※本稿は、高橋和夫『イランとアメリカ、そしてイスラエル 「ガザ以後」の中東』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■大統領就任前に始まるトランプの中東外交
トランプの中東外交は2024年11月の大統領選挙の当選直後から始まった。翌25年1月20日の正式な大統領就任を待たずして、である。
まず注目されたのが、次のニュースだ。つまり、トランプの当選直後の2024年11月11日、イーロン・マスクがニューヨークの国連代表部のイラン大使と会談したと報道された(*1)。
世界有数の富豪とされるマスクは、この時期、常にトランプの傍らにいた。最も次期大統領に近い人物とされていた。そして、物理的に近い位置にいたわけだ。この会談を報じた『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、内容は、イラン・アメリカ関係の緊張緩和だった。なおイラン側は、この会談自体を否定している。
また、就任前の2025年1月8日、トランプが突然、SNS上にコロンビア大学のジェフリー・サックス教授のインタビューを投稿した。
そしてガザに関しては、もっと具体的な動きがあった。トランプは大統領就任前にガザでの停戦を実現したいとの強い意向を表明していた。そこでトランプは、その実現を古くからの友人スティーブ・ウィトコフに託した。そしてウィトコフは、任期切れ寸前のバイデンの外交チームと協力して、トランプ政権発足三日前にハマスとイスラエルの間の停戦合意にこぎつけた。
そしてトランプ就任の前日、2025年1月19日に停戦が発効した(*3)。
■崩壊したガザの復興を目指した停戦合意
この停戦合意は、三段階からなっている。
まず暫定的な停戦を実現し、その期間にハマスとイスラエルの双方が拘束している人質の一定数を釈放する。ガザに十分な量の支援物資を搬入する。そして、この期間中に恒久的な停戦に関して交渉を進める。
そして、この第二段階の期間中にガザ復興に関して交渉を進める。さらに、第三段階では実際に復興を開始する。
この停戦合意は、バイデン外交の最後の成果だとの解釈もある。だが、同じような内容の停戦案は、かなり前から提案されていた。それがトランプの当選後の2025年1月にまとまったのは、トランプ効果としか解釈のしようがないのではないだろうか。バイデンとハリスを甘く見ていたネタニヤフも、トランプの不興を買うのを恐れ、停戦に合意したのではないだろうか。
しかし残念ながら、この停戦合意は第二段階に進む前に崩壊した。イスラエルが、3月にハマスへの攻撃を再開したからである。そして戦闘は、2025年10月の停戦まで続いた。
■トランプによるイランとの交渉の本気度
さて、トランプにとっての、もう一つの中東での大きな問題はイランへの対応だ。
当選直後のトランプは、イランの核兵器保有は許さない、と繰り返し発言した。
そして大統領に就任すると、第一期目のトランプ政権で要職にあったマイク・ポンぺオ元国務長官とジョン・ボルトン元国家安全保障問題補佐官、そしてブライアン・フック元イラン担当特使へのシークレット・サービスによる警護を停止すると発表した。3人とも対イラン強硬派だった。かつての対イラン強硬政策そのものを鞭(むち)打つような発表だった。
そして前述のようにウィトコフをイラン問題の担当者に任命した。さきに述べたように、ガザ停戦合意をまとめた手腕を高く評価しての、古くからの友人の抜擢だろう。トランプは、本気でイランと交渉を始めようとしていた。
トランプはイランの最高指導者ハメネイに交渉開始を訴える書簡を送った。ハメネイ最高指導者の反応が注目された。最高指導者の答えは複雑だった。あえて言うなら「イラン的」だった。
■文明の十字路にあるイランの国史
京都の人はなかなか本音を吐かないと言われている。
同じようにイランという国も、文明の十字路にあって、何度も大帝国を築いた輝かしい歴史を誇っている。しかし、国力が衰退した際には、アラブ人、モンゴル人、トルコ系の人々など周辺の「野蛮人」からの侵略を経験してきた。
また近代に入ってからは、ロシア、イギリス、アメリカの帝国主義の犠牲となってきた。特にアメリカとは深い因縁がある。
北から南下してくるロシアと、南から北上してくるイギリスの圧力の板挟みに苦しんだイランは、遠隔の善意の大国アメリカにすがった。しかし、アメリカはイギリスと共謀してイランで民主的に選ばれた政権をクーデターで倒した。1953年のことだった。このあたりの経緯は本書ですでに述べてきた通りだ。
■ユーラシア規模の“京都人”であるイラン人
1979年のイラン革命まで強い影響力を、ある意味では強過ぎる影響力を、ワシントンはこの国に対して行使した。
そして、アメリカはイランの革命体制を倒すために、フセインのイラクをけしかけてイラン・イラク戦争を開始させた。
