■イントロ:五輪閉会式が示した「メタファー」
2026年2月22日、ヴェローナ・アリーナで行われたミラノ・コルティナ冬季オリンピック閉会式は、単なる大会の終幕ではなかった。それはイタリアの精神史を象徴するとともにイタリア語・イタリア文化の象徴として制度化されているダンテ『神曲』を深層構造に据えた、文明的ステートメントであった。閉会式は、地獄(Inferno)→煉獄(Purgatorio)→天国(Paradiso)という三部構造を明確に内包し、競争の祭典を「人類の魂の旅」として再定義する壮大なメタファーとして構成されていたのである。
閉会式の総括コンセプトは「Beauty in Action(美の躍動)」であった。極限状態において露わになる身体の動き、その緊張と解放の瞬間に宿る美を、芸術・文化・精神の次元と統合するという構想である。しかしそれは単なる身体賛歌ではない。ヴェローナ・アリーナという、かつて剣闘士が血を流した円形闘技場を舞台に、透明な衣装の歌手が『地獄篇』最終行「そして私たちは星々を再び見るために外へ出た」を歌い上げるとき、そこには明確な物語的意図があった。地獄から星へという構図は偶然ではなく、分断と苦難を通過した世界が、なお上昇可能であるという宣言であった。
■「地獄」から「煉獄」、そして「天国」へ
本大会は“パンデミック地獄”を終えた一方、戦争、地政学的対立という“暗い森”の最中に開催されたオリンピックである。ダンテが地獄から煉獄を経て天国へ至る精神の上昇を描いたように、閉会式は競争の極限を経た後の再生を象徴的に表現した。
舞台中央に登場した“山”のモニュメントはアルプスの象徴であると同時に、煉獄の山そのものであり、アクロバティックなダンサーたちはその斜面を登る魂のように舞った。
舞台デザインにおける「水の滴」というモチーフもまた、単なる自然美の演出ではない。水は氷となり雪となって競技を支え、山から海へ循環する生命の象徴であり、分断されたものを再びつなぐ媒介である。木材を基調とした舞台構成、LED照明との融合、歴史的建築と最新技術の共存は、持続可能性という技術的主張を超え、文化が再生産され続けるという思想を可視化していた。ここにあるのは、過去を否定する未来ではなく、歴史を踏まえた上昇の物語である。
■現代文明に対する「深い問いかけ」
ダンテが『神曲』をラテン語ではなくイタリア語で書いたことは、文化の民主化であり、人間中心の思想の表明であったとされている。今回の閉会式が掲げたヒューマン・セントリック(人間中心)という概念は、この精神と響き合う。競争は機械的な効率の論理ではなく、人間の身体と意志が織りなす物語として再解釈される。オリンピックは競争の祭典であるが、閉会式は和解と統合の儀式であり、地獄を経た後の煉獄的努力と、その先の調和を示す場であった。
そしてダンテは最後にこう締めくくる。「愛が太陽と他の星々を動かす」。
この閉会式は単なる文化演出ではない。それは現代文明への問いである。AIが社会を再構成し、技術覇権争いが激化し、ポピュリズムが社会を分断する時代において、私たちはなお「星々を見る」ことができるのか。地獄を直視し、煉獄を通過し、それでも上昇し続ける意志を持ち得るのか。
本稿では、このオリンピックをメタファーとして、地獄・煉獄・天国という三段構造を手がかりに、現代社会と国際政治の構造を読み解き、競争の後に残る再生の可能性を探っていく。
【ダンテ「神曲」のあらすじ】
地獄篇(Inferno)
人生の半ばで道に迷ったダンテが、地獄へと導かれ、人間の罪とその帰結を目撃する物語。
罪は各層に分けられ、欲望・暴力・裏切りへと下層に行くほど重くなる。
最後は氷に閉ざされた裏切り者の最深部を抜け、「再び星を見るために」地上へ向かう。
煉獄篇(Purgatorio)
地獄を抜けたダンテは、魂が浄化される“煉獄の山”を登る。
傲慢・嫉妬・怒りなど七つの罪を順に浄めながら、上へ上へと進む上昇の物語。
苦しみは罰ではなく、魂を軽くし天へ向かうための浄化の過程である。
天国篇(Paradiso)
浄化を終えたダンテは天界を巡り、宇宙の秩序と神の光を体験する。
天は階層ごとに徳や知恵を象徴し、すべては調和の構造に包まれている。
最後に「愛が太陽と他の星を動かす」という宇宙原理に到達する。
■第1章:閉会式におけるダンテ『神曲』の物語構造
ここまでで示したように、今回の閉会式はダンテ『神曲』の三部構造を骨格としながらも、それを単なる象徴としてではなく、演出の時間軸そのものに埋め込んでいた点に本質がある。ここでは、物語の思想的意味ではなく、舞台構造としてどのように地獄・煉獄・天国が立ち上がったのか、その設計そのものを整理する。
