完璧主義を手放すにはどうすればいいか。元結不動密蔵院住職の名取芳彦さんは「完璧を目指す人は、危機管理がしっかりしているが、人生全般や日常レベルでそれを目指すと心身ともに疲れてしまう。
完璧を目指しても必ずどこかに隙間はあることを知るといい」という――。
※本稿は、名取芳彦『グズを直す本』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■「明日できることを、今日するな」をモットーに
「私の趣味は、生きていくことなんです」
これは、これといった趣味のない私が「無趣味なんて味気ない人生だ」と思われないように、苦肉の策で言いはじめた言葉です。
しかし、そんな私も、コロナ禍で布教のつもりで作りはじめた「手描き日めくり」が趣味兼ライフワークになりつつあります。B6サイズの市販のスケッチブックにお地蔵さまのイラストを描き、人生の役に立つと思った言葉を書いています。
ある日の言葉は、「明日/できる/ことを/今日/するな」(※斜線で改行しています)でした。
私の茶目っ気を知るご婦人が、この言葉を見て、「私はこれができないんですよ。全部やることをやってしまわないと気が済まないんです」とおっしゃいました。
そこで私は、「ああ、こっちですか」と言い、別の日の言葉をご覧いただきました。
「今日/できる/ことを/明日/するな」
彼女は「そうそう、こっちです」とうなずきました。
世間では、後者の言葉のほうが大切とされるでしょう。そして右のご婦人のようなしっかり者は、これをモットーに生きているに違いありません。

■そのうちできなくなる日の準備を
たしかに、今日できることを今日中にやっておけば、明日は別のことに取り組める時間と心の余裕が生まれます。「まじめな日めくり」なら後者の言葉だけで十分で、前者の「明日/できる/ことを/今日/するな」は不要かもしれません。
しかし、心おだやかな人(仏)になるのが目標の私は、完璧主義とも言えるご婦人のような生き方に、一抹の不安を覚えます。
私は彼女に伝えました。
「物事を後回しにしないで着実にこなして生きてこられたのでしょう。それは素晴らしいことです。次の日を安心して迎えられますものね。しかし、今はできていても、残念ながらそのうちそれができなくなる日が来ます。
その時、できなくなった自分を責めて心が乱れてしまうでしょう。ですから、今のうちに月に一度くらい『まっ、明日できるから、今日やらなくてもいいか』という心の余裕を持つ準備をしていただきたいのです」
完璧を目指す人は、危機管理がしっかりしています。微に入り細を穿つように見落としがないかを緊張感を持ってチェックするので、その分、時間もかかります。
これは仕事においては大切な向き合い方ですが、人生全般や日常レベルでそれを目指すと、心身ともに疲れてしまいます。
準備万端ぬかりなくやって安心する以上に、緊張とストレスの負担のほうが大きくなることもあるのです。
■覚悟して“ほどほど”にしておく
翌朝のゴミ収集車の来る時間に遅れないようにと、前日の夜にゴミ箱のゴミを袋に詰めておいたのに、翌朝出そうとしたら家族のだれかがまたゴミ箱にゴミを入れたのに気づき、「なんだよ。せっかく昨日やったのに」と文句を言いたくなることがあります。
こんなふうに、どれほど完璧にやったと思っても、どこかに“ヌケ”はあるものです。それを覚悟して“ほどほど”にしておくのは、心おだやかに生きていくのに大切な姿勢ではないでしょうか。
人生で行なうことの優先順位について、ある大学の哲学の講義動画にこんな話があります。
教授がマヨネーズの瓶にまずゴルフボールを目一杯入れ、「これで満杯かな?」と学生たちに尋ねると、学生たちはうなずきます。
すると教授は、次に小石を瓶に入れていきます。満杯だと思っていた瓶にも、まだ小石が入る余地があるのです。「これで一杯?」と聞いて学生たちがうなずくと、さらに砂を入れていきます。ゴルフボールと小石と砂で満杯になった瓶に、教授は最後にビールを注ぎます。
この授業では、ゴルフボールを人生で自分が大切だと思う仕事や勉強、友情など、小石や砂を人生における些末な問題にたとえています。

