小中学生でブームとなっているシール交換のトラブルに親はどの程度介入すればよいのか。スクールカウンセラーの藪下遊さんは「欲しいシールが手に入らないというのは『ままならない現実に折り合いをつける練習』になる。
親が無理やり手に入れたり、子どもの交換に口を出したりするのはやり過ぎだ」という――。
■再ブームとなったシール交換
小中学生を中心にシール交換が流行しています。元々は平成でも一度ブームになっていましたが、その時代を経験した大人も巻き込んで再ブームになっているのです。平成でシール交換をしていた子どもが親となり、今回の再ブームで子どもと一緒にはまっている……という構図があるようです。親の立場としては、自分が好きだったものを子どもも好きになっているというのは嬉しいことですね。
特に人気なのは、クーリアが企画・製造し、サンスター文具などが販売している「ボンボンドロップシール」で、ぷっくりと立体的でつやがあるのが特徴です(以下、ボンドロと呼びます)。SNSで発信・拡散がなされたことで、各地で品切れが続いています。先日、職場近くの文具屋に目の色を変えた大人数名がボンドロをかっさらっていく様子を目撃し、ちょっと子どもの流行の枠を超えた熱を感じたところです。
ボンドロはなかなか手に入らず、フリマアプリでは定価より高く出品されています。また、類似品も発売されて高い人気になっているものもあります。海外製の模倣品(要するにニセモノ)も出回っており、フリマアプリで正規品と思って購入したら模倣品だった……というパターンもあるようです。100均でもシールは売られていますが、ボンドロとその他のシールでは「レート」に違いがあるという認識がなされているとのこと。

このボンドロをめぐり、子どもやその親、学校も巻き込んだトラブルが起こっているので、これにまつわる見解を事例も交えつつお話ししていくことにします。
■「欲しくても手に入らない」における大人の振る舞い
ボンドロは品薄状態が続いているので子どもたちは「欲しくても手に入らない」という状況なわけですが、まずは、この状況における大人の振る舞いを考えていきましょう。ちなみに、私はスクールカウンセラーとして子どもの心理的不調の改善を目指すと共に「こころの成熟」を促していくことも役割の一つですから、「子どもの成熟のために資する」という視点で述べていきます。
この「ボンドロが欲しい×手に入らない」という構図は、大人でいえば、理想の家を建てたいけど、それに見合う収入がないという状況と似ています。広い土地に思い描いた間取り、家具や調度品にもこだわった理想の家にしようとすると、どうしても収入に見合わない金額になるのが普通です。節約をする、残業を多くするなど、収入を増やす「現実的な努力」をしても届かないものは届きません。こんなときに、多くの人は残念な気持ちを収めつつ、理想の家を「下方修正」して現実的な家で折り合いをつけることになります。そして建てられた家に住んで「この家も悪くないね」と考え、多少の不満はあっても「仕方ないよね」と現実を受け容れながら生きているものです。
■理想を現実に合わせる練習
このような「ままならない現実」を前にして「現実的な努力」を行い、それでも届かない理想を現実に合わせて「下方修正」するからこそ、多くの人は現実を生きることができます。現実から離れた理想の家を建てたけど、ローンを払えず家を手放して借金だけが残る……なんて現実的な生き方とはいえませんからね。人間が万能ではない以上、「ままならない現実」を前にした諦観は生きていれば何度も経験することです。だからこそ、子ども時代から少しずつ「ままならない現実に折り合いをつける練習」をしておくと役立ちます。
「ボンドロが欲しい×手に入らない」という構図は、子どもにとって「ままならない現実」を親の支えがある中で体験できる良い機会です。
シールに関しては、子どもたちは近隣の店舗を回って探すという「現実的な努力」をするでしょう。休みの日にちょっと遠くの店舗まで連れていってあげるなど、多少ならば親が協力することもあり得ます。それで手に入ればラッキー、無ければ「ここまでやって見つからないならしょうがないね」と親に支えられつつ気持ちを収めていく。せっかく少し遠い店舗まで足を延ばしたのだから、目の前にある類似品や100均のシールで折り合いをつけようか(=下方修正)。そういうことが大切になります。こうやって子どもたちは「ままならない現実に折り合いをつける練習」をしていくのです。
■専業主婦のママ友にシール探しを頼む
大人は「ままならない現実に折り合いをつける練習」に付き合っていけばいいのですが、それがうまくいっていない事例を目にすることが増えました。シール交換にまつわる事例を紹介しましょう。
【事例:シールを手に入れるために奔走する母親】
小学校2年生の女子児童。ボンドロを求めて店舗に行くが、売り切れで入荷も未定である。手に入らないと女子児童が泣いて収拾がつかないため、働いている母親は日中に時間がある専業主婦のママ友に平日昼間のお店巡りを頼んだり、SNSで入荷情報を得たら会社を早退して買いに行ったり、景品がボンドロのクレーンゲームに何度もチャレンジしたり、フリマアプリで定価より高値で購入するなどしている。

