■NHK朝ドラとは異なるハーンの英語レッスン
松野トキ(髙石あかり)とレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)が熊本に転居して4カ月ほど経った、明治25年(1892)3月のある日。ヘブンの勤務先である第五高等中学校(現・熊本大学)が閉校する、という話が持ち上がった。帝国議会で高等中学校の数を減らすことが審議され、そこで閉校する候補となり、早ければ6月いっぱいで学校がなくなってしまう、という話だった。NHK連続テレビ小説「ばけばけ」の第21週「カク、ノ、ヒト。」(2月23日~27日放送)。
トキばかりか、養父母の司之介(岡部たかし)やフミ(池脇千鶴)、それに女中のクマ(夏目透羽)や書生たちも、みなヘブンの収入で暮らしているため、ヘブンが失職したらどうすればいいのか、と不安になった。だが、幸いにも、第五高等中学校は存続することが帝国議会で決まった。
ホッと一安心である。ヘブンらは同僚教師であるロバート・ミラー(ジョー・トレメイン)の家で祝杯を挙げることになり、そこにトキも招かれた。その場で彼女は一種のカルチャーショックを受ける。家は瀟洒な洋館で、ロバートは妻のラン(蓮佛美沙子)と英語で談笑しているではないか。
ロバート夫妻に憧れをいだいたトキは、自分も英語を習得したくなった。ロバートの家から帰宅した晩には、早速、ヘブンのレッスンを受けるのだった。
以後、第22週「アタラシ、ノ、ジンセイ。」(3月2日~6日放送)でも、トキの英語学習は続くようだが、トキのモデルの小泉セツも熊本で、ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)から英語のレッスンを受け、熱心に勉強した。
■2人にとって切実な問題
「ばけばけ」では前述のように、トキが英語学習をはじめたのは明治25年3月だが、セツはその時点では、すでにかなりの勉強時間を重ねていたようだ。
長谷川洋二『八雲の妻』によれば、明治25年3月3日にハーンは、「ばけばけ」の錦織友一(吉沢亮)のモデルである西田千太郎に宛てた手紙で、セツへの英語のレッスンがすでに28回に達したことを伝え、「セツは英語に立派な進歩を示しています。彼女は、夏には大兄に少し英語で話が出来るだろうと考えているのですよ」と書いているという。
「ばけばけ」でも一時、トキはヘブンに怪談を熱心に語って聞かせた。このところ、そういう場面はないが、史実のセツは怪談や地元に伝わる伝承だけでなく、いろいろな職業の人から話を聞いたり、新聞の三面記事を細かくチェックしたりしながら、ハーンに書くための素材を提供した。
その際には、言うまでもないが、言葉による意思疎通が大切になる。それは後述するように、基本的には「ヘルンさん言葉」と呼ばれる日本語で行われたが、限界もある。英語で意思疎通できるか否かは、2人にとって切実な問題だったようだ。
■「this」は「デーシ」
とにかくセツは、英語をまったく解さなかった。だからハーンは、辞書を片手に片言の日本語で意思を伝えたが、複雑なことは伝えられない。そこで西田千太郎の助けを借りることも多かったが、熊本には西田もいない。
こうして熊本で英語を学びはじめたセツ。その努力の跡は、2冊の『英語覚え書帳』に残されている。セツはハーンが語った英語の音を聴き取り、出雲なまりが微妙に混じった日本語で表記して、意味を添えている(意味は添えていないものも多いが)。
その「なまり」がどこか味わい深い同時に、先入観なく耳で聴き取ったものであるだけに、英語の標準的なカタカナ表記よりも、こちらのほうがネイティブの発音に近いようにも思える。
実例をいくつか示してみよう。
「I have eaten plenty.」は「アエ・ハブ・エテン・プレンテ(私たくさんたべました)」。「I am not hungry.」は「アエ・アン・ナタ・ハングレ(あなた・くうふく・なえですか)」。「Will you drink?」は「オエーレ・ユー・ドリンキ(あなたお茶すきですか)」。「dish」は「デショ(総てふた物を云フ)」。「hospital」は「アスペターロ(病院)」。「this」は「デーシ(近き物)」。
■英語を途中で教えなくなったワケ
