人間は一面では語れない。それは経営者も同じだ。
永守重信(81)は、ニデック(旧日本電産)を立ち上げ、一代で売上高2兆円超の世界的モーターメーカーに育て上げた。だが、2025年末、複数のグループ会社での会計不正が発覚して辞任した。ライターの栗下直也さんは「時代に追い越されてしまった」という――。
■「どいつもこいつもやる気なしの無責任野郎」
2026年3月3日、ニデック(旧日本電産)の会計不正を調査してきた第三者委員会が報告書を公表した。弁護士の平尾覚委員長は記者会見でこう言い切った。「最も責めを負うべきなのは、永守氏であると言わざるを得ない」。
報告書の中には、永守重信が幹部に送ったメールの文面が多数収められていた。
「どいつもこいつもやる気なしの無責任野郎ばかり揃いやがって! ……全員やめてくれや!」
創業者にして長らく「日本の名経営者」の一人と称えられてきた男の実像だった。
遡ること3週間前、2月26日に永守が名誉会長職を辞任したことが発表されていた。前年12月に代表取締役を退いてから、名誉職すら手放すまでわずか2カ月余り。50年に及ぶ経営者人生に、自ら終止符を打った形だ。
引退を告げるプレスリリースには「我が愛するニデックに栄光あれ」と言葉を残したが、「栄光」が何を犠牲にして築かれたものだったか、今ようやく明らかになりつつある。

■ニデック躍進の原動力
1973年7月、永守重信は京都市内の自宅で、仲間3人とともに日本電産を設立した。28歳だった。人もいなければ金もない。設備も技術も知名度もない。そんな状況で頼みとしたのは、ただ精神力だけだった。
「情熱、熱意、執念」「知的ハードワーキング」「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」――のちに「三大精神」と呼ばれるこの理念は、起業に反対する母親から言われた「人の倍働きなさい」という言葉に原点がある。
創業間もないころ、無理な納期で受けた注文を前に頭を抱える従業員に、永守はこう言い放った。
「出来る、出来る、出来ると皆で言い続けてみい」
創業以来の盟友で取締役会長を務めた小部博志は、「だまされたつもりで声を上げ続けていたら、だんだん出来る気になって、結局やり遂げた」と苦笑まじりに振り返っている。この精神論こそが、日本電産の原動力だった。
孫正義とならぶ「大ぼら三兄弟」
永守の経営者としての真骨頂は、M&A(合併・買収)戦略にあった。
1984年、米トリン社のファン部門買収を皮切りに、70件を超える企業を傘下に収めた。その手法は明快だった。