まず特徴的であったのは、「円」と「垂直」という二つの空間軸の使い分けである。ヴェローナ・アリーナという円形闘技場は、古代ローマ以来の競争と対決の象徴であり、水平方向の緊張関係、すなわち向き合い、ぶつかり合う構造を内包している。閉会式はこの円形空間を意図的に活用し、分断されたダンサーの配置や対峙する身体の動きによって、水平的な競争の場を強調した。ここではまだ上昇はなく、関係性は緊張の中にある。これは地獄的構図の空間的再現であり、同一平面上で衝突する存在たちの世界である。
しかし物語が進むにつれ、舞台は徐々に垂直軸を強調し始める。
■競争の裏の「苦悩」を可視化した
さらに終盤では、光の柱が空間を貫き、個々の身体が集団として再配置されることで、垂直軸は天上への象徴へと昇華する。ここで舞台はもはや闘技場ではなく、共鳴空間へと変質する。照明設計は単なる視覚効果ではなく、暗闇から光への段階的移行を通じて、物語の進行を視覚的に刻んでいた。青く冷たい光から、温かく包み込む光への変化は、地獄的孤立から天国的調和への感情曲線を支える装置であった。
また、音楽構造も三部的である。前半は緊張感を伴うリズムが支配し、中盤ではテンポと旋律が混在し、終盤では持続的なハーモニーが空間を満たす。
さらに象徴的であったのは、「透明性」というモチーフである。衣装や舞台装置に用いられた透過素材は、隠蔽ではなく可視化を示唆し、現代社会が抱える不透明性への対抗軸を提示する。神曲が魂の内面を露わにする物語であったように、閉会式もまた身体と感情を露出させる構造をとった。ここには、競争の裏にある努力や苦悩を可視化する意図が読み取れる。
■競争を超える「叙事詩」的設計
このように見ると、閉会式は単に地獄・煉獄・天国を順番に描いたのではない。空間設計、身体配置、光、音楽、素材選択のすべてを通じて、水平から垂直へ、対立から方向共有へ、緊張から共鳴へという構造転換を観客に体験させたのである。神曲は文学作品であるが、閉会式はそれを「体験装置」として再構築した。
重要なのは、この構造が競争そのものを否定していない点である。円形闘技場という空間は消えない。競争は消滅せず、その上に新たな意味が付加される。
したがって閉会式におけるダンテ的物語構造は、競争の終焉を語るのではなく、競争の再文脈化を行った。水平的対立の空間から、垂直的上昇の空間へ、そして最終的には共鳴の空間へという三段階の転換は、オリンピックを単なる勝敗の集積ではなく、上昇の叙事詩として再構築する試みであった。
■第2章:グローバルPESTを貫く「ダンテ的」構造
閉会式におけるダンテ『神曲』の三部構造は、単なる芸術演出ではなく、現在のグローバルなPEST、すなわち政治(Politics)・経済(Economy)・社会(Society)・テクノロジー(Technology)の構造を読み解くためのフレームとして機能する。地獄・煉獄・天国という物語は、いま私たちが直面している国際秩序の揺らぎと、その先に開かれ得る再生の可能性を照射している。
まず政治の次元である。現在の国際政治は、多極化と分断が同時進行する局面にある。大国間競争は激化し、ウクライナや中東をめぐる戦争は終結を見ず、インド太平洋でも緊張は持続する。民主主義はポピュリズムの波に晒され、制度的信頼は揺らいでいる。国家は安全保障を優先し、経済合理性よりも地政学的判断を前面に出すようになった。これはダンテの地獄における「自己保存と恐怖」に支配された世界に似ている。水平的対立が続き、誰もが相手を疑い、力の均衡が不安定化する構造である。
経済の次元もまた地獄的様相を帯びる。サプライチェーンは再編され、脱炭素投資とインフレ圧力が同時に進み、金融市場は不安定化している。債務の累積、資源価格の変動、通貨の分断。経済はかつての自由貿易の理想から、安全保障を織り込んだブロック化へと向かっている。だがこれは崩壊ではなく、再構成の前段階でもある。神曲における地獄が永遠の停滞であったのに対し、現代の経済はまだ動いている。そこには煉獄へ移行する可能性が内在している。
■世界の混沌は「再構築への道」
社会の次元では、分断と疲労が顕著である。SNSによる意見の二極化、世代間格差、移民問題、アイデンティティ政治。共通の物語を持てない社会は、ダンテが暗い森で迷った状態と重なる。だが閉会式が示したように、対立する身体が同じ上昇軸を共有する瞬間が存在するならば、社会は煉獄へと移行し得る。煉獄とは苦しみを伴うが、方向を持つ空間である。分断は否定されるのではなく、対話と再定義を通じて統合へ向かう契機となる。
