■「学生たちの気質」が合わなかった
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。いよいよ放送も今月末までなのだが、まだ物語の舞台は熊本だ。トキ(髙石あかり)はヘブン(トミー・バストウ)の同僚の外国人教師の妻・ラン(蓮佛美沙子)に英語を習い始めた。この後、長男の誕生、そして、神戸から東京へと、残りの夫婦の歩みはどこまで描かれるのか。
ともあれ、この先を考えると意外に長い熊本編。でも、本当に長いのは八雲の勤務時間だろう。
現代の大学教員の標準的なコマ数が週8~10コマ程度であることを考えると、週27時間というのはかなりの重労働。授業の事前準備や授業外の生徒の対応まで含めれば、実質的な労働時間はさらに膨らむ。作家として原稿を書きたかった八雲には、熊本での生活は時間的にも精神的にもかなり苦しいものだったはずだ。
なによりも、職務として授業で相対する学生たちの気質が八雲には、まったく合わなかった。
これまでの記事で書いてきたように、八雲は、熊本の街の雰囲気が気に食わなかった。
■着任数日後に「すぐに仲良くなりました」
松江で1年と数カ月教師として過ごした八雲だが、教育者としては素人である。たまたま英語が話せるから職に就いただけで、生徒との付き合い方や、土地や学校ごとの気質の違い、それに見合った授業方針を立てることを専門的に知っているわけではない。
それに加えて、今度の赴任先は高等中学校=後の旧制高校にあたる。施設は東京帝国大学を思わせるほど立派だという。であれば、そこに集う学生たちは、松江よりさらに優秀で向学心に溢れているはずではないか……。八雲がそう期待したとしても、無理はない。
しかし、現実はそうではなかった。それが、八雲の熊本時代を決定的に暗くした。
着任から数日後、1891年11月30日付の西田千太郎に送った書簡で、八雲はこう記している。
松江とはあまり違わないようだ。
……ちょっと待って欲しい。着任から数日で「すぐに仲良くなった」とはいったいどういう心情なのだろう。
これまで「ばけばけ」を契機に、八雲という人間を知ったなら「ああ、またか」と思うだろう。
■“卒業後に手紙をくれない”と怒った八雲
これが八雲の性格の根本的な問題である。最初から他人に対する期待値が振り切れているのだ。
ここで八雲の過去の恋愛のことを思い出してほしい。アメリカ時代、ずっと片思いし続けたエリザベス・ビスランドに送り続けた手紙には「夢にあなたが出てきた」などと、現代のSNSなら即ブロックされるレベルのことを平然と書き綴っている。そう、人間関係の距離感が、根本的におかしいのだ。
(参考記事:11歳年下の女性にゾッコン…「ばけばけ」で描かれない、小泉八雲が来日直前に書いていた"ラブレター"の中身)
そう、八雲は恋愛だけでなく、あらゆる人間関係で距離感がおかしいのだ。だからすぐ「この人はとてもいい人」と思い、すぐに「裏切られた」とばかりに嫌いになる、感情のジェットコースターを繰り返すのだ。
そこも乗り越えて、夫婦になり、かつ八雲が『怪談』をまとめるに至るよき協力者となれたセツは、半分「聖母」で半分「似たもの同士」である(セツも一度怒ると、なかなか治まらないヒステリックな面があった)。いずれにしても奇跡的な天の采配だったと、改めて感じざるを得ない。
「仲良くなれた」という高揚感が冷めた時の激しい反動。熊本の学生たちは、そのとばっちりを受けることになる。
とにかく八雲がイラっとしたのは、時が経つうちに感じるようになった無作法ぶりだ。無作法といっても、別に授業中に騒ぐとか教師にタメ口を聞いてくるわけではない。例えば、松江の生徒は卒業してからも手紙をくれるというのに、熊本の生徒にはそれがないなどと、怒り、わざわざ友人への手紙に書いて送っている。
卒業した教え子から手紙が来ない。たったそれだけのことが、八雲には許せなかったのだ。
■人間関係に“過剰な何か”を求めてしまう