この事例では、母親がシールを手に入れるために、かなり手を尽くしているのがわかると思います。ままならない現実に対して「多少ならば親が協力することもあり得ます」と先に述べましたが、この事例では他者(ママ友)を巻き込んだり、金銭的な打撃が生じたりしている時点で「やり過ぎ」な感じがあります。この事例では「ままならない現実に折り合いをつける練習」ではなく、子どもに不快感が出ないように「ボンドロが手に入らない」という現実の方を変えているのです。
■「やり過ぎ」が子どもの社会適応能力に影を落とす
きっと「子どもが泣かずに済むなら良いじゃないか」と思う人もいるかもしれません。確かに一回きりの話であれば、事例の母親の対応は「やり過ぎ」だけど「問題がある」とまでは言えません。しかし、子どもにとって都合の悪い現実を変えるために、他の場面でも大人が「やり過ぎ」な行動を日常的に繰り返していたらどうでしょうか。
大人が子どもの都合が良いように現実を変え続けていると、子どもはいつまでも「ままならない現実」を受け容れる練習ができないことになります。学校や対人関係での「ままならない現実」を嫌がるようになり、時にはそこから遠ざかることもあり得ます。スクールカウンセラーとして働いていると、そのような反応をする子どもが明らかに増えたと感じます。当たり前ですが、大人になるにつれて「ままならない現実」は増えていくものなので、この練習不足が社会適応に影を落とさないか心配なところです。
この「ままならない現実に折り合いをつける練習」は子どもが将来、自分の能力(学力や運動など)が「ままならない」と感じたときの助けにもなります。理想通りの自分でいられない、だから自分は無価値な人間だ。
そんなふうに思わずに子どもが「現実の自分」を受け容れていくためには、小さい頃から少しずつ「ままならない現実に折り合いをつける練習」をしていることが大切なのです。
■外的な価値づけによって失われるもの
親のシール集めが「やり過ぎ」になることで、手に入ったシールに対する思い入れが親自身も強くなってしまいます。それによる問題もあります。
【事例:親の影響を受けた子ども】
女子児童は友だちとシール交換の際、母親が店に3時間並んで手に入れたボンドロと好きなキャラクターの平面シールを交換した。その際、母親から「こんなシールとボンドロを交換したなんて泥棒ね!」「せっかく手に入れたのに、そんな安物と交換しないで」「レートが低いのとは交換しないの」などと言われる。そのうち、女子児童は「平面シールはいらない」「あの子のシールはニセモノ」「レート違いは交換しない」と話し、好きなキャラクターのシールにも興味を示さなくなった。
令和のシール交換では「レート」があり、シールの人気、希少性、厚み、デザイン、SNSで話題になる、限定商品かなどによって左右されているようです。ボンドロなどの立体感や特徴のあるシールは高レート、平面シールや100均シールは低レートというイメージでしょうか。
平成のシール交換でも「レート」らしきものはありましたが、これは子ども同士のやり取りの中で自然と生じた感覚的なものでした。令和のシール交換では「レート」という言葉が使われていることからも明らかなように、大人の価値観(頑張って買ってあげたのに、ニセモノを持っているのはダサい、安物とは交換しない等)が強く影響している様子が見受けられます。SNSで大人がしている発信を子どもが見ていることも大きいでしょう。子どもの各種シールへの価値付けに大人の価値観が絡むことで、子どもの柔らかな感覚が失われてしまう恐れがあります。

