■失語症になっても「漢字が読める」
【養老】日本の文化とそれ以外の文化とのいちばん大きな違いのひとつは、日本語を例にとればよくわかる。というのは、日本語は脳の2カ所を使わないと読めないんです。
【楳図】漢字がですか。
【養老】いやそうじゃなく、失読症という病気があるんです。文字が読めなくなるという病気です。大脳皮質のどこかが壊れると、そういう症状が起こってくる。
で、一般に世界の人が字が読めなくなる場合、大脳の角回という場所が壊れるんです。脳にはふつうシワと言われている溝と山がたくさんありますが、その溝と溝の間の山の部分にちょっと角張ったところがあって、この部分を角回というんですが、その角回が壊れると世界の人は字が読めなくなる。
【楳図】へー。
【養老】ところが、日本人の場合はそこがやられても漢字を読むのに不自由しない。ただし、仮名は読めなくなる。
【楳図】あれえ、不思議ですねえ、なぜでしょう?
■世界中で日本だけが「特別」なワケ
【養老】そこでなぜかということになるんですが、日本語の漢字の読み方だけが一定していない。
たとえば「重」という漢字。この下に「複」が付くと「チョウふく」となり、「大」が付けば「ジュウだい」となる。「ねる」という送り仮名が付けば「カサねる」、「い」という送り仮名を付ければ「オモい」と読む。音読み訓読みなど、実にいろいろな展開ができる。こんな読み方は、外国にはないんですね。
【楳図】そうなんですか。
【養老】そうじゃないですか。たとえば英語でWORDとあれば、ワードとしか読めないでしょう。中国だって「重」はひとつの読みしかない。広東語とか北京語の違いはあっても、少なくとも広東語圏では読みはひとつだし、北京語圏でもひとつしかない。ハングルだって、読みはひとつ。
【楳図】記号ですもんね。
【養老】ひとつの記号にひとつの音が対応している。どこの国の場合もそうなんです。日本だけです、こんな複雑な読み方をするのは。
■日本人と米国人の脳の「決定的な違い」
【養老】たとえばコンピュータのソフトを設計するとして、英文をテレビカメラでずっと追わせて、こちら側で音を出す「本を読む機械」をつくったとします。そのとき英語の場合、WORDという単語であればワードという音にすればいいわけでしょう。
【楳図】そうですね。でも日本語では……。
【養老】そうはいかない。下に続く字を読んでからでないと音が決められない。そういうコンピュータのプログラムというのは、英語を読み取るコンピュータとは違うものになります。
【楳図】日本人の脳とアメリカ人の脳が、少なくとも言葉を読むために使う部分が異なっているということですね。これは驚いた。
そういえば、日本人と外国人の脳が違うというのは、虫の鳴く音を右の脳で聞くのは日本人とポリネシア人だけで、他の外国人は左の脳で聞いているというのを読んだことがありますけれど。
【養老】ええ。それとは違う話ですが、字の読みに関しては、日本の漢字の読み方だけがちょっと特殊になっているんです。そして、これがまた漫画と非常に深い関係がある。
■猫より「ニャー」のほうがわかりやすいが…
【楳図】えっ、脳と漢字と漫画の間に?
【養老】三題噺ではありませんが、漢字というのはもともと象形文字でしょう。だから、「魚」という字はこういうふうに「魚」のイラストを描いたほうが簡単じゃないか(紙に魚の絵を描く)。
【楳図】そうですね、これなら外国人が見たってわかりますね。
【養老】そしてここに「パシャン」と書きます(魚の絵の右側に書く)。魚が跳ねた音です。
しかし、魚という漢字はもともとイラストに近かったのが、時間がものすごく経過していまの魚という字になった。山だってそうだし、どんな漢字もそういう経過をたどってできあがった。
【楳図】なぜでしょうね?
【養老】魚は「サカナ」と読んでいます。なぜか「パシャン」とは言わない。でも猫だったら「ニャー」のほうがはるかにわかりがいい。
【楳図】猫らしいし、てっとり早い。
■脳は言語をどのように扱っているのか
【養老】子供はよくそういう擬音語を使います。猫は「ニャー、ニャー」ですよ。
どういうことかと言うと、漢字は目でしかわからない、擬音語は耳でしかわからない。つまり、言語というものは、視覚系の入力と聴覚系の入力というものを同じ規則で処理するようにできているものですから、目だけの性質が残っていると、耳には通じないのです。
魚の絵には音とつながらない部分がたくさんあります。
ところが、脳の中で言語を扱う場所は視覚系でも聴覚系でもない。その中間なんです。われわれはそれを言語野と言っていますが、そういう部分だから、目と耳の両方の情報が共通に処理できるような場所でなければいけない。だから、魚という「抽象的」な漢字になる。だんだん時間がたってくると、目でしかわからないこと、耳でしかわからないことは、言葉の中から少しずつ落ちていってしまう。
つまり抽象化したわけです。で、漫画というのは実を言うと元へ戻っているんです。
【楳図】えっ?