教授は「最初に瓶を砂で満杯にしてしまうと、一番大切なゴルフボールが入る余地がなくなるんだ」と締めくくります。そして、最後に注いだビールは、「どんなにやることがあっても、友達とビールを飲む時間くらいはある」というオチです。
私は、この動画で瓶に満たされたゴルフボールの間に隙間がたくさんあるのを見て、「完璧を目指しても必ずどこかにそんな隙間があるのだろう」と思いました。
また、逆にその隙間(余裕)にこそ、人生に彩りと豊かさを与えてくれる可能性があるのではないかとも感じました。
完璧主義から抜け出し、人生に余裕を持って臨む準備を、そろりそろりと始めたいものです。
■その“こだわり”が心の枷になる
仏教では、すべては縁が集まった結果であり、その縁は次々に変わるため、結果は同じ状態を保てないという「諸行無常の法則」を長く説きつづけています。
この法則は、物事は否応なく変化してしまうにもかかわらず、家庭や仕事、社会や経済などの安定した状態を望んでいる私たちに対して、警鐘を鳴らしていると言えるでしょう。
この諸行無常の法則から、仏教は、「あなたがこだわっていることも、いずれ変化してしまう」と説きます。だから、「心おだやかでいたければ、こだわりからはなるべく離れたほうがいい」という教えを展開しているのです。
この考え方は、非常に理に適っていると感じます。私自身、それまで抱えてきた数々のこだわりから離れられるようになったことで、徐々に心が自由になりました。
こだわりがある人の口ぐせには、「~あるべき」「~すべき」があります。
私はこれを“ベキベキ星人”と呼んで、他山の石としています。
こだわりは、持てば持つほど心おだやかではいられません。なぜなら、自分がこだわっていることを屁とも思っていない人を見ると、「なぜこうすべきなのに、そうしないのだ」と心が乱れるからです。
加えて、自分がこだわっていることや物をなんとも思わない人は、世の中に掃いて捨てるほどいます。大勢の人があなたのこだわりに理解を示さず、同調もしないので、結果的に心乱れることが多くなるのです。
■人生には“シンプルな目標”が一つあればいい
自分がいくらこだわっていても、それにこだわらない人にその理由を聞けば、その人なりの「これこれこういうわけだから、こだわっても仕方がないでしょ」という道理が通っています。
ここまで来ると、あることにこだわるのは、どうやら個人的な趣味嗜好のようなもので、頑なに守るべきものではないと思えるようになります。
この個人的な嗜好によるこだわりは、“マイ・ルール”と呼んでもいいかもしれません。
私は、「マイ・ルールを作るのが悪い」と申し上げたいのではありません。マイ・ルールと自分の主義ややり方の境界は、とても曖昧です。
しかし、マイ・ルールの数が多くなると、心はそれに縛られ、自由さを失ってしまうのです。
明治九年に、北海道に札幌農学校(後の北海道大学)が開校する際、校則についての会議がありました。
教員からは多くの校則が提案されたそうです。
しかし、“Boys, be ambitious”で有名な初代教頭のクラーク博士は、たくさん並んだルールを見て、校則はたった一つ“Be gentlemen(紳士たれ)”でいいと主張しました。天晴れな考え方だと思います。
ルールは少ないにこしたことはありません。「こういう時はこうする」「こうなったらこうする」というルールがあると、それに縛られてしまうからです。
その点、大きな目標が一つあれば、それに向かうためのルールは少ないほうが、選択肢の数は増え、自由度が大幅にアップします。
■少しずつこだわりやルールから離れる練習を
もちろん、何をどう選び、その結果がどうなるかについては自己責任です。自由の代償としての責任は、覚悟しておかなければなりません。
過去の成功や失敗から作られたルールは、法律を含めて、それなりの根拠があります。たくさんルールがあればそれに従っていればいいので、ある意味でそれは楽とも言えるでしょう。
こだわりやルールから離れて心を楽に、おだやかにしたほうがいいとお伝えしてきましたが、「こだわってみないとわからないこと」もあります。
しかし、覚悟しておかなければいけないのは、こだわれば確実に心はおだやかでなくなるということです。
それを承知した上で、こだわったり、ルールを作ったりするのは仕方ないでしょう。それが必要な時期も、人生にはあります。
まず、あなたがこだわっていることやマイ・ルールが、現在の自分にとって適正かどうかをチェックしてみてください。その上で、必要に応じて見直しや変更をすればいいのです。
できれば、少しずつこだわりやルールを少なくして、離れる練習をしてみるといいでしょう。その先には、あなたの心を妨げない、自由で広々とした世界が待っているはずです。

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名取 芳彦(なとり・ほうげん)

元結不動密蔵院住職

1958年、東京都江戸川区小岩生まれ。密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所所長。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。密蔵院写仏講座・ご詠歌指導など、積極的な布教活動を行っている。主な著書に、『気にしない練習』『人生がすっきりわかるご縁の法則』『ためない練習』『般若心経、心の「大そうじ」』(以上、三笠書房《知的生きかた文庫》)などベストセラー、ロングセラーが多数ある。

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(元結不動密蔵院住職 名取 芳彦)
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