口コミ評価、コスパ、写真映え……。食べ歩きスポットを選ぶとき、何を重視するだろう。
富裕層マーケティングを長く手掛ける西田理一郎さんは「富裕層も食べ歩きを楽しむ。食べ物自体にかけるコストは、1皿数百円と、たいして変わらないこともある。しかしスポットの選び方、楽しみ方はまるで違う」という――。
■「食べ歩き」という言葉の残酷な二面性
休日の午前11時。横浜中華街の善隣門をくぐると、すでに大変な人混みである。
焼き小籠包の湯気が路地を白く煙らせ、若いカップルがスマートフォンを片手に「映える」角度を探しながらタピオカミルクティーやマンゴーミルクを啜っている。
豚まんを頬張る親子連れ。
甘栗の試食を配るおじさん。北京ダック風のクレープに長蛇の列ができ、その隣では「食べ放題2480円」の看板が、赤と金の電飾が昼間からギラギラと主張している。
活気がある。実に楽しそうだ。そしてこの光景は、日本人が「食べ歩き」という言葉から真っ先に連想する、まさに典型的な風景だろう。

一方、同じ地球上で、まったく異なる「食べ歩き」が展開されている場所がある。
スペイン北部、バスク地方。フランス国境からわずか20キロメートルに位置する人口約18万人の小さな街――美食の街サンセバスチャン(San Sebastián)である。
ここでは、「食べ歩き」のことを「バルホッピング」と呼ぶ。旧市街には100軒以上のバルがひしめき合い、数十メートルおきにピンチョスバーが軒を連ね、カウンターには宝石箱のような小皿料理がずらりと並ぶ。
訪れた旅行者は、1軒で1~2品のピンチョスと相性抜群のバスク地方の微発泡白ワイン「チャコリ」で〔地元では「Txikiteo(チキテオ)」と呼ぶ〕を一杯ひっかけては、次の店へ移る。
「ベルムー(Vermú)」というバスク風ベルモットや「リオハ」というスペイン産赤ワインへとホッピングと共に、少しづつ深酒モードに突入。そして、一晩で立ち飲みを5軒、6軒と繰り返す。
■価格は大きく変わらない、しかし…
横浜中華街の食べ歩きと、サン・セバスチャンのバルホッピング。複数の店を渡り歩き、少量ずつ多種多様な料理を楽しむ。一見すると場所が違うだけで、行動は同じに見える。
だが、その中身の解像度を上げていくと、両者の間には太平洋よりも深い溝が横たわっている。

まず、最も表層的な比較は価格だが、横浜中華街の食べ歩きアイテムの平均単価は、おおむね300円から800円程度だ。焼き小籠包が500円、肉まんが400円、タピオカミルクティーが600円。5~6品食べて3000円も使えば、「今日はけっこう食べたね」という満足感とともに帰路につくことができる。
サン・セバスチャンのピンチョスは、1皿あたり2~5ユーロ(約350円~1000円)が相場だ。チャコリが1杯3ユーロ前後(約550円)。5軒はしごして、ワインも含めて50~60ユーロ、日本円にして8000円から1万円程度だろうか。
「なんだ、たいして変わらないじゃないか」
そう思った読者は、金額でしか比較していない。いや、金額しか見えない環境に置かれている、といったほうが正確かもしれない。
差は、価格ではない。「そこに至るまでの投資」と「その一皿が背負っている文脈の厚み」なのだ。
■食のファスト化が進んでいる
サン・セバスチャンのピンチョスバーで供される一皿のアンチョビは、ただのアンチョビではない。
バスク海岸で揚がったカンタブリア海のアンチョビを、代々受け継がれた塩漬け技法で仕込み、バスク地方特有の調理哲学――「素材の声を聴く」という、ヌエバ・コシーナ・バスカ(新バスク料理)の精神――に基づいて一皿に仕立てたものだ。

その背後には、1970年代にスペインの独裁政権が終焉し、バスクのアイデンティティ回復運動の中でシェフたちが「レシピのオープンソース化」という革命的な決断を下した歴史が流れている。
一方、横浜中華街には横浜中華街の歴史がある。1859年の開港から始まる華僑の営みには敬意を払うべきだ。
もちろん、路地裏を探せば、今も手作りにこだわり、本場の味を守り続ける名店はたくさんある。横浜中華街の歴史と誇りは健在だ。
だが、その一方で、大通りを目立つ「食べ歩きグルメ」が、急速にファストフード化しているのも事実だ。効率を優先し、セントラルキッチンで作られたものを店頭で蒸し直して提供する。それはビジネスとして正解かもしれないが、そこに「街が持つ160年の重層的な歴史」を見いだすのは難しい。
この現象は、「文脈」ではなく、「安さと映え」を求める私たちに、街が適応した結果ともいえる。一個500円の小籠包の向こうにある歴史を見ようとしない限り、その味は『#横浜中華街食べ歩き』の域を出ないのだ。
■なぜ1皿のために旅費200万円をかけるのか
サン・セバスチャンでピンチョスをつまむために、日本からどれだけの投資予算が必要か。
まず航空券。
東京から最寄りのビルバオ空港まで、ビジネスクラスで往復にかかる費用は、閑散期でも80万。シーズンだと200万円。
中継地・ビルバオからサン・セバスチャンまではバスで約1時間だが、富裕層はプライベートトランスファーを手配する。
ホテルは、旧市街のブティックホテルで1泊3万~5万円。ミシュラン三つ星の「アルサック」や「マルティン・ベラサテギ」でのディナーを組み込めば、1食あたり5万円が上乗せされる。
つまり、サン・セバスチャンで3泊4日のバルホッピングを楽しむためには、ゆうに一人約200万円の「舞台装置」が必要になるのだ。
対して、横浜中華街。東京から電車で30分、交通費は片道500円。食べ歩きの予算は3000円。帰りに中華街の土産物屋で月餅を買っても、総額5000円でお釣りがくる。
200万円と5000円。実に400倍の差である。

