2月の衆院選で与党が憲法改正発議に必要な3分の2以上の議席を確保したことで、憲法改正の可能性が取り沙汰されている。高市政権は本当に憲法を改正するのだろうか。
東大名誉教授の井上達夫さんは「高市首相は選挙で憲法改正を訴えず逃げ回っていた。選挙を意識した姑息なやり方だ」という――。
■憲法改正の条件が整いつつある
高市首相は、本年2月8日の抜き打ち解散総選挙の奇策が功を奏し、自民単独で316議席、連立パートナーの日本維新の会とあわせると352議席を獲得するという圧勝を収めた。
自民単独で、衆院議席の3分の2、維新をあわせると4分の3を超えている。いずれも改憲を主張する政党だから、憲法改正案発議の要件である総議員の3分の2の同意という条件は衆院においては十二分に満たされたことになる。
参議院では自民および同一会派の無所属と維新合わせて121議席で、過半数に足りていないが、憲法改正に前向きな国民民主党が25議席、参政党が15議席、日本保守党が2議席で、さらに2議席をもつチームみらいも憲法改正を拒否してはいないので、これらも合わせると、165議席となり、参議院定数248の3分の2を超える166まであと1議席である。
■旧立憲民主党が応じれば参院でも3分の2を超えられる
実は、立憲民主党は参議院では独立党として残存しているが、これを単純に護憲派政党とみなすことはできない。その綱領や基本政策では、立憲主義の深化は求めるが、改憲否定の護憲派的立場は採らず憲法改正論議には応じるという姿勢をとっている。
立憲民主党の中には護憲派的立場の議員も多いが、本音においては改憲の必要を認めている者も存在する。憲法改正発議案の内容にもよるが、現在の参議院でも3分の2のハードルを越えることはまったく不可能というわけではない。
周知のように、高市首相はかねてから日本の安全保障強化のために憲法9条改正を唱えてきた人物である。以上のような国会での現在の勢力関係を踏まえるなら、今般の総選挙での大勝を弾みに高市政権が9条改正に向けて本格的にエンジンをふかすのではないかと見る向きが多い。
参院のハードルを越えられるかという政局的問題に関心が向けられているが、根本問題は、本当に高市政権は9条問題と本格的に向き合い、それを抜本的に解決する意志と展望を有しているのか、という点である。
■「9条問題」の解決は先送りできない
何よりもまず、国際社会は激変しており、9条問題解決を日本はもはや先送りできない状況にあることを直視すべきである。
ロシア・中国・北朝鮮など、日本海を隔てて目と鼻の先にある「核武装した強軍国家」が、専制的指導者の下で日本への敵対的姿勢を強めている。
それだけではない。トランプ政権下の米国は、中国・ロシアに懐柔的姿勢を見せる一方で、逆に、欧州・カナダ・日本・韓国・オーストラリアなど同盟諸国に対して関税問題だけでなく安全保障問題についても専横かつ敵対的な圧力をかけ、グリーンランド割譲やカナダの米国併合など領土要求まで、軍事的手段使用の可能性すらちらつかせながら、執拗に突き付けている。
さらに、ヴェネズエラ侵攻、イラン侵攻など、国際法を全く無視した実際の軍事介入も奔放化させている。G7からG2へという米中2国による世界分割統治体制への移行さえ、トランプはほのめかしている。
■世界は「米国依存からの脱却」に進んでいる
こうした動きはトランプ政権の間だけのものではないだろう。米国でトランプが一旦失脚した後、捲土重来(けんどちょうらい)して政権を再獲得した事実は、第二次トランプ政権終焉後も、第二、第三のトランプが再出現する可能性のある政治風土が、いまや米国に浸潤していることを明らかにした。
これまで、現実主義者を自認する人々は、「米国による平和(パックス・アメリカーナ:Pax Americana)」と呼ばれた米国主導の戦後国際秩序について、ルールに基づく国際社会秩序という国際公共財を確保する責任を米国が曲がりなりにも――かなり曲がってはいるが、それなりに――背負ってきた点で、「最小悪の覇権国(the least evil hegemon)」だとして信頼してきた。
だが、現実主義者たちの間でも既に米国へのこの信頼は失われ、「パックス・アメリカーナ」の終焉が語られている。
いまや欧州諸国・カナダは経済・軍事両面でこれまでの対米依存偏重からの脱却を検討しつつある。
日本も、日米安保体制下での日本防衛への米国側のコミットメントを信じて疑わないという従来の「米国依存症的願望思考」からの脱却を検討すべき時期に来ている。
■高市首相は「憲法9条問題」に本気で向き合おうとしているのか
日本の主体的な安全保障体制を確立するためには、日本の自衛戦力を憲法上明確に位置付けると同時に、その濫用を抑止するための「戦力統制規範」を憲法に明定することで、自らの戦力に対する立憲主義的統制を確立強化する必要があるが、このことを私は長年にわたり主張し続けてきた(私見を学術的にまとめたものとして、拙著『立憲主義という企て』東京大学出版会、2019年、第4章。一般向けに解説したものとして『憲法の涙』毎日新聞出版、2016年や、『ウクライナ戦争と向き合う――プーチンという「悪夢」の実相と教訓』信山社、2022年、第3章などを参照されたい)。
1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を回復した後も、70年以上にわたって憲法9条改正を棚上げし、自衛隊の法的地位を曖昧なまま放置してきたのは、「いざとなったら米国が守ってくれるから大丈夫」という甘えがあったからである。しかし、上記のような国際情勢の構造変化による日本の安全保障環境の緊迫化は、この甘えを超えて、立憲主義的に統制された主体的な安全保障体制の確立という私見が提示してきた課題を遂行することが、もはや先送りの許されない緊要性をもつことを示している。しかし、高市首相がこの課題と本気で向き合おうとしているのか、疑わしいと言わざるを得ない。
■衆院選で「9条改正」を世に問うべきだった
今般の抜き打ち解散の「大義名分」として、石破首相から高市首相に首相が交代し、連立パートナーを公明から維新に変更して、政権と政策の枠組みが変わった以上、それに対して国民の信を得る必要があるというものだった。
私は衆院解散を首相専権事項とする「7条解散」論を否定する立場だが、それはおくとしても、この「大義名分」論に従うなら、自公連立から自維連立への政権枠組変更が含意する最大の政策変更は9条改正に対する立場の変更であるはずだから、それを有権者に明示して信を問うべきだった。
それにもかかわらず、他の具体的政策論を回避したのと同様、最重要なはずの安全保障政策変更問題について、高市首相は総選挙で有権者の信を問うことを回避した。これはまったく姑息としか言いようがない。
上記のような国際情勢の構造変化の下で、日本の安全保障体制の欠陥の是正が急務であるにもかかわらず、こんな問題回避姿勢をとるのは無責任でもある。
■自民党「9条改正案」は愚案
自民党が党として現在掲げている「改憲4項目」のうち、9条改正に関わる案は、自公連立下で安倍首相が打ち出したいわゆる「安倍加憲案」を基礎にしたものである(参照:https://www.jimin.jp/kenpou/proposal/?id=wants-01)。

