豊臣秀吉の弟・秀長が初めて主人公となる2026年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。芸能界きっての大河フリーク&歴史YouTuber・松村邦洋さんは「織田信長が窮地に立たされた戦いで、豊臣兄弟が大活躍する場面がある。
大河ではどう描かれるかに注目だ」という――。
※本稿は、松村邦洋『松村邦洋とにかく「豊臣兄弟!」を語る』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■秀長が見初めて一夜をともにした女性とは…
大河ドラマ「豊臣兄弟!」主人公・秀長の恋人で白石聖さん演じる直。「鎌倉殿の13人」(2023年)で新垣結衣さんが演じた八重みたいに幸の薄い役じゃないかと予想してましたが、やっぱり悲劇の最期を迎えました。
秀長がわざわざ故郷を出て秀吉についていった理由は、実はハッキリしないんですけど、直はそこを補う役回りでしたね。迷う秀長の背中を押しましたし、お父さんの喜左衛門との最後の賭けも、秀長がこの先ずっと頑張り続ける動機付けになってました。いい脚本ですねえ。
実際の秀長には、その生涯の中で女性の影がほっとんど見えないんですよ。側室が16人もいた兄者を見てげんなりしたのかどうかわかりませんが、側室は長いこといなかったそうです。
ところがずっと後、大和郡山城の城主になってから突然、光秀尼っていう尼さんが現れるんですよ。
明智光秀とは全然関係なくて、大和国の国人――土豪とか豪族とか、小さな大名みたいなもんです――である秋篠氏の娘で、秀長の一回りぐらい年下です。理由は分からないんですが、出家して大和国の法花寺にいました。

そこへたまたま秀長が参詣に来て、光秀尼を見初めたんですね。そして郡山城に連れ帰って一夜をともにします。秀長も男だったんですねえ。
■直役・白石聖さんが再登場するかも?
城からお寺に返された光秀尼はじきに妊娠しまして、自分の姉が住職を務める尼寺の興福院(こんぶいん)に身を寄せます。けど、どんどんお腹が大きくなってきたので、衆徒の1人が引き取ってそこで女の子を生むんですよ。
それが秀長の耳に入るんです。秀長は光秀尼を郡山城へ呼び寄せて還俗させ、俗名をお藤にして親族に紹介します。真面目な秀長はちゃんとケジメはつけたわけです。
お藤がそのまま秀長の側室になったかどうかは不明ですが、興福院にあるお藤のお墓には秀長の身寄りであることがわかるように葬られてるそうですよ。ちなみに生まれた女の子はおきくと名付けられて、あとあと安芸国の毛利家に嫁ぎました。
もしかしたらこの光秀尼改めお藤が直の生き写しってことで、白石さんの再登場もあるかもしれませんね。視聴者も「なら許す!」って言ってくれそう。
同時に、仲野太賀さんが慶(ちか)=正室の慈雲院役の吉岡里帆さんに土下座するシーンもあるんでしょうか。
■足利義昭が号令をかけた「信長包囲網」
さて、信長は美濃を落とした翌年の永禄11(1568)年、足利義昭を持ち上げて六角氏や三好勢力を平らげて京の都へ。第15代将軍へと義昭を押し上げ、信長はその後見人になります。
でも、2人の間はだんだんと険悪になっていきます。朝廷とか皇室は尊重した信長ですけど、義昭を持ち上げる狙いが、幕府の権威を復活させることじゃなくて、やりたいようにやることにあったのがミエミエだったんです。
もうやりたい放題で、お寺・神社・地主といった古株の勢力にバカ高い矢銭――要はミカジメ料ですね――を要求します。
いろんな勢力が、いっせいに信長を敵視します。例えば、「交通の要所なんだから退けよ」と信長が迫ったのは、大坂にあった浄土真宗――一向宗ですね――の総本山・石山本願寺です(後々ここに秀吉が大坂城を建てるんですけど)。
トップの顕如がそれを突っぱねたことが、信長vs.本願寺プラス全国の一向一揆との11年戦争が始まるきっかけでした。
和泉国の貿易都市・堺も、信長流の洗礼を受けます。松本白鵬さんが主演(当時は市川染五郎)で堺の豪商・呂宋助左衛門を演じたのが大河「黄金の日日」(1977年)。その第1回で、信長が「矢銭2万貫よこせ」と6万の軍で堺をぐるっと包囲するんですよね。

