中国人観光客や移住者の増加にともない、新たにチャイナタウン化する街が増えている。人気サイト「東京DEEP案内」管理人の逢坂まさよしさんは「関西にも中国人観光客が押し寄せている。
古くからの街並みが一変し、ガチ中華の店が並ぶ“新・中華街”になったところもある」という――。
■日雇い労働者たちが通う「中国人カラオケ居酒屋」
日本社会における最底辺層に位置づけられていた、その日暮らしの日雇い労働者やホームレスが集まる街といえば、東京の「山谷」、横浜の「寿町」、そして日本一の規模のドヤ街が形成されている大阪市西成区の通称「釜ヶ崎」があげられる。
時代の変化に飲まれながらも常に雇用の調整弁として不安定な生活に身を任せていたかつての荒くれ者の労働者達も、とっくに現役から退きすっかり高齢化してしまっているのが現状だ。
代わりに釜ヶ崎の街に現れたのは、高齢者と化した日雇い労働者のオッチャン達の老後の癒やしの場として機能している、中国人実業家が経営する「カラオケ居酒屋」の数々だ。
古びた商店街の空き店舗にあれよあれよと増殖して、今ではすっかり街の顔として定着している。
いつの間にか釜ヶ崎の商店街も中国人経営の飲食店や民泊といった施設が増え始めて、“新・中華街”と呼べる様相を呈している。
当方はそんな西成・釜ヶ崎をかれこれ20年もの間、生暖かい目で見守ってきた。かつての労働者の街が生々しく“変容”してゆく様子、そして日本社会の一部が中国人コミュニティによって書き換えられていく“現実”の一部始終を読者の皆様にお伝えしたい次第である。何も池袋や西川口に限った話ではなく、日本列島の隅々に“中華街化”の波が押し寄せようとしている、その一部始終を……。
■中国人カラオケ居酒屋を展開する「盛龍グループ」
釜ヶ崎の商店街に中国人経営のカラオケ居酒屋が増えだしたのは2013年以降の話である。それから3年後の2016年には約100軒ほどにまで増殖しており、店主が高齢化した元々の商店の跡地がごっそりカラオケ居酒屋に置き換わってしまった。
こうしたカラオケ居酒屋ではカラオケ1曲100円ポッキリ、ドリンク類は1杯500円といった低価格で、生活保護のなけなしのカネで細々と暮らす、元労働者のオッチャン達のハートを鷲掴みにした。

