子どもの学力を向上させるためには何が必要か。評論家の白川司さんは「学力世界一と評されたフィンランドでは、暗記や反復練習より自主性を重んじた結果、とくに数学・理系分野で学力が低下している。
教育で重要なのは、基本と応用の切り分けだ」という――。
■世界で絶賛された「フィンランド式」
2021年、フィンランド政府は義務教育を18歳まで延長し、これまでの学食費のほか、教材や備品を含めて全面的に無償化すると発表した。
このニュースは日本でも大きく報じられ、「人への投資の拡大策」「先進国の理想的な教育のあり方」などと、各方面で好意的に受け止められた。
だが、この義務教育延長策は、教育の成功をさらに押し広げるための改革ではない。この政策が実施された裏には、フィンランドにおける深刻な教育問題が横たわっている。
フィンランド式教育は、2000年代初頭に、OECDによる学力調査であるPISAでトップクラスの評価を受け、世界中でフィンランド式教育ブームを起こした。
フィンランド式教育の最大の特徴は、「自分の頭で考える力」を最優先する思想にある。暗記や反復練習は時代遅れとされ、探究型・プロジェクト型学習が中心に据えられた。
日本においてもフィンランドは「世界一の教育大国」と賞賛され、悪名高い「ゆとり教育」を採用するのに影響を与えたと言われている。
■15歳なのにパーセント計算ができない
その後のフィンランドについて、日本ではあまり顧みられることはないようだが、実際には、フィンランドでは数学・理系分野を中心に学力低下が続き、PISAの数学的リテラシーでは2009年以降、順位が急降下している。2003、2006年には世界1位だった科学的リテラシーも右肩下がりだ。
フィンランド国内の研究機関の調査でも、日本で中学3年生にあたる学生の3分の2が「100ユーロの20%はいくらか」といったパーセント計算ができないという壊滅的な結果が出ている。

学力低下には移民増加や地域格差など複合的要因も指摘されているが、主な理由として、子どもたちの自主性を極端に優先した結果、理数系の勉強を避ける子どもが増えてしまった結果ではないかと考えられる。
ところが、自主性尊重の弊害が明らかになっても、フィンランドは基本的な教育方針を修正していないため、明確な学力回復の兆しはなく、理数系の学力低下は看過できない規模に達している。そこで、フィンランド政府は「義務教育の年限を2年延ばす」という策をとったわけである。
■幼年期の「詰め込み」が土台になる
この義務教育延長は「教育の再構築」などではなく、学校に留め置く時間を増やすことで、学力崩壊を食い止めるといった程度の「対症療法」に過ぎない。
当時、義務教育の期間を延ばしたという報道だけで、フィンランド式教育を賞賛する日本の政治家や言論人が相次いだのだが、もちろんその裏にある深刻な教育崩壊の事実については認識がなかったのである。
義務教育期間を延ばせば学力が伸び、優秀な人材を多く輩出でき、国の生産性が上がるのであれば、「教育改革」は簡単だろう。高校までといわず、大学までを義務教育にすればいいはずだ。もちろん、ことはそれほど単純ではない。
教育においては、小学校に入学する前後、いわゆる就学前の言語形成期から、小学校に入ってからの思考の土台となる知識を蓄える時期が重要であり、とくに、就学前にどれくらい語彙を蓄えられるかが決定的に重要であることが諸研究で明らかになっている。
その時期は、知識、とくに語彙の「詰め込み」が重要である。子どもが考える力をつけるには、言葉を心の中でつぶやくこと(内言)を発達させなければならないが、内言の発達には豊富な語彙を身につけることが不可欠だからである。
この時期に、教育側が自主性に任せることにこだわり、覚える量が少なくなってしまえば、その後の学力形成に不利になりかない。
実際、就学前についた語彙の差を、小学校に入学してから埋めるのはかなり難しいことがいくつかの研究で明らかになっている。
■自主性を重視し、基礎学力が空洞化
重要なのは、自主性を重んじる前に、自分で考えられる高度な思考力の土台を養成することである。思考力の土台ができてこそ、自分で考えられるようになるのであり、土台作りの時期に自主性を重んじて、暗記を軽視するのは弊害があると考えられる。
フィンランドが教育先進国として「神格化」された直接のきっかけは、2003年のPISAで総合トップになったことである。読解力と科学的リテラシーで1位、数学的リテラシーで2位という圧倒的な結果が、フィンランドを「理想の教育国家」として世界に印象づけることになった。
ところが、2022年のPISAでは、数学リテラシーは20位にまで後退した。それどころか、先述したように、国内の調査では中学3年相当の生徒の約3分の2がパーセント計算を理解していないという衝撃的な結果も出ており、国内外に大きなショックが走っている。
■「学力世界一」になれた本当の理由
フィンランドで起きた学力低下は、自主性を重んじた結果、公式の暗記や問題演習などの量が足りなくなり、基礎学力が空洞化してしまった結果ではないだろうか。
実は、フィンランドも最初から自主性を重んじた教育を実践していたのではない。OECDが勧告や報告のかたちで出す「ガイドライン」を受けて、1990年代に教科書検定を廃止し、現場の裁量を拡大して、自主性を重んじる教育に少しずつ転換していったのである。
フィンランド式教育が評判になった2000年ごろは、知識や暗記を重視する教育を受けていた子どもがそれなりに存在していたと考えられる。つまり、もともと基礎学力を重視する教育の上に、少人数制や自主性を上乗せしたものであった。