そしてテクノロジーの次元である。AI、量子計算、バイオテクノロジー、宇宙開発。技術はかつてない速度で進化し、人間の能力を拡張する一方で、倫理と統治の課題を突きつける。AIは労働市場を再構成し、戦争の形態を変え、情報空間を塗り替えている。これは新たな地獄を生む可能性もあるが、煉獄的プロセスを経れば天国的共鳴をもたらし得る。閉会式が伝統的建築と最新LED技術を融合させたように、テクノロジーは過去を破壊するのではなく、文化と接続することで再生の装置となる。
ダンテの物語において、地獄は否定されない。そこを通過することが必要である。同様に、現在の政治・経済・社会・テクノロジーの混沌も、単なる衰退ではなく、煉獄的再構築への前段階と捉えることができる。煉獄とは努力と痛みを伴う上昇であり、制度の再設計、国際協調の再構築、持続可能な経済モデルの構築、倫理的テクノロジー統治の確立がその内容である。ここでは競争は否定されないが、方向が共有される。国家間競争はルール形成競争へ、企業間競争はイノベーションの質を問う競争へと再定義される。
■人類はなお「上昇の物語」を描ける
そして天国的段階とは何か。それは対立の消滅ではなく、共鳴の形成である。脱炭素技術の国際連携、AI倫理の共通枠組み、貿易と安全保障のバランスをとる新たな制度設計。経済は分断を経ても再び相互依存を構築し、社会は多様性を包摂し、政治は競争と協調を両立させる。『神曲』の最終行が示す「愛が太陽と他の星々を動かす」という原理は、現代においては共通利益と相互信頼の原理と読み替えられる。
閉会式は、地獄的現実を否認せず、それでも上昇の可能性を提示した。グローバルPESTの各要素は混沌を孕むが、それは終末ではなく、再編の序章である。政治は対立を経て新たな秩序を模索し、経済は再構築を通じて持続可能性を目指し、社会は分断を超えて共通物語を再生し、テクノロジーは倫理と結びつくことで人間中心の進化を遂げる。
地獄を通過しなければ星は見えない。煉獄を登らなければ光には届かない。閉会式が示したダンテ的物語構造は、現代世界に対してこう語る。混沌は避けられないが、方向を持てば上昇は可能である。競争は破壊ではなく浄化の契機となり得る。そして最後に残るのは、力の均衡ではなく、共鳴の秩序である。
希望とは現実の否定ではなく、構造の転換可能性を信じる意志である。再生とは、地獄を経た後にしか成立しない。ダンテの物語と閉会式の構造は、グローバルPESTの混沌の中にあっても、人類はなお上昇の物語を描き得るという静かな宣言とも読み取ることができるのだ。
■最終章:星を見続ける文明か、地獄に留まる文明か
ダンテは神曲において地獄という深淵を徹底的に描き切り、その構造を直視することなしに、星々が輝く至高天へは到達できないことを示した。地獄は誤りの象徴であると同時に、人間がどのように堕ちるのかを解剖した空間であった。そこには罪のメカニズムがあり、恐怖と自己保存が絡み合う構造があり、出口のない円環が描かれている。しかしダンテの物語は地獄で終わらない。地獄を通過し、煉獄を登り、天国へ至る。重要なのは、地獄が存在するかどうかではなく、地獄に留まり続けるのか、それとも通過するのかという意志である。
ミラノ・コルティナ閉会式が提示したのは、単なる祝祭のフィナーレではなかった。それは分断と混迷の極みにある現代世界に対し、「地獄を通過する覚悟」を問いかける文明的意志の表明であった。ヴェローナ・アリーナというかつての闘技場は、対立と競争の象徴である。だがその空間に垂直軸が挿入され、光が天へ伸びるとき、闘技場は共鳴空間へと変質した。水平的対立を包含したまま、上昇の方向性を示す。そこに、現代文明が取るべき態度が凝縮されていた。
■いま求められる「構造転換」とは
①構造的選択としての「地獄」と「煉獄」
現代世界は地獄的状況の側面を有している。地政学的分断は深まり、経済はブロック化し、AIは人間性の境界を揺らす。しかしこの地獄は、ダンテの地獄のように永遠の罰として固定されているわけではない。それは構造的選択の結果である。恐怖を煽る政治を選ぶのか、ルール形成の競争へ移行するのか。ゼロサム経済に固執するのか、持続可能な価値創造へ転換するのか。効率至上の技術設計を続けるのか、人間中心の設計へ軸足を移すのか。これらはすべて選択である。
重要なのは、地獄を消し去ることではない。地獄を固定化させないことである。対立は存在する。しかし対立が円環化し、自己増殖する構造に陥ったとき、文明は停滞する。煉獄とは、対立を上昇軸に再配置するプロセスである。痛みを伴うが、方向を持つ。政治においてはルール形成の競争へ、経済においては強靭性を競う構造へ、技術においては倫理を組み込む設計へ。この構造転換こそが、我々にとっての煉獄の登攀である。