■まさかの裏切りで、信長が袋のネズミに
そうした勢力を煽ったのが義昭です。信長に首根っこを押さえつけられた義昭は、越後の上杉謙信、越前の朝倉義景、甲斐の武田信玄、中国の毛利輝元などなどコワモテたちに呼びかけ、全国規模の「信長包囲網」に拡大します。
で、信長はまず、朝倉義景の討伐に向かいます。総勢3万を動員し、近江を通って越前へと進軍。金ヶ崎城を陥落させ……ってとこまでは順調だったんです。
ところが、ですね。ここで浅井長政が突如裏切ったんですよ。信長の妹のお市をもらっておきながら。北近江から北上した浅井軍が、織田軍を背後から急襲したんです。
浅井家は朝倉家に昔から恩があって、義理の兄貴である信長とどっちを取るかの板挟みになってたんです。信長は裏切られ率がけっこう高いんですけど、ああいう天才は他人の気持ちをソンタクできないんでしょうね。
こうなったらもう、逃げるしかありません。
でも、撤退戦って難しいんですよ。なんせ絶好調で追っかけてくる敵を迎え撃ちながら、逆方向へ逃げなきゃならないんですから。
■秀長、シンガリのそのまたシンガリに
そこで一番重い役割が殿軍――しんがり、と読むんですけど、その名の通り一番後ろ、一番敵に近いところで、味方全体を守るために敵を撃退し続ける役回りです。だいたい軍勢の半分以上が死ぬ、とも言われていました。
その殿軍役に手を挙げたのが、またしても秀吉でした。実は、朝倉攻めの先頭は松平元信――後の徳川家康の軍だったから、反転&退却だと自動的に元信が殿軍になります、でも、同盟を組んでる他家を殿軍にしたとあっては織田の面目が立たないですから、そのお役目は家中から出さなきゃならなかったんです。
そこで秀吉の率いる3000の軍勢が、分捕ったばかりの金ヶ崎城を拠点にして浅井軍を迎え撃ち、頃合いを見て引き払うことに。そして城を最後に後にするのが、秀吉に「お前は城に残れ」と言われた秀長の手勢だったんです。つまりしんがりの、そのまたしんがりですね。
秀吉は3000の軍のうち2000を場外に出したので、秀長といっしょに城内に残っているのは1000人弱。秀吉軍は逃げたわけじゃなくて、城の入り口の左右に伏せておいて、城内に敵が入ろうとしたらわっと出て撃退するわけです。
■信長史上、最も命が危なかった事件の一つ
「ムダな戦いはするな。
頃合いを見てさっと兵を引いてオレの陣につけ」――それが秀吉の指示でした。
信長はいち早く少人数を引き連れて突っ走り、秀吉と秀長、蜂須賀小六たちが城の門の前で見送る中、目の前を柴田勝家、佐久間信盛、丹羽長秀……と織田軍の部隊が今来たばかりの道を続々と戻っていくわけですよ。
最後に元信の部隊が通り過ぎた後、秀長は手筈(てはず)通り、自分の部下たちとともに城の中に入ります。
城内で一晩過ごした小一郎たちは、生きた心地がしなかったでしょうけど、撤退が素早かったせいか朝倉軍もすぐには到着しなかったのはラッキーでしたね。
朝日が昇ると、秀長は手勢とともに城外に出て、もう先を行っていた秀吉軍の後を追いかけます。ちょっと時間をおいてやってきた朝倉軍に、最後尾の鉄砲隊がタマをばんばん浴びせて距離を詰めさせず、どうにかこうにか帰ることができたんです。
この「金ヶ崎の退き口」っていうエピソード、信長史上もっとも命が危なかった事件のひとつでした。これがきっかけで、信長の指導力と家臣団の結束はさらに高まったそうですね。

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松村 邦洋(まつむら・くにひろ)

タレント

大学生の頃、バイト先のTV局で片岡鶴太郎に認められ芸能界入りし、斬新な生体模写で一躍有名に。ビートたけし、半沢直樹、“1人アウトレイジ”、阪神・掛布雅之、故野村克也監督など多彩なレパートリーを誇り、バラエティ、ドラマ、ラジオなどで活躍中。筋金入りの阪神タイガースファン。芸能界きっての歴史通であり、YouTubeで日本史全般を網羅する『松村邦洋のタメにならないチャンネル』を開設。
特にNHKの歴代「大河ドラマ」とそれにまつわる知識が豊富。著書に『松村邦洋懲りずに「べらぼう」を語る』『松村邦洋まさかの「光る君へ」を語る』『松村邦洋今度は「どうする家康」を語る』『松村邦洋「鎌倉殿の13人」を語る』がある。

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(タレント 松村 邦洋 構成=西川修一)
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