先の衆院選(2月8日投開票)では、自民大勝の一方で、中道改革連合などリベラル政党が大敗した。リベラルはもう「オワコン」なのか。
作家・批評家の物江潤さんは「新規顧客の獲得を考えない限り衰退は続く。衆院選での『#ママ戦争止めてくるわ』拡散は象徴的な行動だった」という――。
■リベラル政党が惨敗したワケ
2月8日投開票の衆院選で、自民党は歴史的大勝を果たした。その一方、いわゆるリベラル勢力は惨敗を喫した。このまま日本のリベラルは衰退していくのだろうか。
結論から言えば、この衰退傾向は、まだ出口が見えていない。SNSを市場と見立てたとき、日本のリベラルは新規顧客の獲得に失敗しているためだ。
この件に関し、産経新聞の記事(2月22日13時配信)“ママは何を止めにいったのか 限界迎えた左派の反戦キャンペーン「日本は戦争したい国」”がネット上で大きな話題を呼んだ。
中道改革連合は、「#中道いいじゃん」というハッシュタグとともに、当時SNS上で話題を集めていたタグ「#ママ戦争止めてくるわ」を積極的に拡散した。こうした選挙戦術が戦果をあげられなかったばかりか多くの批判を浴びたことについて、産経新聞の同記事では手厳しい批判が展開されている。
彼らの主張を見ていると、いつも同じような考え方の人としか接していないのではと思えてくる。インターネット上で見たい情報ばかりに集中することで、似たような情報しか入ってこなくなる「エコーチェンバー」が日常的に繰り返されているようなものだ。

産経新聞「ママは何を止めにいったのか 限界迎えた左派の反戦キャンペーン「日本は戦争したい国」

■SNS運用での失敗
もっとも、SNS上ではリベラルに限らずエコーチェンバーが生じている。社会に大きな問題をもたらしてきたエコーチェンバーだが、それは大変に熱心な支持者の獲得(育成)につながるため、残念ながら選挙戦においては武器になってしまう。
だからこそ、SNSを通じた「新しい支持者の獲得」と「エコーチェンバーの抑制」という両立が求められるが、その達成は容易ではない。とりわけ後者を軽視する政党・政治家は後を絶たないだろう。
一方、今回の選挙においてリベラルは、この両立に失敗していたどころか、いずれかの達成すらできていなかった。なぜならば「#ママ戦争止めてくるわ」というハッシュタグでは、先述した新規顧客の獲得は望めないからだ。より正確には、こうした戦術が有効だと考えてしまう思考そのものに根本的な問題がある。結果、エコーチェンバーの弊害だけが生じ、それは他政党を利することにさえなっただろう。
■現在進行中の「常識の亀裂」
こうした事態を考えるためのキーワードが「常識の亀裂」である。ここでの亀裂とは、これまで自明視されてきた常識や世界観に生じるずれを指す。
この「亀裂」がもたらす深刻な影響は、近年各地で見られるようになった、実家の親とYouTubeをめぐる、ある悩ましい問題を具体例とすれば分かりやすい。つまり、久々に実家に帰省してみると、親がYouTubeにはまり極論を主張するようになってしまったという、今や珍しくない現象のことだ。

