■「試食コーナーの前」の行動で分かれる
「アスパラのベーコン巻き、いかがですか?」
マネキンの明るい声に誘われ、一般の主婦は立ち止まる。
一口食べた瞬間、頭の中で高速計算が始まる。「美味しい。でも今日の献立は決めてたはず。いや、明日のお弁当に入れればいいか」
――こうして、予定外のアスパラとベーコンが両方、カゴに収まる。店側の完全勝利である。
一方、富裕層はそもそも試食コーナーに立ち寄らない。いや、正確に言えば「立ち寄る時間的余裕を持たない」のだ。
彼らの買い物は極めて効率的で、目的の商品だけを手に取り、レジへ一直線。
この午前10時の試食コーナー前の光景には、階級間の思考様式の違いが凝縮されている。
庶民は「今、目の前にある機会」に反応する。富裕層は「事前に決めた計画」を淡々と実行する。スーパーという民主的空間において、この差は驚くほど鮮明に浮かび上がる。
■試食販売が最も効果を発揮する“時間帯”
日本のスーパーマーケットの客層は、時間帯によって劇的に変化する。
午前中に来店する主婦のうち、夕食の献立を決めている人は6割程度(コロナ前は3割程度であったが家食が定着し増加)。だからこそ、前述の試食販売が威力を発揮する。店側の戦略にまんまとハマり、客単価は上昇していく。
夕方になると状況は一変する。
献立を決めて来店する主婦の比率が増え、買い物同線はより計画的になる。
そして午後7時を過ぎると、共働き世帯の時間に追われた人々が押し寄せ、惣菜コーナーは戦場と化す。「簡単に作れるもの」「すぐ食べられるもの」が飛ぶように売れる。
■お金持ちが「値引き品」を買わない理由
しかし、時間帯を問わず一定数存在するのが、「値引きシールハンター」である。
彼らの目は賞味期限間近の商品を見逃さない。30%オフ、50%オフのシールを見つけた時の勝利感は、ささやかながら確かな喜びだ。
ポイント還元率を暗記し、生鮮食品はスーパー、飲料、日用品はドラッグストア、雑貨は100均と使い分け、時にドンキホーテやカテゴリーキラーの店まで顔をだす。更にボリュームディスカウント品は、コストコやハナマサのような業務用スーパーのチェックを怠らない。この徹底ぶりは、ある意味で「買い物上手」と認めざるを得ない。
だが、富裕層の辞書に「値引きシール」という単語は存在しない。
彼らが見ているのは価格ではなく、品質と鮮度だ。賞味期限が近い商品を避けるのは当然として、むしろ「なぜこの商品は安いのか」と警戒すらする。
安さは品質への疑念のシグナルなのである。
■「買い物の目的」が根本的に違う
庶民と富裕層の買い物は、そもそも「目的」から違う。
庶民にとって、スーパーでの買い物は「いかに安く、必要なものを揃えるか」というミッションである。限られた予算の中でやりくりする、一種のゲームでもある。特売品を見つけた時の達成感、ポイント10倍デーを狙い撃ちした時の高揚感。これらは決して馬鹿にできない心理的報酬だ。
だが、富裕層にとって買い物は「時間をいかに節約するか」がテーマとなる。スーパーで30円安い納豆を探すために5分を費やすなど、時給換算すれば完全な赤字である。その5分で本を読むか、仕事のアイデアを練るか、あるいは家族と過ごす方がよほど価値がある。
そのようなわけで、そもそも富裕層の多くは、日常のスーパーには足を運ばない。お手伝いさんや専属の料理人が冷蔵庫を管理し、必要なものは彼らが調達してくれる。買い物という行為自体が、とうの昔にアウトソーシングされているのだ。
しかし――例外がある。
■富裕層男性の買い回り“2時間”の中身
海外から旧知の友人が来日するとき。大切な人との記念日に、自宅で特別なディナーを振る舞いたいとき。そんな「ハレの日」のために、富裕層は運転手を店の前に待たせ、自ら買い物に出動する。
時間を何より惜しむはずの彼らが、なぜか惜しみなく時間をかけて、専門店を巡るのである。
これは矛盾ではない。
彼らは「無駄な時間」と「意味のある時間」を明確に峻別している。値引きシールを探す5分は無価値だが、最高の食材を選び、専門家の知見を得る2時間は、人生の質を高める投資なのだ。
自宅でディナーを振る舞うと決めた、ある男性の朝を見てみよう。
午前10時、広尾の自宅から運転手付きの車で「ナショナル麻布」へ。(世界各国の食材が所狭しと並ぶ。60年以上の歴史を持ち、日本に住む大使館員や外国人ビジネスマン御用達のスーパーだ)
ここで、イタリア産トリュフオイルとゲランドの塩を購入。
午前10時30分、麻布台ヒルズマーケットの「日山WAGYU」(110年の目利きが宿る精肉店。長年、東京の飲食店、食卓を支えてきた)へ向かい、事前に予約しておいたシャトーブリアンを受け取る。
店主と調理法について5分ほど会話。「この肉はちょうど今夜が食べ頃ですよ」というアドバイスを受け、隣の山幸でも予約済の天然本マグロ入り手巻き寿司セットもピックアップ。
