なぜマクドナルドは日本で成功を収めたのか。日本マクドナルド創業者の藤田田さんは「1971年に銀座三越にマクドナルド1号店を出したが、ヒットのポイントは『立ち食い』にしたことだった」という――。

※本稿は、藤田田『起業家のモノサシ』(KKベストセラーズ)の一部を再編集したものです。
■「他人の軒先」を借りて年商60億円
ハンバーガーが成功したひとつの要因に、私が考え出した販売方法にある。
ハンバーガーが本家のアメリカでは、椅子とテーブルのあるスタイルで売られており、客はテーブルやカウンターで、普通の料理を食べるように椅子に腰をおろして食べる。私は、それを日本では、他人の軒先を借りて立食いさせる、現在のスタイルに変えたのである。
デン・フジタの商法では「10メートルは10キロメートル」であるから、銀座へハンバーガーの店を出すにしても、限られた数カ所しか適地はない。ところが、そんな場所は、地価がべらぼうに高い上に持ち主が手放さないから、買収して店舗を構えることは、しょせん不可能である。
しかも、従来は、レストランという商売は、1日に客が何回転するかで商売が成り立つ職種であるといわれていた。ただでさえ狭く、地代が高い銀座で、テーブルと椅子をすえ1日何回転などといっていては、メニューの値段を目の玉が飛び出るぐらい高くしなければ、儲かるどころか大損をしかねない。
もちろん、100パーセント・ビーフが45グラムも入っているハンバーガーを1個120円という良心的値段で売っていては、たちまち破産してしまう。
■銀座の一等地に地代をかけず店を出すには
はじめ、私は日本の中心である銀座で、ハイライト1個分の値段でハンバーガーを売りたかった。ハイライト1個分の80円なら、大衆は「安い」と感じてくれるのではないかと考えていたからだ。
アメリカではハンバーガーの値段は1個20セントである。
私が銀座店をオープンした当時の「円」と「ドル」のレートは1ドル=360円だった。20セントは72円に相当する。
アメリカでは72円だが、日本では牛肉とか牛乳などの材料が若干高くつくから、1割は高くなるのはやむを得ない。その場合でも、私は最高を80円でおさえたいと考えていた。そのためには、店舗の地代に高い金をかけるわけにはいかない。
「銀座の一等地に何とか地代のかからない店を開くことはできないだろうか」虫がいいかもしれないが、私は本気でそう思った。そして私は、軒先をちょっと借りることを思いついたのである。軒先を借りて立食いさせるのならば、銀座の繁華街の好きな場所を選ぶことができる。
■ハンバーガーの「立ち食い」が爆発的流行
しかし、私が、ここなら、と目をつけた場所のうちの何カ所かが、軒先を貸すことすら断わってきた。ただひとつ、私が初めから目をつけていた特等地、銀座三越は岡田茂元社長の英断で、軒先を貸そうと私の申し出を快諾してくれたのだ。
しかし、日本の場合立食いというと、駅のソバ屋のように、どことなく、うらぶれムードがある。だからといって1個80円という安いハンバーガーをうらぶれムードで売ってはイメージ・ダウンである。
インテリや女性客をつかむことはできない。
そこで、私は銀座三越にハンバーガー店をオープンするに当たり、明るくモダンで清潔な立食いのイメージでいくことにし、うらぶれムードは一掃した。
作戦は図に当たり、明るくモダンで清潔なマクドナルドの立食いに、若い女性客が殺到した。つられて男の客がくる。外国人がくる。ヤングがくる。ハンバーガーは爆発的売行を示した。
こうなると、英断をくだした三越とは逆に、妙にノレンにこだわって、マクドナルドのハンバーガーに軒先を貸すことをためらったり拒んでいたところまでが、モミ手で私のところへやってくるようになった。「大したものですなあ。藤田さん、ぜひ、当方の軒先も借りていただけませんか」と言うのである。
■ハンバーガーの登場で老舗に新風が吹く
私は銀座の次に新宿へ進出した。
新宿の表玄関である東口を出ると正面に食料品の老舗の二幸がある。
この二幸の客は老人やちょっと気取った階層の奥様などで、スーパーで買えるような品物をわざわざ高い金を払って二幸の包装紙に包んでもらいたいためにやってくる客が大半だった。
二幸はそんなお人好しの商売をやっていたのである。ところが、ここへマクドナルドのハンバーガー店がオープンすると、客の顔ぶれが一変した。つまり、これまでのちょっと気取った客が眉をひそめるような客が怒濤のように押し寄せたのである。
彼らはハンバーガーを食べながら、店の中を闊歩するようになった。ハイティーンもいれば、長髪族もいる。二幸は明治100年の眠りを覚まされたようににぎやかになった。
そして、ついに、高級食料品店二幸は、店内を大改装し、2階をヤング向けのファッションフロアにするほどの大変貌をとげた。ハンバーガーが老舗を変えたのである。もちろん、二幸は華麗なる変身をとげることで、儲かる道へつき進んでいったことはいうまでもない。
■セコい値上げをしなくても客が来れば儲かる
蛇足ながらつけ加えると、1984(昭和59)年時点で、ハンバーガーは1個120円である。71年の開業当時より40円値上げをしたが、これは決して昨今の物価高ムードに便乗して値上げをしたのではない。

私がマクドナルドを始めたとき、肉の原価は1個分45グラムで22円だったが、世界的な牛肉不足の問題がからんで、一挙に44円に値上がりしてしまったのだ。これに加えて、小麦粉をはじめとする諸原料、材料が値上がりし、人件費までも上がってしまった。
私はやむを得ず、原料の値上がり分だけ、値上げをした。原料の値上がりをいいことに大幅な値上げをして差額を儲けるような汚いマネはしていない。
そんなことをしなくても、お客さんがしっかり食べてくだされば、ひとりでに儲かるからだ。
■ファストフードがインフレに強いワケ
文化が向上してくると牛肉の需要がふえる。人間が一番うまいと感じる肉は牛肉だからである。
第二次世界大戦から30年近い年月が経過したが、この間、世界的な大戦争もなく、世界的な好況が続いて、人々の生活は向上し、したがって、牛肉の需要が全般的にふえてきた。
従来は牛肉の輸出国であったアルゼンチンも国内需要が高まったため輸出をしなくなったし、牛肉の主産地であるオーストラリアでも、需要の増加から価格の上昇を招来し、値段もひところの2倍程度に上がっている。
ハンバーガーのようなファスト・フードはインフレーションに強い産業である、と言われている。資材の値上がりをはじめ、さまざまな問題に直面していることにかわりはないが、それでもなお、そうした諸問題を吸収し、克服して行くことができるからだ。驚異的産業であることに違いはない。


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藤田 田(ふじた・でん)

日本マクドナルド創業者

1926年大阪生まれ。旧制北野中学、松江高校を経て、1951年東大法学部を卒業。在学中GHQの通訳を務めたことがきっかけで「藤田商店」を設立、学生起業家として輸入業を手がける。1971年、米国マクドナルド社と50:50の出資比率で「日本マクドナルド(株)」を設立。同年7月、銀座三越1階に第1号店をオープン。そこからハンバーガー旋風を巻き起こし日本人の食生活を変えていく。「価格破壊」など革新的な手法を次々と展開した。のちに「日本トイザらス」も設立。2004年没。孫正義氏、柳井正氏ら、日本を代表する企業を率いる経営者たちに影響を与えたとされる。『ユダヤの商法』『勝てば官軍』など著作多数。

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(日本マクドナルド創業者 藤田 田)
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