「工場がきれいになる、社員が休まずに来るだけで会社は黒字になる」
買収先には徹底したコスト削減と現場の清掃活動を導入し、赤字企業を次々と黒字化させる手腕は「永守マジック」とも称された。
精密小型モーター、とりわけハードディスク用モーターで世界シェア8割を握る。受注が決まる前から巨額投資に踏み切り、需要が爆発した瞬間に競合を置き去りにする「待ち伏せ戦法」は、永守ならではの嗅覚と胆力の産物だった。
売上高は過去25年で5倍に膨らみ、2兆円を突破した。実績を積み上げながら、永守はさらに「ほら」すれすれの目標を掲げることで組織を前へ駆り立てた。「2030年度に売上高10兆円」がその最たるものだった。
孫正義(ソフトバンクグループ)、柳井正(ファーストリテイリング)と並んで「大ぼら三兄弟」と称されたが、高い目標を掲げること自体が日本の産業界への刺激になっていたことは否定できない。
■日本では受け入れられないパワハラ
だが、創業期に有効だった永守流は、組織が巨大化するにつれて深刻な副作用をもたらすようになる。「一番以外はビリ」「脱皮しない蛇は死ぬ」。強烈な成長志向の裏で、社内では強い緊張感が支配する空気が醸成されていった。
週刊ダイヤモンドが2023年に報じた内部資料によれば、人事部が中途社員向けに作成した「永守会長対応マニュアル」が存在していた。
「永守会長に『さん』付けは厳禁」「『お疲れさまです』は禁句」「会長専用エレベーターのボタンは押さないこと」など、異様なまでに細かいルールが並んでいた。
マニュアルは永守自身の指示ではなく、側近たちによる「忖度の自主規制」が積み重なって生まれたものとされるが、その忖度を生み出したのは紛れもなく永守の苛烈な経営スタイルだった。
今回の第三者委員会報告書は、永守の言動が組織にいかなる圧力をかけていたかを初めて公式に記録した格好となった。
月初の土曜日に開かれる経営会議では、業績未達の幹部を大勢の前で罵倒することが常態化していた。報告書には「大勢の出席者の面前で一方的に罵倒するというのが永守氏のスタイルであった。最早、日本では受け入れられないことであり、強い憤りと反発を感じた」という元経営幹部の証言が収録されている。
退職や降格をちらつかせるメール、人格を否定する言葉、休日返上での作業指示――報告書が示した実態は、永守が長年「本当にパワハラならこんなに成長しない」と言い続けてきた自己評価と、大きくかけ離れたものだった。
■クビになるか、辞職するか、不正するか
より深刻なのは、そのプレッシャーが会計不正の温床となっていた現実だ。調査報告書には、追い詰められた現場の声が生々しく記録されている。
ある国内グループ会社のCFOは、退社を決意した際に上司へこんなメールを送っている。
「今まで自分の心と葛藤しながら体に鞭を打って何とか出社していましたが、もう会社に行くことが心も体も許さなくなってしまいました……尊敬する永守代表の前で、自分の行動に偽った発表をしようとする自分も嫌でたまりません。このままでは心がどんどん壊れていき、家庭でも笑えることができなくなりそうです」
このCFOだけが特例だったわけではない。元執行役員は委員会のヒアリングにこう証言している。

「業績目標を達成できない会社のCFOは、目標未達の責任をとらされてクビになるか、プレッシャーに耐えきれずに自ら辞めるか、不正に手を染めてそれがバレてクビになるかであり、いずれにせよニデックを去ることになる」
実際、着任から1週間で退社するCFOも現れた。転職エージェントからは「もう人材を紹介したくない」とまで言われるに至った。
■決まらない後継者
毎月5日までに「124%のアイテム出し」――営業利益目標の124%を達成する施策を積み上げる作業――が義務付けられ、未達なら業績フォロー会議に毎日呼び出された。
ひどいケースでは、1日に4回、計4時間を超える会議が連日続いた。ある幹部は「10kg痩せた」と証言している。目標を逃れるために数字を作る――これが会計不正の直接的な動機だった。
永守経営のもう一つの脆さは、後継者問題の迷走である。
カルソニックカンセイ元社長の呉文精(くれぶんせい)を副社長として招聘したが2年後に去り、米GE出身の吉本浩之は社長に引き上げられたものの降格を経て退社した。日産自動車ナンバー3だった関潤も社長兼COOに就任しながら、わずか2年で事実上解任され、永守は決算会見の場で関を公然と非難した。「経営の指導を受けていて横を向いてまねなかったら進歩はない」と言い放った。
外部人材だけでなく生え抜きも翻弄された。永守は2022年の会見で「後継者問題で市場に不安を与えたことは事実」「もう4回も失敗している」と認めた。
しかし失敗の根本原因が自身の介入と苛烈な要求にあることへの内省は、最後まで十分に示されなかった。
■そして帝国は瓦解していった
永守経営の矛盾が最も鮮明に露呈したのが、2025年に発覚した不適切会計問題である。イタリアのモーター製造子会社で関税の支払い不備が見つかったのを端緒に、グループ内で不正経理が次々と明るみに出た。計877億円の大型損失を計上し、監査法人PwCジャパンは監査意見を不表明とした。東京証券取引所はニデックを特別注意銘柄に指定している。
同年12月、ニデックが公表した改善計画は病巣の根本に「永守氏の意向を忖度し、優先する企業風土」があったと認めた。株価重視の経営姿勢が現場を短期利益の追求へと駆り立て、その歪みが会計不正として噴き出した構図を示した。社長の岸田光哉は「短期の利益を追求するがゆえの弊害は明らか」と述べ、創業者が体現してきた組織風土そのものの転換を宣言している。
そして、翌年の3月3日の記者会見で、平尾委員長は「少なくとも2012~13年度には100億円近い負の遺産があり、かなり以前から会計不正が行われていた」と述べた。創業40周年のころにはすでに不正の種が蒔かれていたことになる。
永守自身も委員会のヒアリングで、事業の中身を理解できていない状況があったと認めたという。それでも投資家目線で業績目標を設定し続けたため、目標は現実から乖離し、現場はその歪みを会計処理で埋めるほか打つ手がなくなった。

