制作することができる。
そういう意味では自分の本のなかでは『極夜行』がそういう作品だったのだと思う。
■生涯で最大の仕事になるはずだという確信
そもそも先ほど述べたように、人は30代に最高の作品をのこすことができるという確信をもっていた私は、極夜の探検というプロジェクト自体を人生最大の探検と位置づけていた。
極地では冬になると太陽が一日中地平線の下にしずむ季節、すなわち極夜がやってくる。朝から晩まで夜の闇に閉ざされた異様な環境である。
この極夜という状況そのものを未知の対象ととらえ、これを探検し、本に著す、と考えるようになったのは随分昔の話で、いつだったのかもうあまりよくおぼえていないのだが、実際に準備・偵察活動をはじめたのが36歳の冬で、その後、さまざまな予備活動をへて40歳から41歳の冬に80日間にわたって暗黒世界を一頭の犬とともに旅したわけである。
そしてくりかえしになるが、出発前からこの探検が生涯で最大の仕事になるはずだし、そうしなければならない、なぜならこの旅が終わると自分は42歳、43歳と衰えてゆき、渋みが味の中年ロックバンドのようになり、質が高くても、熱さや勢いという点で最高の表現作品をものすることができなくなる、という切迫した焦りをかかえていたからだ。
で、実際に執筆にとりかかったときにどうだったかといえば、言葉が内側からドバドバ噴き出してきて、自分でもおさえることができないという感じであった。ある種のトランス状態のなかひたすらパソコンのキーボードを叩きつづける日々。
叩くと指先のリズムが脳に刺激を与え、それがまた言葉をうみだし、それが新たなリズムになってまた次の言葉を生産する……というつぎつぎになりゆくいきほひ的な無限サイクルのなかで文章がつづられてゆく。
■熱さと勢いが人の胸をゆさぶる
ときに表現が過剰となるが、そんなことはおかまいなしに、いやむしろその表現上の混沌こそ極夜性そのものだという考えのもと一気に書きあげた。
この書くことへの熱とスピード感、そして言葉の過剰なまでの湧出ぶり、これこそ若い肉体が特権的にもつ表現上における勢いだ。勢いこそ多くの人の胸をゆさぶり、感情を高ぶらせる力であり、作品をつくりあげるうえで、深みや円熟、巧拙(こうせつ)とは全然ちがう要素になりうるのである。
いまの自分から見ると当時の私は極地旅行家としてはまだまだ未熟で、思考の深度も浅かった。いま極夜を探検したらもっとスマートに行動できるだろうし、本の質もあがる気がするが、かりにそれをやっても『』ほど人の胸に突き刺さる作品にはならないと思う。
あのときの私は、自分の行動や世界、思考、つまり私という人間のすべてを本で表現しうると考えていたし、『極夜行』を読めば読者は私の探検をほぼ追体験できると本気で思っていた。
だがいまはそんなバカなことは思わない。『裸の大地』は『極夜行』より内容は深いと評価しているけれど、これを読んだところで犬橇単独狩猟漂泊の旅を読者は追体験できるわけがないとも思っている。
このような認識の変化にも、たぶん私自身の生き物としての勢いが落ちていることが背景にある。
■最高の作品が人生の頂上だとするならば
あとは経験がもたらす弊害もある。行為の質が大きく、深くなりすぎると、どうしても感覚的な世界に入りこみ、論理的な散文形式では表現しうる言葉が見つからなくなるのだ。
これを文章で表現するには詩か神話のような形式しかないのだろうが、自分にはその能力はない、と私はいま表現に対してどこか醒(さ)めた目をもっている。表現欲求が内的エネルギーの湧出であるなら、この冷静さは、私自身の勢いの低下とどこか関係があるにちがいない。
『極夜行』を執筆したのはおもに41歳で、出版は42歳。最高の作品が人生の頂上だとするなら、私のそれは42歳だったことになる。ほぼ43歳といってさしつかえないだろう。
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角幡 唯介(かくはた・ゆうすけ)
ノンフィクション作家 探検家
1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。同大探検部OB。2003年に朝日新聞社に入社。08年に退社。謎の峡谷・チベットのヤル・ツアンポーの未踏破地域の探検を描いた『空白の五マイル』は開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。ネパール雪男捜索隊の体験記『雪男は向こうからやって来た』は新田次郎文学賞を受賞。16~17年、太陽が昇らない冬の北極圏を80日間にわたり探検し、18年『極夜行』(文春文庫)で第1回Yahoo! ニュース 本屋大賞ノンフィクション本大賞、第45回大佛次郎賞。他著書、受賞多数。19年から犬橇での旅を開始、毎年グリーンランド北部で2カ月近くの長期狩猟漂泊行を継続している。近著に『狩りの思考法』(アサヒ・エコ・ブックス)、『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』(集英社)などがある。
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(ノンフィクション作家 探検家 角幡 唯介)

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