■子どもが「可愛い」と思えれば良い
シール交換では、ボンドロであろうが類似品であろうがニセモノであろうが100均シールであろうが、子どもが「可愛い」「これが好き」と思えれば良いのです。特に、親が訝しむようなシールを子どもが「好き!」と喜んでいるなら、子どもの「こころの発達」という視点では良いことです。親と異なるものを好めるということは、子どもが親の価値観に左右されない、親とは違う人格を持つ段階にまで成長したことを示唆しています。親子の好みに違いが出てきたら、親として「子どもを自分色に染め上げていない」ということを誇りつつ鷹揚な態度で接することが大切です。
厄介なことに、この「子どもの感覚」は簡単に見えなくなってしまいます。目の前のシールに対して「ボンドロじゃない」「ニセモノ」「100均」というレートを意識させる価値観が刷り込まれていると、子どもが感じた「可愛い!」という感覚を「これは価値が低いシールなんだ」と自分で否定してしまいます。外からもたらされる情報(親の価値観、SNSで発信されている情報など)を優先し、自分の内側の感覚を大切にしなくなってしまうのです。これはブランドに左右されている大人と地続きかもしれません。
親がシールを集めるのに時間・労力・お金をかけすぎていると、子どものシール交換に口出ししたくなってしまうのが人情というものです。親が子どもと同じ趣味を楽しむのは良いことですが、子どもの内側に芽生えた柔らかでおぼろげな感覚を塗りつぶさないよう、大人として「ほどほど」のスタンスで関わっておくと良いバランスでいられるのではないかと思います。
■大切なのは「すり合わせ」
勘違いしないでほしいのですが、私はシール交換自体には好意的です。日本テレビ系列のドラマ「ブラッシュアップライフ」では、シール交換を通して子どもたちが交渉術を養っている姿が描かれています。
シール交換という「交渉の場」では、互いの欲求を出し合い、すり合わせて落としどころを見つけることが前提になります。こうした「すり合わせ」は、あらゆる対人関係で生じるものですから、それをシール交換というマイルドな形で経験できることはプラスに捉えて良いでしょう。ただ、シール交換をめぐるトラブルでは、この「すり合わせ」がうまくいっていないことが多いのです。
■only oneに偏り過ぎない
【事例:一時的に不登校になった女子児童】
小学校5年生の女子児童。シール交換のとき、女子児童はボンドロばかりを要求し、周りの子どもは断り切れず交換していた。しかし、それによって女子児童は周囲から敬遠されるようになり、学校へ行きにくくなって数日登校が困難になった。
シール交換のトラブルでは、子どもの要求が度を超えていることがあるようです。ひどい場合は「くれないと友だちやめるぞ」と脅して交換を迫るなど。学校現場に20年近くいますが、小学生になっても「only one:唯一の自分」という感覚に極端に偏り、相手を自分の一部のように扱う子どもが増えました。「マウントをとる」などの権力的な表現を好んで使用する子どもや、「やりたくないからしなくていい」など自らの快不快のみを判断基準にしている子どもを見るようになりました。
この未熟さのしくみを詳しく説明するには紙幅が足りませんが、幼いころからの親をはじめとした他者と気持ちをすり合わせることなく、自分の欲求を叶え続けられていれば「only one:唯一の自分」のみに偏ったマインドから脱け出すのが遅れてしまいます。相手の立場を考えながらシール交換を行うためには「only one:唯一の自分」だけでなく、「one of them:大勢の中の一人」という感覚も育てておくことが求められるわけです。精神的に安定している人ほど、この二つがちょうどよいバランスで釣り合っているのです。
■交渉の場で求められる「すり合わせる力」
一方で、断り切れなかったとはいえ、いったんは交換を了承したのに後になって女子児童を敬遠した子どもたちにも未熟なところはあるでしょう。シール交換の場に臨むときには互いの気持ちを「すり合わせる」ことになるので、当然、自分の気持ちや意見を伝えられることが求められます。それらが言えずに不満な交換になったとしても、後になって別の形で表現する(事例のように敬遠する)のは「マナー違反」となります。
子どもがシール交換での不満を訴えたら、大人たちはその不満に共感を示して終わるのではなく、シール交換では「気持ちをすり合わせる力」が前提になるという現実も話し合っておくと良いでしょう。これはシール交換の話題ではありますが、あらゆる対人関係に必要な事柄を示唆することにもなります。
■あげたくないシールを相手に求められたら…
相手に求められたら嫌だけど交換に応じてしまう、自分の気持ちを伝えられない、嫌われるのが怖くて断れない。そういう子どももいるでしょう。また、それでもシール交換はやりたいという場合もあるでしょう。そんなときの工夫をいくつか挙げておきましょう。
① 交換したくないシールは持っていかない
交換したくないシールがあるなら、それをそもそも交換の場に持っていくのを控えることがあり得る工夫の一つです。保管用と交換用のシール帳を分けるというやり方ですね。ただし、貴重なシールを持っていかないので交換できるのはそれに見合う程度のシールに限定されますし、このやり方だけでは他者と気持ちをすり合わせる練習になりにくいというデメリットがあります。