また、PISAはもともとOECDの考え方を反映した試験形式・内容であり、フィンランドがOECDのガイドラインに従った教育カリキュラムを取り入れていたことも、高スコアをとるのに有利に働きえた。
ところが、そういった背景を無視して、「フィンランドの自主性を重んじた教育のおかげで高得点がとれた」と考えた人たちが、フィンランド式教育を絶対的に信頼したことで、教育において「フィンランド幻想」が形成されたのだと考えられる。
■「自分の頭で考える力」も大切だが…
また、当のフィンランドにしても、これほどの成果がでるとは予想しておらず、これが大きな成功体験となってしまい、一種の呪縛となってしまったのではないだろうか。成功体験の影響が、改革の柔軟性を失わせたとの指摘も国内の教育関係者から出ているようだ。
もちろん、自主性を重んじること自体は悪いことではない。フィンランド式教育によって、実際に「自分で考える力」が突出している子どもが増えたといった事例もあるようだ。ただ、全体的な学力の観点からは、弊害が大きかったことも認めるべきだろう。
自主性を重んじることで子どもの学力が伸び、考える力がつけられるのであれば、これほど理想的なことはない。だが、教育現場では理数系を中心に学力崩壊が起きてしまったのである。
■「暗記は悪」が「理系離れ」を引き起こす
思考力は、知識の上に積み重なる能力である。覚えるべきことを覚えていない状態で考えさせても、思考は成立しない。
基礎計算を十分に訓練しないまま応用問題に向かわせれば、生徒は混乱するだけである。