■国語の授業と漫画の「意外な共通点」
【養老】そこで漫画の読み方なんですが、漫画をよく見ると日本語に非常に似ているんです。
そうすると漫画の場合、絵があって、吹き出しというのをつけてそこにセリフを入れますね。この吹き出しの部分が、漢字で魚類と書いて、「ギョルイ」とルビ、つまり仮名を振った場合と同じなんです。実は漫画の吹き出しは、ルビと同じものだと思うんですよ。
【楳図】あっ、なるほど。
【養老】漢字にルビが振ってあるものには、日本人は非常に親しみがある。明治の頃に出版された小説なんか、絵ルビと言って全部の漢字にルビが振ってある。あれは、漢字を絵だとすると吹き出しに相当するんです。
【楳図】わあ、すごいことをおっしゃっていただいて……、漢字にルビがつくのと漫画の絵に吹き出しがあるのが同じ構造だと。これはすごい、漫画の歴史の1ページがカタンとひもとかれたような気がします。
【養老】抽象的な漢字は、同じひとつの字に対していろいろな音が使われますね。抽象的な図柄に対してさまざまな違った音が付くということです。これ、日本人は非常に処理能力がいいんです。
小学校の低学年から国語の先生がだんだん漢字を教えて、日本語というものの読み方を教えていきますが、あれは実は漫画を読む訓練をしているのと同じことです。
■「漫画ばかり読むな」と怒る大人の勘違い
【楳図】今日はすごいことをおっしゃっていただいて、ぼくは本当にうれしい(笑)。
【養老】漫画を読む訓練をほどこしていて、それで「漫画ばかり読むな」と言って怒る先生も先生だと(笑)。だから「脳に相談しなさい」と。
【楳図】漫画の構造と漢字のルビが似ている。そういうことをはっきり解きあかしていただくと、これから漫画を読むときも、そうなのかというふうに思って読んでいただける。
【養老】抽象図形に対して、音をルビのように振るというのは、日本人にとってはすごく慣れた作業なんですね。
高橋留美子の『うる星やつら』の中にチェリーという坊主が出てくるんですが、その坊主がこう言うんです。吹き出しに漢字で「揚豚」と書いてあって、それをセリフとして怒鳴っているんですが、横には「カツ」とルビがふってある。これ、吹き出しの中が漫画そのものでしょう。
【楳図】ええ、そうですね。それは高橋留美子だけじゃなくて、漫画家がギャグとしてけっこう使う手ですね。
【養老】うん、その手法は漫画そのもの。
■なぜ日本語にだけ「ルビ」があるのか
【楳図】ぜんぜん読み方の違うルビを振って、そのギャップやズレ、あるいはそのつながりの奇抜さで面白がるってとこありますからね。
【養老】ところが、ルビというのは他の言語にはないんですね。だからおそらくルビのない言語の人は、漫画の読み方がダメというか、未熟というか……。
【楳図】ダメですね。漫画が文化としてなかなか進歩しない。
【養老】実際にわれわれが漢字を読む場合、脳の中で使う場所が他の文字を読む場合とは違うわけです。おそらく漫画を読むときには、漢字を読むときに使う場所の近辺をさかんに使っているはずだと思うんです。
【楳図】それはどの辺でしょうか。
【養老】脳の後ろの下のほうです。日本人の漫画好きは世界の人が認めるところですが、それは基本的には日本語と関係していると思います。
【楳図】これはぼくにとって、とても大きな驚きでした。びっくりしました、ホントに。
■「文化の差」の根本原因
【養老】外国人が、日本人は漫画ばかり読んでいると批判したり、大の男が電車の中で漫画ばかり読んでいると批判するわけですが、問題はもっと根深いんですよ。
だから逆に日本の漫画は水準が高くて、世界で受け入れられているわけでしょう?