考えてみれば、これは八雲の側の問題でもある。週27時間、作家としての執筆時間を削って教壇に立ち続けている。その「犠牲」に見合うだけの見返りを、八雲は無意識のうちに求めていたのではないか。
ビスランドへの片思いの手紙しかり、松江の生徒との絆しかり。八雲という人間は、人間関係に対して常に過剰な何かを求める。そしてそれが満たされない時、静かに、しかし確実にヘイトを積み上げていく。
熊本の学生たちは、別に何か悪いことをしたわけではない。ただ、八雲が期待するほど「こまめに連絡を取る人間」ではなかっただけだ。
丸山学『小泉八雲新考』(北星堂書店、1936年)は、著者の丸山が熊本県出身というだけあって、冷静に熊本時代の八雲を整理している。とりわけ、実際に八雲から授業を受けていた生徒達の証言は丁寧に記録している(丸山は柳田國男に師事した民俗学者で、熊本の八雲旧居保存にも尽力した)。そこでは、こんな記述がある。
(八雲は)人力車の上でいつも葉巻を口にしていたが当時葉巻は珍しい頃であったからいたづら空きの学生などヘルンの車の後についていってその葉巻の香りをかいだものだ。
■八雲は「学校運営」に苛立っていた
なんともほほえましい光景ではないか。異国の教師が吐き出す葉巻の煙を、わざわざ追いかけて嗅ぎに行く学生たち。悪意でも反抗でもなく、純粋な好奇心である。
しかし、丸山は白壁傑次郎(東京帝大を卒業後、五高で教授に)のこんな証言も記録している。
私が一番ヘルン先生に感服したのは作文を丁寧に見て返されることです。(中略)先生は五高を嫌っていられた様ではあるが、それは生徒を嫌われたのではないと思う。五高の当時者が人を遣う道を知らないといって不平を言っていられたということは、耳にしたことがある。
なるほど、これは重要な証言だ。白壁によれば、八雲が嫌っていたのは生徒ではなく「五高の当事者」つまり学校の管理側、上司にあたる人間たちだったというのだ。「人を遣う道を知らない」という不満は、要するに教師をコマとしてしか扱わない学校運営への苛立ちである。
週27時間という重労働も、そういう文脈で見ると少し違って見えてくる。八雲は生徒に怒っていたのではなく、そういう環境に自分を置いた組織に、そして思い描いていた理想の教育者像と現実の乖離に、怒っていたのかもしれない。
■話しかけてくる生徒は極わずか
では、なぜ卒業生への恨み節が出てくるのか。
熊本県出身の丸山は、そこまで八雲が熊本を嫌った理由が気になったのか、熱心に調査し考察をしている。
丸山がまず挙げるのは松江に比べると生徒が八雲に話しかけることが少なかったことだ。丸山は八雲の掌編『九州学生』で、軍事教練の支度をしている生徒と八雲が運動場の隅で談義する場面をさして、これは「かくあってほしいというヘルンの欲望を現したものに過ぎない」と断言している。
実際、八雲は授業時間の合間にいつも校庭でパイプを吹かしていた。しかし、話しかけてくる生徒は極わずかだった。松江の頃には着任当日から生徒が旅館に訪ねてくるほどだったというから、八雲としてはかなり不満だったに違いない。
「松江ではあれほど慕われたのに、なぜ熊本の生徒は話しかけてこないのか」おそらく八雲の頭の中はそういう比較で埋まっていたはずだ。現代風に翻訳すれば、「なんでスカした態度取ってるんだ。九州じゃエリートかもしれないけど、意識高い系か?」といったところだろうか。
丸山によれば、これは八雲の前任の外国人教師が人嫌いで生徒の来訪を嫌っていたことに加えて、熊本独特の気質が影響していたという。
■「話しかけに行くのはみっともない」熊本の気風
九州人は元来粗野で非社交的である。ことに熊本人はそれが甚だしいので自ら求めて教師に個人的な接近をはかるというようなことは一つの恥辱とさえ考えている。この風習は今日でも残っているのであって、松江人の温敬的な社交的な性質とは正反対である。
さすが熊本県出身の丸山だけあって、身内への評価が容赦ない。