理数系では、公式を覚えて、それを演習によって身につける学習方法が中心になる。そこでは最初に公式がどのように導かれるかを理解することが大切だが、だが、それだけで十分な理解が得られないことは多々ある。何度も演習して公式を使っているうちに、公式の本質がわかってくるということも往々に起こるものだ。
反対に「暗記は悪」と思い込み、公式の暗記を避け、機械的に公式に当てはめる演習を避ければ、結果的に数学への苦手意識が広がり、理系離れが進む可能性がある。
その結果なのか、理数系人材不足は統計にも表れるようになり、議会でも繰り返し議論されている。近年は医師やエンジニアの不足が深刻化し、国外から人材を招かざるを得ない状況に陥っている。
■教育のIT化に成功したエストニア
フィンランドが学力崩壊に直面している一方で、バルト海を挟んだ隣国がPISAでトップクラスに躍り出ている。それが、2004年にEUに加盟したバルト三国のエストニアである。
PISAには2006年調査から参加しており、数学的リテラシーでは右肩上がり、科学的リテラシーでも上位を維持している。
エストニアは旧ソ連圏から出発しながら、早くからITを国家戦略の柱に位置づけて成功し、教育のIT化も先進的に進めてきた。また、その教育方針は理念先行ではなく、これまでの教育の延長線に、教育の質をITで高めるという現実的な方針が含まれた。
エストニア政府は、現在も教育分野を含む国家全体のデジタル化戦略(National State Digitisation Development Programme 2021-2030)を進めており、政府が教育におけるデジタル化やICT利活用を支援している。
また、国家(教育庁)がデジタル教材・学習ツールの開発・提供を行っており、教師向けと生徒向けにデジタル学習教材やツールを集約したプラットフォームを提供している。
コロナ禍の時期、各国が教育の停滞を招く中で、すでに教育のデジタル化が進んでいたエストニアは、従来の教育方針を進める好機となった。
■暗記や反復学習を疎かにしなかった
教育のIT化というと、個別対応や応用問題の付加などが思い浮かぶが、エストニアはITを教育の「質」を担保するために活用し、基礎知識・基礎計算を徹底することを重視し、とりわけ理数系で結果を出している。
「自主性」の呪縛を背負うことなく、暗記や反復学習を重視し、「学ぶべき知識」をデータベース化した上で、応用力や思考力を伸ばす方針を取り入れている。暗記と思考を切り分け、暗記を軽視しなかった点は、フィンランド式教育とは一線を画している。
国家が教育のIT化に関わるもう1つの利点として、教師によってばらつきがでにくくなる点がある。専門家の「集合知」として国家が教育プラットフォームを提供すると、教師はその方針に従って指導するので、教師の考え方が違っていても教える内容にばらつきが出にくくなる。
一人の突出した教師の能力はフルに発揮しにくくなる可能性もあるが、全体の質を高める機能は高めやすい。
エストニアは、重要なことを覚えた上で考える力を養うという教育の順序を崩さなかった。その結果、IT分野を中心に国際競争力を高め、教育と産業が連動する構造を作り上げたのだと考えられる。
■日本人の計算力を支える九九暗唱
現在は「暗記」という言葉に悪いイメージがついているが、日本人の高い計算能力の土台に九九の暗唱があることに異論は少ないだろう。数学やITの天才を量産しているインドの一部では、初等教育で十九かける十九まで丸暗記させていると聞く。

基本を「詰め込むこと」は、考える力を高めるためにも重要である。
どんな学科であっても、かならず覚えておくべき「基本」がある。実際は、学科に限らず、仕事やスポーツや趣味、あるいは、ゲームや漫画を読むことにも言える。たとえば、語学でいえば単語と文法が、この場合の基本に当たる。
一般的に日本人が英語を苦手とするのは、難しい単語を暗記しすぎたり、文法をやりすぎたからではない。日本語と英語が語彙・文法・発音など多様な面で違いすぎるからである。
■「暗記」のあとの「演習」が欠かせない
単語を暗記せず文法もやらないで、たくさん聞いたり、たくさん読んだりすればやがて自然と覚えられるなどというのは、一部の語学の才能がある者には当てはまっても、包括的教育方法としては非現実的な理想論に過ぎない。
反復練習によって、単語は意味を考えなくても使えるようになり、文法を意識しなくても正しい英語を発信できるようになる。単語も文法を無意識に使えるようになるまで練習しなければならない。日本人が英語が苦手なのは、「暗記」のあとの「演習」が足りないからだ。
基礎的な文法を無意識に使えるようになれば、内容に集中して英文を理解し、要約し、そこから考察を行うといった思考力を養う学習が可能になる。反対に、基本単語の意味を逐一調べるレベルでは、内容を深く考えることが難しい。
義務教育で基本単語と基本文法をしっかりと身につけておかないと、高校でやる「演習」の効果が高められない。基本単語や基本文法が身についていないのに、英文を素材に思考力を養うなど困難だ。
■日本が見習うべきは「エストニア式」
重要なのは「基本」と「応用」を切り分け、基本については暗記を含めて徹底的に頭にたたき込むことだ。基本ができあがればこそ、「応用」として基本知識を使って自分の頭で考える訓練が生きる。
フィンランドとエストニアを分けたものは、この「基本と応用の切り分け」ができていたかどうかにあると考える。日本もフィンランド式教育の失敗を受け入れて、この教育の「基本」を重視し、「暗記は悪」という考えを捨て去るべきではないだろうか。

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白川 司(しらかわ・つかさ)

評論家・千代田区議会議員

国際政治からアイドル論まで幅広いフィールドで活躍。『月刊WiLL』にて「Non-Fake News」を連載、YouTubeチャンネル「デイリーWiLL」のレギュラーコメンテーター。メルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評。著書に『14歳からのアイドル論』(青林堂)、『日本学術会議の研究』『議論の掟』(ワック)ほか。

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(評論家・千代田区議会議員 白川 司)
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