自分が2歳の頃、両親は離婚し、母親に育てられたという50代の女性。貧しい暮らしの中、3つ上の兄からは殴られるなど散々な幼少時を過ごした。
母親は自分を着飾るための費用や兄への教育費などには湯水のようにお金を投じたが、娘には使いたがらなかった。独立し結婚した女性は母親と距離を置くようにしたが――。(前編/全2回)
「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。2016年の内閣府の調査では、ダブルケア人口は25万人。そのうち女性が17万人。30~40代が約8割だった。30~40代といえば働き盛りだ。働きながらダブルケアをする人の割合は、30代で4割以上、40代で6割という調査もある。本連載は、2019年にダブルケアを経験し、父親を亡くしてから現在まで、100事例以上の介護者に取材を重ねてきた旦木瑞穂氏による取材を通して、ダブルケアに備える方法や乗り越えるヒントを探る。
■寝ている妹に唾を垂らし、裁ちばさみを落とす兄
九州地方在住の皐月紅葉さん(仮名・50代)は、小学校の高学年の頃、夜に自分の部屋で寝ていると、ふと顔に冷たいものがかかった感覚で目が覚めた。
手で拭うと、べっとりと嫌な感触があった。外の街灯のせいでわずかに明るい暗闇の中、目を凝らすと、3歳年上の兄が自分を見下ろして仁王立ちになり、ニヤニヤと笑っている。

「兄は、限界まで口にツバをためて、それを私の顔めがけて吐き出していました。私がびっくりして兄の顔を凝視していると、今度は家庭科の授業で使っていた裁ちばさみを持ち出し、私の足目がけて何度も何度も落としてきました。今思えば、私を怖がらせて面白がっていただけなのかもしれませんが、その時の私は恐怖でしかありませんでした」
なぜ兄は妹にそんな常軌を逸した行動をしたのか。その答えは生い立ちにあった。
■両親は自分が2歳の時に離婚
皐月さんは、海上保安官から転職して地元テレビ局に勤めていた父親と、工場に勤めていた母親の間に生まれた。
両親は子どもの頃からよく知る同級生で、父親から「長年片思いされていた」と母親は語っていたそうだが、真相はわからない。
お互いが25歳の時に結婚した両親だったが、7年後に離婚。兄5歳、皐月さん2歳の時だった。
「原因は、父に好きな人ができたからのようですが、母が誰彼構わずお金を貸してしまうことで父が頭を悩ませていたことも一因のようです。当初、私と兄は再婚相手(継母)と父と暮らしていましたが、兄が継母になじまず、私を連れて家出をし、母のところへ行ってしまったので、家裁の判断で、子ども2人の親権が母に移りました」
市営住宅で暮らす母親に引き取られてからは、父親からは毎月現金書留で、養育費として1人3000円で計6000円が送られてきた。母方の祖父母はすでに他界しており、母親は実家を頼れなかった。母親は生活保護を申請し、受給生活に入った。

■出来の悪い兄と出来のよい妹
小学校に上がった皐月さんの兄は、成績が悪かった。
「母は兄に対していつも『あそこは片親だから……と後ろ指さされるような事をしたらダメ!』『片親でも立派に育てたって言わせたい。世間を見返さないと!』と言い聞かせていて、『離婚した事で子どもに不憫な思いをさせていると思われたくない』という意識が非常に強かったです」
母親はお中元やお歳暮などを担任教師の自宅に直接持って行き、
「母子家庭で大変なので、息子に目をかけてあげてください!」
と頭を下げていた。
「教師宅まで同行した私は、教師の困った表情を今でも覚えています。母は『1』や『2』しかなかった自分の成績を棚に上げ、兄にはかなり厳しくしていました」
母親は、皐月さんが小学校に上がる半年前から製造系の会社で働き始め、生活保護を卒業。その会社の高学歴の社員に兄の家庭教師を頼んだが、それでも成績は上がらなかった。
いつも怒鳴られている兄の姿を目の当たりにしてきた皐月さんは、勉強が好きな子に成長。小学校の成績はほぼオール5だった。そんな皐月さんに、兄が意地悪をしたり暴力を振るったりし始めたのは、「目障りだ」という感情からだっただろう。高学年になった兄は、虫のいどころが悪いと、皐月さんをすぐに殴るようになった。冒頭の唾垂らしや裁ちバサミもその頃の異常行動だった。
■不登校と家庭内暴力
兄は中1の9月から不登校になった。

