■小学館を揺るがす「マンガワン」問題の発端
小学館が揺れている。きっかけになったのは週刊文春(3月12日号)が報じた「マンガワン」問題だ。

文春によれば、北海道の某芸術系の高校の女子生徒だったAさんは、マンガ・イラストコースの講師・山本章一から度々声をかけられるようになったという。
ある日、「車で自宅へ送る」といわれて乗り込んだが、人気のない場所で無理やりキスしようとし、体を触られた。山本の行為はさらにエスカレートしていって、彼女をホテルに連れ込み、性行為を強要したうえに、彼女の裸の写真まで撮ったそうだ。それからも月に1・2回程度呼び出され、変態行為まで強要されたという。
そんな山本にはマンガ家としての顔もあった。Aさんに性加害している時、小学館の「マンガワン」というアプリで『堕天作戦』というダークファンタジーを連載していたのだ。
こうした山本の鬼畜の所業はAさんが卒業するまで続いた。しかし、山本からの「次の子を見つけた」という連絡で、これ以上被害者を出したくないと決意し、警察に訴えた。
2020年2月に山本は逮捕された。Aさんは強制性交での刑事罰を望んだが、時効や証拠の問題があって、判決は罰金30万円の略式命令だけだった。
山本の逮捕を受けて、連載は突如休載になったそうだ。
だが、ここから小学館の“隠蔽工作”が始まったというのである。

■原作者という隠れ蓑
乗り出してきたのはマンガワンの担当編集者X氏だった。文春の報道によれば、「X氏は大手ドラッグチェーンの元社長の息子」という。
Aさんは「マンガワン」編集部に連絡して、連載を再開しないよう要請していたという。だが、山本とX氏は、それを何とか取り下げさせたかったようだ。
X氏がA氏にLINEで送ったところによれば、社内の枢要な部署で情報共有していたという。さらに、X氏と山本側は、「示談金150万円、山本の連載再開中止要求の撤回、この件の口外禁止」という条件も出してきたというのである。
これらの対応にAさんは不信感を抱き、示談はせず、2022年7月に民事訴訟に踏み切った。それから4年後の今年2月20日、札幌地裁で山本に「一千百万円の支払い」を命じる判決が出た。
しかし、驚くことに民事の判決が出た1週間後に、小学館が「(マンガワン連載中の『常人仮面』の)原作者の一路一氏は、『堕天作戦』の作者である山本章一氏と同一人物です」と発表したのだ。
「『常人仮面』は二二年十二月からマンガワンで連載が始まった。つまり『堕天作戦』の正式な終了からわずか二カ月後に、山本を別の名義で再起用したというのである。さらに巧妙なことに、絵のタッチが一緒だといくら名前を変えても容易に山本だと露見するため、別の漫画家を立て、山本は『原作者』として起用している」(文春)
Aさんはこのことを全く知らず、小学館の隠蔽に驚いたという。

