「お金持ちの家」といえば、高級住宅街の豪邸か、都心のペントハウスか……。そんなイメージを持つ人もいるかもしれない。
富裕層マーケティングを手掛ける西田理一郎さんは「長らく住まい選びの基準は、立地、広さ、豪華な設備が常識だった。しかし時代は変わりつつある。いま、世界の富裕層が注目しているのは、まったく別の指標だ」という――。
■「都心のペントハウス」よりも「きれいな空気」
かつて、成功者の証しといえば、大理石の床に巨大なシャンデリア、そして都市を見下ろす高層階のペントハウスだった。
消費とは「いかに多くの資源を使えるか」を誇示する行為であり、豪華絢爛であることこそがラグジュアリーの定義だったからだ。
しかし、現在私が接している富裕層の価値観は、そこから大きくシフトしている。
彼らが今、最も熱い視線を注いでいるのは「ウェルネスレジデンス」と呼ばれる、居住者の健康と肉体の最適化を最優先に設計された住まいだ。
これは単に「ジムがついている」「有機野菜が手に入る」といったレベルの話ではない。
建物自体が呼吸し、エネルギーを生み出し、さらには居住者の生体リズムまで整える。そうした「システム」の中に身を置くこと自体に、彼らは最高の贅沢を感じている。
なぜか。
それは、パンデミックや激しいビジネス環境を経験したわれわれが、「本当の豊かさとは、外部環境に左右されず、健やかに生き延びること」だと気づき始めたからにほかならない。

彼らにとって、もはや「カッシーナのソファ」や「フェラーリ」は、記号的な消費にすぎない。
それよりも、「どれだけ純度の高い水を飲めるか」「どれだけ汚染されていない空気を吸えるか」といった、生命維持に直結する要素のほうが、はるかに価値が高いのだ。
世界各地で進行している最新のプロジェクトを見れば、その傾向は明らかだ。そこには、これまでの不動産常識を覆すような、驚くべき「新しい富の使い道」が存在する。
■「快適な睡眠」に67億円を払うテック長者
テクノロジーの聖地、シリコンバレー。
ここで今、GoogleやAppleの幹部といった超富裕層たちがこぞって買い求めているのが、「Troon Pacific(トルーン・パシフィック)」が手掛けるウェルネス住宅だ。
彼らの住宅は、一見するとモダンで洗練された豪邸だが、その真価は目に見えない部分にある。コンセプトは徹底した「睡眠の質の向上」だ。
例えば、サンフランシスコの高級住宅街にある彼らの物件(販売価格4500万ドル=約67億円)には、驚くべき仕掛けが施されている。
まず、徹底した防音・防振対策が施されており、排水管には音響粘土が巻かれ、QuietRockと呼ばれる防音マットが使用されるなど、外部の騒音や振動が室内に伝わらないよう設計されている。
さらに、壁の中には電磁波シールドが埋め込まれている。Wi-Fiルーターや近隣からの電波を物理的に遮断し、脳を完全に休めるための「デジタル・デトックス・ルーム」を作り出すためだ。

空気の質へのこだわりも尋常ではない。
MERV-13規格の高性能な全館空気清浄システムが導入されており、1日に12回の全館空気入れ替えを実現。山火事などで外気がどれほど汚染されていても、室内は常に清浄に保たれる。
なぜ、ここまでやるのか。
それは、シリコンバレーの成功者たちが「睡眠こそが最強のパフォーマンス向上ツール」だと理解しているからだ。
彼らは日中、世界を変えるような決断を迫られ続け、脳を酷使している。だからこそ、自宅は単なる休息の場ではなく、翌朝に向けて脳と身体を完全にリセットするための「充電器」でなければならない。そのための環境に、数十億円を支払うことは、彼らにとって極めて合理的な投資なのである。
■「医療」と「暮らし」が融合する家
さらに、この「ウェルネス」への渇望は、ついに「医療」と「住まい」の境界線すら消滅させようとしている。
その最たる例が、アメリカ・フロリダ州マイアミで注目を集める「The Well(ザ・ウェル)」だ。
ここは、ニューヨーク発の会員制ウェルネスクラブThe Wellが手掛ける、医療とウェルネスを統合した革新的なレジデンスである。
The Wellは現在、マイアミで2つの異なるプロジェクトを展開しているが、共通しているのはその徹底したサポート体制だ。