これは、一切の戦力の保有と交戦権行使を明示的に禁じた憲法9条2項を温存しつつ、ただ、自衛隊を明記して認知する条文を付加するというものである。
この「加憲」案は憲法9条問題の核心をまったく捉えておらず、したがって解決もできない愚案である。なぜか。これを十分理解していただくためには前述した拙著の参照を乞うしかないが、最低限のポイントだけ触れておく。
戦力の保有と行使を禁じた9条2項があるがゆえに、日本では戦力は法的に厳しく縛られていると信じている人が多いが、これは倒錯的誤謬(ごびゅう)である。
9条2項のゆえに、「自衛隊は戦力ではない、自衛隊の防衛出動は交戦権行使ではない」という嘘がまかり通るだけでなく、戦力統制規範――自衛の名目で侵略するような「開戦法規」違反や、民間人・民間施設無差別攻撃や捕虜虐待など「交戦法規」違反となる戦力の濫用を抑止するために戦力の組織編制と行使手続を厳格に統制する規範――を憲法に盛り込むことが論理的に不可能になる(憲法が自ら存在を否定している戦力や交戦権行使を統制する規定を定めるのは論理的矛盾である)。
そのため、日本は世界有数の武装組織としての自衛隊を保有しながら、その武力行使を実効的に統制する憲法的・法的枠組を欠損させている。その結果、自衛隊は暴発をコントロールできない銃と同様、「危なすぎて使えない軍隊」となり、そのことが安全保障における対米依存症を悪化させ、さらには米国が勝手に始めた侵略や軍事介入に日本が後方支援・兵站(へいたん)支援の幇助(ほうじょ)犯として巻き込まれる軍事的な対米従属性を強化する要因となっている。
■日本は「無法な軍事国家」
護憲派は9条が「日本の軍国主義化」を抑止しているかのように語るが、事態は逆である。自衛隊は既に武器装備の技術水準において大日本帝国軍よりも強大な武装組織である。それにもかかわらず、9条2項があるがために戦力統制規範を憲法は定め得ず、首相の防衛出動命令に対する厳格な国会の事前統制手続や、自衛隊の武力行使を国際交戦法規に従って統制する国内法体系も欠いている。「危なすぎて使えない軍隊」としての自衛隊も、実際に日本有事において使わざるを得なくなったとき、三島由紀夫の言う「軍の名を用いない軍」として憲法的・法的統制を欠いたまま、その武力を行使することになる点で、日本は9条があるにも拘らずではなく、9条があるがゆえに、既に「無法な軍事国家」となっている。

