※本稿は、山口真美『美人はそれほど得しない? ルッキズムの科学』(ハヤカワ新書)の一部を再編集したものです。
■顔を見分ける能力は個人差が大きい
顔の講演をしていると、「顔をもっと覚えたいのですが、どうしたらいいでしょうか?」と相談されることがあります。顔の記憶能力が低いと自覚する人は意外と多いものです。このように聞く人は、たいていは人並みの能力を持っていて、人より多く記憶したいという欲張りなタイプが多いのですが、実際に顔を見る能力には個人差があります。
脳の機能障害により、人の顔を見ても誰であるか認識・識別できなくなる「相貌失認」患者の多くが、あるときを境に顔を見る能力を失う一方で、生まれたときから顔が区別できない先天性の相貌失認もいます。2000年代になってその存在が知られた先天性相貌失認は、人口の2%存在するという報告もあります。先天性相貌失認の身内を調べると、親族に同じ事例が複数見つかることなどから、遺伝の可能性も考えられています。
ただ、先天性相貌失認の人たちは、初めから顔の区別がつかないことを前提に生きてきたので、自分が抱えている問題に気づくことが難しく、たいていは顔を見ることに問題があるとは思いもしないようです。
後天的に問題を抱える相貌失認者なら、以前の生活と比べて不便を感じるのですが、先天性相貌失認者は、自分が普通だと思うことが多いからです。わからないのは顔だけで、声やその日着ている服装などで相手が誰かは特定できるため、その人なりのやり方で特定の人を見つけ出しているのでしょう。
■「人の顔が分からない」に起因する不便
しかし、顔を区別できることを当たり前の前提に成り立つ人間関係の中では、難しい状況もあるようです。
「道ですれ違ったのに、無視された」という人間関係のいざこざに巻き込まれることもあるでしょう。意図して無視しているわけではなく、単純に相手が誰だかわからなかっただけなのに……。
学校に通う生徒なら、名札や教室の座席配置から、制服姿の友達を把握しているかもしれません。そんな目印がなくなった校外で、しかもいつも目にする制服姿とは違う私服姿では、探し出すことは困難です。
誰もが当たり前に区別している顔がわからないという問題を、周囲に理解してもらうのは難しく、友人関係がぎくしゃくするきっかけの1つとなります。先天性相貌失認者は、社会不安が強いという結果もあります。
■顔覚えが得意な「スーパーレコグナイザー」
こうした人たちがいる一方で、人一倍優れた顔を見る能力を持つ「スーパーレコグナイザー」と呼ばれる人もいます。長い期間、会っていない知り合いの顔を、雑踏から探し出せる彼らの能力は驚異的です。大学卒業からすでに四半世紀以上も会っていない同級生を、新宿駅の雑踏の中に見つけることもできます。
顧客の名前や職業をすべて頭に入れているベテランのホテルマン、何十人もの逃亡犯の顔を頭に叩き込む「見当たり捜査員」など、顔を覚えることに特化した仕事もあります。
このうち見当たり捜査員は、一度も会ったことのない犯人の顔写真をリストにして、100人ほども記憶し、街中で見つけ出して検挙するのが仕事です。写真でしか見たことのない犯人を雑踏の中から見つけ出し、逮捕するのです。
写真だけに頼って顔を覚えるのは、難易度が相当高いです。たとえば顔を覚えるのが上手な商店街のおばさんは、お客さんと接しながら、その人の持つ特徴的なしぐさや表情をうまいこと引き出して記憶しています。そこには表情もあるし、その人が持つしぐさの癖もあります。もちろん、いろいろな向きの顔を見ることもできます。
中でもしぐさや表情は、その人らしさを的確に表現する大切な情報です。こうした現実の顔と比べ、ある瞬間の顔を切り取っただけの写真に含まれる情報量は圧倒的に少ないのです。
■会ったこともない人の顔を覚えるコツ
犯人に一度も会ったことのない見当たり捜査員は、見知らぬ犯人の顔写真を見ながら、必死にその犯人像や性格を思い描いて覚えると聞きます。写真だけを使って、初対面の人となりをうかがい知るのは難しいことですが、その顔を持つ人物を憎んだり愛したり親しんだりと、感情的なつながりを作り上げながら、それぞれの顔を持つ人物像を評価し覚えるのでしょう。
重要なことは、顔を覚えるためには、それぞれ個人に対する感情的なつながりや評価が必要だということです。
強い人か優しい人か、どんな仕事をしているのか、顔の記憶にはそんな情報がくっついています。そこにいたるには、脳の情動的な活性化、すなわち感情や評価、動機づけに関わる脳の部位を巻き込むことが必要です。つまり、人や社会に興味があって学習する気力、顔を覚えてうれしいという自らの報酬がないと、たくさんの顔は覚えられないということです。
■何十頭ものカンガルーを識別できるか
顔の記憶のスキルアップをしたければ、好き・嫌いでもいいので、相手がどんな人だったかを、よくよくイメージすることが大切です。一緒にいて得をしたとか、とても楽しかったとか、すごく嫌な目に遭(あ)ったとか、なんでもいいので感情的なエピソードとともに覚えることがコツです。そのためにはまず、煩(わずら)わしいと思わずに、どろどろとした人間社会の中に自ら入り込むことが第一なのかもしれません。
ある日、顔を覚えるヒントになる事例をテレビで見ました。飼育している何十頭ものカンガルーの顔と名前、その親族関係をすべて頭に入れている飼育員の姿を見たのです。
素人目からすると、カンガルーの顔はどれも同じ顔に見えて、それぞれの区別すらつきません。現に別の飼育員は、暗記術を駆使し覚えようとしてみたり、語呂合わせを使ったり、果ては芸能人の顔にたとえて覚えようとしたりしていましたが、なかなか学習が進まないようでした。
■すべてのカンガルーを見分けた飼育員
ところが、その方は飼育員の中でただ一人、すらすらとすべての個体の名前を言い当てていたのです。しかも親子関係まで把握していて、よその親のお腹の袋に入りこんでいる子どもを見つけ出しては取り出し、追い出されてしまった本当の子どもを探し出すことも容易にできました。
語呂合わせや芸能人にたとえるなど、とにかく記憶することだけに専心すると、かえって記憶は遠のきます。この記憶の良い飼育員はむしろ、カンガルー社会の中にフィールドワークのように入り込むことによって、自然と顔と名前が頭に入っていったようです。つまり、その動物のいる「社会の中に入り込まない」限り、たくさんの顔の習得はできないのでしょう。
現代は膨大な顔情報に触れる時代だと話しましたが、本当にその人を知っているかどうかとは別の話です。ここには人の顔と社会性を考えるうえでの示唆があるのではないでしょうか。
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山口 真美(やまぐち・まさみ)
中央大学文学部教授
博士(人文科学)。専門は実験心理学。文部科学省・学術変革領域(A)「顔身体デザイン」の代表として、文化人類学、哲学、心理学を横断しながら新しい身体のあり方を探る。また、20年以上にわたる乳児を対象とした実験心理学の経験を基に、発達に関する科学的なメッセージを発信している。日本赤ちゃん学会理事長、日本顔学会理事。
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(中央大学文学部教授 山口 真美)

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