なぜ、イラン核問題は戦争に至ったのか。『イランとアメリカ、そしてイスラエル 「ガザ以後」の中東』(朝日新書)を出した国際政治学者の高橋和夫さんは「第1次トランプ政権の一方的な合意離脱が、『イラン核合意』再建を難しくした」という――。

■核合意再建に対するイランの交渉戦術
2021年1月のバイデン政権発足から3カ月後、イランとの交渉がようやく始まった。目鼻がつき始めた同年6月、イランで大統領選挙があった。その結果、2015年の「イラン核合意」に批判的だったエブラヒーム・ライーシーが当選した。
ライーシー新大統領は時間をかけて問題の再検討を行った。そして、やっと11月になって本格的な交渉が再開された。ライーシー政権は、前任のハサン・ロウハニ大統領の交渉団が進めてきた交渉の経緯を無視して、強硬な提案を新たに行ったと伝えられる。
これを受けて悲観論が広がり、交渉を中断すべきとの主張がアメリカ交渉団の内部で強くなった。政府最高レベルの判断で交渉の継続を決定したものの、次席を含め一部は交渉団のポストから辞任した。
その後イランが態度を軟化させた。交渉の進捗が伝えられた。この変化は、イラン側の当初からの交渉戦術だったのだろうか。あるいは一部メディアが報道したようにロシアと中国の説得をイランが受け入れたためだろうか。
いずれにしろ、この段階でアメリカとイランを仲介するロシアの外交に注目が集まり始めた。
もし交渉が妥結するとすれば、さらに大きな役割をロシアが果たすことになるとの認識が広がった。なぜならば2015年7月の合意の際にロシアが重要な役割を果たしたからだ。
■イランの核兵器保有能力への限りなき接近
本書『イランとアメリカ、そしてイスラエル』ですでに言及したように、この合意ではイランは核開発に関して厳しい制限を受け入れた。
たとえば、ウランの濃縮に関して、濃縮そのものは認められたものの濃度や量に関しては厳しい制限を課された。濃度で見れば3.67%を上限としている。これは、原子力発電の燃料としては十分な濃度だが、核兵器の製造に必要な90%程度からは遠い数値である。また量的には300キロまで濃縮ウランの保有を認めた。
その核合意の成立を受けて、その制限を超えた純度と量のウランは、ロシアに搬出された。当時イランのウランの濃縮度は20%ほどだった。ロシアはイランで原子炉を建設するなど平和利用での核開発に協力してきている。
もし、イラン核合意が再建されるならば、過去のように制限の枠を超えたウランを国外に搬出する必要が出てくる。
その際にはロシアが、その受け入れ国として想定されていた。つまり核合意の再建のためには、ロシアの協力が必要だと考えられていた。
核合意の機能している状況では、イランが核兵器開発を決断しても必要量の濃縮ウラン確保に一年かかるだろうと推定されていた。だが交渉が再開された2021年11月頃までには、その期間は何週間かに短縮されていると見られていた。
イランは限りなく核兵器保有能力へ近づきつつあった。合意を早期に再建して濃縮ウランをイラン国外に搬出すべきだと各国が急いでいた背景である。
■合意を困難にした米とイランの間接交渉
バイデン政権とライーシー政権は、核合意再建のための交渉に入った。これを困難にしたのが、間接交渉という方法だった。イランは、2018年のトランプ政権のアメリカが一方的に離脱したのだから、そのアメリカとは直接には交渉しないという立場をとった。
さて2022年夏の段階では、ウィーンでの間接交渉が行われた。
イラン交渉団はインター・コンチネンタル・ホテルに宿泊した。このホテルは伝統的にOPEC(石油輸出国機構)の総会の会場である。
それゆえ、その主要メンバーのイランには、なじみ深いホテルである。このホテル・チェーンは、もともとは今は無きアメリカの航空会社のパン・アメリカン社の所有だった。バブルの頃は日本のセゾン・グループが所有していた。日本の中東関係者が夏の終わりに集い中東戦略を議論する会場にもなっていた。
アメリカの交渉団は、グランド・ホテルに宿泊していた。このホテルも一時期は全日空が所有していた。そしてイラン核合意に署名した他の国々――ドイツ、イギリス、フランス、ロシア、中国の交渉団は、インペリアル・ホテルを宿舎としていた。第二次世界大戦前からある格式あるホテルである。エリザベス女王やチャールズ・チャップリンなどの超有名人の宿舎になってきた。その中でも特に深く歴史に刻まれているのは、オーストリア出身の政治家である。1938年にドイツがオーストリアを併合した際には、アドルフ・ヒトラーが、このホテルのバルコニーから熱狂する群衆に演説した。
■ウクライナ戦争がイラン核交渉に落とした影
2022年に話を戻すと、アメリカとイラン以外の交渉団が、両国のホテルを往復して交渉した。
コロナ不況に苦しんでいたウィーンのホテル業界にはありがたい間接交渉だったが、なかなか手間暇のかかる方法だった。時間をかけている間に、さまざまな事件が起こり、それらが交渉に悪影響を与えた。
まず、イラン核問題の交渉と並行するかのように、ウクライナを巡る情勢が悪化した。ウクライナをNATOに加盟させないとの保証をロシアがアメリカなどに求めた。それが受け入れられないと、2022年2月下旬、ロシア軍がウクライナに大規模な攻撃を開始した。激しい戦闘が現在も続いている。これがイラン核交渉に長く深く濃い影を落としている。
まずウクライナ情勢の急展開に、イランはどのような立場をとったのだろうか。
■イランが見せたプーチン大統領への配慮
イランは、戦争を非難しつつ、同時に、その背景となったのはNATO拡大であるとの認識を示し、ロシアの動機に理解を見せた。これは、核交渉などにおいて、常にイランの側に立ってくれたプーチン大統領への配慮であった。イランとしては、この玉虫色の対応で微妙なバランスを目指したわけだ。
