年齢とともに向き合う世界や価値観はどう変わるか。探検家の角幡雄介さんは「30代になる前は探検家として生きることを決め、32歳で新聞記者を辞め、人生をどう作り上げるかという難問の前に楽しみという感覚は皆無だった。
いま、50代の自分を想像したとき、楽しそうなイメージばかりがわいてくる。不安はほとんどない」という――。
※本稿は、角幡唯介『43歳頂点論』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■兄貴分にあたる極地探検家の死
シオラパルクでお世話になった一人に山崎哲秀(やまさきてつひで)さんがいた。犬橇で北極を長らく旅してきた、私にとっては兄貴分にあたる極地探検家である。
私がシオラパルクで活動するようになったのは、じつは山崎さんの助言による。当時30代後半だった私は、極夜の探検にもっともふさわしい場所を探しており、そのときに、カナダよりもグリーンランド北部のほうが犬橇や狩猟といったエスキモーの伝統文化が濃厚にのこっていて面白いよ、と薦めてくれたのが彼だった。
残念ながら山崎さんは2023年11月、シオラパルク沿岸の海氷で行方不明となった。村人の現地調査によると、海中にいたセイウチが氷の薄いところから襲撃し、海中に引きずりこんだ可能性が高いという。
この推定におそらくまちがいはあるまい。日本人には意外に思えるだろうが、セイウチという動物は非常に気性が荒く、ボートやカヤックにのる猟師に襲いかかって死に至らしめることもある。
地元の人がもっとも恐れる野生動物はシロクマではなくじつはセイウチだ。
私もカヤックの旅で2回襲撃された経験があるが、あれほど恐ろしい思いをしたことはない。
エスキモー猟師の自然や状況を読む目はたしかで、氷の状況や遺留品から推測された事故のシナリオはきわめてつよい説得力があった。
■「50代が楽しみだ」
不慮の事故で亡くなった山崎さんだが、「いや、いまから50代に何ができるのかとても楽しみですよ」と語っていたことが、つよく印象にのこっている。
あれはたしか共通の知人と3人でどこかの居酒屋で会合したときの会話で、山崎さんが48歳か49歳の頃だったと思う。
その言葉が印象にのこっているのは、当時の私にはそれが意味不明なセリフだったからである。
山崎さんと私の年齢は8歳ほどの開きがあるので、当時の私は40過ぎの頃だった。人生の膨張期の最終段階にあった私は向かうところ敵なしの心境で、やればなんでもできるという気持ちで極地に旅立っていた時代である。
当時は40代という年齢も下り坂に思えたが、50代となると、もう老人一直線というイメージしかわかず、50代が楽しみだという山崎さんの言葉がまったく理解できなかったのである。
でもそれから10年近くがたち、私自身、当時の山崎さんとおなじぐらいの年齢になってみると、彼が言っていた言葉の意味がしみじみとよくわかるのだ。
山崎さんはたぶん50代という年齢にさらなる飛躍の可能性を見出していたのではないか。
山崎さんは、村人のたまり場と化していたシオラパルクの彼の借家で、しばしば過去と未来を私に語った。
彼が探検の世界に足を踏み出したのは植村直己の生き方に感化されたからだ。
アマゾン川を筏で下り、その後シオラパルクに通いはじめ、20代は植村直己の背中を追うようにむき出しの冒険に挑戦した。
1996年3月に単独で北極点徒歩到達をめざすが敗退、またもうひとつの目標だったグリーンランド縦断はデンマーク政府の許可を得られなかったという。
■日本独自の観測基地をグリーンランドに設置
その間、シオラパルクの人々の生活を見るうちにエスキモー文化を継承したいという思いがふくらみ、30代を境に徒歩による旅行から植村直己とおなじ犬橇旅行の世界に足を踏み入れた。
また、極地で活動する研究者たちとの交流をつうじて、興味の方向性は純然たる冒険から、極地の環境調査活動へとシフトしていった。
30代後半で南極観測隊に参加したことをきっかけに民間レベルの北極観測隊の組織という構想が生まれ、犬橇で気象観測データを収集するという山崎さん独自の探検活動ができあがってゆく。
46歳で拠点をシオラパルクにもどしてからは、犬の訓練と村周辺でのデータ収集を続ける日々となり、犬橇で長期の旅に出ることは少なくなった。
冬の数カ月間は村で毎日のように顔をあわせていたのでいつも彼の話に耳を傾けていたが、年とともに純然たる冒険行動には関心が薄くなったようで、「ずっとやっていると、冒険のための冒険をつづけることができなくなるんだよ。自分にとっての目的が何か必要で、それが俺にとっては観測なんだよね。もう旅とか冒険は角ちゃんにまかせたから」と笑っていた。
20代や30代の頃のようなエネルギッシュな活動は影をひそめたが、環境調査と犬橇のハイブリッドという独自の活動から、おそらく50代になる頃、山崎さんには昔のような純粋な冒険とはことなる大きな夢が見えはじめていたのだと思う。
それは現地の人との交流の拠点となるような日本独自の観測基地をグリーンランドに設けるという夢であった。
■年齢とともに、むきあう世界や価値観が変化
山崎さんは40代前半で一度グリーンランドを離れ、活動の場所を極北カナダにうつしていた。