午前11時20分、「明治屋広尾ストアー」へ。ソムリエと相談し、ブルゴーニュのこなれたエマヌュエル・ルジェのニュイサンジョルジュとドメーヌ・ルフレーヴ シュヴァリエ・モンラッシェを選び、トリュフ入りブリーチーズとモンドールも一緒に購入。滞在時間は15分だ。
帰宅と同じタイミングで長野県の契約農家から朝採れ野菜たちも到着。
合計移動時間、約2時間。
この2時間は「買い物の時間」ではない。最高の食材を選び、専門家の知見を得、大切な人との記憶に残る夜を創るための「投資の時間」なのだ。
■時間をかけるもの、かけないもの
ここに、富裕層の買い物哲学の核心がある。
彼らは「どこで何を買うか」の明確なマップを持っている。肉なら日山WAGYUか、SNSで「食べると不幸になる」とまで評されるナニワヤのローストビーフ。
インターナショナル食材ならナショナル麻布。
輸入調味料とワインなら明治屋。
一つの店で全てを済ませるのは「妥協」だ。最高の専門店を知り尽くし、カテゴリーごとに使い分ける――これこそが、彼らにとっての「究極の効率化」なのだ。
そして何より、専門店の店主との関係性がある。
顔を覚えてもらい、「○○さん用に取り置きしておきました」と言われる。熟成のタイミング、調理法のコツ、今日入荷したばかりの逸品の情報。こうした「信頼関係が生む特別な体験」は、どんな高級スーパーの会員カードでも買えない。
時給という発想は、ここでは意味をなさない。
家族やゲストとの「記憶に残る体験」を創る時間は、金銭では測れない価値を持つ。「最高のものを知っている」という自負は、静かに人生を豊かにする。
値引きシールを探す5分と、シャトーブリアンの熟成タイミングを店主と語らう15分。どちらが「意味のある時間」か――その答えが、富裕層と庶民を分かつ「見えない分水嶺」なのかもしれない。
■買い物かごに見える人生観
買い物に見える価格観の違いは、人生観の違いそのものだ。
庶民は「節約は美徳」と信じる。富裕層は「時間こそ最大の資産」と考える。どちらが正しいという話ではない。ただ、どちらの価値観を持つかで、人生の軌道は大きく変わる。
重要なのは、どちらが優れているかではなく、それぞれの層に「最適な価値」を届けることだ。庶民に高級路線を押し付けても響かないし、富裕層に値引きシールを見せても無意味。顧客理解の深度が、マーケティングの成否を分ける。
かつて一億総中流と言われた日本で、今や中間層は上下に分解しつつある。
マーケッターとして言うならば、これは「分断」ではなく「セグメンテーション(市場の細分化)」だ。
従来の日本のスーパーマーケット業態は、中間層という巨大ボリュームゾーンに最適化されてきた。しかし、格差拡大と価値観の多様化が進む現代において、「一つの業態で全員を満足させる」という発想はもはや時代遅れだ。
庶民層には、徹底的なコストパフォーマンスと「お得感の演出」を。試食販売、ポイント施策、タイムセールという劇場型の買い物体験を提供し、節約というゲームを楽しんでもらう。OKストアの成功は、この層への最適化の勝利である。
富裕層には、時間節約と品質保証を。厳選された商品、快適な買い物環境、そして信頼というブランド価値。紀ノ国屋や成城石井、明治屋、伊勢丹クィーンズらが支持されるのは、単に高級品を並べているからではなく、「選ぶ手間を代行してくれる」からだ。
こうした時代の変化に対し、価値観を再設計し対応できる業態こそが、次世代スーパーマーケットの勝者となるだろう。
買い物カゴの中身は、その人の人生哲学を映す。だが、それは変えられないものではない。
ベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』の著者で、実業家のロバート・キヨサキは、貧乏時代ですら生活費を削らなかったと語る。食材は体をつくり、健康を維持し、思考力を支える投資だ。
価格ではなく価値で判断し、時間を最重要資源と捉え、他者の評価より自己満足を優先する――これらは、今、物価高騰の中においても経済状況に関わらず、誰もが選択できるマインドセットだ。
あなたの買い物カゴは、今日、何を物語っているだろうか?
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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)
価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役
富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト
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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)

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