付言すればイランと北方の隣人ロシア(ソ連)とは、歴史的には必ずしも常に良好な関係を維持してきたわけではない。
19世紀にはロシアとの戦争に敗れ、ガージャール朝ペルシア帝国は広大な領土を失った。現在のグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンなどに当たる地域だ。
第二次世界大戦中にはイラン北部をソ連軍が占領し、南部はイギリス軍が押さえた。イランは、アメリカとイギリスで生産された軍事物資をナチス・ドイツと戦うソ連に送るための「勝利への橋」であった。
戦争が終わるとイギリス軍は撤退したものの、なかなかソ連軍は動かなかった。結局は撤退するのだが、その前にソ連軍支配地域でアゼルバイジャン自治共和国とクルディスターン自治共和国(マーハーバード共和国)が樹立された。
様々な理由から、その後にソ連軍はイランから撤退し、この両共和国は崩壊する。この経緯については本書で前にも語った。しかし、この手口は、ウクライナにおける「ドネツク人民共和国」及び「ルハンスク人民共和国」の樹立を想起させる。ロシア人のやることは、変わらない。
■2つの“チェス”をプレーするロシアと欧米
ウクライナでの戦争によって、エネルギー価格が上昇した。ウクライナでの戦争が引き起こした混乱でエネルギー価格は、一時期は天井を抜けた。
ヨーロッパ諸国はロシアからの石油と天然ガスの輸入に依存していたので、大きな打撃だった。
支持率の低迷するバイデン政権にとっては、さらなる石油価格の高騰は避けたいところだったので、これがイランとの合意への圧力となるだろうとの読みもあった。
核合意が再建されイランに対する経済制裁が撤廃されれば、イラン原油が国際石油市場に戻って来る。現在のイランの石油輸出は日量100万バレル程度と見られているが、中長期的には、これが倍増するだろう。
またイランがタンカー備蓄などで保有していると見られる原油が1億バレル近くある。この放出が、石油市場を沈静化させるのに寄与するだろう。バイデン政権にとって、そしてヨーロッパ諸国にとって、それだけイラン核合意の再建交渉の成功の価値が上がっている。イランの交渉上の立場が強くなった。少なくともイラン側は、そういう理解だったようだ。
しかし同時にウクライナで戦っているロシアが、本当にイランとの核問題で協力してくれるだろうかとの疑問もあった。
イランの石油が市場に戻ってくれば、ロシアのエネルギー面でのヨーロッパに対するテコは弱くなる。ロシアと欧米は、イラン核問題とウクライナ問題という二つのチェスを同時にプレーしている。欧米にとっては、ウクライナでの戦争は、イラン核合意再建の必要性を高め、同時に難しくした。
■最後の一歩で立ち止まったイラン
さて交渉は、大筋で合意したものの、欧米によればイランが最後の決断を下さないまま、2022年秋を迎えた。
冬に向かって気温が下がり始め、ヨーロッパのガス需要が高まれば、それだけイランの交渉力は強くなる。また11月の中間選挙を前にバイデン政権が石油価格を引き下げるために譲歩してくるのではないかとの読みもイラン側にあったのだろうか。
何度も期待を抱かせながら、結局、イラン側は最後の一歩で立ち止まった。これがアメリカ側の認識だった。
もちろんイランによれば問題はアメリカにあった。イランはワシントンが二度と合意から離脱しないとの保証を求めた。つまりバイデン政権はもちろん、次の政権も合意から離脱しないとの約束を求めた。
トランプ大統領の一方的な離脱で合意が機能停止に陥った事実を踏まえれば当然の要求とも言える。だがバイデン政権は次の政権の手を縛る約束は法的にできない。イランがこの要求に固執する限り、合意の再建は望めない。そうした状況だった。
■核合意再建を難しくしたイラン国内の事件
そして秋が来て状況に大きな影響を与える展開があった。
まずイラン国内での抗議活動が始まった。9月に若い女性が当局に拘束された。理由は、その服装がイスラム的でなかったからだ。女性はその後、死亡した。
これに対する抗議行動が起こり全国に波及した。女性の権利の抑圧への怒りばかりでなく、長年にわたり鬱積(うっせき)していた国民の不満が爆発した観があった。それは経済の停滞であり政治の閉塞状況である。
抗議運動に直面したイラン政府にとっては、核合意の再建交渉の早期結着が望ましかった。制裁が終われば、国民の不満の背景となっているインフレや失業などの状況は改善される。
ただ、この抗議運動への政府の強硬な対応が、欧米にとってイランとの交渉を難しくした。国民を弾圧した血まみれの政府と交渉するのには、政治的な困難が伴うからだ。国民の抗議運動が、イラン政府にとって核合意の再建を必要にし、同時に難しくした。
この抗議行動は、やがて抑え込まれていく。だが国民の不満は解消されることなく再び深く沈潜した。次の爆発の時を待つかのように。

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高橋 和夫(たかはし・かずお)

国際政治学者、中東研究者

中東研究者。放送大学名誉教授。福岡県北九州市生まれ。大阪外国語大学外国語学部ペルシア語科卒業。コロンビア大学国際関係論修士。クウェート大学客員研究員、放送大学教授などを経て2018年4月より先端技術安全保障研究所会長。著書に『モデルナとファイザー、またはバイオンテック』『ロシア・ウクライナ戦争の周辺』『イランvsトランプ』『アラブとイスラエル』など。
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