なぜ労働を辛いと感じるのか。『資本主義と、生きていく。
』(大和書房)を書いた品川皓亮さんは「近代にかけて労働に対してポジティブな意味が付与されてきた。しかし、いくら肯定的に捉えようとも労働が人類にとって辛く卑しいものであることに変わりはない」という――。(第1回)
■なぜ労働は“素晴らしい”ことになったのか
時代が近代に移り変わっていく中で、労働はどのように捉え直されていったのでしょうか。近代的な民主主義や資本主義が登場しはじめたこの時代、国民が市民社会の一員として一生懸命働くことは、社会にとって重要な意味をもちました。
そのため、今でいうインフルエンサー的な存在である当時の思想家たちも、「労働って素晴らしい!」という発信をするようになりました。彼らはこぞって、労働に肯定的な意味を付与していったのです。
たとえばイギリスのジョン・ロック(1632年-1704年)です。彼は誰もが自分の身体を所有していることに着目し、その身体を使って土地を耕せば、その畑も自分のものになるといいます。こうして近代社会に不可欠な、私的な所有権や私有財産の基礎が根拠づけられました。
そして、ロックはこの私有財産を守るために国家が作られるといいます。このように、労働という営みは、近代社会の重要な要素である私有財産と国家の根幹として位置づけられていきました。
■産業革命で目が覚めた労働者たち
またカントは、「労働によって人間はより立派な存在になる」と説きました。
カントは人間の労働は社会のためだけではなく、自己を向上させるための鍛錬にもなる点を強調したのです。
さらに、カントの考えを一歩進めるように「労働によって『本当の人間』になる」と主張したのがヘーゲルです。彼は、古代から人間が様々な道具を使って労働してきたことに着目しました。ヘーゲルにとって、道具は人間の理性の結晶であり、道具を使って労働をすることが人間の人間たるゆえんだったのです。
宗教改革の時代からわずか1世紀か2世紀後。世界で最も有名な哲学者たちがこぞって、労働の肯定的な意味を強調するようになったのです。
カントやヘーゲルといった哲学者たちが労働についてポジティブな意味付けをしていたのと同じ頃、現実社会では産業革命という歴史上の大事件が進行していました。
産業革命により、ヨーロッパでは各地に大規模な工場が建設され、成人男性だけでなく児童や女性も工場に吸い込まれていきました。しかしそこで待っていたのは、人を人とも思わない地獄のような労働環境でした。
文字通り労働者たちは機械の部品のように扱われ、命を落とす人も続出しました。産業革命直後の労働者たちが置かれた状況は、近代の哲学者たちが頭で考えたような生易しいものではなかったのです。
■工場労働者は消耗品、知的労働者は年中無休
産業革命直後と比べると、現代の労働環境は大幅に改善されました。
労働者は労働法で守られ、最近では働き方改革やワークライフバランスも重視されるようになりました。しかし、それでも働くことの根本的な辛さは解決していないように思われます。それはなぜなのでしょうか? その理由を探るため、いくつかのタイプの労働の辛さの本質を考えていきたいと思います。
まずは、産業革命以降、もっとも典型的な労働の形になった工場労働を見ていきましょう。そこではフーコーが指摘したように、労働者は決められた時間に集められ、監視されて「従順な身体」として調教されていきます。
監督者の目が常に光り、生産性を上げるためにすべてが細かく指示されます。このように、工場労働において人々はまるで「生産する機械」のように扱われてきました。ここに、資本主義社会の労働の典型的な「辛さ」が認められます。
そして、資本主義が高度化すると、企画職、コンサルタント、プログラマーといった知的労働に従事する人たちも増えてきました。知的労働は仕事の裁量や行動の自由度もあり、クリエイティブに創造性を発揮する余地もあります。
しかし、単純作業ではない知的な労働だからこそ、3人の追手(時間・成長・数字)に無限に追いかけられるという別種の辛さがあります。知的労働者は顧客数や客単価など、数字で表すことのできる成果を残す必要があり、常に競争にさらされるため成長を続けなければなりません。
知的労働者は24時間365日、これらの追手に追われ続けているのです。
■「作り笑顔」をし過ぎた人の末路
さらに最近では、「感情労働」という言葉も生まれました。これは「感情さえも商品になる」という新しい労働のタイプともいえますし、一方で、あらゆる労働が「感情労働」化しているともいえます。
身近な例として、サービス業における接客が挙げられます。早朝であろうと、理不尽なクレームを受けた直後であろうと、従業員は笑顔で対応することが求められます。マクドナルド社が「サービスの原点」とも謳う「スマイル0円」は、まさにこの好例です。
感情労働は、アメリカの社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールド(1940年-)が『管理される心』(1983年)で唱えた概念です。
本来、感情は個人の内面を知るための重要なシグナルです。楽しいときに笑い、悲しいときに泣くことは、人間の自然な営みといえますよね。しかし感情労働においては、この自然な感情表現が商品の一部として扱われてしまうのです。
恐ろしいのは、感情労働により「商品としての感情」を重視し過ぎると、次第にそれが内面化し、自分のほんとうの感情がわからなくなったり、逆に、ほんとうの感情を表現できなくなったりしてしまうことです。
近年では、感情労働が必要とされるのはサービス業に限られません。
たとえばビジネス界では最近、「上司は常に機嫌よくあるべきだ」という言説が広まっています。この風潮も、管理職に対する感情労働の要求だということができます。
さらに、業務のIT化やリモートワークの普及に伴い、チャットツールでのリアクションやオンライン会議での表情においても適切な感情表現が求められるようになりました。文末が「。」で終わると冷たく見える。オンライン会議ではにこやかに。このような配慮も、立派な感情労働といえるでしょう。
このように、現代を生きる私たちは、体力と知力だけでなく、感情までをも労働力として差し出さなければならない状況に追い込まれているのです。
■労働が辛くて苦しいと感じる真の原因とは
この稿では、近代にかけて労働に対してポジティブな意味が付与されてきた歴史を概観する一方で、様々なタイプの労働の「辛さ」について話をしてきました。さらに現代では、事あるごとに「仕事で何を成し遂げたい?」と尋ねられ、働くことを前向きに楽しまなければいけないようなプレッシャーにもさらされます。
このような経緯を学ぶと、人類は、元来は「辛く卑しい」ものだった労働を何とかしてポジティブなものだと信じ込もうとしてきたのだと思えてきます。とすると、労働という追手の正体は、働くことに対する人類の様々な期待の裏返しなのかもしれません。人類は、本質的には辛いはずの労働に、「宗教的意義」や「自己実現」といった様々な期待をどんどんと上乗せしてきたのです。