しかし、私がここで問いたいのは、「200万円かける富裕層はすごい」ということではない。むしろ逆だ。
「なぜ、200万円を払ってまで、わざわざ地球の裏側で小皿料理を食べ歩く人々がいるのか」――その動機の構造を理解しなければ、現代の消費格差の本質には永遠にたどり着けない、ということだ。
■「胃袋」ではなく「知性」で旅をする
富裕層がサン・セバスチャンに向かう理由は、おいしいものを食べたいからという単純なグルメツアーではない。もちろんおいしいものは食べる。だが、それは目的ではなく「手段」だ。
彼らが求めているのは、「ガストロノミーツーリズム」と呼ばれる旅のスタイルである。
ガストロノミーツーリズムとは、その土地の歴史、気候風土、文化的背景を、料理という切り口から体験的に深掘りする旅のことだ。世界観光機関(UNWTO)も注目するこの旅行形態は、単なるグルメツアーとはその目的が本質的に異なる。
グルメツアーは「何を食べるか」が主眼だ。「あの店のあの料理がおいしい」という情報を消費する行為である。一方、ガストロノミーツーリズムは「なぜこの料理がここに存在するのか」を探求する知的冒険だ。

サン・セバスチャンを例にとろう。
この街には「美食倶楽部(ソシエダ・ガストロノミカ)」と呼ばれる会員制の料理クラブが多数存在する。19世紀末から続くこの文化は、男たちが集まって自ら料理を作り、食べ、議論するという極めてユニークなものだ。観光客には通常開放されていないが、地元の知人を介してこの美食倶楽部に参加できたとき、旅の深度は一気に跳ね上がる。
バスク地方の市場で、漁師から直接カンタブリア海の魚介を買い付ける。地元のシェフから「海バスク」と「山バスク」の食文化の違いについてレクチャーを受ける。レシピ公開という「オープンソース革命」がいかにしてこの街を世界一の美食の街に押し上げたかを、料理大学「バスク・キュリナリー・センター」の教授から直接聞く。
これがガストロノミーツーリズムだ。
胃袋ではなく知性で旅をする。
食べることは、その土地の歴史書を1ページずつめくることと同義だ。バルホッピングは、この知識を入れ、頭で食べるという、知的遊戯なのだ。
一方、横浜中華街で肉まんをかじっている観光客たちは、何を体験しているのだろうか。
湯気。うまい。次の店。また湯気。うまい。お腹いっぱい。帰ろう。
それはそれで、楽しいレジャーだ。否定はしない。だがそれは、エンターテインメントとしての「カロリー摂取イベント」に近い。
■10年後に表れる人生の決定的な差
近年、地方創生の名の下に全国各地で屋台村が乱立している。
「横丁」「屋台」「はしご酒」といったキーワードで集客を図り、小さな飲食ブースが10軒ほど連なる。
焼き鳥、おでん、ラーメン、たこ焼き。
1軒あたり1000円程度で2~3品頼み、生ビールをひっかけて次の店へ。3軒も回れば5000円で心地よい酔いが回り、「今日は楽しかったな」と千鳥足で帰宅する。
私はこの文化を否定しない。むしろ愛している。酔っ払いの幸福は、金額に比例しないからだ。
だが、一度だけ想像してみてほしい。
あなたが屋台村で3軒目のおでん屋の大根に箸を突き刺しているまさにそのとき、地球の裏側では、ある日本人経営者がサン・セバスチャンの立ち飲みのバルで、カウンター越しにシェフと会話をしている。
「このイディアサバル(バスクの羊乳チーズ)は、どの牧場のものですか?」
シェフは嬉しそうに答える。牧場の名前、羊の品種、熟成期間、そしてそのチーズを最も引き立てるチャコリの銘柄まで。
他にも、「酢漬けイワシの定番カタクチイワシのピンチョスのこのイワシは、どこの港で上がって、旬の時期はいつ頃だ?」
「イチャソ(アンコウとエビのパイ)、フォアグラのパイ仕立てのアンコウとエビは?」など、質問攻めである。
経営者は目を細めながらノートを取り出し、何かをメモしている。彼はこの体験を、自分が経営するレストランのメニュー開発に活かすつもりなのだ。
これはなにも、レストラン経営者にかぎったことではない。こうした知識の積み重ねが、その先の人生の食体験を豊かなものに変えていく。
同じ「はしご」でも、一方は翌朝二日酔いの頭痛しか残らない。他方はビジネスのインスピレーションと人生の教養を積み上げていく。
この差が、10年、20年と蓄積されたとき、人間の「厚み」にどれほどの違いが生まれるか。考えるだけで、少し背筋が寒くなる。
■史上最も予約が取れないレストラン
ガストロノミーツーリズムの世界もまた、激動のただ中にある。
かつてスペイン・カタルーニャ地方の「エル・ブジ」は、年間200万件の予約リクエストに対しわずか8000席しか提供しないという、史上最も予約困難なレストランだった(倍率は驚異の250倍だ)。