■暴かれた“もう一つの隠蔽”
さらに文春によれば、小学館はマンガワンの別の作品においても、同様の「隠蔽」を行っていたようだ。 
それはマンガワンにおいて『星霜の心理士』という作品の原作者だ。
この人物はかつて、マツキタツヤという名で『アクタージュ』の原作を執筆していた。2020年8月、路上で中学生の胸を触ったなどとして強制わいせつ罪で逮捕・起訴され有罪判決を受け、集英社は同作を即打ち切りとしていた。
だが、小学館はマツキタツヤを、別のペンネームである八ツ波樹に変え、『星霜の心理士』の原作者に据え置いたのだ。
『星霜の心理士』は先に登場した編集者Xの担当ではないそうだ。ということは、小学館では少女に対する性加害の前科があっても、お構いなしにペンネームなどで正体を隠し、起用することが当然のように行われていたということになる。
今でも『小学一年生』などの学年誌を出している小学館に、あってはならない重大な不祥事である。
小学館は3月2日に声明を出し、「マンガワン編集部における作家・原作者起用のプロセスおよび編集部の人権意識を確認し、問題点を検証、原因を究明し、再発防止に向けた提言を得るために第三者委員会を設置する方針を決定いたしました」とした。
文春やSNSに投稿しているマンガ家たちのコメントを読む限り、小学館の対応が“適切”だとは思えない。
■なぜマンガ編集部の暴走が起きるのか
ポケモン ピカチュウ・ニャースの大ぼうけん』を「小学一年生」で連載したふくやまけいこ氏は
《編集の人は仕事だから 売り上げが一番だけど/描いてる方は/売れなくてすまんと思いつつ/藤子先生から延々続く/マンガはええもんなんだって気持ちを/子供読者に伝えて来てて/延々続けて伝えて来たのに/わしらのお客さんに/(被害者にも読者にも)/なんてことしてくれてんの/って気持ちが一番強いと思う》
週刊新潮(3月19日号)によれば、このままでは女性誌などからスポンサーが引き上げ、フジテレビの二の舞になるのではないかと、小学館の関係者が憂えているという。
小学館は第三者委員会の調査報告を待つのではなく、会見を開いて、記者たちの疑問に答えるべきではないか。
私はそう考える。
こうしたマンガ編集部の“暴走”がなぜ起きるのか。ここで、私の編集者時代を振り返って考えてみたい。
マンガ編集者が銀座のバーで飲むのをちょくちょく見かけるようになったのは、1980年頃からだったように記憶している。
それまでは私が所属していた週刊現代などの週刊誌編集者や小説雑誌の編集者が、打ち合わせと称してノンフィクション・ライターや作家を連れて飲む姿がそこここに見られた。
銀座には当時、「文壇バー」なるものがいくつかあり、作家たちの交流の場になっていた。そこの支払いは、それぞれの作家についている各社の編集者が払っていた。
■銀座で見た「巨人の星」原作者のすごみ
クラブの隅の席でマンガ家や原作者と話すマンガ編集者の姿は、失礼ないい方になるが、われわれから見ると“場違い”な感じがしたものだった。
だが、『巨人の星』や『あしたのジョー』の原作者・梶原一騎氏は違っていた。
私は一度、今はない山王ホテルで当時、山口組よりも怖いといわれていた某組の組長と梶原氏が並んで話しているところに遭遇したことがあった。
組長のほうがカタギに見えたくらい、梶原氏は他を威圧する顔と雰囲気を持っていた。
銀座のバーで梶原氏の席だけはスポットライトを浴びたように見えた。
われわれ週刊誌屋も梶原氏たちの集団を見ると、早々に店を出たものだった。
マンガ編集部、とくに「少年マガジン」は社の中でも特別な存在になっていた。「巨人の星」や「あしたのジョー」の連載が終わっても、次々に大ヒットマンガを創出し、集英社の「少年ジャンプ」共々、何百万という大部数を誇っていた。
そこで連載したマンガをコミックス(単行本)にし、初版何十万部、累積何百万部というマンガを量産していった。
■勝ち組出版社にはマンガがある
こんなことがあった。私が週刊現代編集長の時だから、1990年代半ばごろだった。当時は年2回、優れた実績をあげた編集部に「社長賞」が贈られた。
その頃は、現代も好調で、毎週のように実売85%以上をクリアしていた。某年の暮れの社長賞に現代とマガジン編集部が選ばれた。
社長から手渡された賞金はズッシリと重かった。編集部に戻って、編集部員たちを集めてこういった。
「今回の賞金はすごいぞ! 横にした封筒が立ってる」
正確な金額は失念したが、200万円か300万円だったと記憶している。
そのカネで編集部員、取材記者たち総勢約100人で温泉に行って、地元の芸者衆も呼びドンチャン騒ぎした。
その後、私は編集長を辞したが、あれほどの額の社長賞を現代がもらったという話は以後、聞いたことはない。だが、マガジン編集部は毎年もらい続けていたのであろう。
1998年以降、出版の売り上げは急速な右肩下がりになる中、マンガだけは順調に推移し、今では講談社、小学館、集英社などの大手出版社は、マンガの売り上げが社を支えているといってもいいだろう。
私が編集長を務めた週刊現代は部数が激減し、隔週刊誌になり、休刊一歩手前である。一方、マガジンを始めとしたマンガ編集部はますます隆盛を誇り、私がいた講談社だけではなく、小学館、そのグループである集英社は、総合出版社ではなく、大マンガ出版社として、出版界の頂点に君臨している。
■担当編集への暴行事件
今回、小学館の「マンガワン」問題を文春、新潮、SNSで読みながら、思い出したことがある。1983年に起きた、銀座の高級クラブ「S」で起きた梶原一騎氏の担当編集者暴行事件である。