その間、ベースの村であるレゾリュートベイからメルヴィル島という人跡未踏に近い地の果てのような島にむかって何度も犬橇探検をくりかえし、観測拠点建設の可能性を探っていた。「これから面白いことがはじまるから、そのときは角ちゃん、よろしく頼むよ」と、いかにも嬉しそうに語る彼の姿をいまも思い出す。
人は誰しも年齢とともに、むきあう世界や価値観が変化する。生きることは成長することであり自己が変容してゆくことだ。ニーチェの権力意志ではないが、成長とは見果てぬ完成をめざして、ときとともに変わりゆく流れにのることであり、成長それ自体が生きる意味なのではないかと最近は思うようになった。
そこに完成はない。ただ変容してゆく自己があるだけだ。だから20代や30代の頃に最高だと思っていた活動が、50代になっても最高であるわけではない。
50代が楽しみだという山崎さんの言葉は、若い頃には考えられなかった新しい目標が、そしてそれまでの経験がなければ決して見えなかった最後の夢がかたちになりはじめた高揚だったのだと思う。
それは山崎さんの30年におよぶ極地活動があってはじめてこの地球上に存在化した夢であり、彼自身にとっても、若かった頃には想像もできなかった未知の扉である。力という生命原理が30年かけて自己成長をつづけたものが、彼の場合は極地観測所だった。
そんなものが見えてきたら楽しみにもなるだろう。
その山崎さんの50代前の気持ちの高鳴りがわかる年齢に、自分もなったのである。
■30歳を迎える前は人生の岐路
この年齢論をしめくくるにあたり、これから50代に足を踏み入れる現段階での心境を記して終わろうと思う。50代にさしかかろうとする私は現在どのような年齢状況にあるのか。
50代の自分を想像したとき、いまの私には楽しそうなイメージばかりがわいてくる。不安はほとんどない。山崎さんもいっていたように楽しみが90で、不安をふくめたその他が10ぐらいである。
30代になるときはどうだったか。
あのときは新聞記者の職についており、人生の岐路にたっていた。記者は好きなことを取材して執筆できるので、会社員の仕事としてはそれなりに満足度が高かったが、生き方の選択肢としてベストかといえば、そうではない。私のベストは探検家として生きることで、そのためには会社をやめなくてはならない。
100点ではないが会社にとどまり70点の人生を選ぶか、一か八かで退職して、常識的にかんがえたら沈没確実な探検家という泥船で海に漕ぎだし、100点をめざすか。つまり安泰をとるかリスクをおかすか、その選択を迫られていた。

人生をどう作り上げるかという難問の前に楽しみだなぁという感覚は皆無である。実際に退職したのは32歳だったが、ともかくあの頃は、オレは将来どうするんだという悩みと葛藤が頭の大部分をしめていた。
■30代に築かれた人生の土台
それから10年、40代にはいるときはどうだったか。
30代になるときと比べて40代はなんだかサラッと突入した印象がある。たぶんそれは30代のときほどの大きな人生の煩悶がなかったからだろう。
ホームレスになることも視野に一か八かで選択したフリー探検家の道であったが、幸運なことに執筆した書籍がノンフィクション作品として評価され、物書きとして自活できるようになった。
自分で書いたものが賞と名のつくものをいただくなど退職前は想像したこともなかったが、それをきっかけに探検家兼文筆家という特異なポジションを業界内に獲得し、好きなことを書かせてもらえる立場となった。
探検してそれを書くことを生業にできたのは文才ではなく、次から次へとテーマが湧いて止まらない性格ゆえだろう。プロの書き手に一番必要なのはテクニックではなく、書きたくて書きたくてたまらない何かが内側から込みあげてくるかどうかだ。
さらに家族もできて、30代に人生の土台が着々と築かれていった。
この土台はかなり堅牢で、そんなに簡単には崩れそうにないし、自分で崩すのも大変な労力が必要そうだ。この土台のおかげで、当時は人生最高の探検作品を制作したいという思いを具現化することに専念できた。

■楽しいというより、とり憑かれていた
それは脱システムという思想を行動に移すこと、すなわち極夜の北極を旅することである。楽しいというより、とり憑かれていた時期だったといえる。
30代、40代への突入時は楽しさというより走り抜けた感覚がつよい。しかし50代を前にしたいまは、どっしり腰を落ちつけてそれを待ち構えている感じだ。もうここまできたらどうなってもいいや、という変な開き直り感もある。

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角幡 唯介(かくはた・ゆうすけ)

ノンフィクション作家 探検家

1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。同大探検部OB。2003年に朝日新聞社に入社。08年に退社。謎の峡谷・チベットのヤル・ツアンポーの未踏破地域の探検を描いた『空白の五マイル』は開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。ネパール雪男捜索隊の体験記『雪男は向こうからやって来た』は新田次郎文学賞を受賞。16~17年、太陽が昇らない冬の北極圏を80日間にわたり探検し、18年『極夜行』(文春文庫)で第1回Yahoo! ニュース 本屋大賞ノンフィクション本大賞、第45回大佛次郎賞。他著書、受賞多数。19年から犬橇での旅を開始、毎年グリーンランド北部で2カ月近くの長期狩猟漂泊行を継続している。近著に『狩りの思考法』(アサヒ・エコ・ブックス)、『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』(集英社)などがある。

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(ノンフィクション作家 探検家 角幡 唯介)
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