京都は日本列島の都だが、ペルシアはユーラシア大陸の都だ――少なくともイラン人の感性では。十字路ゆえに四方八方からの脅威にさらされてきたわけだ。
その経験のせいなのか、イラン人の言葉使いも、なかなか一筋縄ではいかない。イエスなのかノーなのか、慎重な見極めが必要な場合がある。
たとえば食べ物をすすめられると、多くの場合イラン人は、まず辞退する。そこで食べないと思ってはならない。二、三度すすめるのが礼儀である。そうすると、やっと食べてもらえる、ということになっている。
イラン人は京都人と似ている。
■核問題に関するイランとアメリカの交渉
イランのハメネイ最高指導者は、アメリカとの交渉は「賢明ではない」と2025年2月初旬の演説で語った。これでアメリカとイランは交渉できなくなったし、しないだろうというのが、一部識者の見方であった。
他方、いや、ハメネイ最高指導者の発言は、もっと柔軟に解釈できるし、すべきであるとの見方もあった。「交渉は難しいし、経験から踏まえると、芳しい結果に終わるとは限らない。しかし、大統領や外務大臣が交渉したいのなら、すればよい。しかし警告はしたのだから、失敗した時の責任は負わないよ!」というのが真意だとの解釈である。つまり、交渉にOKを出したわけだ。
どちらだろうか。最高指導者の言葉の解釈に議論があった。結果から見ると、交渉が始まった。ハメネイの言葉をイラン政府は「イエス」と解釈したわけだ。
そしてイランとアメリカの核問題に関する交渉が同年4月12日から始まった。オバマ政権とイランとの交渉の時と同じように、会場にはオマーンの首都マスカットが選ばれた。
なぜオマーンなのだろうか。率直に言ってイランがオマーンを信用しているからである。本書の11章でも見てきたように、この国は、アラビア半島の東端にあってアラビア海に面している。そしてムサンダム半島という飛び地があり、ペルシア湾の出入り口にあたるホルムズ海峡の南にある。海峡を越えればそこはイランだ。
■アラグチ外務大臣とは何者か
前述のように4月にアメリカとイランの協議が始まった。アメリカの交渉団を率いるのは、トランプ大統領の信任の厚いウィトコフ特使である。これに対するイラン交渉団の団長は、セイエッド・アッバース・アラグチ外務大臣だ。このアラグチとは、どういう人物なのだろうか。
アラグチは、1962年に首都テヘランに生を受けている。名家の出身で、祖父はバザールの有力な絨毯(じゅうたん)商だった。
名前の前についているセイエッドという言葉に注目していただきたい。これは敬称で、イスラムの預言者ムハンマドの血筋を意味している。
伝統的にイランの有力な商人たちは宗教界の指導者と婚姻関係を結ぶ例が多い。そして宗教指導者でムハンマドの血筋を主張する者は黒いターバンを巻く。現在の最高指導者ハメネイ師のように、である。その前の最高指導者ホメイニ師のターバンの色も黒だった。
そのホメイニ師の指導の下で、1979年にイラン国民は王制を倒した。これがイラン革命だ。そして、その翌年1980年に隣国イラクの独裁者サダム・フセインがイランに対する侵略戦争を開始した。その後、八年に及ぶイラン・イラク戦争の始まりだった。このあたりの展開は、何度も本書で言及した。アラグチは、1962年生まれなので、革命時は十七歳だった。そして、この革命とイランを守るために革命防衛隊員としてイラク軍と戦った。
■トランプ政権の核合意からの離脱
その後、大学で国際関係論を学び、イギリスのケント大学で博士号を得ている。外交官としてのキャリアを歩み、2008年から11年にかけては、駐日イラン大使を務めた。
日本では「新久地(アラグチ)」という漢字の名刺を持ち歩いていた。東京での経験をイランで回顧録として出版している。そして2024年、これが邦訳されて『イランと日本』として論創社から出版された。
イランに戻ってからは外務次官としてアメリカのオバマ政権との核交渉を担当した。イランの交渉団長はモハンマド・ザリーフ外相だった。
アラグチは事務方のトップだった。オバマ政権との交渉が2015年にイラン核合意として結実した。アラグチ以下の実務レベルの担当者に感謝の言葉を添えて、ザリーフ外相はこの文書に署名している。
ところが2018年、オバマの次の大統領トランプが、この核合意から一方的に離脱し、イランに対する経済制裁を再開した。イランは、合意の枠を超えるウラン濃縮を開始して、これに応じた。その結果、現在では核兵器の製造に必要な量と濃縮度のウランの保有に限りなく近づいている。
■「軍事力での解決」を示すイスラエルの方針
いかに対応すべきか。この問題でのイスラエルの方針は明白だった。軍事力によるイラン核問題の「解決」である。
あるイスラエルの専門家は、状況をサッカーの試合にたとえていた。イラン・チームは大打撃を受けている。ハマスは軍事的に追い詰められているし、ヒズボラも壊滅的な打撃を受けた。しかも、シリアのアサド政権は崩壊した。ハマス、ヒズボラ、アサド政権という3人の選手が退場したわけだ。