どちらのレジデンスでも、入居者には臨床訓練を受けた医師、ライフスタイルコーチ、栄養士、パーソナルトレーナーなど、専門家チームによる包括的なケアが提供される。
一つ目の「Bay Harbor Islands」は、わずか54戸のプライベート感を重視したレジデンスだ。ここには2万2000平方フィート以上のアメニティスペースがあり、マイアミ初となるカルダリウム(古代ローマ式の温熱浴)や、IV(点滴)療法が受けられるラウンジが完備されている。
もう一つの「Coconut Grove」は、より大規模な194戸のプロジェクトだ。こちらの特徴は、4万平方フィート(約3700平方メートル)もの広大な屋上アメニティデッキだろう。そこには「フィットネス・フォレスト」と呼ばれる緑豊かな屋外エリアがあり、2つのプール、ホット&コールドプランジ、ピックルボールコート、そして屋外レストランが設置される。
また、建物内には1万3000平方フィートのWellness Clubがあり、ハイパーバリックチャンバー(高圧酸素室)、3つのクリスタル洞窟リラクゼーションラウンジ、IVセラピーが受けられるVitality Loungeなど、最先端のリカバリー設備が完備されている。
■「リビングの広さ」よりも重要な要素
それだけではない。
レジデンスには、自律神経をリセットするShiftwave Recovery Chairが設置された専用コンサバトリー、共用バスハウスにはスチーム、サウナ、コールドプランジ(水風呂)、カルダリウムが完備される。さらに、住戸内で使用できるウェルネステクノロジー(Theragun、赤外線ブランケット、リンパブーツなど)をレンタルできる「THE WELL Locker」サービスも提供される。
つまり、ただそこに住んで呼吸し、眠るだけで、自律神経が整い、パフォーマンスが最大化されるようにプログラムされているのだ。
多忙を極める現代の富裕層にとって、最大の資産は「自分自身の健康」である。
彼らはビジネスで極限のプレッシャーにさらされ、常に高いパフォーマンスを求められている。だからこそ、自宅は単なる休息の場ではなく、「リカバリー(回復)のための装置」でなければならない。
彼らは「広いリビング」よりも、「翌朝、最高のコンディションで目覚められる環境」に数億円を支払うことを惜しまない。
「The Well」のようなプロジェクトは、いわゆる「バイオハッキング(科学や技術を使って自身の生物学的機能を最適化すること)」のトレンドとも合致している。自分の体を「資本」と捉え、投資対象とする。その究極の形が、住まいそのものを医療機器化してしまうことなのだ。
■「長寿を買う」という究極の投資
ウェルネスレジデンスの進化は止まらない。
スペインのイビサ島にある「Six Senses Ibiza(シックスセンシズ・イビサ)」やドバイで展開する「Six Senses Residences(シックスセンシズ・レジデンス)」が目指すのは、健康の先にある「長寿(Longevity)」だ。
ここでは、世界的な長寿研究の権威と連携し、居住者に「老化を遅らせる」ためのプログラムを提供している。DNA検査やエピジェネティクス(後成的遺伝学)解析に基づき、一人ひとりに最適な食事、運動、睡眠、そしてサプリメントが処方される。
ラウンジに行けば、クライオセラピー(極低温療法)で細胞を活性化させ、高濃度ビタミン点滴で免疫力を高めることができる。さらに、睡眠環境は電磁波を遮断し、サーカディアンリズム(体内時計)を整える照明システムによって管理されている。

