■食事は手づかみ、歯磨きも洗面もしない
保護から2週間程度は、騒然とした日々が続いた。外には信者やマスコミが詰めかけ、警察官がものものしく警備にあたっていた。
この間、警察による子どもたちへの事情聴取が優先して行われている。子どもたちはその合間に、ビデオを観たり、ボール遊びをしたり、思い思いに遊んでいた。
ただ、食事は手づかみ、歯磨きや洗面はせず、おもちゃは出しっぱなし。判定課長だった保坂三雄さんは「まるで野生児のようだった」と、保護直後の様子を振り返る。日誌には、子どもたちの行動が次のように記されている。
・4月15日
子供達の散らかしたり汚したりは、そうとうなものである。〈中略〉おもちゃを次から次へと出しては遊び、片付けることはせずちらかし放題である。汚れを全く気にしない子供がほとんどである。(原文ママ、以下同)
事実上、しつけをする大人がいない環境で育った子どもたち。
例えば4月19日、朝食の後に整列して朝礼、ラジオ体操を行うことにした。しかし、子どもたちは簡単に言うことを聞いてくれない。外に並ぶよう呼びかけても、無視して遊び、体操は頑なにしようとしなかった。
■水遊び中に「サリンをまくぞ!」
職員は日誌に「オウムの教育を受けており、こちらが規律を正しくする言動に対してことごとく反発する。自由時間は文句なく楽しく遊ぶ」と記している。
さらに、子どもたちの遊ぶ様子からは、オウムの影響も垣間見えた。
・4月17日
外へ出てブランコ、一輪車、砂遊び、水遊びなどをする。〈中略〉水遊びの中で、「サリンをまくぞ」「毒ガスだ」オウムの各種の歌など、小さい頃から、オウムの考え方の教育が徹底して行われていることがうかがわれた。 ・4月22日
土ダンゴを作り爆弾と呼ぶ。女子寮にそれを投げ、第三次世界大戦と発する。
おもちゃは石を落として壊す。
この間、ちょっとした騒動が起きる。4月16日、一部の子どもが、事務室に置いてある新聞を見つけ、「読ませろ」と騒いだのだ。児相では、子どもを刺激してはいけないと、テレビニュースや新聞は一切見せず、オウムの情報を遮断していた。
結局、新聞を読ませることはなかったが、日誌には「かなりしつこい」と記してある。子どもたちはその後も敷地外に脱走しようとしたり(4月19日)、外にいる信者に助けを求めたりする(4月22日)など、職員にとっては気が抜けない日が続いた。
■徐々に職員を「オマエ」呼ばわりしなくなる
この頃の子どもたちの言動として「警察は毒ガスやサリンをまいた。無理やり俺たちを連れて来た悪い人、尊師の命を狙っているんだ」「白いご飯はシロアリ駆除剤が入っている。そのうち俺たちは死ぬ」といった言葉が記録に残っている。
一方で、児相での生活が続くうちに警戒心が薄れていったのか、次第に子どもたちはさまざまな表情を見せるようになる。
・4月25日
本当に少しずつであるが、“ありがとう”“ごめん”が言える子が出始める。
また悪いコトバを使うことがあっても職員が注意すると、自分の非を認めることもでき始める。職員に対する警戒心がかなりなくなった感じを受ける。
■年長児と幼い子の間には上下関係があった
しかし、オウムへの出家期間が長い子や、年長の子ほど、職員への警戒心を解いていなかった。日誌とは別の報告書には「遠まきに職員の動きなどをみて、冷ややかな行動をとっていた」と記されている。
また、年長児と幼い子どもの間に明確な上下関係がみられた。別の記録には、「(威圧的、命令的、にらみ→服従的)、上位者のみ徒党、相互監視的、友情乏しい」と記されている。年長児がオウムから抜け出すには、まだ時間がかかりそうだった。
なお、4月25日から、住所が判明した子どもたちの県外への移送が始まった。児相から1人、また1人と去っていくが、子どもたちの間に寂しがる様子や動揺は特にみられなかった。
5月2日までに、24人が県外の児相に移送されたため、婦人保護相談所で寝泊まりしていた女子も一時保護所に戻り、これ以降、男子と一緒に寝泊まりすることになった。
■「それは任意か強制か」とたずねる子ども
児相の判定課長の保坂三雄さんはこの頃、休む日もなく、連日出勤していた。子どもたちと毎日のように、面談を重ね、心理状態を調べていた。一時保護所で遊んでいる子どもを一人ずつ呼び出し、面接室で話を聞くのだ。しかし、素直に話をしてくれる子はあまりいなかった。