しかもゴールキーパーとも言うべきイランの防空体制は2024年秋のイスラエル軍の空爆で無力化された。つまりキーパーは負傷している。今こそシュートを打ってゴールを決めるべきだ。つまりイランの核関連施設を軍事力で破壊すべきだ、というのがイスラエルの議論である。
だがトランプ政権は、その前に、とりあえずは外交を選択した。交渉による解決をめざしたわけだ。すでに紹介したように、トランプは、イランに核問題での交渉を提案した。交渉の期間を尋ねられたトランプは二カ月と答えている。
■イランとの交渉を潰したトランプの変心
その後、三回の交渉の機会があった。ウィトコフとアラグチは、マスカットとローマで、いずれもオマーンの仲介で交渉した。その焦点として浮かび上がってきた問題点が、ウラン濃縮だ。
天然界で採掘されるウランは、そのままでは役に立たない。濃縮する必要がある。そして純度が、ある水準までくると、およそ3%ほどだろうか、原子力発電の燃料など平和利用に使える。
そして、純度が90%ほどになると原子爆弾の材料になる。ウラン濃縮という技術が、民生用にも軍事用にも使えるわけだ。交渉開始の段階でイランは60%までの濃縮を進めていた。このあたりの技術的な問題も紹介してきた通りだ。
交渉が始まった段階では、アメリカはイラン国内における低レベルでの濃縮を認める意向を示唆していた。オバマ政権が2015年の合意で認めたのと同様だ。しかしながら、その後、イラン国内での濃縮を全く認めないと立場を変えた。
なぜトランプが立場を変えたのかは明らかではない。しかし、イランがウラン濃縮技術を保持する限り、自国の安全は保障されないというイスラエルの強い働きかけが、功を奏したのだろう。
その決め手となったのは何か。論理の力でトランプを変心させたのか。あるいは資金提供者たちを通じた強い圧力なのか。はたまた想像されるのは、何らかのトランプの個人的な弱みを握ったイスラエルによる説得工作だったのだろうか。
■「エプスタイン・ファイル」の影響力
たとえば、その候補の一つとして考えられるのが「エプスタイン・ファイル」である。
少女売春を組織的に行っていたジェフリー・エプスタインの顧客の一人がトランプだったのではないかとの推測である。当事者のエプスタインは口を開く前に獄中死した。その死が不審だとの疑惑が付きまとっている。
実は、このエプスタインの組織を操っていたのはモサドではないかと推測する報道も散見される。
こうした要因は、相互排除的ではない。つまり、論理と資金提供者などからの政治的圧力と、「エプスタイン・ファイル」の問題が合わさってトランプを動かしたのだろうか。いずれにしろトランプの変心はイランとの妥協を困難にした。あらためて強調しておきたい。これは、あくまで推測だ。
状況を、もう一度おさらいすると、一方でアメリカはイランはウラン濃縮を放棄すべきだとの立場をとった。そして、これが交渉での譲れない一線だと主張した。英語でいうレッドライン(赤い線)というわけだ。
他方で逆にイランは国内でのウラン濃縮の継続は譲れない一線だとの立場を取った。こちらも譲れないレッドラインだ。二本の赤い線が交わることなく平行に走り続けていた。
*1 https://www.nytimes.com/2024/11/14/world/middleeast/elon-musk-iran-trump.html アクセス 2025年9月28日
*2 https://www.theguardian.com/us-news/2025/jan/08/trump-video-crude-reference-netanyahu アクセス 2025年9月28日
*3 https://www.jetro.go.jp/biznews/2025/01/faa6b10b1a49aa4f.html アクセス 2025年9月28日
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高橋 和夫(たかはし・かずお)
国際政治学者、中東研究者
中東研究者。放送大学名誉教授。福岡県北九州市生まれ。大阪外国語大学外国語学部ペルシア語科卒業。コロンビア大学国際関係論修士。クウェート大学客員研究員、放送大学教授などを経て2018年4月より先端技術安全保障研究所会長。著書に『モデルナとファイザー、またはバイオンテック』『ロシア・ウクライナ戦争の周辺』『イランvsトランプ』『アラブとイスラエル』など。
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(国際政治学者、中東研究者 高橋 和夫)

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