GDP世界2位のアイルランドから日本が学べることは何か。同国は人口が少ないがゆえに、高度な専門技能を要する知識集約型の産業の誘致に注力してきたことがGDPの高成長につながりはしたが、国民の所得の増加は限定的だったという。
関山健、鹿島平和研究所 編著『稼ぐ小国の戦略』より紹介しよう――。
※本稿は、関山健、鹿島平和研究所 編著『稼ぐ小国の戦略』(光文社)の一部を再編集したものです。
■投資は増えても税収の増えないアイルランド
一人あたりGDPで測れば、アイルランドはルクセンブルク(13万3712ドル)に次ぐ、世界2位の高所得国だ。
一貫して米欧から投資を受け入れ、それをもとに工業化に努めると同時に、EUに対して輸出を行うことで所得を稼ぐという構造の下で、経済を成長させてきた。
一方で、近年はアメリカからの投資が急増しており、同時にアメリカに対する所得移転も増加するようになっている。
いわばアイルランドは、アメリカがEU向けに行う財・サービス輸出の仲介拠点として機能している。財に関しては医薬品産業が、またサービスに関しては情報通信産業(コンピューターサービス)がそれぞれ該当するが、特に仲介貿易としての性格が強いのは情報通信産業だといえる。
そのため、情報通信産業の海外(つまりアメリカ)への所得移転の規模は、医薬品産業よりも圧倒的に大きくなる。
見方を変えれば、近年のアイルランドは、アメリカのEU向けビジネスのエージェントであり、仲介役に徹することで、経済の高成長を達成してきたと評価される。つまるところ、アイルランドのGDPとGNIのズレは、こうした同国に特有の仲介貿易の結果、生じたものといえる。
■対外直接投資の受け入れを通じて名目GDPを急増
民族資本の育成よりも外国資本による工業化に基づく発展戦略を描き、それを実現したがゆえの現象ともいえよう。
こうした発展戦略が経済の高成長を生んだことは確かだが、一方でGDPとGNIのズレが示すように、アイルランドの実際の所得はGDP統計が示すほど増加していない。
そのため、同国の経済指標は過大に健全に評価されることになる。
その代表的な指標の一つに公的債務残高の名目GDP比率がある。一般的に、公的債務残高の健全性はGDPとの対比で評価され、EUでは60%がその目安とされている(※1)。
アイルランドの公的債務残高の対GDP比率は、2007年時点で23.9%だったが、翌2008年に42.5%に急上昇した(図表1)。
さらに、不動産バブルの崩壊に伴う金融危機と、金融機関の救済のための財政支出の拡大から、公的債務残高の対GDP比率は最悪期の2013年には120.1%まで達した。その後、公的債務残高の対GDP比率は急低下し、2023年には43.7%に至る。
この急速な改善は、主に名目GDPの急増によるものである。もちろん、この間にアイルランド政府は歳出の削減に努め、財政収支を均衡させている。そのため公的債務残高の規模そのものも、2012年から2019年までは抑制されている。
しかしそれ以上に、対外直接投資の受け入れを通じて名目GDPを急増させたことが、公的債務残高の対GDP比率の急低下につながっているのである。
■税収は13年で2.5倍増
しかしながら、アイルランドの名目GDPの3割程度は国外に流出している。そのためEUの執行部局である欧州委員会も、金融支援の『ポストプログラムサーベイランスレポート』(2017年版)で、アイルランドの公的債務残高の改善を名目GDPとの対比で評価することの適切性に対して、疑問を呈している。

代わりに欧州委員会は、名目GDPのみならず、税収との比較で公的債務残高の規模を議論すべきだとしている。
アイルランドの税収は、好調な経済を背景に2010年から23年の間に2.5倍近くも増えている。一方で、名目GDPに占める税収の割合は、この間に22.6%から、2020年には16.1%まで低下している。
2023年には18.3%に上昇するが、同比率は統計で遡ることができる2000年には26.9%であったから、税収とGDPの増加テンポの乖離(かいり)はすう勢的に拡大していることになる。
これはアイルランドが、直接投資を誘致するため、12.5%(※2)という先進国の中でも極めて低い法人税を設定したことに伴う現象である。アイルランド歳入庁によると、2020年時点で上位100社による納税額が同国の税収の80%を占めていた。
そのほとんどは、アイルランドのGDPを押し上げる多国籍企業によるものであるが、税率が低いため、当然、税収とGDPの増加テンポには乖離が生まれることになる。
一連の事実は、アイルランド経済が確かに高成長を果たしたものの、その軌跡をGDP統計だけで評価することの限界を物語っている。このことは、国民の実質所得についても同様である。
アイルランドの一人あたり名目GDPは2021年に10万ドルを超えるに至り、ルクセンブルクに次ぐ世界2位の高水準である。同年の日本の一人あたり名目GDPは3万3823ドルだったため、その3分の1程度に過ぎない。

