物事を決断するにはどうすればいいか。元結不動密蔵院の名取芳彦住職は「悩む人は、ゴール手前で振り出しに戻って『でもなぁ』と躊躇することを何度も繰り返す。
私は迷ったり、考えすぎたりして前に進めない時は、“二者択一”にまで絞り込むことにしている」という――。
※本稿は、名取芳彦『グズを直す本』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■“悩みのメリーゴーラウンド”から抜け出す方法
“悩む”と“考える”は、似ているようで異なる行動です。
どちらも「どうしようか」と思案するのは同じですが、そのプロセスと、決断後の行動には決定的な違いがあります。
“悩む”は、せっかくゴール(それが正解かどうかは別にして)のそばまでたどり着きながら、その直前で「でも」と立ち止まり、「ちょっと待てよ」と後ろを振り返ってしまう状態です。俗に言う「後ろ髪を引かれる」状況と言えるでしょう。
これまでイエス・ノー・チャートのように取捨選択を重ねてきたにもかかわらず、その都度、心の中で完全に決着がついていないのが、簡単に後戻りしてしまう原因かもしれません。
たとえば、遊びや食事にだれかを誘うかどうか。あるいは、転職や旅の計画といった自分の人生に関わる決断。あれを優先すれば、これを諦めざるを得ない――そう悩み、決める寸前まで行ったのに、振り出しに戻って「でもなぁ」と躊躇してしまうのです。
悩む人は、ゴール手前でこれを何度も繰り返します。
仮にゴールにたどり着いたとしても、それはあくまで“仮”。
本当にこれで良かったのかと迷い、いつまでも自信が持てないままです。
私はこの状態を、自戒を込めて“お悩みメリーゴーラウンド”と呼んでいます。このアトラクションに乗ると、堂々巡りを繰り返し、なかなか降りられなくなってしまいます。
■前に進めない時は“二者択一”にまで絞り込む
これに対して“考える”とは、何のために、何をしたくて考えているのかというゴールを明確にし、そこに至る道筋を順序立てて組み立てていく行為を指します。ゴールにたどり着いたら、後ろは振り返らずに前へ進むのが特徴です。
たとえば、急に自己紹介を求められた際、「えっ、どうしよう。何を言えばいいのだろう」とオロオロする代わりに、まず頭の中で自分に関する情報をリストアップします。
名前の文字、生年月日、きょうだい、出身校、仕事の履歴、座右の銘、趣味、マイブーム、将来の夢など。その中から、その場に必要ない、そぐわないと思われるものを除外し、残ったものだけを手短に話すように“考える”のです。
私は迷ったり、考えすぎたりして前に進めない時は、どうにかして“二者択一”にまで絞り込むことにしています。
そこまで絞り込めば、ゴールにたどり着くのはそれほど難しくないことを経験で知っているからです。
二者択一にしたら、「こちらを取ればああなるかもしれない、あちらを取ればこうなるかもしれない」とシミュレーションします。

たとえば、休日を家で過ごせば身体が休まるが刺激的なことは起こらない。出かければ心の栄養にはなるが肉体的に疲れる。安定を取れば冒険はできない。冒険すれば生活は不安定になる、といった具合です。
このように、二者択一はどちらを選択してもメリットとデメリットがあります。
■最後は“偶然の采配”に委ねてみる
だからこそ悩むのですが、そこまで絞り込んだら、どちらかに決めて、それを「正解」として進めばいい。否、進むしかないと覚悟するのです。
悩みぐせのある人は(じつは悩むのが好きなのかもしれませんが)、二者択一にしても「でもなぁ」と決められません。自らの決断力のなさに、私自身、手を焼いていました。
そして、ついにある日、「自分で決められないのだから、自分の意志が及ばない“偶然”に決めてもらおう」と決めました。
たとえば、手近な本を適当に開いて、そのページの最初の文字が漢字ならA、平仮名ならBとする。あるいは、サイコロを振って偶数ならA、奇数ならB、といった具合です。