社外取締役の構成にも問題があった。官僚出身者や、弁護士、学者という顔ぶれで、ビジネス経験のある人材が皆無だった。
■時代に追い越された男
永守重信とは何者だったのか。4人で旗揚げした町工場を、半世紀で売上高2兆円超・従業員10万人超の世界的メーカーに育てた経営者としての功績は、疑いなく偉大である。
その原動力は同志的なつながりの中で発揮された圧倒的な意志の力だった。だが、時代は多様性とコンプライアンスと自主性尊重へと大きく変わった。ハードワークは効率化の反対語のように扱われ、社員の士気を鼓舞することすらパワハラのリスクをはらむようになった。
永守自身も時短経営への転換を試みたが、時代ははるかに早く動いた。イーアクスル事業の巨額損失、牧野フライス製作所へのTOB失敗、そして不適切会計の発覚。晩年の永守は、時代に追い越されたことに気づかないまま、あるいは気づいていながら、同じ速度で走り続けた。
永守は去ったが、約8.3%の株式を保有する筆頭株主としての影響力は残る。ニデックの改善計画が病巣と名指しした「永守氏の意向を忖度し、優先する企業風土」とは、裏を返せば、永守の意志の力がそれほどまでに強烈だったことを物語る。会社を創り、育て、壊しかけたものは、すべて同じ一つの力だったともいえる。
第三者委員会は「最も責めを負うべきは永守氏」と断じながらも、「正しい経営をしたいという思いを持っていたことを否定するつもりはない」と付け加えている。

参考文献

ニデック「ニデック株式会社に係る調査報告書(概要版)」二〇二六年三月三日

「ニデック会計不正『かなり前から』 第三者委員会、一問一答」『日本経済新聞電子版』二〇二六年三月三日

小平龍四郎「ニデック、『大ぼら経営』の限界」『日本経済新聞電子版』二〇二五年十二月二十八日

「社長更迭の裏に何があったのか、日本電産の永守会長が発した率直で辛辣な言葉」『日経クロステック』二〇二二年九月六日

【ニュース解説】「『心が壊れていく』、ニデック幹部の悲痛な叫び 会計不正の報告書から」『日経クロステック』二〇二六年三月六日

田村賢司「大事凡事 ニデック・不適切会計問題の果てに 永守氏の『引退』が残すもの」『日経トップリーダー』二〇二六年二月一日

田村賢司「ニデック永守氏に2つの“失敗” 時代に追い越された『鉄の精神』」『日経ビジネス電子版』二〇二六年一月二十一日

「巨弾特集 日本電産 永守帝国の自壊」『週刊ダイヤモンド』二〇二三年一月十四日号

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栗下 直也(くりした・なおや)

ライター

1980年東京都生まれ。2005年、横浜国立大学大学院博士前期課程修了。専門紙記者を経て、22年に独立。おもな著書に『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)がある。

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(ライター 栗下 直也)

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