※本稿は、鈴木裕介『頭の中のひとりごとを消す方法』(池田書店)の一部を再編集したものです。
■東アジア人は反省が大好き
おもしろいことに、東アジア人は儒教の影響などからか、文化的に「反省することを重視する」という傾向があります。
たとえば、『論語』には「三省吾身」という言葉があります。
吾(わ)れ日に三(み)たび吾が身を省(かえり)みる。人の為めに謀(はか)りて忠(ちゅう)ならざるか、朋友(ほうゆう)と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。(毎日何度もわが身について反省する。友だちとの交際において誠実でなかったのではないか。よくおさらいもしないことを(受けうりで)人に教えたのではないかと。)
――『論語』金谷治訳注、岩波文庫
要するに「一日三回は自分のことを振り返りましょう」という教訓です。
なかなかストイックで、この通りに実践できる人はそういないかもしれませんが、こうした精神性が自分の中のどこかにあると感じる人は少なくないのではないでしょうか。
このような感じで日本人を含む東アジアの人びとは、欧米人に比べて自己批判的であり、自分を改善し、成長させていくために自分の欠点に注目しやすい傾向があるのです(※1)。
そういえば、外国人の友人が「日本では謝罪会見をよく見るね」と言っていたのが印象的でした。かつては猿に反省を求める芸が話題にもなりましたが、日本は「反省せいや!」という社会的圧力が強い国なのかもしれません。
そうであればこそ、日本人はとくに「有益な反省」と「有害な反すう」をしっかりと区別することが重要なのではないかと強く思います。
※1 Heine, S. J., Lehman, D. R., Markus, H. R., & Kitayama, S. (1999). Isthere a universal need for positive self-regard? Psychological Review,106(4), 766-794.
■「よく考えましょう」に潜む思わぬリスク
私たちは小さな頃から、「よく考えましょう」と言われ続けてきました。そこで見過ごされてきたのが、考えすぎることのリスクです。
意外に思われるかもしれませんが、「考えすぎることは危険」なのです。
とくにその考えが内向きで、ネガティブな感情に向けられていて、抽象的であるほど、どんどん自己没入的になっていきます。
「考えるために考える」というループにハマることになるのです。
たとえば、「なんか私って成長している気がしないなあ」「私って何がしたいんだろう? そもそも、どうなりたいんだろう?」「みんな、自分の目標に向かってちゃんと頑張っているのに」「でも、“ちゃんと”って何?」といった具合です。
そもそもほとんどの場合において、「考えること」は何らかの目的を達成するための手段のはずです。課題や困難を乗り越えるためだったり、複数の選択肢のなかから最適なものを選ぶためだったり、新しい知識を吸収して深く理解するためだったり、あるいは新しいアイデアを生み出すために考える、ということが多いでしょう。
もちろん、考えることが目的となることもあります。
■反すうを長引かせる「認知的不協和」
しかし、反すうはそれらのことにはまったくあてはまりません。私たちが役に立たない反すうを長引かせてしまう理由の1つに、認知的不協和という心理的メカニズムがあります(※2)。
認知的不協和自分の中に矛盾する信念や行動が同時に存在すると、不快な緊張(不協和)が生じ、それを解消しようとする心理的メカニズム
考えと行動にギャップがあって気持ちが悪いときに、考えや行動を変えてそのギャップをなくそうとする、ということです。たいていの場合、自分にとって都合のよい情報を選んだり、望ましくない信念や行動を正当化したりするなど、不適応的な(役に立たない)判断につながりがちです。
たとえば、「喫煙は健康に悪い」とわかっていてもやめられず、毎日たばこを吸っている人は、考えと行動に矛盾がある状態といえます。このとき、心のなかに不協和が生じて気持ちが悪い。
そこで、「たばこを吸うのは仕事のため。頭をスッキリさせて、生産性を上げるためなんだ」とか、「たばこを吸っている姿は格好いい」「たばこを吸っていても長生きしている人もいるし……」といった具合に「信念」を変えることで、「身体に悪いとわかっているものをやめずにいる」という矛盾(不協和)を解消しようとするのです。
反すうしやすい人でいえば、「問題について頭の中でぐるぐると転がし続ける」ということにすごい手間をかけているものの、「それが問題の解決にあたって、具体的にはまったく役に立っていない」と不協和が生じます。
そんな不協和による気持ち悪さを解消するために、「いや、この思考のプロセスを通じて、重要な洞察を得ているのだ」と信じ、ぐるぐると転がし続けてしまう傾向があるのです。
反すうが生じているときには、こうした認知的不協和による認知のゆがみが生じやすくなります。
せっかく一生懸命考えているのに、それによって望ましくない認知が強化されてしまってはもったいないですよね。「考えすぎかも」と反すうに気づき、離れることが大切です。
※2 Festinger, L. (1957). A theory of cognitive dissonance. Stanford University Press.
■反すうが問題解決の行動を遅らせる
これまで述べてきたように、反すうは学びにならないし、問題解決の役に立ちません。それどころか、解決のための具体的な行動を遅らせてしまいます。
反すうでは、「なんであのとき失敗しちゃったんだろう」「私ってダメなやつ」など、抽象的、自己批判的な思考が繰り返されます。それにより、具体的な解決策を考える余地がなくなります。問題解決には、「どうすれば次はうまくいくか」といった具体的な視点が必要ですが、反すうはこの視点の切り替えを妨害してしまうのです。
たとえば、受験で失敗した学生が「自分は勉強ができない」という反すうモードに陥ったとします。すると、改善策(勉強方法の見直し)ではなく、
「なんで、こんなに時間をかけて勉強したのに点数がとれないんだ」
「そもそも、僕なんかが受けていい大学じゃなかったんだ」
など、自分を責めることに時間を費やしてしまいます。
思考は続けているのですが、そのエネルギーはすべて自分を攻撃することに使われています。
それにより、ストレスホルモン(コルチゾール)が増加し、集中力や判断力が低下してしまいます。脳のキャパシティ(ワーキングメモリ)も奪われ、新しい解決策を考える力もそがれてしまいます。
本当なら「今後の進路の検討」や「勉強方法の見直し」などに使いたいエネルギーがすべて自分を攻撃することに消費されるのです。
実際に病院に行くまでに過度に反すうをする傾向のある女性は、胸のしこりに気づいてから、そうでない人より1カ月以上長くかかったという報告があります。ネガティブな感情や思考を頭の中でこねくり回して、悩み苦しんでいたのに、実際にしこりが見つかると、いち早く病院に行くのではなく、その行動を先送りにしたのです。心配や不安が強すぎて、身動きがとれなくなってしまっているんですね。
いろいろと考えていて、気になっていることがあるのに、学びにも解決にもつながらないどころか、むしろ解決するための行動を遅らせてしまう。反すうは、本当に困ることばかりの思考パターンなのです。
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鈴木 裕介(すずき・ゆうすけ)
内科医・心療内科医・産業医
2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務後、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。2018年、「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニックを高知時代の仲間と共に開業、院長に就任。著書に『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)などがある。
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(内科医・心療内科医・産業医 鈴木 裕介)

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