してもいい失敗と、減らすべき失敗の境界線はどこにあるのか。米ハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授は著書『失敗できる組織』(早川書房)で、失敗を3つに分類し、そのうち「賢い失敗」には大きなリターンがあると指摘する。
では、してもいい「賢い失敗」とは何か。武蔵野大学教授の荒木博行さんが解説する――。
■本音はみんな「失敗したくない」
「失敗を恐れるな」

「早く失敗して、早く学ぼう」
ビジネスの現場で、こうした言葉を聞かない日はない。特にDXやAI導入といった前例のないプロジェクトの現場では、この「失敗推奨」の声を聞かない日はないだろう。シリコンバレー発の「Fail Fast(早く失敗せよ)」という標語は、今や日本の伝統的な企業でも、イノベーションの合言葉として定着しつつある。
しかし、現場に身を置く私たちの本音はどうだろうか。会議室で「どんどん挑戦しよう」というメッセージに頷きながらも、腹の底ではこう叫んでいるはずだ。
「そうは言っても、失敗はしたくない」

「評価が下がるのは嫌だ」

「恥をかきたくない」
組織からの「失敗しろ」という要請と、個人の「失敗したくない」という生存本能。この板挟みに苦しんでいるのが、現代の多くのビジネスパーソンの実情ではないだろうか。
このジレンマからどう逃れるか。そのヒントは、エイミー・エドモンドソン教授の著書『失敗できる組織(原題:Right Kind of Wrong)』にある。
私たちが失敗のジレンマに落ちてしまう1つの理由は、「失敗」という言葉の解像度が粗く、すべての「うまくいかなかったこと」を十把一絡(じっぱひとから)げに「失敗」というラベリングをしてしまっている点にある。

だからこそ、エドモンドソンは失敗を「基本的失敗」、「複雑な失敗」、「賢い失敗」という3つに分類することを提案する。「失敗」と雑に語って無責任に推奨するのではなく、まずはその違いを理解し、無くすべき失敗と推し進めるべき失敗を切り分けていこう。そういう趣旨だ。
■「減らすべき失敗」と「するべき失敗」
では3つの分類とは何か? その中身を見ていこう。
最初の「基本的失敗」とは、不注意やスキル不足によるミスによるものだ。確認を怠ってメールの誤送信をしてしまうことや、ぼうっとしながら車を運転していて事故を起こしてしまうなどのケースだ。いわゆる「ザ・失敗」であり、このカテゴリーはすぐに対策を考え減らしていくべきものだ。
次の「複雑な失敗」は、予測不能な要因が複雑に絡み合って起こる事故のことだ。チェックシステムがあるにも関わらず、不幸な偶然が重なってしまって「まさか」という事態に陥ってしまう類のもの。
飛行機の墜落事故などは、大抵はこの手の複雑性が背景にある。人為的なミスが何度か重なってしまうのだ。ここには構造的な要因があることが多く、単純な対策を取っても解決することは難しい。
過去にあった「複雑な失敗」をケースに、構造的に課題を学習する必要がある。
そしてこの3つのカテゴリーの中で最も重要なのが、最後の「賢い失敗」だ。これは全く新たなチャレンジをすることによって確実に発生する「想定通りにいかなかったネガティブなこと」だ。
やったことがないのだから想定通りいかないのは当然であり、これは非難の対象にはならない。「減らせること」でも「減らすべきこと」でもない。
習いたての自転車を想像するとわかるだろう。転ぶことは避けたいが、「受け身の技術」など、実際に転ばないと習得できないことはたくさんあるからだ。
ここはまさに「Fail Fast」の領域と言える。
■「賢い失敗」は痛み以上のリターンがある
私たちが学校教育やこれまでのキャリアで刷り込まれてきた「失敗=悪」という感覚は、主に「基本的失敗」に対するものだ。
テストでケアレスミスをして怒られた記憶や、寝坊して叱責された痛みや恐怖が身体に強烈にインプットされている。その印象が強すぎて、本来は尊ぶべき「賢い失敗」も、「基本的失敗」をした時のような否定的ニュアンスに受け取ってしまうのだ。
大切なことは、まずは職場の中で予想通りにいかなかったことを単純に「失敗」と一括りに語らないことだ。

本書では「賢い失敗」という表現になっているが、「失敗」という二文字すら使うべきではないかもしれない。たとえば「想定外の結果」という言い換えでもいい。
本来は「失敗」という二文字を抜くべきなのだ。「失敗した」ではなく、「貴重なデータが取れた」とポジティブに認識することが大事だからだ。
「基本的失敗」はネガティブなニュアンスを持つ「失敗」という言葉を使って反省を促すべきだが、「賢い失敗」では、痛み以上のリターンがあるのだ。
■「失敗は大事」でも体が動かないワケ
しかし、ここで一つ大きな壁がある。
「賢い失敗」が大事だと頭でわかっても、体が動かない理由だ。それは、私たちが恐れているのが「実験の失敗」ではなく、「社会的な失敗」だからだ。
よく「エジソンやダイソンは数千回の失敗をした」と語られる。「だから君たちももっと失敗しろ」と。だが、彼らの失敗はガレージの中での「物理的な失敗」だ。誰にも見られず、ただうまくいかなかっただけのことだ。