「分子ガストロノミー」というジャンルを確立した天才シェフ、フェラン・アドリアは、2011年にレストランを閉じ、「エル・ブジ財団」として食の研究機関に転身した。
デンマーク・コペンハーゲンの「ノーマ」も同様だ。
「世界のベストレストラン50」で何度も1位に輝いたレネ・レゼピの城は、従来型のレストランとしての営業を終え、食の研究ラボへと変貌した。
そして「コックス」は、フェロー諸島発の(デンマーク自治領)の唯一のミシュラン星付きレストランだが、「自分のレストランで食事をするためだけに来てほしい」と宣言している。
「この辺鄙な場所まで来る旅そのものが、食体験の一部」ということを意味しているのだ。
これは、ガストロノミーツーリズムの究極形だ。料理を食べに行くのではない。料理がある「場所」と「文脈」ごと体験しに行くのだ。
横浜中華街で食べ歩きをしている観光客に、この発想はあるだろうか。
「この肉まんを食べるためだけに、横浜まで来ました」――これを本気で言う人はまずいない。ほとんどの場合、「横浜に来たついでに中華街に寄った」程度の動機だろう。食が目的ではなく、食は「ついで」なのだ。
この「ついで」と「ためだけに」の差。これこそが、庶民と富裕層の食べ歩きを隔てる、最も本質的な断層線である。
■「食べログの点数」では測れない価値がある
ここまで読んで、筆者がまるで「サン・セバスチャンに行ける人間だけが本物の食通だ」と言っているように聞こえた読者もいるかもしれない。あるいは「横浜中華街の食べ歩きなど低俗だ」と断じているように。
誤解の無いように、お伝えするが、そういうことではない。
実は、横浜中華街でもガストロノミーツーリズムは可能だ。
ネットのランキングを無視して、広東、上海、四川、それぞれのルーツを持つ老舗の扉を開け、給仕長に「今の季節、シェフが一番食べてほしい食材は何か」と尋ねてみる。
それだけで、中華街は「観光地」から「食のワンダーランド」へと姿を変えるはずだ。
つまるところ、問題は場所ではない。体験に向き合う姿勢なのだ。
私が言いたいのは、「食べ歩き」という同じ言葉の中に、まったく異質な体験が内包されているという事実を、多くの人が気づいていない――あるいは気づかないふりをしている――ということなのだ。
そしてこの格差は、金銭の多寡だけでは説明できない。
サン・セバスチャンのバルホッピングの本質は、「食を通じて世界を読み解く知的好奇心」と「そのために時間と労力を惜しまない姿勢」にある。これは、仮に200万円の旅費がなくても、本やインターネットである程度は疑似体験できるものだ。
近所の居酒屋の焼き鳥でも、その鶏がどこで育ち、どんな飼料を食べ、なぜこの焼き方をしているのかを店主に聞くだけで、一本の焼き鳥が纏う「文脈」は一変する。
だが、現実には、ほとんどの人が「うまい」「まずい」「コスパ最高」「映える」――この4つの形容詞だけで、食体験を処理してしまう。
そして食べログの点数を見て、Googleマップのレビューを見て、行列の長さで店の価値を判断する。実に寂しい光景だ。
富裕層が「食べ歩き」に見いだしているのは、料理の味ではない。世界の奥行きだ。
そして庶民が「食べ歩き」で消費しているのは、カロリーだけではない。「自分は食を楽しんでいる」という幻想を買っているのである。
屋台村の3軒目、おでんの大根に七味をかけながら、ふと考えてみてほしい。この大根は、どこの畑で獲れたのか。なぜこの出汁はこの色をしているのか。なぜ日本人はおでんを冬に食べるのか。
その問いを持てた瞬間、あなたの食べ歩きは、ほんの少しだけガストロノミーツーリズムの意識に近づくのだ。

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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)

価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役

富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト

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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)
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