微笑ましいのは、英語のレッスンをはじめたばかりのとき、ハーンがセツに書き取らせた表現に、ひとつだけ以下のようにやや長いものが入っていることだ。「You are the sweetest little woman in the whole world」がそれで、「ユオ・アーラ・デー・スエテーシタ・レトル・オメン・エン・デー・ホーラ・ワラーダ」と読み方が添えてあるが、日本語訳は記されていない。直訳すれば「あなたは世界中で一番かわいい女性です」。ハーンのセツへの深い愛情が読みとれる。
ただし、残念ながら、セツの努力はあまり報われなかった。結局、セツは英語を習得するには至らず、英語をとおして夫婦の会話を深めることはできなかった。
こうした英語学習は熊本で途絶えたが、明治29年(1896)、神戸を経て東京に転居すると、セツはレッスンを再開することを望んだ。このころ、熊本で生まれて4歳になろうとしていた2人の長男の一雄は、ハーンから英語を教わっており、自分もまた学びたいと考えたのだ。
ところが、そのころのハーンは、この人物らしい面倒な考えをいだいていた。日本女性のしとやかさに価値を見出(みいだ)し、英語を学ぶと、その美質が損なわれると考えて、セツにレッスンすることを拒んだのである。
■2人だけに通じる「ヘルンさん言葉」
それから3年半。その間、明治30年(1897)2月に次男の巌が、同32年(1899)12月に三男の清が生まれ、清が1歳になった同34年(1901)1月ごろからようやく、セツの願いは一部が叶えられた。ハーンが書き与えた英文を、セツが繰り返し書いたノートが残っているのだ。ただし、それを見るかぎり、会話ではなく筆記の練習なので、会話のレッスンはなかったのかもしれない。また、熊本時代からの進歩のあとはあまり見られず、セツの英語力が停滞したままだったことが伝わる。
というわけで、セツとハーンの意思疎通は、最後まで主として「ヘルンさん言葉」で行われた。ハーンは日本語を系統立てて学ばなかったが、単語や慣用句を覚え、「てにをは」といった助詞は付けず、動詞や形容詞は活用させず、語順も一部が英語風の、主語のすぐあとに動詞を置くという独特の日本語を繰った。そしてセツも、この言葉に合わせた。
ハーンの死後、エリザベス・ビスランド(シャーロット・ケイト・フォックスが演じたイライザ・ベルズランドのモデル)がまとめた『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡』に、セツの以下の言葉が収録されている。
「私ども二人だけの日本語の方は、必要に迫られて大きな進歩を見せました。
■世界で2人だけの言語
こうして「私ども二人だけの日本語」、すなわち「ヘルンさん言葉」が、夫婦にとって唯一のコミュニケーションツールとなった。それは2人が交わした手紙に確認することができる。とくに明治30年(1902)から毎夏、子どもたちを連れて静岡県の焼津で過ごしたハーンは、東京に残ったセツと手紙で近況を伝え合った。
明治37年(1904)8月10日、ハーンはセツにこんな書き出しの手紙を送った。「小ママサン スタシオン(駅) ニ タクサン マツノ トキ アリマシタナイ。ソノ ヨナ コドモニ ICE CREAM ヤル ムツカシイ デシタ」(焼津小泉八雲記念館所蔵)。「アリマシタナイ」は「ありませんでした」という意味で、典型的な「ヘブンさん言葉」だといえる。
セツは、8月12日付の手紙でこう答えている。「グド、パパサマ、アナタ、ノ、カワイ、テガミ、3トキ、ワタシノテニ、アリマシタ。ヨロコビデ、ワライマシタト、セップン、シマシタ、ヤイズノ、テイボウ、ノ、エ、オモシロイデス子ー。ヨキテンキデ、テンノイロキレイデス子ー。
「子ー」は「ネー」と読む。いずれにせよ、見事に「ヘブンさん言葉」が「習得」されているのがわかる。この言葉でセツは、ハーンの執筆のアシスタントも務めたのである。
----------
香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
----------
(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