「本人は頑なに言いませんでしたが、たぶんいじめられていたのだと思います。兄はテニス部に入ったのですが、ラケットなどの物がよく失くなったり、壊れたりしていて、母が怒っていました」
兄の暴力は、だんだん物に向かっていった。壁やドアに穴を開け、窓ガラスを割るなど、家の中の物を壊した。皐月さんのランドセルや教科書、大切にしていたコミックなどもボロボロにされた。暴れる兄を止めようとして、母親が怪我をすることもあった。
そして兄が中3の時のこと。皐月さんが自分の財布を探していると、兄がニヤニヤしながら見てくる。怪しいと思った皐月さんは、
「私の財布知らない?」
とたずねると、
「知ら~ん」
とニヤニヤしながら答える。
「兄ちゃんが盗ったんじゃない?」
と聞くと、
「盗ってないよ~」
とふざけながら言う。
兄が盗ったと思った皐月さんは、
「お兄ちゃんが盗ったんやろ!」
と語気を強めた。すると、
「兄ちゃんは盗ってない! ここにあるやろがーっ!」
兄は皐月さんの死角になっていた場所にある財布を指差した。開けると、ちゃんとお金はそのままあった。

「兄の怒りを買った原因は私です。でも兄は、ありかを知っていたのに素直に教えず、わざと盗ったと勘違いさせるような態度を取り続けたのです」
自分で仕向けたにもかかわらず、烈火の如く怒り出した兄は、皐月さんに殴る蹴るの暴行を加えた。謝っても謝っても許してもらえず、窓を開けて外に向かい「お兄ちゃんは泥棒ではありません。私が悪かったです」と何度も叫ばされた。
恐怖に怯えた皐月さんは、鼻血や涙を急いで洗い流し、タオルを手に家を飛び出すと、母親の勤め先に向かった。
入り口で母親を呼んでもらうと、
「どうしたんね!」
と驚いて声を上げた。皐月さんの顔面は紫色に腫れ上がっていた。
一緒に帰宅すると、家にいた兄に、
「なんであんな事するの!」
と叱ったが、同時に皐月さんにも、
「あんたも兄ちゃんに逆らうんじゃないよ!」
と嗜めた。そして、
「その顔じゃ当分外には出られんね」
と言って、その後1週間くらい学校を休ませた。
「母は学校には、風邪とか腹痛とか適当なことを言っていたと思います。もちろん、母は仕事を休まず、1週間、私は1人で家にいました。なので、私が兄からDVを受けていることは、教師は知りませんでした」
■兄との別れ
息子の暴力に困り果てた当時41歳の母親は、意を決して皐月さんだけ連れて、80代の大伯母(母親にとっての伯母)の所に身を寄せた。

約2週間後、母親と皐月さんが、自宅の市営住宅を訪れると、言葉も発せない程に衰弱した兄が横たわっていた。家の中の食料は食べつくされていて、お金もなくなっていた。
母親に気づいた兄は、「なんで僕をほったらかしたん?」と力なく訴えた。母親は兄と話し、持ってきたおにぎりとお金を渡すと、すぐにまた皐月さんだけを連れて、大伯母の家に戻った。
それからしばらくして、母親は皐月さんに言った。
「お母さんはお兄ちゃんを殺して、お母さんも死ぬ。あんたを道連れにするわけにはいかないから、叔父さん(母親自身の弟)の家に行くか、伯母さん(母親自身の姉)の家に行くか決めて」
すると皐月さんは泣きながら懇願した。
「どっちも嫌、お母さんと暮らしたい。お母さん死なないで!」
その後母親は、職場の人からのアドバイスで児童相談所に相談。数日後、児相の職員が来て、兄は半ば拉致されるように連れて行かれた。
“緊急避難”した大伯母の家でも、いつ兄が居場所を突き止めてやってくるかと思うと、おちおち寝ていられなかった母親と皐月さんは、久しぶりに帰った我が家で、ゆっくりと朝まで眠ることができた。
ところが翌日、トイレに入ろうとして、鍵がかかっているのに気づいた皐月さんは、こっそり母親に、「(児相から)脱走した兄がトイレにいるかもしれない」と伝える。