【楳図】ええ、海外でよく売れています。アメリカにもむろん漫画はありますが、すごく単純です。
【養老】彼らは脳のある部分を使っていないわけですから。
【楳図】ああ、いいことを聞いた。今度、外国人が漫画について何か言ったら、ドンと言ってやろう。
【養老】文化の差というものは、そういうふうにして脳に戻していくべきだと思います。
あれがいいとかこれが悪いとか言うのは、言っている人にはそれなりの根拠があるんですが、相手には必ずしも通じません。お互い共通のモノサシがないからです。お互いの思考の違いを、脳の使い方の違いという点に還元すれば、もっと上手に説明できるはずです。
漫画にかかわる脳の部分というのは、他のことにも使えるわけです。だから「われわれはそこで漫画を読んでいるんだけど、キミらは漫画を読む代わりに何をしているんだ?」ってことでしょう。
【楳図】ホント、外国人は何に使っているんでしょうね。
■頭の良し悪しではなく、脳の使い方
【養老】西洋人は、日本人が漫画を読むことに使っている脳を別のことに使っているはずなんですがね。そこでぼくは彼らによく言うんですが、「ぼくは漢字を覚えるのに使っちゃったから、その代わり人の名前を覚えるのは苦手なんです」と。
彼らは人の名前を覚えるのがうまい。パーティなんかで初対面の人の名前をすぐに覚えてしまう。
【楳図】そうですねえ。
【養老】あれは習慣だと言うんですがね。人の顔形というものに対して、ある特定の非常に恣意的な「音」を振るのが名前でしょう。あれは彼らからすれば、日本人が漢字を読むとき使っている脳を使っているんじゃないか、だから彼らはよく名前を覚えると、これは想像なんですが。
脳はコンピュータと同じですから、ひとつのところをあることに使うと別のことには使えない、容量の問題で。
そういうふうな脳の使い方があるわけだから、それをいいとか悪いとか言ってもしようがない。脳という限られた資源をどう使うかということです。頭がいいとか悪いとかいう言い方よりも、このほうがよほどモノサシになりうると。
■日本で漫画が発達した「本当の理由」
【養老】そこでさっきの失読症ですが、日本人の場合、角回がやられると平仮名や片仮名が読めなくなってしまう。仮名は音と文字が一対一の対応ですから、「か」とあったら「か」としか読めないし、「わ」とあったら「わ」としか読めない。それは英語がBOOKとあったらブックとしか読めないのと同じですね。
なのに、角回をやられても漢字の場合は読める。ということは日本人は文字を脳の2カ所で読んでいるんですね。漢字はわかるけれども、平仮名が読めない。これではまるで虫が食った新聞紙ですよ。
まあ、漢字が読めれば新聞だってなんとか読めるけれど、平仮名や片仮名だけ読めたって仕方がない、幼児が新聞を読むようなもんですから。
【楳図】虫が食った漢文のおベンキョウですよね(笑)。
【養老】漢字版電報(笑)。
【楳図】でも、いまの話すごいな、日本でこんなに漫画が発達したわけがわかって……。
【養老】当然それなりの理由があるということですね。
【楳図】脳というモノサシか。
【養老】物事を理解するということは、つまりそういうことなんですね。
まったく違った文脈で対応関係をつくっていくということで。そのことが正しいか正しくないか、ということとは別ですね。そういうふうに説明することを心掛けたらどうかというのが、ぼくが「唯脳論」で言いたかったことなんです。
【楳図】「唯脳論」、すごい!
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養老 孟司(ようろう・たけし)
解剖学者、東京大学名誉教授
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士。解剖学者。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、大正大学客員教授を歴任。京都国際マンガミュージアム名誉館長。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、毎日出版文化賞特別賞を受賞し、447万部のベストセラーとなった『バカの壁』(新潮新書)のほか、『唯脳論』(青土社・ちくま学芸文庫)、『超バカの壁』『「自分」の壁』『遺言。』(以上、新潮新書)、伊集院光との共著『世間とズレちゃうのはしょうがない』(PHP研究所)、『子どもが心配』(PHP研究所)、『こう考えると、うまくいく。~脳化社会の歩き方~』(扶桑社)など多数。
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楳図 かずお(うめず・かずお)
漫画家、芸術家
1936年和歌山県高野町生まれ。1955年『森の兄妹』でデビュー。『へび少女』『おろち』などで独自の世界を築き、「ホラー漫画の神様」と呼ばれる。『漂流教室』で小学館漫画賞を受賞。『洗礼』『わたしは真悟』『14歳』などヒット作多数。社会現象にもなった『まことちゃん』の“グワシ”と赤白ボーダーのシャツがトレードマーク。タレント、歌手、作詞家、映画監督など多数の肩書きを持ち、様々なジャンルで活躍。2024年10月28日逝去。享年88歳。
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(解剖学者、東京大学名誉教授 養老 孟司、漫画家、芸術家 楳図 かずお)

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