中国人カラオケ居酒屋でとりわけ勢いがあるのが「盛龍グループ」であり、飛田本通商店街を中心にかなりの数の店舗を展開する他、民泊なども手掛けているようだ。
盛龍グループ代表の林伝龍氏は1997年に来日して、日雇い労働者として西成で働き始めてから事業家としての道に進み、今では“西成のドン”とまで呼ばれる存在になった。
■6000万円で建てられた“関帝廟”
“新・中華街”としてすっかり板についた感もある釜ヶ崎において、盛龍グループを中心とした在日華僑団体「大阪華商会」によって、2023年12月に商店街のアーケードを外れた路地に建てられたのが「大阪関帝廟」である。
隣接するスーパーの物流倉庫だった土地を買い上げて約6000万円で建てたという関帝廟は一般客の参拝も自由に可能で、中にお邪魔したこともあったが、応対してくれたおばちゃんは地元の日本人らしく、色々と親切にして頂いた。
関帝廟の中を見学させてもらったが、こじんまりとした建物ではあるものの、中はしっかり豪華絢爛ぶりを放っていた。中央の祭壇の真ん中に鎮座するのが中華圏では商売繁盛の神として祀(まつ)られる関帝聖君であり、横浜や神戸など日本国内の他の中華街にも同様のものがある。大阪関帝廟は西成における中国人コミュニティの拠点として、これからも機能してゆくのだろう。
■中国人が約8000人暮らしている
関帝廟の周りの路地を見てみると、他にも中国人経営の飲食店やら民泊やらがびっしりと連なる様子が……。ここらへんは完全に中国人のテリトリーと化しているようで、もはや日本であって日本ではないといった感覚だ。
参考までに西成区と隣接する浪速区には中国人が約8000人暮らしており、釜ヶ崎を含めこの界隈は大阪市内でも比較的高密度で「中華街化」が進んでいると見て良い。
■“ガチ中華”密集地帯が誕生
ちなみに西成以外では難波・日本橋、中央区島之内付近に“ガチ中華”の密集地帯がある。
飛田本通商店街にも、中国人カラオケ居酒屋だけに留まらず、中華系の飲食店が結構増えつつある。
最近見られるのが、台湾の米どころ「池上(チーシャン)」の名物駅弁である「池上木片弁当」を販売する店舗だ。
あくまで台湾の弁当屋だが、恐らく経営者は中国系だろう。具沢山でボリューミーな台湾風駅弁が一個800円からと割とリーズナブルな価格(それでも釜ヶ崎の弁当屋の中では高い部類だが)で買えることから、それなりに評判が出て、今では天神橋筋商店街など他の場所でも系列店が増えている模様だ。
■飛田新地のすぐ隣で「日中交流フェス」
西成・釜ヶ崎でカラオケ居酒屋などを展開する「盛龍グループ」はさらに2025年4月に「日中交流フェス」を開催、2日間にわたって華々しく開かれたイベントの様子を見に行った。
大阪の裏名所である一大歓楽地・飛田新地を目前にした商店街の脇の空き地が会場に使われたが、この土地は盛龍グループの林会長がマンション建設用地として取得したもので、空き地の隣には、飛田新地(遊郭)が成立した大正時代に建設された通称「嘆きの壁」と呼ばれるコンクリート製の擁壁がある。
■既成事実化が進んでいる?
この「日中交流フェス」では日本と中国の屋台料理がこれでもかというほど並べられ、こちらもすっかり食い気が勝ってしまい、羊肉串に水餃子、酸辣粉(サンラーフェン)といったガチ中華メシの数々を壮大に食い散らかした次第である。
どの料理も一切日本人に遠慮していない。酸辣粉なんか本場同様、むせるくらい辛かったし、なんなら毎年やって欲しいくらいの勢いだったが、残念ながら会場はマンション建設用地のため開催は今回の1回きり。一期一会のイベントだった。
こうしたイベントを通して、西成における新・中華街の既成事実化を推し進めたいのが中国人コミュニティの狙いかもしれないが、いずれにせよ今後も形を変えて様々な催し物が行われるものと見ている。
■飛田新地にも中国人観光客が押し寄せている
そして大阪の裏プレイスポットとして長年の歴史を有しながらも独特のオキテから今なおタブーのベールに包まれた大人の空間「飛田新地」も、隣接する「新・中華街」に呼応するかのようにその様相が変わりつつある。
10年前くらいから飛田新地の“料亭”の客に中国人観光客がやってくるケースが増えている。
これまで秘密のベールに包まれていたニッポンの“色街”に唯一無二の魅力を感じているらしく、もはや観光スポットの一つとして中国を含めた外国人観光客が訪れる場所に変わってしまった。
■中国人観光客とのトラブルも発生
飛田新地の中の公衆便所付近で流れる自動音声の案内もいまや日本語と英語で「飛田新地にようこそ、ウエルカム・トゥ・トビタシンチ」なんて言っている始末で、飛田新地料理組合にとっても基本的に外国人ウエルカムのようだが、特に中国人の場合は利用マナーが悪い客も多く“料亭”側とトラブルになるケースもよくあると聞いている。
“温故知新”という言葉が日本にはある。西成・釜ヶ崎という日本屈指のディープゾーンにおいてもその言葉が通じてくれることを願わずには居られないが、この街の近年の変化の激しさは正直なかなかついて行けないレベルだ。あと10年後、20年後になっても、この街ならではの素朴な下町の街並みと、飛田新地という唯一無二の空間が健在でいてくれるのか、やはり一抹の不安が拭えないのである。

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逢坂 まさよし(おうさか・まさよし)

「東京DEEP案内」管理人

日本各地に残るディープな街並みをテキストと写真で紹介する人気サイト「東京DEEP案内」管理人。現在は有料noteに移行して発信を続けている。著書に約4万部を売り上げた『「東京DEEP案内」が選ぶ 首都圏住みたくない街』(駒草出版)などがある。

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(「東京DEEP案内」管理人 逢坂 まさよし)
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