母親はトイレに向かい、「おるんやろ、出ておいで」と声をかけると、泣き腫らした目で怒りに震えた兄が出てきた。
「なんであんな所に僕を入れたんか!」
そう叫ぶと、壁やドアを殴ったり蹴ったりして、家を破壊し始める。
「私は母が殺されるのではないかと思い、向かいの家に行き『お母さんが殺される! 警察呼んでください!』と頼みました。向かいのおばさんは警察を呼んだ後、家に入ってきて、兄をなだめてくれました。それでも兄は母に殴りかかろうとして、おばさんが必死に止めていました」
ほどなくして数人の警官が到着。兄はパトカーで連行され、家から遠く離れた児相に送られた後、離れた県の少年更正施設に入った。そこで約2年間過ごし、寿司屋に就職。その後、職を転々としながら、最終的には母親が勤めていた会社に縁故入社し、スポーツジムで知り合った女性と結婚。男児をもうけて現在に至る。
皐月さんは子供時代に受けた暴力に対して兄から謝罪はなく、「私は兄を許していません」と言った。だが、もしも両親が離婚せず、母親の子育てが違っていたら、兄の人生は全く別の形になっていたかもしれない。
■「娘よりお金」とにかくマイペースな母親
皐月さんは大学に進学したかったが、「お金がない」と母親に反対され、断念。アルバイトで貯めた約100万円を使い、自分で調べて見つけた東京都内にある1年制の雑誌編集の専門学校に進学した。
「母は、自分の被服費などに関しては浪費していたのに、私には本当にお金をかけたくない人でした。成長が早かった私の服は、母の職場の20代の同僚から貰ったお下がりだったほどです。未成年では、家を借りるための保証人など、どうしても親の助けが必要だったので、何度も交渉して、なんとか1年だけの約束で、月10万円仕送りをしてもらうことができました」
翌年、皐月さんは出版社に就職。その後、何度か転職を重ねたが、夢だった「音楽雑誌の編集の仕事」に就くことができず、30歳で帰郷を決める。
帰郷した皐月さんは、母親の市営住宅に身を寄せ、印刷会社で働き始めた。
「いつか大学に行きたい」と思っていた皐月さんは、地元の公立大学の二部(夜間)を受験。昼間は仕事、夜は学生という生活を始める。
ところが約2年後、母親から追い出される形で一人暮らしをすることに。
「とにかく私のやる事全てが気に入らなかったみたいです。電話を使えば立ち聞きのような事をして、『誰といつまでしゃべっているのか! 電話代がかかる!』と嫌味な事を言われました」
皐月さんが母親の市営住宅に同居すると、皐月さんの収入も申告しなければならならない。追い出された一番の理由は、狭くなったのに家賃が上がったのが気に入らなかったことと、世帯収入が500万円を超えると、退去しないといけなくなるからだった。
「実家にいる間は、生活費(電気代、食事代等)として月4万円ほど母に渡していました。当然大学の学費も全額自分で払い、母は1円も援助をしてくれませんでした」
そして2004年1月。SEをしている3歳年下の男性と出会うと、大学の卒業を待って入籍。
同じ年、37歳の時に息子が生まれると、皐月さんは専業主婦に。2年後には娘に恵まれた。
一人暮らしを始めてから、没交渉だった母親は、初孫が生まれると、皐月さんの家に毎日のように来るようになった。やはり孫はかわいいようだ。
できれば母親と関わることを避けたかった皐月さんだったが、この数年後、いやが応でも母親と深く関わらざるを得ない事象が発生する。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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