※1 いわゆる安定・成長化協定(SGP)の下、EU加盟国は、公的債務残高を名目GDPの60%以内に、また単年度の財政赤字を同3%以内に抑制することが求められている。



※2 アイルランドは2021年10月8日、法人税の最低税率をローバル・ミニマム課税で定められた15%とすることを「BEPS(税源浸食と利益移転)に関するOECD/G20包摂的枠組み」での議論において合意した。この合意によって、売上高7億5000万ユーロ以上のアイルランドの多国籍企業56社と、アイルランドに拠点を置く外資系多国籍企業1500社に対して、15%の法人税率が適用される見通し(出所はJETRO『ビジネス短信』〈94fa213ecc670599〉)。ただし大手監査法人アーンスト&ヤング(E&Y)によると、実効税率は15%を下回る可能性がある模様である。
■高度な専門技能を要する知識集約型の産業の誘致に注力
他方で土田(2024)によると、2000年を基準(100)とする指数でアイルランドの実質労働コスト(LCI)の推移を確認した場合、2023年の水準は126にとどまっている。
一方で、この間にEU27カ国全体のLCIも110まで上昇しているため、アイルランドの実質賃金とEU27カ国の実質賃金は一人あたりGDPが持つ印象ほど乖離していない。つまり、アイルランドの所得増は控えめに評価されることになる。
日本でも、海外からの直接投資に経済成長のけん引役を期待する機運が高まっている。熊本や北海道のように、半導体の工場の誘致を通じて、地域経済の活性化を図るケースも出てきている。
またアイルランドは、製薬業や情報通信産業だけでなく、金融業による直接投資の受け入れにも熱心である。イギリスのEU離脱でヨーロッパ事業の拠点を移した外資系金融機関(※3)も米系を中心に数多く、国際金融センター構想を描く日本が学ぶ点も多い。
とはいえ、税制優遇などを通じて海外から多額の直接投資を受け入れてきたアイルランドでさえ、それがGDPの高成長をもたらしても、国民の所得の増加にはあまりつながっていないという現実がある。
同国は人口が少ないがゆえに、製薬業や情報通信産業、金融業といった、高度な専門技能を要する知識集約型の産業の誘致に注力してきた。
そのことがGDPの高成長につながったことは確かである。
■経済波及効果を見極めた海外からの投資とは
とはいえ、そうした知識集約型の産業は経済波及効果が必ずしも強くないため、国民の所得の増加は限定的となっているのだろう。アイルランドの例は、単に外国から直接投資を受け入れるだけでは、国民の所得が増加しないことを示す好例である。
日本も直接投資に経済成長のけん引役を委ねるなら、なによりまず、日本は広範囲にわたる構造改革(労働市場改革や行財政改革など)を進め、ビジネスフレンドリーな環境を整備する必要がある。
そして、国民の所得を増やすという観点からは、知識集約型の産業の誘致に傾斜することなく、伝統的な自動車工業など、経済波及効果がより強い産業の誘致を目指すべきなのかもしれない。
斜陽化が進んだ産業部門では人材の不足が深刻であるし、外国人投資家も魅力を感じない。日本が優位性を持つ産業に対する直接投資には慎重な意見もあるだろうが、保護主義の立場に立つ限り、日本の経済成長は望みがたいといえよう。
※3 イギリスのEU離脱に伴いアイルランドの首都ダブリンに欧州拠点を移した金融機関として、バンク・オブ・アメリカ(BofA)がある。また投資銀大手のJPモルガンも、ロンドンの機能の一部をダブリンに移している。しかし、こうした金融機関は、ロンドンや他の大陸の拠点との間で人員や体制を適時調整する傾向が強い。

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関山 健(せきやま・たかし)

京都大学大学院総合生存学館教授

1975年、愛知県生まれ。1998年大蔵省(現・財務省)に入省し、予算編成や法令起案などにかかわる。
2005年からは外務省でアジア向けODA立案や経済連携協定の交渉などの政策実務を経験した後、研究者に転じ、現職。東京大学博士(国際協力学)、北京大学博士(国際政治学)、ハーバード大学修士(サステナビリティ学)。専門は国際政治経済、国際環境政治、気候安全保障。著書に『気候安全保障の論理』(日本経済新聞出版)など。

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鹿島平和研究所(かじまへいわけんきゅうじょ)

日本の世界平和への貢献及び日本の安全と繁栄に関わる調査研究機関

元外交官で外交史家だった鹿島守之助博士(当時参議院議員、鹿島建設会長)の寄付によりアジアにおける冷戦の最盛期の1966年設立。日本の世界平和への貢献及び日本の安全と繁栄に関わる調査研究を目的とする。広く外交界・政官財界の実務経験豊富な人材を役員等に迎え、設立以来続く外交研究会をはじめ、多様な研究会を開催。国際間及び日本の外交、安全保障、経済、政治、社会について書籍の刊行や政策提言を行っている。

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(京都大学大学院総合生存学館教授 関山 健、日本の世界平和への貢献及び日本の安全と繁栄に関わる調査研究機関 鹿島平和研究所)
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