② 断るときには親をダシに使う
子どもが自分の意思で断れないなら「このシールは親が交換しちゃダメって言ってるの」と親をダシにすると断りやすいことが多いです。ただし、子どもと「いつかは自分の責任で断れるようになる」という目標をちゃんと共有しておきましょう。それがなされていないと「都合が悪いことを親のせいにする練習」になりかねません。また、交換を断ったシールを、他の子と交換していたら「ダメなんじゃなかったの!」となるので注意が必要です。
③ 自慢したい気持ちに折り合いをつける
「貴重なシールを見せて自慢したい」けど「断るのは苦手」という子どももいます。残念ながら、この二つは両立しません。見せびらかせば交換を求められることも多くなります。親子間で「自慢したい気持ちがあるの?」と話題にし、それに振り回された言動がトラブルになりやすいという事実の伝達と、それへの心配を向けておくと子どもが自身の顕示欲をコントロールするきっかけになるかもしれません。
■親子間で気持ちのすり合わせを
上記は一例ですがどれも完璧な対応ではなく、必ず「うまくいかないポイント」が出てきます。あくまでも子どもの「気持ちをすり合わせる力」を育むことが最善の道であり、上記の工夫はその力が育つまでのつなぎです。そして、子どもに「気持ちをすり合わせる力」を身に付けさせるためには、家庭内で親子間の気持ちのすり合わせ、ルールをめぐる意見の調整などが良い練習になります。
■なぜ学校に不要物を持ってきてはいけないのか
本稿の最後に「学校にシール帳を持ってくること」について意見を述べておきます。
学校にシール帳を持ってくることを禁止しているかは地域や学校によって異なるでしょうが、基本的に学校には「不要物を持ってこない」というルールが設定されています。ここでは、そのルールが設定されている理由の一部を述べておきましょう。
シール交換関連で起こりやすいトラブルが紛失です。事実、私の働く地域の学校でも、子どもが家から持ってきたシール帳が無くなるという事案がありました。子どもが落としたという場合もあるでしょうが、他の子どもが盗ってしまった可能性も考えられます。思慮分別がつかない未熟な発達段階の子どもほど、自らの欲求に振り回され、行動をコントロールできないことがあり得るのです。
仮に誰かがシール帳を盗ったのだとしたら、傷つくのは誰でしょうか? きっと多くの人が「盗まれた子ども」だと考えるでしょう。もちろん、それは間違いありません。盗まれたという事実に傷つくだけでなく、誰かわからないけど「盗んだ人が身近にいる」と考えながらの学校生活になるのは気分が良いものではありませんからね。
■子どもに「罪を作らせない」
一方で、「盗んでしまった子ども」も長い目で見れば傷つくことになります。盗んだ瞬間は「欲しい物が手に入った高揚感」があるかもしれませんが、それは一時のものです。盗んだ物の魅力は徐々に薄れ、残るのは「この程度の物のために盗みをした自分」だけです。決して「盗みをしていない自分」に巻き戻ることはなく、盗みをした自分を心のどこかに感じながら生きていくことになります。盗んだことを忘れたかのように生活していても、大人になって罪悪感を覚える出来事があれば思い出されたり、シャワーを浴びているときや寝る前にボーっとしているときにふと頭に浮かんだりするのです。消化されていない過去の苦い出来事が何気ない瞬間に回顧される……という体験には身に覚えがある人もいるのではないでしょうか。
学校には「罪を作らせない」という言葉があります。未熟な子どもたちがたくさんいる学校という場において、不要物、それも手に入りにくい希少なものを持ってくることは、それだけで「罪を作らせるリスク」が高まります。子どもが「罪を作ってしまう状況そのもの」をできるだけ少なくする(=不要物を持ってこないというルールを作る)ことで、子どもの人生に不要な後ろめたさを生まないことが大切なのです。学校に「不要物を持ってこない」というルールがあるなら、家庭はその意味をよく理解して子どもの成熟のために協力し合えると良いでしょう。

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藪下 遊(やぶした・ゆう)

スクールカウンセラー

1982年生まれ。仁愛大学大学院人間学研究科修了。東亜大学大学院総合学術研究科中退。博士(臨床心理学)。仁愛大学人間学部助手、東亜大学大学院人間学研究科准教授等を経て、現在は福井県スクールカウンセラーおよび石川県スクールカウンセラー、各市でのいじめ第三者委員会等を務める。共著に『「叱らない」が子どもを苦しめる』(ちくまプリマー新書)がある。3月10日に『スクールカウンセラーは何を見ているのか』(ちくまプリマー新書)が発売予定。

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(スクールカウンセラー 藪下 遊)
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