■文明の「寿命」を決めるもの
②内側から生成される「天国的秩序」
閉会式の終盤、光は外部から与えられる奇跡のようにではなく、アリーナの内部から立ち上がるように演出された。これは象徴的である。再生は外部の救済者によってもたらされるのではない。我々自身の内部における構造の再設計によってのみ生成される。
ダンテが天国篇の最後で謳った「愛」とは、現代においては感傷ではない。それは共通利益、信頼、制度的協調という、文明を動かす基本原理である。愛は秩序であり、調和であり、相互依存を前提とした構造である。力の均衡だけでは秩序は維持できない。共鳴の形成が必要である。共鳴とは、相手を消すことなく、相手を前提に自らを位置づける能力である。
天国的秩序とは、対立の消失ではない。対立を内包しながら、より高次の安定へ至る状態である。AI倫理の国際枠組み、持続可能な経済協調、透明な政治制度。これらは奇跡ではなく、設計の産物である。外部から与えられる光ではなく、内部から立ち上がる光である。
③星を見続ける能力――未来への宿題
「星を見る」とは、単なる楽観ではない。それは地獄の深淵にあっても上昇の方向性を失わない文明的知性のようなものだ。競争を勝敗の集積で終わらせるのか、それとも浄化と再生の装置へと転換できるのか。問われているのは設計と設計者の意思である。
AI時代において、知能は外部化される。判断はアルゴリズムに委ねられ、効率は最大化される。しかし外部化された知能の時代において、成熟は外部から与えられない。成熟は選択である。人間が自らの限界を認識し、恐怖を直視し、対立を再配置し、信頼を再構築する決断を下すこと。それが煉獄の本質である。
星々は、未来そのものではない。方向性やまさにビジョンのようなものである。地獄を否定せず、煉獄を通過し、それでも上昇する意志を持つこと。文明の寿命を決めるのは、技術の進歩ではない。競争の量でもない。競争をどの軸に置くかという選択である。
■単なる「祝祭の終わり」ではない
④「上昇(ELEVATION)」と「循環(WATER CYCLE)」
ダンテ神曲部分の演出について、オリンピック閉会式公式見解では、「上昇(ELEVATION)」と「循環(WATER CYCLE)」を中心語彙に据えていたとしている。
公式が定義する「上昇」とは、勝敗の結果以上に「最後の一瞬まで自分を超える」という垂直方向の努力を指しており、これはまさに煉獄の山を登り、星を目指すダンテの歩みそのものである。また、氷河から海へと至る「循環」と、その脆さへの言及は、浄化を経て宇宙的調和へと還る『神曲』の円環構造と見事に響き合う。
演出側は、ダンテの引用を単なる文学的装飾として消費したのではない。公式が掲げた運動語彙に対し、『神曲』という人類普遍のナラティブを「継ぎ木」することで、スポーツの祭典を文明の再生を懸けた叙事詩へと昇華させたのである。
我々がいま必要としているのは、この「上昇」への意志と、壊れゆく世界を繋ぎ止める「循環」の智慧ではないだろうか。
結び:選択の時間は、すでに始まっている
ヴェローナ・アリーナに灯された光は、祝祭の終わりではない。それは未来への宿題の始まりである。地獄を避けるのか、地獄を通過するのか。煉獄を拒否するのか、煉獄を登るのか。その選択が、文明の軌道を決定する。
星々は消えていない。消えかけているのは、私たちの成熟である。
地獄は外部にあるのではない。上昇を拒む構造が、地獄を固定化する。
文明の寿命を決めるのは、力の大きさではない。競争の激しさでもない。
上昇を選ぶ意志なのである。
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田中 道昭(たなか・みちあき)
日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント
専門は企業・産業・技術・金融・経済・国際関係等の戦略分析。日米欧の金融機関にも長年勤務。主な著作に『GAFA×BATH』『2025年のデジタル資本主義』など。シカゴ大学MBA。テレビ東京WBSコメンテーター。テレビ朝日ワイドスクランブル月曜レギュラーコメンテーター。公正取引委員会独禁法懇話会メンバーなども兼務している。
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(日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント 田中 道昭)

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