こうして、私は二者択一まで絞り込んだら、残りは“偶然の采配”に任せることにしたのです。
この方法を取り入れてから、後ろ髪を引かれるような状況に陥ることはなくなりました。
元より、私は坊主頭なので引かれる後ろ髪がありませんが、この方法で選んだ結果に進んで取り返しがつかない事態になったことは、これまで一度もありません。
■若い人、年配の人の「後悔」の違い
後悔は先にはできず、後からしかできません。ここから「後悔先に立たず」という言葉が生まれました。これは、「事が終わってから悔やんでも取り返しがつかないため、何かをする前には十分に考えなさい」という教訓です。
友人の禅僧が、座禅に訪れた外国人から「私たちが後悔するのは、やってしまったことですか、それともやらなかったことですか」と問われた際、次のように即答したそうです。
「後悔の本質は、やったことや、やらなかったことにはありません。後悔の本質は、やった時、やらなかった時に、心の底からそう思ったかどうかなのです」
本質をズバリと突く、禅僧らしい答えだと感動しました。
感動とは、“感じて動く”こと。つまり、感じた人がその影響を受けて具体的な行動をすることに他なりません。禅僧の言葉に感銘を受けた私は、周囲の人に後悔について尋ねてみました。

その結果わかったのは、若い人は「やらなければ良かったのにやってしまった」ことを後悔する傾向があるということ。これらは、経験不足や思慮不足から来る、いわゆる“若気の至り”による後悔です。
一方で年配の人は、「やれば良かったのにやらなかった」ことを後悔しているケースが多いようでした。やりたくても、気力がつづかず、体力もついていかないと言い訳をしてしまうのです。
■ “後悔の黒色”が薄まるどころか“漂白”も
いずれにしろ、済んでしまった過去は変えられません。ただそれがわかっていても、時に触れ、「あの時こうしていれば……」と悔やんでしまう人は少なくありません。かくいう私もそうでした。
そんな私は、「過去の事実は変えられないが、解釈を変えることはできる」という視点から、過去を捉え直すことにしました。
すると、心の中の黒いシミのようになっていた“後悔の黒色”が薄まったのです。中には、きれいに“漂白”された後悔もあります。それだけでなく、それ以後、やらなかったことに関して「あの時こうしていれば……」と後悔することはほとんどなくなりました。
やり方はシンプルです。

まず、「やる・やらない」を決めた当時の自分の状況と周囲の状況をそれぞれ思い出し、分析します。
「やってしまったこと」を後悔している場合、当時の自分は「経験不足だった」「思慮不足だった」「世の中を甘く見ていた」「過信していた」といった分析ができるかもしれません。
周囲の状況としては、「いい機会だからやってみるといい」と助言されたり、「君ならできる」と励まされたり、「やって後悔するか、やらないで後悔するかどっちだ」と諭されたりしたことがあげられます。
■過去の「解釈」を変えれば、心が楽になる
このように分析すれば、「あの時は、やるという選択肢しかなかった」と心の底から納得できるでしょう。友人の禅僧の言葉、「後悔の本質は、心の底からそう思ったかどうかなのです」は、やはり間違っていなかったと確信できます。
「やらなかったこと」を後悔している場合も同様です。当時の自分は「やれるスキルがないと思っていた」「チャレンジ精神がなかった」「不測の事態に対処する自信がなかった」などが、当時の状況分析として見えてきます。
そして、周囲からは、「君には無理だ」と言われた、「他にやる人がいるからその人に任せたほうがいい」とアドバイスされた、「やって失敗して迷惑をかけた時にどうするつもりだ」と不安を煽られたなど、さまざまな外部要因があったかもしれません。
であれば、「あれだけの条件がそろってしまっていたのだから、あの時やらなかったのは仕方がなかった」と、今、心の底から納得できるはずです。
このようにして過去の「解釈」を変えれば、心を楽にすることができます。
■「やる」と「やらない」の両方は選べない
加えて、「やる」と「やらない」の両方を同時に選択し遂行することはできないという事実も、心に刻んでおいたほうがいいでしょう。
何かしている時に、家族から「これやって」と別件を頼まれると、私は落語に出てくるセリフを引用して断ります。

「今やっていることがあるから、そりゃ無理だ。あくびしながらタクワンを食ってみろって言われてもできないだろう。同時にできないことってぇのはあるんだ」
さて、こうして本項を執筆している私ですが、あとになって読み返した時、「あの時、別の書き方をしていれば」と後悔することは、まずありません。現在の私にとってこの内容が精一杯であり、他の書き方をする選択肢はないと覚悟しているからです。

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名取 芳彦(なとり・ほうげん)

元結不動密蔵院住職

1958年、東京都江戸川区小岩生まれ。密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所所長。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。密蔵院写仏講座・ご詠歌指導など、積極的な布教活動を行っている。主な著書に、『気にしない練習』『人生がすっきりわかるご縁の法則』『ためない練習』『般若心経、心の「大そうじ」』(以上、三笠書房《知的生きかた文庫》)などベストセラー、ロングセラーが多数ある。

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(元結不動密蔵院住職 名取 芳彦)
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