要するに、八雲が「よそよそしい」と感じた熊本の学生たちは、別に八雲を嫌っていたわけでも、授業に不満があったわけでもなかった。ただ、「先生に自分から話しかけに行く」という行為そのものが、熊本の気風においては「みっともないこと」だったのだ。
松江では美徳とされていた行動が、熊本では恥とされていた。文化の違いといえばそれまでだが、そんな背景を知らない八雲には、ただ「冷たい生徒たち」に見えるだけだった。
すれ違いとは、たいていこういうものである。
一方で丸山はやっぱり八雲の性格も問題があったことはきちんと指摘している。
前にも述べたように彼は感情的な性格であって一つが気に入ればその近くのものすべてが気に入って来るが、なにか不愉快なことがあればその気分をほかのそれと間近にあるものまでも及ぼすのである。
■“わずかな生徒”とは親しかった
手厳しいが、まったくその通りである。
しかも忘れてはいけないのが、この時の八雲はすでに40代。当時の感覚でいえば初老に差し掛かった、いい大人である。それが仕事に対して、生徒に対して、土地に対して、一つ気に入らないことがあれば周辺のものすべてが嫌いになる。松江が好きだから松江の生徒も好き、熊本が合わないから熊本の生徒も合わない。まるで「給食のピーマンが嫌いだから今日の給食全部嫌い」と言い張る小学生である。
いや、小学生に失礼か。思春期の自意識と幼稚園児のわがままが、そのまま中年男性の体に封入されたとでも言うべきか。
よくもまあ、セツは最後まで正気を保って添い遂げたものだ。
そんな中でも、わずかな生徒は八雲と親しく交流をしていたようだ。その1人が八雲が住んだ屋敷の所有者の次男・赤星典太(後に内務官僚)。彼に至っては、生徒であるだけでなく最初の1年あまりは屋敷内の別棟に住み、書生の役割も果たしていた。
赤星は後に長崎県知事に就任、最初の共同募金運動を始めた功績で知られることになるのだが、ここには八雲の教育的影響があったともされている(中嶌洋「長崎県社会事業協会による『社会事業費共同募金運動』の背景 長崎県知事,赤星典太の思想へのアプローチを中心に」『日本獣医生命科学大学研究報告』64)。
■八雲を「変人すぎて面白い」と思えるかどうか
もうひとり、もっとも八雲と親しくした生徒として、丸山は後に神奈川県知事などを務めた安河内麻吉を挙げている。安河内との親しさは群を抜いていて、彼が進学する際には、わざわざ東京帝国大学のチェンバレン教授に「うちの教え子が進学するのでよろしく」と手紙に書いているほど。
いったいなにが、そこまで八雲に好まれたのか?
伝記的記述が少ないのだが、安河内自身も何かに没頭するタイプだったようだ。そのあたりで、八雲の気質とウマが合ったのかもしれない。
結局のところ、八雲という人間の扱いには二択しかない。「面倒くさい」と距離を置くか、「変人すぎて面白い」と距離を詰めるか、である。熊本の学生たちの大半は前者だった。安河内は後者だったわけだ。
こうしてみると、セツもまた後者の人間だったことがよくわかる。隻眼で、距離感がおかしくて、松江の怪談を聞き歩き、葉巻をくわえながら人力車で走り回る外国人。普通に考えれば、関わりたくない。しかしセツは「なんかこの人、変人すぎて面白いわ」と思えるタイプだった。そうでなければ、結婚はあり得なかった。
気難しい天才を傍に置ける人間というのは、才能を愛でるのではなく、その面倒くささごと楽しめる人間なのだ。赤星も、安河内も、そしてセツも、みんなそういう人間だった。僅かでもそういう人たちと出会えた八雲は幸運である。本人は全然そう思っていなかっただろうけれど。
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昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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(ルポライター 昼間 たかし)

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