「心理検査に行こうと言うと、『それは任意か強制か』ということを聞くんですよね。『いや、強制じゃないけど、一緒に行ってくれるとうれしいんだけどね』と言って、やっと来てくれます。面談の部屋で遊びながら、だんだん落ち着いてきたら、じゃあ、お絵描きをしようかと。絵を描いてもらったんです。描画法という心理検査の一環なんです」
警戒心を解こうとしない子どもたちに、あの手この手で、保坂さんたちは心理検査を試みようとしていた。最初の取材で見せてもらった絵は、そのときに描かせたものだった。
絵を使った心理検査を「HTP検査」という。家(Home)、木(Tree)、人(Person)の3つを描いてもらい、子どもの心理状態を調べようというものだ。
保坂さんによると、家の絵は、家族に対して抱くイメージや家庭状況を表現しているといわれる。子どもたちが描いた絵の中には、家が傾いたり、崩れかかったりしたものがあった。両親が離婚し、母子で出家している子が多く、家庭の崩壊が絵にも表れているというのだ。
また、煙突から煙が出る家を描いた子は、2割にのぼり、家庭内での葛藤や他者への攻撃性を示しているとされる。
■裸や棒人間しか描けない心理状態
木の絵についても、紙の隅っこに小さく描いたり、はっきりと描けなかったりする子が多く、社会的・心理的に未熟であると解釈された。教団の外で生活したことがなく、また、絵を描くという経験が不足しているためだとも推測された。
一方で、一時保護所での生活を経たことで、大きくはっきりと描けるようになった子もおり、抑圧していた自我を回復する過程が見て取れるという。
人物画は、現実の自己像を反映するとされる。子どもたちが描いた人物画は、裸の人や棒状の人が多く、自我機能が低下している可能性がある。
オウムによって、心にさまざまな影響を受けた子どもたち。保坂さんたち児相職員は温かく見守ることしかできなかった。それでも一時保護所での生活を続けるうちに、子どもたちは少しずつ変わっていった。
■勝てなかった“綿菓子の甘い誘惑”
5月5日、こどもの日。一時保護所では、職員が出店をつくって、綿菓子づくり、金魚すくい、ホットケーキづくりなどのイベントが開かれた。
年少児はすぐに楽しい行事にはしゃいだが、年長児は冷ややかにそれを見ていた。しかし、甘い香りの誘惑に勝てなくなったのか、午後にはついに綿菓子を口にした。子どもたちの中には、20本も綿菓子を食べた子もいたと記録されている。
現実の楽しさを前にして、オウムの教えを守ることは難しくなっていた。日誌には「全体的に以前よりも職員に関わるようになったと感じられる」「年長児も自然に話に加わってくる場合がある」とあり、職員に対して頑なだった子どもたちが徐々に、児相での生活に心を開いてきた様子がうかがえる。
保坂さんもこの日のことを「流れが変わった」と記憶している。しかし同時に、完全にオウムを断ち切るのはまだ先だとも感じた。子どもたちに「おいしかったか」と尋ねても、みな一様に「わからない」と答えたのだ。
「現世の楽しいこと、おいしいということを知ってしまうと、死んでから苦しむ。地獄に堕ちると言うんです。非常に恐怖を持ってオウムの教義が教え込まれていたのだと思います」
それでも、この日を境に、子どもたちの生活には、落ち着きがみられるようになった。
・5月8日
大分表情や態度が柔らかくなってきている。笑い声も大きく、職員に甘える年長児もいる。職員から話し掛けるよりも児童からの話し掛けが多く、口調も乱暴な言葉使いではあってもとげとげしさはない。今まであまりしゃべらなかった年長児も学校の話をしたりと徐々に気持ちを開いてきている様子。
この頃から、女子は食事の配膳を手伝うようになり、決められた時間に就寝できるようになった。ボール遊びや砂遊びなどで職員と交流するなかで、一時保護所には、4月のときにはなかった「和やかな雰囲気」が漂うようになっていた。
(集英社インターナショナル)

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