斎藤貴男氏の『「あしたのジョー」と梶原一騎の奇跡』(朝日文庫)によれば、矢口高雄氏の「釣りキチ三平」の連載終了記念のパーティーが東京・赤坂プリンスホテルで行われた日、梶原氏は、マガジン編集長、担当編集者と数軒をはしごし、6丁目のSへ入った。
夜も更け、日付も変わろうかという頃、梶原氏と担当編集者が口論を始めたという。
そして「てめえ、生意気だ!」。梶原氏は編集者の胸倉を掴み、右手で顔を殴りつけた。
椅子ごと倒れたところに蹴りを入れた。編集者は顔面切創で全治1カ月の重傷を負ったのである。
だが、件の編集者は翌日、梶原氏に電話を入れて詫びたという。
この編集者は私の先輩で、剣道の有段者。顔も図体も梶原氏に引けを取らなかった。
私も含めて社の多くの人間が梶原氏の暴力に怒り、社として抗議すべきだ、暴行罪で訴えろとなった。だが、件の先輩編集者は、酒席を共にした時、私がしつこく聞いても、この件に関しては何もいわず、沈黙を通した。実に男らしい理想的なマンガ編集者だった。
しかし、この事件から1カ月経った5月25日、梶原一騎こと高森朝樹氏は警視庁捜査4課と愛宕署に暴行と傷害の容疑で逮捕されたのである。クラブSでの暴行だけでなく、いくつかの脅迫事件、「アントニオ猪木監禁事件」などの容疑も明るみに出た。
■作家と盟友になることが目標
ほかの事件を捜査していた警察にとって、担当編集者暴行はいいきっかけだった。渋る出版社や担当編集者を強引に説き伏せて被害届を出させたという。
それ以来、講談社は梶原一騎氏を切ったといわれている。その頃の梶原氏はマンガ原作者として低迷していた。だが、絶頂期だったら“排除”できただろうか。
小説家志望だった梶原氏にマンガの原作を依頼したのは牧野武朗少年マガジン初代編集長だった。
「売れっ子のマンガ家はアイディアから絵の仕上げまで一人でやっている。人間の限界を超えているから、良い作品をつくるには絵を描く人と原作を考える人を分業するのが一番いい。映画でも落語だって、他の娯楽はみな分業です」
そう説得したという。そこから「巨人の星」や「あしたのジョー」へと梶原氏の快進撃が始まった。
マンガ文化55のキーワード』(竹内オサム・西原麻里編著=ミネルヴァ書房)にはこうある。
「一言でいってマンガ編集者は、日本以外のマンガ出版ではほとんど見られないほど作家と一体化し、『熱血共同体』とでもいいたくなる連帯感を理想としている。(中略)マンガ編集者にとって新人作家をヒットメーカーに育て、盟友的関係になることは、先達の達成した『神話』であり、目標でもある」
■なによりも作者を守る姿勢
出版不況が続く中、マンガの売り上げだけは伸び続け、講談社、小学館、集英社の売り上げに占めるマンガ依存度は5割を超えるともいわれている。マンガはこれらの出版社にとって最重要部門なのである。
今や「マンガ編集者でなければ編集者にあらず」という空気が醸成され、オーナー社長でさえ口を出せない「治外法権」編集部になっているのではないか。
編集者の劣化もある。編集者の仕事は、何を置いてもマンガ家、原作者を守る、彼らが自社のグループから出ていかないようにご機嫌を取ることに費やされ、編集者が本来やるべきことを忘れてしまっているのではないだろうか。
私は、最初に配属された編集部の先輩指導社員に、初日に居酒屋につれていかれて、こういわれた。
「編集者なんて太鼓持ちみたいなもんだ」
作家や評論家先生を「ヨイショ」することが編集者のやるべきことだというのである。その後、当時の編集長に連れられて、売れっ子評論家と帝国ホテルで引き合わされた。
編集長は終始、その評論家の前で米つきバッタのようにぺこぺこしていた。だが、その評論家が帰ってしまうと、「偉そうにしてるが、あいつは……」と吐き捨てた。
私はその時から、「太鼓持ちのような編集者だけにはなるまい」と心に決めた。
■フジの中居事件との近似値
編集者というのは、作家や評論家が書いた作品の最初の読者である。印刷して多くの読者に読んでもらうレベルか、そうでないかを決める役割が編集者にはある。
なかなか勇気のいることだが、怒鳴られても、疎んじられても、自分の考えを口に出して相手に伝える。そうしなければ一生後悔することになる。
少年マガジンと少年ジャンプを合わせて1000万部に迫った時代があった。発売日には、電車に乗っている学生やサラリーマンのほとんどが、マガジンやジャンプを読んでいた。今はそこまでの部数はないものの、コミックになれば初版何十万部、さらには映像化、世界展開と巨額が動く時代である。出版社も編集者も、守るべきものが大きすぎて、やるべきことが見えなくなってはしないか。
マンガに限らず出版社にとってコンテンツはこれからも重要なものであり続けるはずだ。巨大な富を生み出すマンガ家や原作者を大事にすることはわかるが、度を過ぎれば、フジテレビの中居正広事件と同じように、周りが見えなくなり、判断を誤る。
子どもたちの知育や情操を育てることを出版の柱にしてきた小学館が、少女への性加害を繰り返してきたことを知りながら、その人間を起用するなど、絶対にあってはならないことである。
ドラえもんが泣いている。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)

ジャーナリスト

1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)
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