「ただ長生きする」のではない。「健康寿命を延ばし、最期の瞬間まで若々しく生きる」。そのための科学的アプローチが、住まいの標準スペックとして組み込まれているのだ。
また、スペインのアリカンテにある世界最高峰のメディカルスパ「SHA Wellness Clinic(シャ・ウェルネス・クリニック)」も、レジデンス部門を拡大している。ここでは、西洋医学と東洋医学を融合させたデトックスプログラムを、自宅にいながらにして受けることができる。マクロビオティックに基づいた食事指導から、鍼灸、オゾン療法まで、あらゆるメソッドが居住者の健康維持のために捧げられる。
これらはもはや「不動産投資」ではない。「自分自身の寿命への投資」だ。
数億円、数十億円という価格も、それによって得られる「健康な時間」と比べれば安いものだと、彼らは本気で考えている。
■この潮流は日本にも…
こうした潮流は、ついに日本にも上陸している。
その象徴が、東京・港区に開業した「麻布台ヒルズ」だ。
ここには、アマンが手掛ける世界最高峰のレジデンスがあるだけでなく、核となる施設として「慶應義塾大学予防医療センター」が入居している。
従来の「病気になってから行く病院」ではない。最新の検査機器を駆使し、病気の予兆を未然に防ぐ「予防医療」と「拡張長寿」に特化した拠点だ。
麻布台ヒルズの居住者やワーカー、来街者は、慶應義塾大学予防医療センターと連携したパーソナライズされた健康管理サービスを受けることができる。スパやフィットネスジム、フードマーケットともデータが連携され、運動から食事、医療までがシームレスに統合された生活が実現する。
日本の富裕層もまた、「ただ都心に住む」ことの価値を問い直し始めている。
「いざという時に最高レベルの医療にアクセスでき、日常的に身体を最適化できる環境にあるか」。それが、これからの日本の高級不動産市場における、新たなスタンダードとなっていくことは間違いない。
■「この家は、私を健康にしてくれるか?」
これらの事例から見えてくるのは、富裕層の意識が「対外的な顕示(Show)」から「内面的な維持(Sustain)」へと、劇的にシフトしている事実だ。
かつては、どれだけ高価な家具を置き、どれだけ有名な建築家に設計させたかという「他人からの視線」が重要だった。しかし今は、いかに自分の細胞を若返らせ、いかに脳のパフォーマンスを維持できるかという「自分自身の機能」が、豊かさの指標となっている。
67億円の睡眠ハック住宅も、ドクター付きマンションも、長寿のための住まいも、共通しているのは、家を「休息の場」を超えて、「能力開発の場」と捉えている点だ。
彼らにとって、最大の資産は金融商品でも不動産でもなく、「自分自身の肉体と頭脳(人的資本)」である。ビジネスの最前線で戦い続ける彼らにとって、病気や老化によるパフォーマンスの低下は、数億円の損失に直結する最大のリスクだ。だからこそ、そのリスクを最小化してくれる住まいには、天井知らずの金額を投じる。
これからの時代、不動産の価値は「駅からの距離」や「築年数」だけでは測れなくなるだろう。「その住まいが、居住者の寿命をどれだけ延ばし、パフォーマンスをどれだけ高めてくれるか(ROI=健康投資対効果)」。それが、資産価値を決定づける最も重要なファクターになっていくはずだ。
あるシリコンバレーの投資家が私にこう言ったことがある。
「フェラーリは買い替えられるが、私の体は買い替えられない。だから、車は中古でもいいが、住む場所だけは、私の細胞にとって最高のものでなければならないんだ」
住まいは、その人の美意識を表現する美術館から、その人の生命力を拡張する「装置」へと進化した。
もしあなたが、次の住まいや投資先を考えているのなら、「この家は、私を健康にしてくれるか?」という視点で問いかけてみてはどうだろうか。
そこには、これまで見えていなかった、新しい価値と未来が広がっているかもしれない。

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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)

価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役

富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト

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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)
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