「労働の本来的な辛さ」と「人類が上乗せしてきた期待」の間で私たちは引き裂かれ、その重圧が追手となって私たちを追い詰めているのではないでしょうか。
このように説明すると、「詰んでるじゃん!」と思ってしまうかもしれません。しかし、労働に関する困難がこのような構造になっているという気付きは、一方で希望にもつながります。なぜならそれは、働く辛さは、「上司のせい」「会社のせい」「自分のせい」……という「特定の誰かのせい」では決してないということをも意味しているからです。
「問題の本質は構造的なものかもしれない」という視点をもっていれば、自分の仕事について、条件さえ変われば状況が好転する問題と、構造的な問題とを分けて考えることができるようになります。このことは、仕事やキャリアに関する悩みの堂々巡りから一歩抜け出すヒントになるかもしれません。

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品川 皓亮(しながわ・こうすけ)

COTEN 歴史調査チーム

東京都昭島市出身。京都大学総合人間学部に入学後、法学部に転部し、法科大学院に進学。司法試験に合格後、TMI総合法律事務所で弁護士として企業法務を担当。2016年から株式会社LiBにて、個人の転職支援、企業の採用支援、事業開発に従事するほか、人事責任者を務める。2022年からは人気ポッドキャスト番組「コテンラジオ」を手掛ける株式会社COTENにて歴史調査を担当し、「女性の労働市場参与」「ポスト資本主義」等の調査に携わる。現在は哲学・歴史を中心に、人文知を社会につなげる様々な活動に従事。
「Aqua Timez」のドラマーTASSHIとともに、ポッドキャスト番組「日本一たのしい哲学ラジオ」のメインパーソナリティーも務める。著書に、『日本一やさしい法律の教科書』(日本実業出版社)、『法学部、ロースクール、司法研修所で学ぶ法律知識』(ダイヤモンド社)などがある。

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(COTEN 歴史調査チーム 品川 皓亮)
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