プレジデントオンラインの記事“「孤独な親」はいつ陰謀論にハマってもおかしくない…実家に帰省した時にやっておきたい「再生履歴」の大掃除”が示唆するように、もはや彼らは身近な存在になってしまった。
学校の教科書・授業や、マスメディアによる報道は、人々の常識・世界観を形作ってきた。しかし、当然ながらそれらがいつも正しいとは全く限らない。とりわけパンデミックや経済危機のような非常時においては、それまでの常識・世界観に疑義が呈される(亀裂が生じる)ことで、人々は不安に苛まれやすくなる。必然的に、これまで常識・世界観を提供してきた側の信頼は崩れかかる。
■「#ママ戦争止めてくるわ」のズレ
そこに、新しい常識・世界観を提示する人々、すなわちインフルエンサー・YouTuber、または政治家のような存在が出現する。彼らの言説に魅了されていくほど、これまで有していた常識・世界観に亀裂が広がり、時として完全に破壊され更地になってしまう。そしてその更地になった場所には、全く新たな常識が刷り込まれていくのである。
更地にて、新たな真実の世界を提示できた人間は絶大な信頼を得る。その信頼が金や票に変換されるため、こうしたビジネスモデルや選挙戦略は増えていくだろう。
ひるがえって、「#ママ戦争止めてくるわ」というハッシュタグはどうだろうか。この言葉はどう見ても、従来の常識・世界観の延長線上か、それに直情的なニュアンスを添えたものだろう。
だから、この言葉が従来の常識に亀裂を生じさせるはずがない。新規の支持者を獲得する見込みのない言葉なのである。
それどころか、従来の常識・世界観と照らし合わせてみても、(たしかに延長線上ではあるが)過激なものと有権者に見なされる言葉だった。当時、優勢が伝えられていた自民党は戦争をしようとしており、それを止めるために(中道に)投票するのだといわんばかりの世界観は、果たして有権者の心象風景を広く捉えたものなのだろうか。それというよりは、リベラル政党を以前から熱心に支持する一部の人々による、限られた世界観だと理解した方が正確なのではないだろうか。
■逆に有権者の離反を招いた
引用した産経新聞の同記事では、リベラル寄りとされるタレントのたかまつなな氏もまた、「#ママ戦争止めてくるわ」について苦言を呈する様子が記されているように、むしろエコーチェンバー下において流通する言葉だとした方が適切でさえある。
「#ママ戦争止めてくるわ」という言葉は、エコーチェンバーが生じている、特定の考えを持つ人々が集う空間で発せられるべき言葉であった。あえて言えば、閉ざされた空間にて、既存の支持者の熱量を高めるという役割は果たしえたものだった(もっとも、この熱量は誹謗中傷などのトラブルを誘発しやすく、法的・倫理的な問題を生みやすい)。
しかしリベラル政党は、新しい支持者を獲得するために、この言葉をオープンな場で拡散してしまった。結果、その目的が未達に終わったどころか、有権者の離反を招いてしまった格好だ。
本論の冒頭で、SNSを市場と見立てた。新規顧客の見込めないリベラルと、それとは反対に拡大している保守という二つの市場がある状態だ。
そんななか、SNSのプラットフォーマーやインフルエンサー・動画配信者たちが、利益を最大化するために取る経済活動は、もはや明白だろう。リベラルを敵とした言説や動画は、市場合理性に従い大量に拡散される。
そんななか、有権者から違和感を持たれる「#ママ戦争止めてくるわ」といった言葉を大いに拡散してしまったのだ。リベラルを敵とする言説・動画に格好の材料を提供したといってよいだろう。
■新たな「真実」がカネと票に変わる
いつの世でも常識は変わっていく。このままリベラルの衰退が続けば、リベラルは見るべき価値のない存在だという新たな常識が形成されていくかもしれない。
しかしそのとき、リベラルは立場が変わり、亀裂を生じさせる側に転じる。SNSの世論はスピーディーに変わっていくことを踏まえれば、もしかすると、そう遠くない未来に待ち構えているのかもしれない。
ただし、それは最悪のシナリオへと続く道でもある。
亀裂が生じ、新たな常識・世界観が生まれる。が、この常識・世界観が支配的になっていけば、それはある意味で当たり前のものになる。必然的に、先述したインフルエンサーや政治家らのビジネスモデル・選挙戦略は崩壊してしまう。

したがってここに、新しかったはずの常識・世界観に、また亀裂を生じさせようとする契機が生まれる。「新たな真実・世界観を植え付けること」が金や票に変換される以上、SNSは恒常的な不安定化を余儀なくされるのである。しかもそれが政治と直結することで、政治もまたSNSと連動して過激化・不安定化が進むだろう。
■いまのままでは「新規顧客」は現れない
その不安定な状態において、たしかにリベラルは一時的に大きな支持を得るのかもしれない。インフルエンサーらに乗じ亀裂を票に変換していけば、勢力が拡大する可能性もあるだろう。しかし、それは本当にリベラル政党が目指すべき未来なのだろうか。
リベラル政党は、他の党よりも理想的なレベルで平和を希求するはず。その一方、SNSの熱狂に依存し分断に加担してしまえば、言動不一致だと見なされても致し方がない。そしてそれは、自らが掲げた崇高な理想・理念に泥を塗る行為でもある。自らの存在意義を見失った迷走する政党に、果たして日本の未来を託す「新規顧客」は現れるのだろうか。
昨今、リベラルが構築してきた常識・世界観に亀裂が生じると(異議を唱えると)、それを上から目線で啓蒙しようとしたり、なかには小ばかにしたりするような振る舞いがSNS上で散見される。ビジネスに置き換えれば、自社製品が売れなくなった理由を「消費者が無知だからだ」と見下す、傲慢で旧態依然とした大企業と同じである。
多くの反感を買い、顧客(票)を失っただけでなく、人々の亀裂をさらに拡大させてしまったと言わざるを得ない。
■リベラルが生き残るためにやるべきこと
いま求められているのは、異議に対し啓蒙することではないはずだ。その生じた亀裂には人々の不安・不満・願いが隠されていると捉え、同じ地平に立ってその理由を探り、ともに亀裂を修復するという丁寧で協働的な営為なのではないか。
その過程で、これまでリベラルが築き上げてきた常識・世界観は変わるかもしれない。だが、その変化さえ引き受けられないなら、新規顧客は決して戻ってこない。そもそも、世界観の柔軟性・可変性なくして、リベラルの目指す多様性は担保されないはずだ。
リベラルの足元が、ぐらついているように思えてならない。安易なSNS戦略に追随するのではなく、有権者とともにリベラルという看板そのものを再定義していくことが求められているのではないだろうか。

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物江 潤(ものえ・じゅん)

作家・批評家

1985年福島県生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、東北電力、松下政経塾を経て、政治・社会・教育などについて執筆活動を続けている。著書に『空気が支配する国』(新潮新書)『入試改革はなぜ狂って見えるか』(ちくま新書)『現代人を救うアンパンマンの哲学』(朝日新書)など。近著に、尾崎行雄記念財団「咢堂ブックオブザイヤー2025」選挙部門大賞を受賞した『SNS選挙という罠』(平凡社新書)がある。

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(作家・批評家 物江 潤)
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