9条固持を唱える護憲派も、いまや、こんな危険な自衛隊の防衛出動を「専守防衛・個別的自衛権」の枠内ならOKだと、解釈改憲やら、違憲状態政治的容認論により承認している。この枠を実効的に確保する憲法的・法的統制の確立を9条が不可能にしているにも拘らず、である。「護憲派」という語は誤称で、そう呼ばれる勢力の実態は、彼らが批判してきた歴代自民党政権と同様、日本を無法な軍事国家のまま放置する憲法破壊勢力である。
安倍加憲案を踏襲する現在の自民党の「9条改正案」は、戦力保有と交戦権行使を禁じる9条2項を温存する以上、自衛隊を明記したところで、「自衛隊は戦力ではなく、交戦権も行使しない」という嘘が保持され、それがもたらしている上記のような日本の安全保障体制の根本的欠陥は何ら解決されない。9条2項の下でも自衛戦力は承認されているとする「芦田修正論」をいまだに持ち出す輩がいるが、拙著で示したように、これは法理論的にも実証的にもとっくに葬り去られた妄説であり、自民党の歴代政権も斥けている。
安倍晋三元首相自身、テレビのニュース番組に出演してその加憲案を説明した際、「自衛隊をフルスペックの軍隊にはしないという趣旨でございます」と言っていた。加憲案が自衛隊の合憲性を明確化するとしながら、温存された9条2項が自衛隊の地位を曖昧化し続けることを安倍も自覚していたのである。
■安倍元首相が公明党にすり寄って生まれた「加憲案」
まともな「9条改正」を回避した安倍加憲案を踏襲する「9条改正モドキ案」を自民党が掲げているのはなぜか。答えは簡単で、自公連立政権だったからである。
実は、民主党政権時代、野に下った自民党は2012年に、これとは異なる9条改正を提唱する憲法全面改正草案を公表していた。この全面改正草案は自民党の鬱憤(うっぷん)晴らしの政治的スタンドプレーともいうべきもので、内容が粗い(そして荒い)だけでなく、個別問題ごとの改正を基本とする憲法改正手続のイロハを踏まえておらず、本気度が疑わしいものであった(これへの批判として、参照、拙稿「憲法改正から逃避する自民党」『Voice』2024年9月号、58~67頁)。
それでも、9条については、その2項を明文改正して「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない」(前項とは国際紛争解決手段としての武力行使を禁じた第1項)と定め、9条の2という枝番条文で、「国防軍」を保持するとし、「国防軍は……法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する」と定める試案になっていた。
戦力統制規範を法律に丸投げしている点は大問題だが、自衛戦力の保有と行使を明認するという最低限の改正案の実質は有していた。
しかし、民主党政権の「自爆」的な自壊で、自民党が政権を回復し、安倍晋三が首相の座に返り咲くと、状況は変わった。「憲法改正を初めて実現した首相」としてのレガシーを何としてでも残したい安倍は、政治的に無理筋の2012年憲法全面改正草案を棚上げして、焦点を9条に絞り込み、連立パートナーで護憲派的姿勢に固執していた公明党にも呑ませられ、政治的実現可能性が高い改憲案として、9条2項温存の「加憲案」を提唱するに至った。「改憲」という言葉すら避けて「加憲」という造語を使った点にも公明党への「媚態」が見られる。
■高市政権は「政治的詐術」をやめるべき
高市政権の下で、自民党は連立パートナーを公明党から、改憲に積極的な日本維新の会に変えた。もはや、公明に媚態を示す必要はなくなっていたし、しかも政権枠組変更による基本政策変更について国民の信を問うことを解散総選挙の「大義名分」にした以上、高市首相は、安倍加憲案を踏襲した現在の自民党の「9条改正モドキ案」を変更するのか、どのような方向で変更を目指すのか、自らの基本姿勢を有権者に明確に示した上でその審判を受けるべきだったろう。
それをしなかったのは、選挙では反発されそうな政策提言は避けて好印象拡散操作に努め、選挙に勝ってから「本望」を遂げようとしたのかもしれないが、日本の安全保障体制と立憲主義体制の根幹に関わる9条問題について、このような政治的詐術は許されない。
自民党は9条改正を主張してきたから、今般の自民党圧勝で9条改正についても国民の信を得たことになるという反論は成り立たない。
選挙前に自民党が掲げていたのは上記の安倍加憲案由来の9条改正モドキ案であり、高市首相は今般の選挙でも安倍晋三への心酔を売り物にした以上、自民党に投票した有権者の多くが9条改正を支持していたとしても、支持していたのはこの加憲案であるということは十分考えられる。
高市首相は、なぜ安倍加憲案ではだめなのかを有権者に説明して、それを超える9条改正の必要を明確に主張しなかった以上、現在の自民党の9条改正モドキ案を超えた実質的な改正案の実現を図ろうとしたとしても、かえって反発を招く恐れがある。

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井上 達夫(いのうえ・たつお)

法哲学者・東京大学名誉教授

1954年、大阪府生まれ。法哲学専攻。
ハーバード大学哲学科客員研究員、ニューヨーク大学法科大学院客員教授、ボン大学ヨーロッパ統合研究所上級研究員、日本法哲学会理事長、日本学術会議会員等を歴任。『共生の作法』(創文社)でサントリー学芸賞、『法という企て』(東京大学出版会)で和辻哲郎文化賞を受賞。主な著書に『ウクライナ戦争と向きあう』(信山社)、『立憲主義という企て』(東京大学出版会)、『世界正義論』(筑摩書房)、『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(毎日新聞出版)など、『脱属国論』(毎日新聞出版、共著)など。

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(法哲学者・東京大学名誉教授 井上 達夫)
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