一方、私たちが職場で直面するのは、衆人環視の中での失敗だ。「あいつはダメだ」という視線、失われる信頼、傷つくプライド。
これらは実験データではなく「社会的な死」に近い恐怖を感じさせる。だからこそ、私たちは「賢い失敗」の前ですら、足がすくむのだ。
では、この「社会的な恐怖」をどう乗り越えればいいのか?
そこで必要になるのが、本書の第7章で語られる「システム思考」という視点だ。
システム思考とは、物事を「点」ではなく、相互に関連し合う「全体」として、そして時間の流れを含めた「動的なプロセス」として捉える思考法のことだ。
システム思考が失敗を理解するために重要なのは、この考え方が短期的な損得勘定から逃れ、長期的な意味に気づかせてくれるからだ。システム思考をしっかり理解しない人は、意識を「いま、ここ」に過剰にフォーカスして、必要な失敗を避けてしまう。
「いま、ここ」で痛みを感じたくないから、自転車に補助輪をつけて転ぶことから逃れてしまう……と言えば想像できるだろうか。
■強烈な痛みで、人は変わってきた
しかし、私たちに必要なのは、「いま、ここ」から逃れて「いつか、どこか」という巨視的な視野を持つことだとエドモンドソンは言う。
確かに「いま、ここ」で失敗から感じる痛みは避けたい。しかし、より長い目でその痛みを振り返るとどうだろうか。
「いつか、どこか」でその痛みは意味をもたらしているはずだ。
自分の過去を振り返ってみればわかる。自分を真に変容させているのは、いずれも一時的には強烈な痛みがあったことのはずだからだ。
多くの人たちの人生は、おそらく「取り返しがつかない失敗で『社会的な死』の淵に立ち、それでも何とかなった」という実体験によって支えられている。
「プロジェクトを潰してしまった……」その時は「人生、終わった」と思うほどの悲哀に包まれる。しかし、その胃に穴が開くような強烈な原体験も、「いつか、どこか」という視点で見れば、その後の意思決定を支える最も強固な「結節点」になっているはずだ。
「取り返しがつかない」と恐れていたことは、人生をシステム思考的に見れば、実は「その失敗を経なければ、今の自分は存在し得なかった」というキャリアの必然的な構成要素へと反転する。
私たちは「失敗を恐れるな」と言われる。しかし、失敗は恐れていいのだ。しっかり怖がった上で、目を背けずに失敗を正しく見つめればいい。
失敗をちゃんと見つめれば、そこには大きく3つのカテゴリーがあり、特に「賢い失敗」は長期的に意味をもたらす……ということが理解できるはずだ。
そこまで理解をした上での踏み込んだ失敗は、もはや恐れることはない。

■「社会的な死」ではなく「未来への投資」
失敗できる組織』が、最終的に私たちに提示してくれるのは、「失敗なんて怖くない」という甘い慰めではない。
表面的なポジティブさはない。失敗は痛い。その後に待ち受けるかもしれない社会的制裁は恐怖に他ならない。だが、その痛みこそが、あなたの人生というシステムを進化させる唯一の燃料なのだ。
この本はそのような人生で真に大切なことに気づかせてくれる。
そして最後に、著者の代名詞である「心理的安全性」という言葉の意味も、本書を通せば全く違った景色に見えてくるはずだ。
心理的安全性とは、決して「何をしても許されるぬるま湯」のことではない。単に「仲良くしよう」という精神論でもない。
それは、組織の全員が「基本的失敗(不注意)」と「賢い失敗(挑戦)」の境界線を明確に共有し、「果敢な実験による『賢い失敗』は、決して『社会的な死』にはつながらない」と確信できている状態のことだ。
「この失敗は、未来への投資だ」と全員が理解しているからこそ、私たちは恐怖に足がすくむことなくアクセルを踏み込める。
失敗できる組織』が提示するのは、理想論ではない。私たちが「心理的安全性」という言葉を甘えの口実にせず、プロフェッショナルとして正しくリスクを取り、正しく傷つくための具体的な戦略論なのだ。

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荒木 博行(あらき・ひろゆき)

武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授、株式会社学びデザイン代表取締役

住友商事、グロービス(経営大学院副研究科長)を経て、株式会社学びデザインを設立。フライヤーなどスタートアップのアドバイザーとして関わる他、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部、金沢工業大学大学院、グロービス経営大学院などで教員活動も行う。北海道にある株式会社COASや一般社団法人十勝うらほろ樂舎にも関わり、学びの事業化を通じた地方創生にも関与する。著書に『努力の地図』『構造化思考のレッスン』『裸眼思考』『独学の地図』『自分の頭で考える読書』『藁を手に旅に出よう』『見るだけでわかる! ビジネス書図鑑』『世界「倒産」図鑑』『世界「失敗」製品図鑑』など多数。Voicy「荒木博行のbook cafe」、Podcast「超相対性理論」のパーソナリティ。

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(武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授、株式会社学びデザイン代表取締役 荒木 博行)
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